第4話

それぞれの声や癖を覚えて間違えずに会話をするのは至難の業。



高校にもなると胸のネームもつけていないし、ときには困り果ててただ笑顔を貼り付けて硬直しているだけになってしまう。



そんなに困るのなら失顔症のことを説明してしまえばいいのだけれど、それも簡単なことではなかった。



みんなの輪の中で水をさすようなことはしたくない。



それに、病気を知ったことで周りの人たちに気を使わせてしまうことは、よくあることだった。



自分の両親のように、友人にまで心配されると私の心も疲れ果ててしまう。



とにかく自分が頑張れば良いんだ。



自分が頑張れば……。



「昨日さぁ」



「なぁに? カリンちゃん」



「え? 私トオコだけど」



「あ、ごめん!」



「なにしてるの2人とも」



「カ、カリンちゃん?」



「雪だよ、知奈ちゃん」



「あ……」


ダメだ。



全然ダメだ。



ここは中学校とは全然違う世界だ。



入学から一ヶ月たったとき、「おはよう」と声をかけても返事をしてくれる子はいなくなっていた。



だから私も教室へ入ると誰にも挨拶せずに真っ直ぐ自分の席に座る。



1日はとても長かった。



先生の話を聞いて、教科書を読んで。



休み時間には次の授業の予習や復習をして過ごす。



学生らしいことはなにひとつできていなかった。



「矢沢さんってさぁ、全然人のこと覚えないよねー?」



ある日の昼休憩中、同じクラスの女子生徒が声をかけてきた。



一瞬誰だかわからなかったけれど、大きな声ですぐに誰だか理解できた。



坂下文美(サカシタ アヤミ)さんだ。



彼女はクラスの中で一番目立つ存在で、声も態度もとても大きい。



顔の認識はできなくても金髪のゆる巻姿ですぐにわかる。



坂下さんの隣には上地真奈美(カミチ マナミ)さんもいた。



2人はいつも一緒にいて、上地さんのほうは赤い髪色をしている。



2人共、いつも先生に注意されている生徒だ。


とても私には縁遠い2人で仲良くすることはないだろうと思っていた。



私がこの子たちと会話するときがくるとすればそれは……ターゲットにされたとき。



「さっき話しかけたのに、もう忘れてるし」



上地さんの笑い声に胸がギュッと押しつぶされそうになる。



私はA組で何度か失敗してしまったあと、誰にも話しかけられなくなった。



だから覚えることもできなくて、すぐに忘れてしまうようになっていたのだ。



「でも、私は――」



反論しかけたけれど、途中で言葉を切って下唇を噛み締めた。



中学時代、先生と通じて自分の病気を発表してもらったことがある。



先生はとても優しい人で、クラスメートたちに丁寧に失顔症について説明をしてくれた。



これでみんなわかってくれる。



そう思っていたし、実際に説明を聞いた後もみんな普通に接してくれていた。



ただ、困ったときにだけ手を差し伸べてほしかった。



「顔がわからないってどういうこと?」



翌日、教室へ入ろうとした時教室内からそんな声が聞こえてきたので、私は廊下で立ち止まった。



「わかんない。どこを見て相手を判断するんだろ?」



「先生言ってたじゃん。声とか仕草だって」



「でもそんなの変わるかもしれないだろ。男は声変わりするし」



「確かにねぇ」



「あぁ、なんか……めんどくせぇな」


『めんどくせぇな』



その言葉に私は息が止まってしまった。



きっとそれを言った子は悪気はなかったんだと思う。



軽い気持ちで、本心からじゃなかったとわかっている。



それでも私の心には言葉の刃が突き刺さってしまった。



それから私は何度もそういうことを耳にするようになった。



例えばトイレに入っていると「知奈ちゃん、ケイコちゃんのことを呼び間違えたことあるよね」とか。



自分で気が付かなかったミスを、みんなが気を使って聞き逃してくれていたことに気がついた。



私が病気だとわかると、みんなが気を使いはじめる。



私をはれもののように扱い始める。



それは、自分自身がよく理解していることだった。

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