第一章

妹が俺のファンなんですけど!①

「お兄ちゃん!」


 明朗快活な跳ね返りの強い声が、扉をぶち破って乱入してきた。ノックもなければ、拒否する間もありゃしない。


「うわっ」

 

 挙句、部屋の状況に身勝手に悲鳴を上げる。始末に負えなかった。


「なんだよ」

「何やってんの、半裸で」


 随分、引き気味の声を出してくれやがる。

 野放図に部屋へ入ってきたのは茜音だ。俺が部屋でどんな格好をしていようとも俺の自由であるし、非などあるわけもない。


「衣装直し中」


 憤然と呟くと、茜音は合点がいった顔をした。さっきまでの信じられないとばかりの顔色が一瞬で塗り替わるのだから、なんともゲンキンなものだ。

 無頓着な仕草で俺の隣にやってきては、手元を覗き込んでくる。


「なんだよ。半裸に文句があるんじゃなかったのか」

「別にー。お兄ちゃんの半裸なんて見慣れてるもん。これ、ミシュたんの?」

「ローブ。ほつれてきてたからな」

「手作りとか本当意外性しかない」

「ほっとけ」


 ちまちました作業は、あんまり得意じゃない。家の手伝いだって粗雑であろうから、茜音の感想ももっともだろう。

 けれど、女装コスプレにおいてのネックは衣装にあるのだ。自作するしかなかった。

 特に俺は、華奢で細身の男じゃない。自分で手を加えなければ、綺麗に着こなすことはできなかった。


「そんで、何の用だよ」


 茜音は、ラグマットに膝立ちになっている。興味津々なさまをひとつも隠さず、俺の一挙手一投足を見据えていた。それほど大層なことはしていなかったが、なにぶんこいつは俺のファンだ。

 コスプレがバレたあの日。

 茜音は「好きなの」と、少女漫画も真っ青な告白を寄越した。

 SNSで回ってきた俺の写真を見て、それ以来、追いかけ続けていたらしい。写真だけでは、俺だと認識できなかったようだ。

 まぁ、魅せるために補正をしてもらっているし、仮に似ていても兄が女装コスプレをしているとはそう考えないだろう。ましてや俺は、日頃からそんな様子をあけすけにしているわけでもない。

 にもかかわらず、直に見てすぐに見透かしてくるところは謎だ。気がつかなければよかったのに。

 

「そうだ。お兄ちゃん、合わせするの?」


 合わせとは、複数人のコスプレイヤーが集まって行う、コスプレ写真撮影会のようなものだ。コスプレイヤーは定期的に合わせを行って楽しんでいる。

 それにしても。


「……どこで仕入れてきた」

「フォローしてるもん」

 

 スマホの画面が、ずいっと眼前に突き出された。液晶には、俺のミズキ名義のアカウントが映し出されている。フォローマークには、しっかりチェックが入っていた。


「本当お兄ちゃんのこと、好きだね」

「お兄ちゃんじゃなくて、ミズキさんが好きなの!」

「同一人物だっつの」

「うるさい」


 うるさいのはそっちだ。

 区分は、分からないわけでもない。俺にだって、本名も知らないレイヤー仲間がいる。その子たちとその辺で出会って、同一人物だと言われてもピンとはこないだろう。そういった感覚であることの予測は立つが、さすがに兄は兄以外の何者でもなかった。

 趣味がバレてからというもの、こんな応酬が続いている。

 お互いに他へ秘密裏にすることは、暗黙の了解になっていた。けれども、いくら第三者に内密にしたところで、俺たちには他人にバレずに会話ができる家庭がある。秘密であろうとも、茜音との趣味の会話に支障はなかった。むしろ着々と、遠慮会釈ない会話が増えていく。

 兄妹仲が良好なことは、悪くない。しかし、突っ込まれるのは俺ばかりだ。七面倒臭いと言うよりほかになかった。

 俺はため息を落として、手作業を再開する。


「それで?」


 本格的に相手をするのはしんどい。けれども、放っておいたところで後退してくれるなんてことはまずないだろう。

 おざなりに問うと、隣で茜音が気負う気配がした。それは即ち、嫌な予感というものである。


「い、行っちゃダメかな?」

「お前な!」


 無茶は、了承済みのようだった。叱られる用意とばかりに、しっかり身体を縮こまらせている。


「ダメもとで!」


 わっと喚く顔は、へこたれていた。額面通り、当たって砕けろの精神で訪ねてきたらしい。


「分かってるなら諦めろよ」

「……やっぱり?」


 ことりと頭を傾倒して、俺を覗き上げてくる。

 上目遣いなのが癪に障った。しかし、茜音に含みはないのだ。こうして兄の機嫌を窺うのは、茜音の癖だった。

 過去幾度もこうして覗き込まれ、過去幾度もそれにほだされている。


「聞くだけだぞ」

「本当?」

「……少人数の知り合いだけだから許されるだけだからな。こんな真似、よそですんなよ」

「分かってる」


 しれっと答える姿は、やりきれない。分かっているなら、俺にも物分かりよくあってくれればよいものを。兄ちゃんをなんだと思っているのだろうか。

 茜音が粘るまでもなく、俺がそこそこに陥落しただけとも言えるが。


「お兄ちゃんがいなきゃやってないよ」


 ……粘っては見せなかった。というか、主に俺のせいでそうはならなかったが、許してくれるという打算が大いにあったのではないか。

 兄なら妹のわがままを許してくれる、と。

 踊らされているような気持ちになりながらも、俺はスマホを手に連絡を入れた。善は急げというわけではないけれど、結果をせっつかれるのもごめんだ。決着は早めにつけておきたかった。

 こと、趣味に関してのフットワークは軽い。

 アプリのグループにメッセージを投げればそれで済む。手軽であればあるほど、ハードルは低い。要請自体のハードルは、それなりに高かったが。

 すまない。から始めた断りのメッセージに簡素なほどの容認が返ってきたのは、ものの数分後のことだった。総意で、OK! となれば、俺の食い下がる隙は一分もない。

 どうせ断られると思って請け負った節があったので、これは思わぬ展開であった。「ミズキの妹ちゃん見てみたい!」という好奇心には、渋くなる。


「いいってよ」


 隣で殊勝にしていた茜音から、ぱああと光が放射されるようだった。

 なんて分かりやすいやつだろう。報告した自分の声も大概苦々しくて、人のことは言えなかっただろうが。


「やった!」


 屈託なく顔が綻ぶ。

 これを見ると、反発する気も失せるというものだ。

 かくして、来る合わせへ兄妹での参戦が決まってしまったのである。

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