第30話・七月諸事

「しかし困ったな」


 七月のはじめ頃、高虎と羽田正親は頭を悩ませた。

「じゃあ何だね、丹州様とおきく様の御縁辺でもぶち上げるのかい」

「いや、それは嫌だ。おきく様と金吾様は御一族だぞ、そんな。それに丹州様は、少々酒の気が多すぎる。俺は良くないと思うな」

「へえ、佐州でもンなことを思うのかい」


 そりゃそうか、と正親は思う。目の前に居る男は他人様の娘を攫い己の養女に仕立て上げることで地位を固めたのだから。

「だが、こればかりは如何ともしがたい。俺はおきく様の親でも無いし、それよりも我等宿老衆は安芸侍従ひでもと殿との御縁辺揺るぎなきものにせねばならぬ」

 ああ自覚は一応あったのか。

「いよいよ評議に出すか」

「や、まだ自信が無い。それとなく宿老たちに触れ回るぐらいだな」

「自信を持たぬか。安芸侍従殿が如何になるとて、太閤殿下の目にとまっている御方であるし、亡き宰相ひでなが様の娘御を娶ったとなれば安芸宰相てるもと殿も無碍に扱うことも出来ぬであろう。むしろ宗家は侍従殿、金吾様は金吾様で毛利の御家の中に家を二つ立てることも、出来るのではないかね」

「まあ確かに聡明な安芸宰相殿なら、どうにか策を講じてくれよう。それに筑前宰相様も居られることだしな」


 第九話でも触れたが、高虎が渡海している間、秀保は正親を通じて筑前宰相小早川隆景とやり取りをしていた。

 小早川隆景は織田家の中国戦線にとって最大の好敵手といえる存在であり、毛利との和睦後は秀吉に気に入られ四国征伐や九州征伐など秀吉の戦に数多従軍。文武両道の名将として諸将の羨望を集める人物だ。

 亡き宰相殿も親しくしており、四国攻めで連絡を取り合い、更に伊予の主となった御仁に対して「何かあれば聞きます」という心温まるやり取りもあった。


 だからこそ跡を継いだ秀保が隆景と接触するのは、正しい行いである。

 忙しいなか、とんとん拍子で毛利家との縁組み案が固まっているのは、渡海中に主が行っていた「外交」による部分が大きく作用していた。高虎、正親両人としても行い易いことである。


 家中に安芸侍従毛利秀元との縁組みの話が広まった頃。

 大閤方との取次を務めている多賀出雲守秀種が、伏見から戻った。


「時に殿下から二点御座いました」

「如何に仰せでしたか」

「一に伏見の城に多聞の塔が欲しいと。二に丹波中納言様の件。一つ目は完成近づく伏見の城に、かつて多聞山の城に置かれていたという古塔、これが欲しいので早めに運んで欲しい、と。二つ目は丹波中納言様が、安芸宰相殿の娘御を娶り、そのまま筑前宰相様の御養子となられるとのこと」


 いつもは「太閤殿下の御機嫌良かったです」程度しか言わない秀種に、大事の内容を伝えるというのは大胆で、余程のことである。


「ええと、私は多聞の山には余り疎いのですが、長門守、そんなものが有るのですか」

「御座います。幾つか松永弾正の数寄による塔が置かれておりますが、然し殿下が多聞の山を訪ねたのは何時のことか。よう覚えておいで御座る」


「……して、金吾殿は小早川家に入るのですか」

「様々なことを鑑みた結果、小早川の御家を継ぐのが最良、と定まったとの由に御座いました」


「しかしです出雲守。小早川の家は久留米侍従殿、つまり筑前様の御舎弟が跡目を継ぐことになっていた筈ですが」

「どうやら、久留米殿は別に家を立てることになったと承っております」


 重い空気がよぎる。

 特に秀保、高虎、一高の三名は、どうにも居心地が悪い。

 実に難儀なことで、反応に困ってしまう。


「ともあれ、これで妹御の毛利家輿入れに、何らの差し障りは無くなったわけです。時期が来たら殿下へ具申し、粛々と仕度を調えていきましょう。私としても安芸侍従殿の様な好漢とは縁を結びたい」


 つくづく出来た若者であると思う。

 高虎が如き武官とは目に見える景色が違うのだろう。しかし一高だけは達観する幼馴染みの視線が妙に感じていた。


「時に佐渡守。多聞の山にあるという古塔ですが、言われたからには此方としても早くに持っていきたいものですが」


 良いことだと高虎は思った。しかしこの瞬間に考えてみると、多聞

 の山は春に城を再興させろ言われた城であり、現段階で普請こそ停止しているが、未だ「中止」とは言われていない。

 恐らく、ここで塔を運んで来いという旨が「中止」を示唆するのだろうが、まだ「指示」ではないので如何ともしがたい。


「畏まりました。手前共で手筈を整えて参ります。ただし人足の都合などで、遅れることは御承知の上でお待ちください」


 人足を集めることもそうだが、他にもやることは多く、優先順位としてはどうしても低くなってしまう。今、鷹虎の頭に浮かんでいるのは古塔を来月に完成するとされる巨椋の堤を通り運ぶことである。伏見への短絡路を使えば人足の負担も軽くなるだろうし、政権にとっても良い宣伝になるのではないか。


 それから暫く、高虎は粉河へ下り、家中の愚痴を集めた。

 本当はそこから新宮へ渡り石垣家の世話を受け赤木に移り、北山人の状況や材木切り出しの現場を視察。そこから高取や宇陀を巡検する予定であったが、大雨によって渡ることは出来なかった。

「兄貴、この大雨で山が崩れれば、下流にまで流れ出る懸念がありましょう」


 粉河の館から雨粒を眺めていると、新七郎と村井宗兵衛が具申に来た。

「確かに、それはいかんな。特に下流の多くは渡海の最中だ。向こうにも使いを出して、各家の留守居衆にも指南出来るよう差配しておこう」


 雲の切れ間、急使が来たので郡山へ戻る。

 その急使は闘病を続けていた横浜一晏の母の危急を報せるものであった。彼は何とか臨終に間に合った。七月十四日のことである。

 高虎にとって相舅あいやけにあたるが、特に会話は無かった。一晏の母は高虎よりも遥かに年上であったから、嫌われていたと思う。

 高島の織田家の母衣衆からやってきて、家中でのし上がるために伜を利用するだけ利用したのだから当然だろう。彼女としても、僧籍にした伜が妻帯することに嫌悪感はあったかもしれないし、自らが嫁を選びたいところもあったかもしれない。


 その葬礼は二十日に西大寺で執り行われ、多聞院の英俊によれば寺僧衆二十一人、甲乙の群衆が集まり「美麗」な式であったそうだ。


「藤堂様」

 話しかけてきたのは一晏の妻の姉で、宮部継潤の側室を勤める「熊」という女人である。このとき一晏の妻、つまり高虎の養女は身重であり、そんな彼女を助けるべく急ぎ一族総出で大和に滞在していた。

 大和には一晏を支える長兄の弥二郎と弥助というきょうだい(実は親の養子)が暮らしており、一晏の母の葬礼はちょっとした「再会」の場でもあった。


「これは宮部様の。わざわざの御足労、痛み入りまする。宮部の御家からも援助があり、良き葬礼になりましたこと、深く御礼申し上げる次第」

「いえいえ。ひとえに藤堂様や義弟殿の徳に依るものでしょう」

「有り難き御言葉にて」


「時に宮部の御家中や但馬の国衆は息災でありましょうや」

 その問いに熊は複雑そうな顔を浮かべた。それが高虎には意外であった。


「御当主や御前様が健勝以外、唐入りに加え、新当主の気性。そして関白殿下と田中殿と。まあ良いとは言えません」

「それは難儀なことよの」

「大和様のことも、様々風聞が御座いますが、今のところ奈良町の賑わいを見るに如何に雑説に惑わされているのか感じる次第です」

「それは。我が主の外聞はそこまでよろしくないのか」

「ええ。奈良は滅んだとか、千人斬りの国。酷いものでは」

「酷いものでは?」

「……憚られるのですが」

「構いませぬ」

「大和の中納言殿は殺生に明け暮れ、果ては妊婦を死なせたとか、池の大蛇に慌て驚き逃げ帰った、とか。何れも風聞ですが……」

「いやはや、まさに雑説。呆れ果て言葉も御座いませぬ。我が主はそもそも人を殺めるような御方では無い。然れど奈良町の騒動や千人切の一件は事実にて、そこは弁解の余地の無きところ」


 風聞雑説ではあるが、耳に入れてしまうと堪えるものだ。

「いや、私めは当然疑っておりましたよ……」

 慌てて熊は言うが、遅いところがある。


「ああ、そうだ。千人切に関わるかもしれないことですが、今洛中では盗賊の騒ぎがありましてね。堂々と伏見城の殿下のもとへ押し入るとか、そんな話も出ております」

「盗賊か」

「果たして藤堂様の御役に立てるかは、わかりませぬが……」


 そう言って熊は戻っていった。


 相変わらず雨が降る季節だ。

 雨が止んだのは一晏の母がこの世を去った日と、その葬礼の時ぐらいであった。


「この雨では運ぶことは出来ぬだろうな」

「雨もそうですが、どうにも人足の手配が滞っております。どうにも探ったところ伏見の城や堤の普請だけではなく、他に洛中の普請がある、とか」

「洛中の普請?」

「それがですね、詳しいところは定かでは無いのですがどうやら聚楽第の増築という風聞にて」


 居相孫作は書き付けを見ながら呟く。恐らくは石田清兵衛から託されたのであろう。

 そんなこと、菱屋は何も言っていなかったのだけれども、と高虎は感じる。

「とりあえず風聞の子細を菱屋に探らせろ。あと、誰が大閤殿下に古塔を吹き込んだのか、これも探らせてくれ」


 七月が終わろうとした頃、奈良町で一人の童が盗みで捕まった。

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