第32話・大逆ノ仁

 主と似た足音から大木長右衛門、居相孫作、服部竹助の三名の近侍は何が起きたか即座に理解する。


「孫作、竹助、急ぎ館を閉じよ! 鼠一匹出してはならんぞ」


 長右衛門は羽織もそこそこ矢継ぎ早に指示を与えようとするが、そこに二人の姿は見えなかった。

「ふむ。まあ、あの二人なら言わんでもわかるわな」


 さてはてと見回していた長右衛門に。伊藤吉左衛門という徒の男が報告に来た。


「小者から下人の連中、とりあえず一つの部屋に籠めておきました」


「貴様……流石やな」



 家中、高虎が何を言わなくとも仕事が出来る。独断に富む高虎は、足下を独断によって支えられている。それは戦国の古き良き気風である。


 家中、何かを察することは良きことだ。しかし独断行動力も、察することも、何も高虎が得意とすることでもある。誰も高虎の総合力を上回ることは出来ない。

 だからこそ足音の主、愛すべき従弟藤堂新七郎の上京に胸と腹、頭を痛めている。


「殿さん、大丈夫ですかい」


 小姓の今井孫八郎は心配そうに主の背中を擦る。


「大丈夫、いや。大丈夫では無いな。わしの身もそうだが、この家の危機でもある」

「んな足音一つでわかるってのは、殿さんも御三方も大したもんですな」


 暢気な孫八郎は、とても今井次郎の伜とは思えない。励ましの意味で、わざと暢気を振りまいているのだろうか。


「兄貴」

「それでだ新七郎。一体何人出た」

「十六人にて。女房や餓鬼を含めると、も少し増えますが」

「恐らくこの館にも賊は居ると見える。三十ぐらいまでいくかもしれんな」

「それは和州一党諸家から、だよな?」

「否、我が藤堂の家のみ」


 思わず高虎でさえも言葉に詰まる。

「どうするかね新七郎」

「あ、いや兄貴」

「ん?」

「既に宿老衆合議と宰相様下知により、所司代様へは庄九郎殿を遣わしておりましてな。恐らく暫くすると検使がおいでになるかと」

「左様か。いや、待てやおい」

「兄貴。事は一刻を争う儀にて、一々和州と紀州、それに京大坂を往還していては時間の無駄に御座る。とても合理的な判断と心得るところ」


「相わかった。それでだ長右衛門!!」

 堪忍した高虎は大木を呼びつける。


「伊吉左が小者や下人共を一纏めにしておりましたところ、怪しき者が二名。それと孫作竹助が館を閉めようとしたところ、抜け出そうとした女子が一人。見るに、この三名は恐らく親と子と」

「その程度で良いのだな?」


 念を押す高虎の圧に長右衛門は押されながらも答える。

「あとはわし等の信頼出来る連中ですぞ。彼奴等を疑うことは、これまで積み上げてきた自分たちをも見失うこととなりましょう」


 それもそうか、と思い自分を取り戻す。

 それから暫くすると所司代への使いに出ていた庄九郎が合流した。


「所司代様から、明日兵を差し向け和州の咎人を接収するとの由。万に一つ佐渡守方の館に係累が居れば、直ぐに連行せよとの言付けに御座います」

「うむ。ならば急ぎ出立しよう」

「親父様が?」

「ああ。こういうのは、早く頭を下げた方がええからな」

「なるほど」

「それでだね庄九郎。検使は誰ぞ」


「はい。確か仙……」


 庄九郎が言いかけると、竹助が駆け込んできた。どうにもこの家は忙しない連中が多い。


「検使が御到着なされました」


 この夜分に忙しないと、うだうだ玄関へ出ると、何処かで見覚えのある旗印と顔があった。


「これは、越前守殿!?」


「お久しう御座る。和州へ下る砌、やはり宿老衆の頭にはご挨拶をと思うてな」


 仙石越前守。仙石秀久として名高い彼は、元々は美濃の国人の生まれで、与力として秀吉附になると羽柴家中でも抜きん出た出世を遂げた古参の一人である。

 彼は島津攻めの失敗の責任から改易処分を食らったが、見事大名に返り咲いた。高虎とも長い付き合いであるが、紀州征伐に参戦したことから大和宿老衆とも縁がある。

 何より仙石の正室は大和宿老衆小川土佐守の元妻と伝わるから、そうした縁もあった。


「藤佐殿。今度難儀なこと心中お察し申す。何、所司代殿も貴殿そのものを処分なさる事は無いとの存念にて、そこまで思い詰めることはなかろう」

「いやはや越前守殿、忝い」

「ま、改易された後に返り咲く方法なら幾らでもある。そのときは頼ってくれても良い」

「越前守殿……」

「まあこれは冗談だ。ともあれ所司代様や殿下へ詫びを入れねばなるまい。ここで一つ先達から申せば、謝り方に気をつけることだ。先に逝った神子田、尾藤は長く殿下に供奉していたのに、そこがわからんかった連中だ。殿下へ詫びを入れるときはな、罪悪感などは少しで良いのだ。謝ることを主とせず、挽回への想いを述べると良いと思う」

「なるほど……」

「ま、殿下は藤佐殿を好いておられるから、そこまで心配することはないと思う。何かあればわしも口添えするから、上手くやり給え」



 大和へ出立する仙石勢を見送り、所司代のもとへ「出頭」する。

 捕らえられた下人は大人しく、なかなかの肝の据わり具合であると感じる。重大な罪、陰謀に手を染める気概があるのなら、それを主人の功に向けてほしいものだ。

 彼奴等は本来藤堂家の雇用する下人ではなく、政権から附属された連中だ。それでは政権の中に、政権を貶めることに熱意を持つ蛮人が居るとも言える。


「この度は、誠に申し訳なく、再発の防止に努めたい所存に御座います」

「まあ其方が不埒者ではないことは、我々も承知のことだ。ではあるが、そうした輩共に付け狙われる隙があったことも確かなのだろう。特に巨椋池の堤が完成すれば、大和と伏見それに京の往来は増える。それは誘惑という毒薬に塗れた賊徒が、これまで以上に増えることを意味する。今日より気をつけ給え」

「まこと寛大な仕置き、痛み入りまする」

「いやいや。其方が積み重ねてきた律儀のお陰さ。礼なら、今日までの己に言いなさい。結局和州には藤堂佐渡守が必要なのだ。これは揺るぎのないことだが……。とかく、懸案はこれで片付いたのだから、より一層奈良町人との関係改善に励みなさい」

「相わかりましてございます」


「ああ、言い忘れたことが一つある。其方は聚楽第の白井備後守と知己であったが、此度の一件で聚楽第まで抗議などの気を起こさぬように。まだ何もわからぬことが多い故に、所司代で詮議するから、そこで其方等の役目は終わる。くれぐれも、くれぐれも、聚楽第から預けられたからといって、白井備後守へ苦情を申しに参らぬように」

「ははっ。所司代様、それはまるで私めが獣が如き。お戯れを」

「良いか? くれぐれも内訌を起こしてはならぬ。くれぐれも、くれぐれも聚楽第相手の諍いは控えてくれ」

「私めに、そのようなことは出来ませぬ」

「然れども、白井や同名玄蕃に文句の一つや二つは言いたかろう」

「それは、まあ……。少し苦言を呈するのみでは、なりませぬか」

「ならん、ならん。いいかね、それは相論の始まりだぞ。大名という職責を舐めて貰っては困る。訴えたいことがあるなら、確と訴えれば良いのだ。我々には法度に掟がある。その為にわしが居るのだよ」


 そのような所司代前田玄以の説諭が終わると、京の町は新たな一日が始まっていた。

 今頃郡山に仙石越前守が到来し、恭しく下手人の引き渡しが行われているのだろう。


 僧英俊は『多聞院日記』にて斯くの如く記す。


「千人切大逆ノ仁十六人・同女房衆召捕、方々引セテ可切トテ郡山ヨリ今日奈良へ引來、京へ上云々、浅猿邪見惡行之果利眼前也、地獄ヲ見テモ惡業不止、同事也、悲哉〃〃」



「事件解決、おめでとうございまする」


 暫くした頃、菱屋が来た。


「めでたいことかねえ」

「んま、今度の逮捕劇で和州の治安を回復せしめた。これ誠目出度きことにて」


 商人の言い分からすれば、訳もなく奈良町を襲う千人切が捕らえられたことで、何の憂いもなく商いに専念出来るそうだ。

 尤も下手人が出た藤堂家の御用商人というだけあって、そこは厳しい目に遭わぬかと心配らしい。


「まあ、まあだ。わしも黄門様も先は長いから、ここから時間が掛かってでも取り戻していきたい。菱屋も助力の程を頼む」

「承知致しております。当家と旦那様は末までの一蓮托生に御座いますから」

「それで何か面白い話はあるかい」


 高虎に求められた菱屋は重い口を開く。

「件の衣の類、どうやら東福寺の周囲でしか流通がなかったようで。それも時期は天正の末、丁度旦那様たちが御出立なされた直後の僅かな間にて」


「東福寺?」

「ええ。商人を廻り半信半疑で寺院にも訪ねたところ、切れ端をこれに」


 連行された下人たちは、やはり同様の衣装を身に纏っていたが、いま菱屋の手には、確かに一団の衣と同じ柄の切れ端があった。


「もっと多く出回っていたとか、そういう事は無かったか? 手がけた職人は?」

「それがね旦那様。少量で作られ、職人たちは年始の流行病で……残ってないのですよ」

「……いやはや奇怪奇怪。まるで我々を拒んでいるようだ」


「他に何か面白い話はあるか?」

「ええ。大谷刑部様出入りの者から、事件の解決で家中安堵しており御礼をしたい、と。やはり以前にも大谷様は様々な風聞が御座いましたから、渡海忙しき砌でも気にしておいでだったとか」

「刑部は人が良いからな。これで少しは病も良くなれば幸いだ。折を見て物を貢いでやってくれ」


 病身の大谷刑部少輔、その母と妹は北政所に仕える女官である。自らの才覚で出世した石田治部や増田長束らと比べ、大谷は陰口の対象となることが多い。かつて大坂で人斬りが相次いだ際には、大谷が病平癒を求めて人の生き血を啜っているとの噂が立った。無論、大谷刑部はそのようなことをする男ではない。

 優しい男である彼は風聞に心を痛めていた。何も気にせず職務に遂行出来るのは刑部少輔の良いところであるが、病ぐらい少々休んでも良いとは思う。天下の吏僚となれば、働いた疲れは、働くことでしか紛れぬのであろうか。

 大谷刑部少輔が草津へ湯治に出たのは二人の会話から暫くした頃であった。彼の病気が眼にまで達したことを重く見た妹と母東殿が主である北政所様に訴え、北政所様から太閤殿下へ直談判があり、ようやく休めと命じられたらしい。


 働くことしか知らない吏僚は大和衆にも居た。

 かつて高虎は唐入りの祭、郡山の留守居に森半介を抜擢したのである。

 だが彼は秀保と高虎たちの出陣後、天正二十年五月五日に狂乱し、子二人を殺し、自らも切腹して果てた。結局その女房は騒ぎの責任から桑山たち宿老衆によって磔に処された。半介を含め六人が死んだ。さらに二日後には中坊の孫右衛門という吏僚の中間が宿所にて死んだ。


 高虎は今にして思う。森半介も孫右衛門の中間も、何か主張したいことがあったのではないか、と。

 言いたいことが言えぬから、自ら死を選ぶしか道がなかった。何かしらの抗議の意を込めたのか、ともかく死を以てして後に託した。

 もしくは、彼らは何かしらの口にすることは出来ぬ事象を目にしてしまった、触れてしまった。頼りとなる仁は出陣中で、彼らは自分に抱えきれぬ懸案を抱えてしまい、遂に破綻してしまった。

 何れも仮説であるが、二つの事件から程なくして奈良町事件が勃発したこと、中坊は奈良町の治安を差配する機関である事を踏まえると何かしらの関連性を見出しても良いだろう。


 高虎は、森半介と孫右衛門の中間が最後に見た景色に興味を持った。

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