マクシミリアンと神官長とアレクサンドラ

 



 思わず、と言ったようにディアナの名前を呼んだマクシミリアンは、すぐにハッと目を瞬かせリディアに頭を下げた。


「失礼。知人に……よく似ていたもので」

「マ――」


 リディアがマクシミリアンの名前を呼ぼうと口を開きかけた時、ラスターがサッと前に出た。


「お久しぶりです。ウィザード殿」


 リディアが聞いたこともない大人びた声音で、ラスターがマクシミリアンの姓を呼ぶ。


「ちょ、ラスター……」


 ――マクシミリアンと話したい。そう思って抗議の声をあげようとしたが、後ろ手でそれを止められた。


「あ、ああ……久しぶりだな、ラスター。古龍を討伐したと聞いて驚いたよ。さすがだな」


 マクシミリアンが少し驚きつつもふっと微笑んでそう言うと、ラスターの後ろにいるリディアに視線を向ける。


「君に婚約者ができたと聞き本当に驚いたのだが……彼女が?」

「……はい、私の婚約者です」


 そう言うと、どうしたのかと思うほど甘い笑顔――ただし目は笑っていない――をリディアに向け、リディアの肩を優しく抱いた。驚きで固まった。


「先日、とある街で見かけた彼女に一目惚れしすぐに求婚しました。初対面なので戸惑ったでしょうに、彼女も快く承諾してくれて」

「「ひとめぼれ」」


 リディアとマクシミリアンが同時に言葉を発した。一目惚れという言葉が、ラスターには似合わなすぎる。おそらくディアナとリディアが同一人物だと気付かれたくないのだろうが。


「そ、そうか。確かに君が一目惚れするのも無理はないが……。あ、いや、美しい人だな」

「は?」

「待て。一般的な誉め言葉だ。俺には妻子がいる」


 唐突にすごんだラスターに、マクシミリアンが小さく両手をあげ「悋気は変わらないな」と苦笑した。


「ラスター、君の最愛の人を俺に紹介してく……」


「おお! ここにいらっしゃったのか。ラスター殿」


 マクシミリアンの言葉を遮るように、後ろから大声が響いた。

 振り向くとそこには、腹部のあたりに貫禄のある男性が立っていた。年齢は四、五十歳ほどだろう。どこかで見覚えがあるような、ないような。


「神官長」

「おお、ウィザード殿もおられたのか。いやはや、今日はまことに異例な祝賀会ですな」


 神官長らしい男はそう苦笑すると、ラスターに視線を向け「今日は貴殿に確認したいことがあったのだ」とやや尊大な口調で言った。


(あ、この切り替え方……思い出したわ)


 確かこの男は、十九年前に神殿――魔術師と精霊士、二つの存在を管理する――で、当時の神官長の補佐をしていた男だ。

 どこかの伯爵家の三男坊で、さる公爵家とも縁があるのだと、会うたびに自慢していたことを思い出す。


「貴殿の婚約者は、後ろの女性か? ……ふむ、確かに銀髪だな」

「……何か?」

「な、なぜ睨む」


 ラスターの反応に神官長が怯んだようにたじろぎ、おほん、と咳払いをする。


「貴殿の連れが、精霊士という噂を聞いてな」


 驚いて息を呑む。背中越しに、ラスターも警戒する気配がした。


「先日、王都の広場でラスター殿が暴走した馬車を止め、貴殿の連れが広場にいた客を癒したと聞いた。広範囲に治癒をかけ、その場にいたほかの精霊士から見放された重病人の病も一瞬で治癒したと。……まあ信じ難い報告なので、大仰に伝わっているのだろうが。それでももしや王宮精霊士にふさわしい能力があるのではと思ってな」


(最悪だ……!)


 リディアは心の中で激しく頭を抱えた。まさかこんなことになるとは思わず、得意気に広範囲に治癒をかけた自分を殴りにいきたい。

 リディアが後悔に身悶えていると、目の前のラスターは動揺を見せずに「でたらめなことを」と静かに言った。


「彼女は確かに多少の精霊力を持っていますが、仰るような力では」

「勿論、私もこんなあからさまに誇張された話は信じていない。いないが……しかし、英雄の妻にそんな噂が立ったのだ。試験は受けてもらう」

「王宮精霊士の試験はいつ強制されるものに変わったのでしょうか」


 淡々と答えるラスターに、神官長がさっと顔色を変える。


「……これだから元平民の孤児上がりは」


 強い侮蔑の込められた言葉に、リディアは一瞬頭が真っ白になった。


「神官長。彼は今や公爵位を持つ大魔術師だ。口は慎むべきだ」


 マクシミリアンがたしなめると、神官長は「名ばかりの公爵位など」と鼻で嗤う。


「確かに古龍の討伐は偉大です。認めましょう。しかし平民……それも孤児という過去は消えはしない」

「……! なんてことを、」

「いい」


 あまりの言葉にリディアが言い返そうとすると、ラスターはリディアを制し首を振る。その様子を神官長は不快そうに見ていたが、ヴェール越しに透けて見えるリディアの顔に、驚いたように口を開いた。


「あ、あなたは……まさか、フィオリアル伯爵家とご縁が?」

「っ、」


 その家名を聞き、リディアの肩が跳ねる。

 返事を躊躇ったリディアの代わりに、ラスターが平坦な声で「彼女は貴族ではありません」と答えた。


「そうか……」


 まだ多少動揺しつつも、平民と聞いた途端に神官長はまた尊大にふん、と鼻を鳴らす。


「かの高名な大魔術師、ディアナ・フィオリアル殿とよく似ておられましたから、もしかしたら縁のあるお方かと思ったが。……まあ平民でなければ、ラスター殿とは話が合わないでしょうな」


 そう言ってリディアに好奇の視線を送ったあと「しかしまあ、親離れができないと、選ぶ妻にも面影を探してしまうものらしい」と嗤った。


「されどディアナ・フィオリアルも、あの世で喜んでいるんじゃないか。可愛げのない女だったが、あの育ちなら愛情に飢え……ひっ、」


 神官長の言葉の途中で、ラスターから迸る凄まじい魔力が神官長の首に巻き付いた。神官長の足は地面から離れバタバタと大きくもがき、声も出せないまま口がはくはくと動く。


 ラスターが、これまでで一番低く、冷たい声を出す。


「その汚い口で俺の師匠を侮辱したことを、地獄で後悔するといい」

「ちょっ……、ラスター、やめなさい!」


 何の感情もなく、虫けらを見るような瞳で神官長を見る眼差しにぞっとする。

 このまま殺しかねない勢いに焦ってラスターの腕を掴んだが、しかし彼はリディアを見もせずに首を振った。


「ねえちょっと、ラスター!」



「『彼女』のことになると暴走する癖は、少し改めたほうが良いな、ラスター・フォン・ヴィルヘルム」


 可愛らしい少女の声が響いた。驚いて振り向くと、薄桃色の髪に菫色の瞳をした、可憐な少女が皮肉気な微笑を浮かべて立っている。


「神官長を殺したとなれば、そなたもただではすむまい。そうなればそなたの『婚約者』は飛び立ってしまうだろうな」


 ラスターが舌打ちをして、魔力を消す。地面に崩れ落ちた神官長は激しくせき込み、ラスターに強い憎しみの目を向けた。


「このっ、平民風情が……!」

「ああ、神官長。一連の流れを見ておったが、おぬし。命の恩人であり、陛下が正式に爵位を授けた公爵に、なかなかすごいことを申しておったな」


 少女が微笑みを浮かべたまま神官長の元へと近寄ると、彼女の姿を見た神官長は顔を引きつらせた。


「戯れの余興ならば、わたしも忘れよう。しかし本気だったというのなら――このサラヴァン辺境伯家の記憶に、未来永劫遺しておかねばなるまい。なあ、エンゲルス伯爵家の三男よ」


 そう言いながら少女がニッと愉快そうな笑みを浮かべると、神官長は顔を引き攣らせて俯いた。




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