第13話・大坂城祝礼(二)

 二十九日から正月晦日にかけて、つまり高虎が夜更かしに酔うていた頃。


 大和の国に大風が吹いた。


 興福寺の多聞院英俊という僧は、その日記にて、木津の小寺村で十四・五軒の家が焼亡した旨を記す。


 つまり、高虎は二日酔いに頭を痛めていた頃に、早馬により大風の報せを受けて酔いを醒ました事になる。

 ともかく彼は主への報告から、国内の被害状況を伝える使者の応対と、およそ二日酔いには辛い一日を過ごした。久しぶりに大坂で羽を伸ばす事が出来ると思っていたが、その目論見は見事に打ち砕かれてしまった。


 明けて二月朔日、国内の状況が大方纏まった。

 国内に大きな被害は無く、幾つかの中小の被害が出た程度であったことは不幸中の幸いと言えるのだろうか。


 その中には、高取の城主本田因幡守からの報せもあった。

 高取の地は吉野口を抑える大和の要衝で、吉野花見では要の地と相成る為に、彼は様々な作事普請に取りかかり祝礼には不参加であった。


 豊臣秀吉文書集を読むと、去る文禄二年(一五九三)極月つまり十二月二十四日に、彼は秀吉からの朱印状を賜っている。その内容は、雨風で荒廃した高取城の再興を認めた書状であるからして、つまり帰国以来、彼は高取城の普請を続けていたのである。


 彼の内衆が曰く、風が吹いたのは大和と山城の国境ぐらいのようであり、幸いにして高取の城は無事であった。


 概ねの報告が纏まってから暫くした頃、秀保と高虎の主従は大坂城内のさる館へ招かれた。


 人は、目の前の小さな男に平伏す。

 たとえ生まれながらに高貴のじんから下々の民草に至るまで、誰も彼もが、この小さな男に平伏す。

 そして大和中納言秀保、藤堂高虎の主従は、この男の差配により今の栄達がある。


 太閤つまり前関白さきのかんぱくにして太政大臣だじょうだいじん御仁ごじんが御名を、豊臣朝臣羽柴秀吉卿とよとみのあそんはしばひでよしきょう。関白秀次、大和中納言秀保の叔父にあたり、前大和宰相さきのやまとさいしょう秀長の異母兄。江戸大納言徳川家康の義兄にあたる。


 高き経済力と、圧倒的武力と物量、そして優秀な文官。そこに秀吉が放つ、独特な話し方は、諸人の心をくすぐって愛される人柄。

 もはや、この国の全てを手に入れた秀吉に掛かれば、怖いものは無いはずである。


しかしながら太閤殿下、木津の民草が焼け出されてしまいました。今し方、奉行衆が民草から道までの修復に、幾ら要すか勘案しておりまする」

「あんなぁ大和、その堅苦しい言葉はやめてちょうよ、昔のような具合がええでよう」

「ならば……、叔父上様。どうか木津の民草に、御慈悲を賜りたく……」


 折から、大和の財政は限界寸前で踊っているために芳しいものではない。そのようなところで、奈良町の金商人に貸せる金は無く、洛中の聚楽第の息が掛かった連中に借りることは、昨年以来の不穏を感じるに癪である。よって何よりも主従を後見せしめる存在が秀吉を頼るのは当然と言える。


 本来であれば、このような話は奉行や側近たちを通して太閤の耳に入れるものである。しかし自然相手の災禍であれば、そのようないとまも無いものだ。

 大坂方も、折からの奈良町騒動から冬の算用提出にて大和の財政を把握している。

 秀保も高虎も、こうした論理的でありながら、場数を飛ばす非言語性の意思疎通は好かぬものでありながら、この日はそれを頼った。

 事が急であるし、この場を逃せば太閤と三人で密談を交わす機会が何時訪れるかわかったものではない。


「よ~わかった。木津が荒れとったら、大和や佐州が往還にも気まずかろう」

「我らは素より、何よりも花見では京より公家衆も参ります。武家として、恥があっては成らぬと心得ております」

「案ずるな、案ずるな。大和衆の面目は、わしが守るでよ。もし誰かが、二人のことである事ない事言うとったら、そんときは、こうや」


 無邪気に笑う秀吉は、扇を首に当ててみせる。

 何も知らぬ者が見れば、恐らくぞっとする場面であろうが、秀保も高虎も慣れたもので何も思うことはない。


 しかしながら、改めて目の前に御座す殿下の機嫌と、その面目を汚しては成らぬと決意するのである。

 今このとき、二人の脳裏には天正十五年(一五八七)に発生した「落書事件」が思い浮かぶ。この事件では首謀者のみならず、町人から門番に至るまで百名程が処刑された、仕置き苛烈な事件である。

 太閤の言葉は頼もしくもあり、その切先は大和主従にも向かう怖れを含む。


 太閤殿下に己が面目を施して戴くためには、何よりも自分たちが太閤殿下の面目を損なうことの無きように振る舞う必要がある。何よりも、その場が吉野の花見なのであろう。



「然らば吉野の儀、太閤殿下は如何思し召しに御座いましょう」

「何さね、そんな大袈裟なことは望まんでよ。公家衆と御吉野の山桜を眺め、歌を詠み、能を踊る。それだけの事や。わしはむしろな、吉野の山を降りてからが大事と思うて居る」

「然は、如何に叔父上様」


 秀保の言葉に太閤は、髭に扇を当て言った。

「於岩を送り出さな、いかんやろうて。森右近大夫へ嫁ぐんじゃ。姑様になな様、それに於寧も、張り切っておるでの。正直吉野の事よりも、姪御の事の方が大事やで」


 この頃の豊臣家では、お拾を産んだ茶々ばかりに光が当たるが、長らく奥向きを担ってきた北政所(於寧)の生母朝日殿や、朝日殿の妹にして北政所の養母七曲殿ななまがりどのが健在であった。

 高虎もややこしさから余り詳しいことが判らないが、この一族に、秀吉の右腕とも言うべき浅野弾正少弼長吉あさのだんじょうしょうひつながよしが婿養子として入る。


「確か佐州が森家を訪ねたのは、浅野殿の差配でありました」

「左様、弥兵衛も甲府に入り、東国への要と相成ったでな。右近大夫も、何れは鬼武蔵あにきが旧領海津へ入れようと思うて居るで、於岩を通じて南北より真田めらを、睨むっちゅう訳や」

「然れど叔父上様。真田安房守は、手前の配下宇田下野が族に娘を嫁がせておりまする。それを睨むというのは」

「そこが人を操る妙というものよ。佐州、宇田の婿は誰ぞ?」


「石田治部少輔殿に御座います」


 宇田下野の娘は、石田三成の正室であり、その関係から唐入り前は大和衆とも親しくしていた。

 しかし奉行所内部では、秀吉の義弟である浅野長吉と、秀吉一番の出頭人石田三成の間柄は芳しいものではないと囁かれており、高虎自身も増田長盛から愚痴を聞くほどである。


「左様! これにて奉行所にて石田浅野、信州にて森真田。共に切磋琢磨する場が、いよいよ整ったという訳だ。それでいけば京極の弟は信州飯田の主であるから、ここでもそうしたところと相成る訳だな」


 秀吉は、敢えて、いやわざと、仲の悪い大名や武将を組み合わせる。関係が良好とは言えない女房同士を呼び出す。そして、公家や坊主、神官が相手でも、同じ事をする人間だ。

 そこに悪意というものはない。


「わしはな、常に織田家の有能な方々を間近で見てきた。さる猛将、母衣衆が武功を上げた。彼の御方が敵将を招降した、商人から銭の約定を取り付けた。そのような話を聞く度に、己の無才を呪うわけだ。でも、呪うだけじゃあかんで、兎にも角にも有能な方々に追いつくために、追い抜くために、無い頭を必死に廻して生きてきた。それでいきゃあ、右近大夫や鬼武蔵おにむさし、乱坊力の親父であった三左殿など、羨望の的じゃったわい。なあ佐州、わしは、若い連中にもそうあって欲しいんじゃ」


 秀保と高虎は今、手探りながら人の上に立つ立場にある。

 彼らは国に人を置く際には、とにかく気を遣い、無駄な諍いにならぬよう心得ている。

 高虎は大和衆の模範となるべく、率先して苦手としていた相手との融和を図った。中でも大伯父や、叔父と永禄以来長らく対立関係にあった多賀信濃守の遺族に頭を下げた事で、和解を成立させた出来事など象徴的であろう。


「まあでも、大和と佐州のやり方も、悪くはない。これからもそうやってちょうよ! それよりも、伏見の城じゃ。この夏には巨椋に堤が出来てな、其方らの往還も幾分か楽になる。それまでには、伏見の普請を終わらせねばな」

「相心得ております。叔父上様の心のままに。大坂での祝礼が終わり次第、京へ上り取りかかりましょう」

「そんでな、大和衆の若いもんを連れてきてはくれんか?」


 秀吉は男も女も若い者が好きだ。自身の若い頃、出世欲に燃えたぎっていた時代を懐かしむように、そして迫り来る老いから目を背けるように若い者を好んでいる。


「それは手前の宮内少輔せがれでしょうか」

「おお仙丸か、そらええわ! 他にも桑山の倅共も連れて参れ! また夏には朝鮮へ戻るからな、わしが少し激励したら喜ぶだろうな?」

「宜しう御座います。我ら和州の兄弟分を御笑覧くだされ」

近時きんじの若いもんは、聡い奴が多いでな。大和や仙丸もそうだが、中でも安芸侍従を知っとるか? 彼奴は安芸宰相の養子だが、別に取り立ててやりたいぐらいだ」


 安芸侍従毛利秀元あきじじゅうもうりひでもとは、毛利元就四男の穂井田元清ほいだもときよが次男に生まれ、実子無き従兄・安芸宰相毛利輝元の養子に選ばれた男である。

 その生き様には、何処か宮内少輔を思い起こすところが主従にはあった。

 齢十四の砌に秀吉に拝謁し、その受け答えと顔つきにて、秀吉の寵を一気に集めた若武者である。


「確かに、安芸侍従殿は良き御仁でした。佐州は、朝鮮の地で会ったことはあるか?」

「何度か、釜山で目にしたことがあります」


「それで、どんな男やった」


「その具足姿は、毛利の武門を一手に引き受けた鬼吉川が如く、これまさに生まれながらの大将と、心得まして御座います」


 叔父と甥御は、意気投合した。


「せやったら於菊姫めいごの嫁ぎ先、安芸侍従がええかもしれんな」

「まさしく叔父上様がおっしゃるとおり。それほどの武人、我が妹を娶らせ、我が兄弟分に相応しき御仁やもしれませぬ」


 いつしか大和国内の懸案などは、大風に吹き飛ばされたように、叔父と甥の仲良い二人は、一族の話でその日を終えた。

 高虎にとって、それが良いことであるのか、悪いことであるのか、判断をすることは出来ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る