第15話

犯人はもちろんわかっているし、やった本人が一番大きな声で笑っている。



でも私を傷つけたのはそれじゃなかった。



今まで遠目で見ていただけのクラスメートたちが一緒になって笑っているのだ。



誰も助けてはくれない。



重たい気持ちで雑巾を片手にラクガキを消していると、今度は後ろからゴミを投げつけられた。



思わず振り返り、睨みつける。



「なにその顔。恐いんだけど」



坂下さんが大げさに震えてみせる。



「恐い恐い。自分は人を傷つけるくせに、傷つけられたらそんな顔するんだ?」



憎しみを抱いた声。



だけど私は坂下さんたち3人のことを間違えたことはない。



これほど印象的な人たちなんだから、さすがに間違えることもない。



私はグッと下唇を噛み締めて、懸命にラクガキを消したのだった。


☆☆☆


さすがに2年生の教室踏み込んでいく勇気はなくて、廊下側の窓からこっそり教室内の様子を確認することしかできなかった。



だけど、いくら探してみても彼に似た雰囲気の男子生徒を見つけることができない。



私服と制服だとあまりにも雰囲気が違うからだろうか?



それにしてもおかしいと感じながらそのまま3年生の教室へと向かう。



さすがに3年生ともなるとほぼ成人男性と言った感じで、自分が幼い子どもに見えてきてしまう。



そこでは優しい先輩が声をかけてくれたので、彼の特徴を説明してみたけれど、そんな生徒は知らないと言われてしまった。



結局、今日1日では彼を見つけることができなかった。



見つけたらきっと彼も喜んでくれたかもしれないのに。



落ち込みながら帰る準備をして、そのまま花壇へ向かう。



彼が今日も約束してくれていたのは幸いだった。



「相変わらず雨が降らないから、大変だね」



水やりをしながら花へ向けて話しかける。



私達にとって晴天が続くのは心地良いことだけれど、食物にとっては死活問題だ。



シャワーのような水から出現した虹を眺めていると、「こんにちは」と後ろから声をかけられた。



振り向くと彼が立っている。



嬉しくてほころびそうになる表情をどうにか引き締めた。



「こんにちは」



同じように挨拶をする。



今日彼を探し回ったことは内緒だ。



学校内で偶然会うならまだしも、探し回って見つけ出したなんて知られたら気味悪がられてしまうかもしれない。



あくまでも自然に接していたい。



「なにか嫌なことでもあった?」



すぐに私の変化に気がついてしまう彼に戸惑う。



どうしてそんなにすぐわかるんだろう?



もしかして、全部顔に出ていたとか?



片手でホースを持ちながらもう片方の手で自分の頬に触れる。



柔らかな肉の感触がするだけだった。



「どうしたの?」



横に立ったその顔は花ではなく私の方を向いている。



「実はクラスであまりうまく行っていなくて」



つい、ポロッとこぼれ出てしまった言葉。



今まで誰にも相談できなかったことが口をついて出ていて、自分自身が驚いた。



こんなつもりじゃなかったのに、どうして話してしまうんだろう。



「そっか。でもまる1日クラスにいる必要はないんじゃないかな? 1日のうちに1時ずつくらいで頑張っていけばいいんじゃない?」



彼はなにも知らないはずなのにそんなことを当たり前みたいに言う。



「本当にそう思いますか?」



「もちろん。無理してクラスに行って苦しくなるくらいなら、行かなくてもいいと思うよ?」



「だけどクラスでの勉強なんて誰でもできることですよね。できて当たり前ですよね?」



今日A組にいたのは彼を探すためだったのだけれど、私はついムキになってしまっていた。



また芝桜が水に溺れていて慌ててノズルをひねって水を止めた。



「できて当たり前のことなんでないよ」



それはとても真剣な声だった。



嘘をついているとか、慰めで言っているような声色ではない。



彼は本当にそう思っているのだろう。



「誰かにとっての常識は、誰かにとっての非常識って言葉を知らない?」



私は左右に首を振る。



初めて聞く言葉だった。



「例えば現在進行系で戦争をしている国があって、その国からすればいつ死ぬかわからないのが当たり前の日常なんだ。だけど俺たちにとっては違う。いつ死ぬかわからないことが同じだとしても、それは全くリアルじゃない。目の前で人が死ぬことだって、とても考えられないような世界で生きている」



気がつけば私は彼の言葉に真剣に耳を傾けていた。

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