ラスターの屋敷へ

 


「リディア。ええと、お幸せに……?」

「いつでも遊びに帰っておいで。手紙を送るよ」


 心配そうにしつつもまあ何とかなるのかな? と言った表情を見せるフランツと、優し気に笑うカールの二人に、リディアはじとりと恨みがましい視線を送った。


(天からの預かりものを、突然現れた男に当日嫁がせるなんて罰当たりだわ)


 彼らはどこからどう見ても危険人物なラスターに、会って五分で家族を嫁がせる薄情者だ。しかもなんと今日今から。リディアはラスターの家に向かうのだという。


(まあでも……仕方ないか)


 相手は公爵位を持つ、古龍を倒した大魔術師である。――それも、彼らの目から見たらちょっと病的な。逆らうなんてあり得ない。

 むしろフランツが、一瞬でも自分を庇ってくれたことがすごいのだ。


(実の親でも子どもを囮に使うのが人間というもの。――捨て子の私ならさもありなんよね)


 気持ちを切り替えて、リディアは「今までお世話になりました」と礼をした。


「リディア。ラスター殿との出会いが、お前にとって良いものであると確信しているよ」


 そうカールが優しい眼差しを向けて、リディアは少しだけその言い方に疑問を持った。先ほどから随分と、含みのある言い方だ。


「手紙をおくれ。それから月に一度、一瓶。お前の作るポーションを送ってほしい」

「……?」

「健やかに幸せに、愛し合う人といてくれることを望むのが家族だ。お前に精霊の加護があらんことを」


 とりあえず頷いた。ならばここにいたいのだけど……と言いたいが、それは後ろから痛いほどの視線を感じる。リディアは懸命にも口をつぐんだ。



「……荷物はそれだけか?」

「ええ」


 挨拶を見守っていたラスターが、リディアの持っているかばんに目を向ける。割といろんなことに無頓着なリディアは、私物が少ない。そしてどうせこの後泥水の中に投げ捨てられるのだろう。そう思って大切にしている本だけは、着込んだ洋服の中に隠してある。


 リディアが頷くと、彼は持っていたボストンバックをリディアの手から奪い「行くぞ」と呟いた。

 流れるような仕草で、足元に転移の術式を展開していく。

 髪が舞い上がる。内臓が浮くような、奇妙な感覚を覚える。


(――懐かしい)


 青い光に包まれて、リディアはラスターと再会して初めて、少しだけ微笑んだ。



 ◇



 転移先はラスターの屋敷の、玄関だった。


 玄関だけで、この屋敷の広さと立派さがよくわかる。なにせ玄関ホールだけでも象が十匹走り回れるほど広いので。


 王宮魔術師だった頃、よく見た高位貴族の屋敷。あんな家に住んだら道に迷うだろうなあと思っていた屋敷に、まさかラスターが――そして自分も――住むことになるとは。


(まあ、私の場合どうせ地下牢とかなんでしょうけど)


 むしろ広すぎる場所は落ち着かないので、地下牢の方がありがたい説まである。


「お帰りなさいませ」


 事前に帰ることを魔術か何かで伝えていたのか、突然現れたラスターに驚くことなく、待っていたらしい執事が頭を下げた。そんな彼を一瞥し、ラスターが口を開く。


「俺の妻だ。丁重にもてなすように」

「つ」


 一瞬固まり、執事がリディアに目を向ける。一瞬ハッとしたように目を見開いたまま沈黙し、「承知致しました」とまた何事もなかったかのようにまた頭を下げた。動揺しているだろうに、さすがである。


「ディア、彼は執事の――……」

「エイベルと申します。何なりとお申し付けくださいませ」


 失礼なことにラスターは執事の名前を覚えていないようだった。すぐに自己紹介を始めた執事に有能すぎるわと感心したリディアの足に、何か柔らかいものが触れる。


 驚いて足元を見ると、そこには――紫色の瞳をした、黒猫がいた。


「まあ! 猫ちゃん!」

「ディー」


 歓声を上げるのと、ラスターが声をあげるのは同時だった。猫はラスターの声に反応し、彼の肩に飛び乗り頬をこすりつける。


 かわいい。愛らしい。羨ましい。


 リディアは昔から猫が好きだ。とりわけ人懐こい猫は。それになんだか、この猫は他人の気がしない。


「ね、ねえラスター、ちょっと触ってみてもいい?」

「……あ、ああ」

「わ〜嬉しい! 猫ちゃんごめんね、ちょっと触らせてね……」


 さっきまで罪人の気持ちで大人しくしていたことも忘れて、リディアはラスターの肩に乗った猫に近づき、その背をそっと撫でた。温かくて柔らかくてふわふわだ。


「ねえねえ、この子の色合い、前の私に似てない? お名前ディーっていうの? 名前まで似て……」


 そこまで言って、ハッと気づいたリディアがラスターを見る。

 若干気まずそうに顔を逸らすラスターに、疑惑がふつふつと芽生えた。


「ねえラスター、あなたまさかこの猫と私を重ねて、鬱憤なんて晴らしてないわよね……?」

「……するわけないだろ!」


 食い気味に否定された。確かにきっといじめた相手に自ら近づく猫はいないだろう。

 疑って悪かったな、とちょっと思いつつ「だってこれだけ似てるから……」とリディアはバツが悪そうに弁解した。


 ラスターは恐ろしいほどの怒りの形相でリディアを見る。


「言っておくが。ディーはディアと全然違うから一緒にするな。この子は賢くて俺のことが大好きでこの世で一番可愛い猫なんだからな」

「? 猫なことを除けば私じゃない?」


 リディアがそう言うと、ラスターは更に怒り、耳まで赤くして怒鳴ってきた。


「……相変わらず自己肯定感の生き神だな!」

「何言ってるの?」


 ラスターの意味のわからない罵声に首を傾げて――リディアは、思わず吹き出した。


「何を笑ってるんだ」


 そう言って不機嫌そうに顔を逸らす目の前の大人の男が、少しだけあの頃のラスターに重なったように見えたから。




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