第31話

☆☆☆


翌日の朝はとても体がダルくて休みたい気分だったけれど、残念ながら熱は出ていなかった。



人間ってそう簡単に発熱できるもんじゃないんだなぁ、なんてバカバカしいことを考えながら着替えをする。



佳太くんとの関係がスッキリして、気分もスッキリしていいはずなのに、どうにもモヤモヤが胸に巣食っている。



それはきっとまだ自分の中で決着がついていないからだ。



佳太くんのことが好き。



その気持は簡単には私から離れて行ってくれないものみたいだ。



胸にチクリチクリと刺さる失恋の痛みを抱えて着替えを終えたとき、窓の外から人の声が聞こえてきた気がして動きを止めた。



確かに「おーいおーい」と、誰かを呼んでいるような声がする。



こんな時間にどこの誰が、誰に用事で呼んでいるっていうのよ。



気分の悪さを抱えて窓の下を確認してみると、玄関先に私服姿の男性が立っているのが見えた。



その男性は窓から顔をのぞかせた私へ向けて手を振っている。



「え、私……?」



一瞬ギョッと目を見開いたけれど、その私服姿には見覚えがった。



初めて佳太くんに会った時、あの服を着ていた気がする。



「佳太くん!?」



思わず大きな声を上げて大慌ててで部屋を出て階段を駆け下りた。



玄関を開ける前に下駄箱の姿見で簡単に髪の毛をとかしつけた。



そして玄関を開けた瞬間佳太くんが私の両手を強く握りしめていた。



とっさのことで逃げることもできず、呆然と立ち尽くす私。



リビングにいた両親も何事かと出てきてしまった。



それでも佳太くんは私の手を離そうとはしなかった。



「君は誰だね」



後ろからお父さんの焦った声が聞こえてきて、お母さんが「知奈のお見舞いに来てくれた人よ」と、たしなめている。



そんな両親の姿なんて見えていない様子で佳太くんは強く強く私の手を握りしめる。



「どうしたの、佳太くん」



さっきまで失恋の痛みに悩んでいた私は今、佳太くんに会えたことでとても幸せを感じているから不思議だった。



失恋の相手は佳太くんで。



この胸の痛みは佳太くんがつけていったものなのに。



「昨日は傷つけてごめん!」



途端に佳太くんは深く頭を下げて言った。



「そのことなら、もう――」



「それに、自分の正体をずっと隠していたことも、ごめん!!」



続けざまに謝られて私は言葉を切った。



佳太くんはずっと頭をさげたままあげようとしない。



その姿がなんだか痛々しくて「大丈夫だよ先生」と、声をかけた。



『先生』と呼んだのは自分なのに、また胸にかすかな痛みを感じた。



先生と生徒だと自分自身にわからせるためにやったことだけれど、こんなにチクチクするとは思わなかった。



「私は先生がちゃんと先生になれたらそれでいいから。そのお手伝いができるなら、A組にだって行くから」



そう言うとなぜか佳太くんは悲しそうな雰囲気でため息を吐き出した。



「俺のせいでそんな風に思ったんだよな。俺、最低だ……」



うなだれて、握りしめている手の力も抜けていく。



「どうしたの?」



慌てて聞くと、佳太くんは唇を引き結んで勢いよく顔を上げた。



「俺、昨日で教育実習は終わったんだ。だから今日はただの男としてここに来た」



その言葉に私はまばたきを繰り返す。



同時に昨日で教育実習は終わったという話にホッと胸をなでおろした。



家の外で大きな声で生徒を呼んでいたなんてバレたら、きっとひとたまりもないだろうから。



「君は一体何なんだ! どうしてうちの娘に――!」



後ろで騒いでいるお父さんを、お母さんがリビングへと連れて行く。



私はそんな2人を呆れて見送り、そして佳太くんへ向き直った。



「ここでは話しにくいから、外に出ようよ」



私はそう言って、玄関を出たのだった。



☆☆☆


朝の公園には誰の姿もなかった。



公園の四隅にはアジサイが咲いていて、昨日の晩また少し降った雨で濡れていた。



「ここのアジサイは赤や青や紫と、色々あるんですね」



歩きながら私は目を細めて微笑む。



様々な色の花を咲かせるアジサイは、土によって色を変えると言われている。



こうして見てみると、同じ公園でも違う土があるのだということがよくわかる。



しかし後ろを歩く佳太くんはあまり話を聞いていないようで、返事がなかった。



「教育実習終わったんですね。おめでとうございます」



立ち止まって振り返り、私は笑顔でそう言った。



教育実習が終わるということはもう学校内で佳太くんに会うことはないということだ。



でもとにかく、佳太くんがひとつの大きな山場を終わらせたことは事実だ。



「あぁ……ありがとう」



佳太くんはぼんやりとした様子で返事をする。



その声には力がなかった。



「でも、どうして最初に教育実習生だって言ってくれなかったんですか?」

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