文禄三年の章

第10話・新春正月その激動の始まり

 その年明けは、天下万民皆病てんかばんみんかいびょうの正月となった。


「ったく、何と言う年明けか。よりにもよって、太閤殿下や関白殿下のみならず、帝も流行病とは」

「我らも用心しましょうぞ」


 折からの尾州に関わる政務に加え、流行風邪にて正月の行事の一切は停止されてしまった。

 羽田も藤堂も、すっかり暇を持て余し、退屈である。


 今頃、和州は正月に浮かれていることだろう。特に奈良町では、秀保、生母大上様おおかみさま、そして女中衆の名に於いて求めた大神楽おおかぐらが催されている筈だ。

 惜しむらくは「代参だいさん」という形で、秀保たちの観覧が叶わない事だ。


「まあ仕方なかろう。奈良町で大上様が病に罹れば、更に聚楽第は乱れよう。今はただ、大神楽の効用により、天下万民の病が癒えるのを待つのみだ」


 しかし羽田や高虎の願いは虚しく終わる。

 四日には、大神楽に願を掛けた大上様までもが病に罹ってしまった。


「ははは、見よや佐州。やはり神仏しんぶつの加護とは紛い物に過ぎようや」

「斯様な病に効く良薬があれば、万民のためになりましょうや」

「おいおい佐州、そのような絵物語や如何に如何に。万民に効く薬など出来るわけがなかろうや」


 このように師走以来在京の日々を、鬱屈とした雰囲気で過ごしている彼らは戯れ言を吐くのが精一杯であった。


 それでも七日が過ぎると、段々と各所より本復の報せが舞い込んできた。関白も精を取り戻すと十三日に和州屋敷の高虎を訪ね、五枚の呉服を与えた。郡山の従姉妹ひめたちに着せてやれとのことだ。

 また十五日には聚楽第の西の丸に秀保を招くと、茶の湯で持て成す。御供は羽田、多賀出雲の教養人二人。また茶事の跡見には聚楽第から与力の堀尾吉晴、日根野法印、稲葉彦六の三名が来た。稲葉は五年前にこの世を去った稲葉一鉄の孫に当たり、その妻は宮内少輔の姉であるから彼の義兄にあたる。


「しかし日根野法印殿も、しぶとい男よな。昔、小谷城で拝見したことがあるし、堂々と小谷から中郡を行き来をしておってな、羨ましかったぞ。全く」

「ええ、法印殿も、久しぶりに藤堂と会えると思うた云々と、言うておりましたわ」

 多賀出雲とは秀長存命時に、因縁があったものだが、時間が両者の氷を溶かしてくれた。


 日が過ぎて居ゆくほどに、畿内洛中の病は収まりを見せてきた。これはまさに神仏の加護の効果なのだろうか。しかし良くも悪くも、多くの行事が日延べして居ることは厄介である。

 例えば帝と関白の病臥により、正月の参内は二十四日まで延期と相成った。正月の参内が何時になるかもわからないなかで、大和の国主たる中納言秀保は興福寺や春日大社といった寺門の代表たちとの年頭祝礼の日程を二十六日に郡山で執り行うと決めてしまった。つまり二十五日までには郡山に戻り、様々な支度を調える必要がある。そこから逆算するに高虎は二十三日を出立と定めた。

 然しである、それを定めたと同時に聚楽から使者が来た。参内が二十六日と定まったとの報せである。


「申し訳御座いませぬ。佐渡守、不覚に御座いました。よもや、我らの年頭祝礼と、殿下の参内が被ってしまうとは……」

「顔を上げて下さい。致し方の無い事です」

「いや少し、もう少し我らが耳聡く折衝を重ねる必要が御座いましたのに、それを怠った佐渡の罪に御座います」


 高虎は平に、平に謝した。

 京童きょうわらべの噂を聞くに、世上せじょうは殊の外政権の行く末を楽しんでいる。特に関白秀次と相並ぶ若き宰相は誰ぞとの話題で、飯屋は昼夜盛り上がると聞く。

 菱屋から聞かされるたびに、つい高虎もそれを意識してしまう。

 今現在、優勢なのは我が主である大和中納言秀保卿であるが、奈良町の一件は大きな失点となった。次点は政権で武門を担う備前の宇喜多秀家で、やはり秀吉が言うところの次期関白候補二人が有力なのだろう。

 しかし第三、第四の勢力も話題に上るようになった。一人は秀吉の正室北政所の甥で、夫妻の養子となった金五こと丹波中納言秀俊。もう一人は前中将織田信忠の遺児で庄九郎の再従弟にあたる岐阜中納言秀信である。秀信は小吉秀勝兄を継いで、岐阜中納言となった。

 特に正月の参内には新公家衆として、秀信が参内する。大和衆の多くは、これを主の失墜と捉えた。故に高虎は、面目を失ったのである。

 更に口惜しいのは、諸大夫と相成った宮内少輔一高が秀保に供奉出来なくなったことである。父として申し訳ないばかりである。


 めまぐるしい日々は続く。

 十八日、高虎と羽田へ大坂よりの使者が来た。

 使者は高島時代からの知己で、母と姉が城に仕え、自らは母衣衆速水甲斐守の内衆として活躍する速水庄兵衛だ。時に庄兵衛の母と甲斐守は同じ速水一族という縁である。

 彼は恭しく和州館へ入ると、秀保を目の前にして朱印状を読み上げた。


「一つ、来る朝鮮在番交代につきて、当初はじめ藤堂佐渡守に渡海あるべしとのところ、太閤殿下の格別たる御意思によりて佐渡守渡海せざるを決す。依って番替ばんかえ衆は治部卿法印が子息兄弟を大将に、紀伊衆杉若伝三郎、堀内安房守渡海あるべし。なお、佐渡守は来春御働きの刻あれば遣わすとの由! 佐州様、まことお目出度う御座いまする。太閤殿下より、中納言様を支えたもう、との言伝に御座います」

「かたじけない。急ぎ郡山や紀伊へ使者を送らねば」

「あいや、もう一つあるんですわ」

「なんだね」


「二つ、大和中納言様伏見の内に御普請所設け、家中人足を出し、これに当たるべし!」

「何だね、伏見の城普請ならば、既に聞いているさ」

「それは誰からです?」

「昨冬な、所司代様や増田様から内々うちうちに話があった」

 思わず庄兵衛は大きく息を吐いた。


「こぉれだから困るんですわ。あの方々、何でもかんでも内々に話を付ける。話をつけるから、斯様に朱印状の効果が薄まるわけですよ。せっかく此方は馬を走らせて来て居るのに、皆々知己を通じて内容を得て居る。内々に口頭で! 良いですか、とうの都では文書で遺す文化があるのですよ。それを殿下は真似て、良い文化を取り入れようとしておられる。それなのに」

「奉行や所司代が率先して破るは、国の破滅である、と?」

「左様、中納言様の仰せの通りに」


 斯様に言うと、彼は急に声を小さくした。

「折角なので言うてしまいますがね、これも内々の話に御座います」

「何だね」

「先ずは、この月末に大坂にて年頭祝礼が執り行われます。これは明日にでも朱印状が来たる筈ですが、手違いが起きて中納言様の遅滞が起きるやもしれぬ、と案じましての愚行に御座います。次に、此方が重要なのですが、殿下が吉野にて花見を欲しておりましてね」


 古よりの歌枕として、そして後醍醐帝の都が置かれた吉野は、この時代も人気の土地である。

 秀吉は吉野の地に諸勢を引き連れ、吉野の花を愛でたいという。                                                                                                                                                

 引き連れる衆中は次の通り。

 武家は家康、関白、秀保、秀俊、秀家、利家、政宗、織田常真のぶかつ、細川幽斎。

 公家は菊亭晴季、中山親綱、日野輝資、高倉永孝、飛鳥井雅枝、聖護院道澄。

 他に大上様や北政所の養母である七曲様といった一門の女性陣や連歌師に、能楽に猿楽の師に僧侶などを引き連れていくらしい。


「聞いてないぞ、聞いてないぞ」

「それはそうでしょう、太閤殿下が病床で思いついた事なのですからっ」

「まさか、それは伯父上の本復を祝して、という事ではないか」

「中納言様の仰せのままに……」


 羽田も高虎も、そして秀保も頭を抱えた。

「それは何だね庄兵衛。大坂方が催すものに相成るかね」

「いやはや甲州殿が曰く、殿下は中納言様に宰相として歩み出させん、との思し召しにて、と。拝察するに大和衆の持て成しを望んでおられること、かと」

 庄兵衛には荷が重い。荷が重いが、彼の言葉こそ大坂城内の雰囲気なのだろう。


「それで速水殿よ、総勢は幾人と見る」

「五千許りかと」


 聞いた羽田は、なおも頭を抱える。陣を構える経験が豊富な大和衆ではあるが、それは時間をかけてこそ出来ることである。


「それで、御吉野に花咲く時期は何時であったか」

「そんなことも知らぬのですか。吉野の桜は、二月の末には満開になるものですよ」


 高虎の知らないことは、秀保が知っていることが多い。しかし秀保は自分で口して、その後凍り付いた。

 

「「「「あと一月でっっ!?」」」」


 四人は声を上げた。いや、音を上げたに等しい。


時間ときが無い。今、このようにしているのも、勿体無い」


 羽田は唸り、高虎は黙り、秀保は口を開き、庄兵衛は青ざめる。

 二十三日に郡山へ戻り、二十六日に大和の年頭祝礼。そして取って返すように大坂へ下り、月跨ぎの年頭祝礼。

 その間に領内の街道から宿場、吉野の寺や宿坊などを整備し、二月末の吉野大花見に備える必要がある。

 更に並行するように大仏普請も続き、ここに伏見城普請への人足出しも加わる。

 こうした部分では紀伊衆が遊軍的役回りを担うのだが、彼らは再び朝鮮へ軍役に駆り出されるので、使うことは出来ない。


「それでだ庄兵衛、もう何か一つ二つ言い忘れていたことは無いか」

「ああ、これも殿下の御側廻での噂ですがね」

「申せ」

「吉野で大花見の後に、高野山へ入り、大政所様の御霊を弔いたいと口にされたようです」


 高虎は、倒れそうになった。


「速水殿、よろしいかね。今の和州には、人も、金も足りませんぞ」

「申し訳御座いませぬ。当方では何も出来ぬ事にございます」


 仕方の無いことだ。速水庄兵衛は母衣衆では無い。母衣衆の内衆、それも母や姉の縁で食い扶持を得ている中級の侍である。ただ話をするだけの、木偶である。


「とかく、長州がこれより郡山へ先駆け、横浜小堀、それに源五や桑山の親父たちと、打ち合いを始めます。中納言様や佐州は、帰国の頃まで、どうにか事の成り行きを見守り、出来るのならば金策や人策に走ってください」

「心得た」


 いまここに、文禄三年(一五九四)の激動が幕を開けた。

 それは藤堂高虎にとって生涯忘れ得ること無い、少年国主秀保との濃厚な日々の始まりである。

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