第17話・吉野花見(三)吉野、雨の密議

 大阪南の玄関口をJRユーザーは天王寺、近鉄ユーザーは阿部野橋と呼ぶのだろう。

 天王寺の歴史を考えると、高虎が高島に暮らしていた頃の天正四年(一五七六)に発生した天王寺の戦いは見逃す事が出来ない。

 本願寺と戦ったこの激戦で織田軍の出世頭原田直政が討死し、総大将織田信長は銃撃を受けた。そして七兵衛の舅、つまりみやこの父で庄九郎の祖父である明智光秀の活躍をも、乱世を知る猛者たちには記憶が新しいところである。


 戦の舞台となった歴史を経て、近世現代では天王寺・阿部野橋は大阪きっての繁華街として知られる。特に近鉄が建設した国内最高のビルディング「あべのハルカス」は、遠く吉野の山を見る事が出来るそうで、また吉野の山からもそれを眺める事が出来るそうだ。


 実際にあべのハルカスの麓にある阿部野橋駅から吉野まで、近鉄の急行列車で一時間半、特急列車では一時間十分程度と比較的近い距離にある。

 その運賃も値上げ前時点で九百九十円と手頃で、特急に乗れば五百二十円をプラスして千五百十円、さくらライナーのデラックス席には更に二百十円をプラスして千七百三十円となる。

 同じ値段で観光特急「青の交響曲シンフォニー」にも乗車できるから、此方に乗りスイーツに舌鼓を打つのも宜しかろう。


 その運賃の安さは、名古屋から鳥羽までの片道運賃千七百五十円と比べると明らかだろう。特急に乗れば更に掛かる。

 近鉄名古屋線沿線に育った筆者からすれば、南大阪線ユーザーが全く羨ましい限りである。


 また吉野駅から歩いて三分で、ロープウェイの乗り場千本口駅に到着する。四百五十円の運賃で、吉野山の山上に上がる事が出来、季節になれば見事な桜を楽しむ事が出来るようだ。


 時に奈良県観光局・ならの観光力向上課の資料「奈良県観光客動態調査報告書」によれば、令和二年の一年間に吉野を含む奈良県南部エリアを訪れた観光客は約二百五十万人であったらしい。

 このエリアは平成二十七年から令和元年にかけて毎年四百万人近くの観光客を集めていたが、やはり折からの世情の影響を受けて減少してしまった。


 駒井日記には、二月二十七日に吉野の花見が行われたとある。

 すると恐らく二十六日のうちには、吉野の山に辿り着いたのか、はたまた日を跨ぎ二十七日の日中に到着し、満開の桜に迎え入れられたのだろうか。

 ところでこの頃の日付というのは、いわゆる旧暦を踏襲したものである。

 暦を今の暦にする作業は、今でこそ便利なWEBサービスを用いれば良い。しかし桜のように、何か今でも通じるものがあれば非常にわかりやすいもので、秀吉の吉野花見が行われた時期は今の暦であれば四月の初旬頃と考えられよう。


 しかし凡そ五千とも伝わる花見の一行を迎え入れたのは、満開の桜と吉野の僧侶たちだけではなかった。


 二月二十八日、吉野は雨に見舞われた。


「如何に如何に。どうしたものか、どうしたものか」

「やかましいわ佐州。雨ばかりは仕方が無かろう」

「やはり天の前に、如何に我らが無力であるか、ようわかりますな」

「ま、明日の歌会が雨で無ければ、それで良かろう?」


 この日の駒井日記によれば、この日に太閤秀吉から歌会の日取りが翌日に定まったとの知らせを受けた旨が記されている。


 雨が降ると宿坊の中は暗くなる。

 闇から雨に白む吉野の桜を眺めるのも、風流人には良いものだろう。高虎も手前懐に余裕のあるのであれば、それを楽しむ余裕があるが、手前不自由の砌であればそうは言っていられない。


「おーよう来た、よう来た」


 中納言秀保と高虎は、太閤秀吉の宿坊に呼び出された。

 暇を持て余す大和衆として、いやはや流石は太閤殿下と思うのは、秀吉という男は宴の雨をも利用して、大名への朱印状作成の指示から、大坂や聚楽第、最近では伏見の館で行うようになった政務に汗をかいている。


「叔父上様、この度は祈祷かいなく雨に見舞われ、全く申し訳ございません」


 恭しく平伏する主従に秀吉は笑った。


「雨なら仕方あれへん、他にやる事やろみゃあ」


「全く、殿下の仰せの通りに御座います」


 珍しく、孝蔵主こうぞうすという秀吉の筆頭女官と会う事が出来た。

 この女僧侶は、若い頃に海津で尼をしていたために、高虎も高島時代からの顔馴染みである。

 忙しいときの彼女は、嫌みたらしいところがある。

 この今に、暇を持て余す大和衆をはじめとする諸侯の退屈を感じ取り、苛苛しているのだろう。


「朝鮮に居る島津兵庫たちを労うにしてもな、遊びにかまけて遅なったら示しがつかん。まあ、天の神さんが、秀吉よ朱印を書き給うと言うて居ると思えば、この雨も容易い事よ」


 太閤の宿坊では、太閤から文官近習までが忙しく政務に精を出す。そのような姿を見ていると、ただ暇を持て余す主従には何だか居心地が悪くなる。

 それに、これ以上の何か話す事も無かったため、主従暇に退散しようとした時だ。


「ほれ、藤堂殿」

「如何に」


 高虎は孝蔵主に呼び止められた。


常真じょうしん様が、藤堂殿の宿坊は何処と探しておいででした」

御本所ごほんじょ様が? 一体何用」


 声の大きい高虎に、太閤は、まだ其の名前で呼んでおるのか、と笑っている。


「はて、まあ庄九郎殿の事で何かあるのでしょう」


 織田常真、その諱を信雄と呼ぶ。御本所とは、かつて名門北畠の当主であった頃の呼称で、失脚した今でも彼を慕う者は、そう呼んでいる。

 高虎にとって織田信雄は、七兵衛のいとこでもあり、一時の敵であり、庄九郎の弟を側から放さぬ織田一門の中枢であった。

 最も、失脚した今では織田一門の頭は、秀吉の側室茶々に移りつつあるのだが。


「兄者に佐渡守様!」


 雨降る吉野の昼下がり。

 庄九郎と弟が再開するのは、久しぶりの事である。兄は長らくの朝鮮在陣、弟は常真に従い名護屋を守備するも、会う機会というのは長らく無かった。

 旧交を温める人物は、兄弟にのみならずして、この男もそうであった。


「これは三四郎様、お久しう御座います」

「いやいや佐州殿、私なんぞに左様な丁重な挨拶は、過分に御座います」

 そうは言っても、七兵衛の異母兄弟にして、庄九郎のおじにあたるのだから、敬う必要はあるだろう。


「それで如何なる御用に御座いましょうや」


 頭巾の似合う常真は、口ひげを撫でながら言った。

「嫁をな、嫁を、取らせようと思うてな」


 一同はきょとんとした顔を見せる。

「ああ、何も庄九郎の嫁取りでは無い。我が織田一門に、もうそろそろ嫁へ出すに相応しい娘が居る」

「それは宜しう御座いますな。何方の娘御にございますか」

「大山崎で敵に討たれた松永伊勢守の娘だ。いや松永はそこまで身分のある男では無かったが」


 松永伊勢守に関する史料は僅かで、彼が実在したのかさえ知る手立ては存在しない。しかし物語では実在したものとして、話を進める。


「実は松永にはな、わしや七兵衛のいとこが嫁いで居った。彼女はわしの伯母犬山殿、ああつまりは亡き信長卿おやじの姉御でな、その娘だ。時に松永が死んだ天正十年の初夏に、彼奴はその娘を身籠もって居った。わしは織田の女人たちを何人も養ったわけだが、叔母上様と松永の嫁も来たわけだ。忙しい中で産声を上げ、生まれたのは娘であった。もう、とにかくかわいい娘でなあ。特に物心がついて、権六亡き後に三人姉妹が戻ってきてから、特に可愛がられてな。もうっ本当に可愛くて、それでいて叔母上様のように利発で、外に出すのも勿体の無い女子だ。しかしだな、流石に年も気がつけば嫁に出さねばならぬ頃合い。二ノ丸も子が生まれて忙しいから、嫁ぐ先をわしに任せたい、とな」

「……なるほど。それで何故手前を」

「いやな、佐渡守は数少ない高島衆の生き残りにして、七兵衛の遺児を斯様に立派に育て上げた。この恩義に織田一門の頭として、何か報わねば泉下の父や兄、それに七兵衛に示しがつかん」

「まこと勿体なき御言葉に御座います」

「それにだ、主等和州には若い衆が多かろう?」


 困惑する高虎を、織田の一門中は面白そうに眺めている。


「それでいけばおじ上様、宮内少輔様は如何に御座いましょう。家柄も顔も、文武に長けた好漢に御座います」


「確かに藤堂宮内少輔は、五郎左の子息で家柄も良い。然れど、父も兄も揃って織田の娘を娶って居る。確かに宮内少輔は五郎左の妾腹であるが、それと、これとは話が別だ」


 ならばと、高虎は従弟新七郎は薦める。


「ああ、多新から聞いた事がある。元は多賀の一門だろう? 多賀は、一度我らに弓を引いた連中では無いか。なら駄目だ」

 と断られてしまった。最も新七郎は未婚のままに壮年期を迎えており、織田家秘蔵の姫を妻に迎えるのは、些か不適当であるようにも感じていたので、想定内ではあった。


 その後も桑山兄弟をはじめ、幾人もの若い衆の名を挙げたが、織田常真という男は、庄九郎の説明も無碍に駄目だ駄目だとばかり言う。

 この気難しさは、形容しがたいものである。恐らく多新おじが生きていたのなら、お父上と同じであろう、と一笑するのだろうか。


 常真のいとこで庄九郎兄弟の父である織田七兵衛尉という御仁は、やや独断であけすけなきらいがあった。家臣としては、少しは包んで欲しいと思ったものであるが、今思うに織田一族の気難しさから派生した性格では無いのかと、思ってしまう。

 何れは庄九郎も、ああなってしまうのか。ここからの育て方には、少し気を遣わねばならぬと、実子が居ない事になっている高虎も何故か、子育ての学びを得るのであった。


 斯様に答えの無い問いを続ける中で、名だたる和州の若武者の名は尽き果ててしまった。


 そこへ丁度よく、一人の若き武者が訪ねて来る。


「殿、羽長州うちょうしゅう様より明日の歌会に際する確認を行うとの報せに御座います」


 武勇に優れ折り目正しきその男を、常真は興味深く眺める。


「おい佐渡守、今の者は誰ぞ」


「手前の甥、鈴木仁右衛門と申す者に御座いまする」


 密議。今この時に、一組の或る男女の運命が決まろうとしていた。

 誰も彼も、この縁組みが何をもたらすのか予測する事は不可能であり、高虎もまた、織田家や豊臣家との縁が深くなるのなら其れで良かろうとの、甘い考えをするのみであった。

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