絵本の読み聞かせとロードリック・ウォルトン

 



 翌日。

 リディアはラスターを自室に招き、「じゃーん」とテーブルに広げた五冊の絵本を見せた。


「なんだこれは」

「絵本よ」


 ラスターが困惑している。意味がわからないようだ。


「私、こういうのあなたに読んであげたことがなかったなと思ったから、読んであげようと思って」


 この五冊の絵本は、昨日思い立ったが吉日と、リディアがエイベルに頼んで用意してもらったものだ。


 タイトルは『三匹の大豚』『ヘンデルとグレーデル』『がちがち山』『狼と七ひきの子羊』『金のナタと銀のナタ』である。


 最初の四冊は復讐譚だ。

 煮たり焼いたりやけどの上に唐辛子を塗ったあとに川に沈めたりと、どれもこれもなかなかむごいお話で、いわゆる『ざまあ』というやつである。これを読めば、さすがに復讐のなんたるかがわかるはずだ。ちなみに最後の一冊は、『正直者は偉い』と刷り込むために入れたものである。


 ラスターはそんな絵本を見下ろし、地獄の底を這うような低い声を出した。


「俺は絵本を読んでもらって喜ぶような年齢じゃないが」

「まあラスター。絵本はこどもだけじゃなく、大人が読んでも教訓になるらしいわ」


 リディアは滔々と昨日調べた絵本の効果と今回の狙いについて話した。情緒が整う、いつの間にか常識が身につく、賢くなるなど、絵本の読み聞かせはとてもいいらしい。


「……つまりディアは、俺に常識を教えきれていなかったかもしれないから、取りこぼしがないか確認するためにも絵本を読んでもう一度学びなおしをしろと」

「そう! さすがラスター、よくわかるわね」

「常識が必要なのはお前じゃないのか!?」


 何故かカンカンである。額に青筋までたっている。


「やっぱりだめかしら……これなら一緒に読めるかしら、と思ったのだけど」


 少しだけしゅんとする。

 前世から怠惰極まりないリディアは、即座に役に立つような本――たとえば魔術や治癒の本や、それから自分やラスターの伝記以外の本が苦手だ。ものの五分で眠ってしまう。


「……別に読まないとは言ってない」


ラスターがちょっとだけ気まずそうにそう言った。


「……ちょうど暇だ。聞いてやる」

「! 本当? じゃあ読んであげる! どれがいい? 私の一番のおすすめはやっぱりこれね。正直者って世界で一番偉いと思うの」


 日差しが当たるソファで横に並び、ラスターによく見えるよう本を開く。十六年前までの日常が思い出されてなつかしい。


 そのまま読みあげていると、ふと髪が軽く引っ張られる感覚がした。見るとラスターが、リディアの髪を指先ですくっているようだ。


「……ディア」

「なあに?」


 名を呼ばれたリディアが首をかしげると、ラスターの瞳に切実な何かが宿り、何かを言いたげに口を開いた。


聞きこぼさないように耳をすませたその時、窓の外から大きな声が響いた。



『ラスター様ぁー!!! 俺でーす!! 言われていた書類持ってきました!!!』



 ◇



「はじめまして、ラスター様の奥様……ではまだないか! 奥様になる方! なんかどこかで見たことがあるような美人さんですね! ロードリック・ウォルトンと申します。ラスター様の弟子です」

「王宮から押し付けられただけで弟子ではない。部下だ」

「こんなに尽くしてるのに! ひどいです!」


 そう口を尖らせたロードリックは、赤茶色の髪をした年若い青年だ。瞳は赤を基調とした四色だ。三色混じれば国家魔術師は確実、大魔術師も狙えると言われる中で、四色の瞳はかなり強い魔力を持つことの証でもある。


「大体最近のラスター様はひどすぎます! 急にパレードを強行したかと思えば途中でいなくなるし、翌日まーた姿を消したかと思えば結婚するなんて言い出して! そして突然『大陸が滅びるような事が起きないかぎりは絶対呼ぶな』とか言い出して急に一週間も休みを取るし! 俺、王宮からこてんぱんに怒られたんですよ!」


「そうか。それで、書類は」


「ここです!」


 ちょっと誇らしげに胸を張るロードリックから書類を受け取ると、ラスターはその場で書類を三度確認し、「確かに」と頷いた。


「用事はすんだな。ではかえ――」


「りたいんですけど、これも預かってきました! この手紙を確認して署名をしてほしいそうです! 署名してくれたら持って帰りますので!」


 そう言ってロードリックが、ラスターに真っ白な便せんに金の封蝋が押された手紙を渡す。ラスターはそれを黙って受け取ると、ため息交じりに「わかった」と頷いた。


「すぐに戻る」

「よろしくお願いします! じゃあ俺は奥様とお話をして待ってますね!」

「馬鹿を言え。お前は外だ」

「え」


 ラスターが軽く指を振ると、ロードリックが悲鳴を上げて消えた。



 ◇



「それにしてもラスター様が女性と普通に話す姿を見たのは初めてです! すごいですね!」

「えっ、そうなの?」

「はい!」


 あの後外に飛ばされたらしいロードリックは、ラスターが部屋を出た十五秒後にこの二階の応接室まで窓をよじ登って戻ってきた。魔術を使わず腕力で戻るとは、割とパワー派らしい。


「俺は魔力がすごく強いんですけど、制御が全くできなくて。魔術を使うたびに何かしら建物を壊してしまうので、それを止められるラスター様に弟子入りをしたんです!」


 だからラスター様がいない時は魔術を使わないようにしています! とロードリックは爽やかに笑った。


「俺はこんなぽんこつですが、大魔術師に憧れていて。ディアナ・フィオリアル様って知ってますか? 俺は彼女に憧れて大魔術師を目指してるんです」

「もちろん」


 天才ですよね、という気持ちで頷く。憧れというならば、こころよくサインなどしてあげたいくらいだ。


「わあ! 魔術師でない奥様もご存知なのですね! 結界、今もお空にキラキラしてるから当然か!」


 そう言ったロードリックが、ディアナの素晴らしさについて滔々と語り始めた。


 綺麗で繊細な魔術を使う、才能がすごい、魔物にまで慈愛を見せる素晴らしい女神。

 さしものリディアも思わず照れてしまうほどだ。


「ディアナ様の肖像画をラスター様の部屋で見たことがあるんですが、ものすごく綺麗なお方なんですよ! そういえば、奥様にちょっと似て……」


 そこまで言って、ロードリックがリディアの顔を凝視した。右から見たり左から見たり上から見たり下から見たり。


 見過ぎでは……とリディアがそわそわし始めたとき、ロードリックは「……その顔!」と青ざめたのだった。



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