叶芽百合音の喪失 その2

「この先、右方向です。」


ハンドルをきる。

もちろんルートなんて分かりきっている。

つかの間のドライブデート。

訊かれればそらで道案内だって出来るんだ。


ハンドルの革を人差し指でtapしながら

強張った右足でアクセル踏み込んで。

まさかの安全低速運転。

はやる気持ちを抑えながらも

道路の両端を視線でなぞる。


「頼むから間に合ってくれ…」


挙動不審な運転姿勢。

パトカー目視で一発アウト。

だからって構ってられるか。

これだけやってすれ違いなんて

笑い話にすらなりやしない。

追い駆ける。追い縋る。

助手席の面影をウィンドウごし、

寒空の元に見い出さんとす。


「絶対に、もう二度と。

キミを手放したりなんてしない…!」



クルマをまわして40分ほど。

気づけば、蒼ヶ峰聡は。

とうとう公園敷地の入り口門前に

到着してしまっていた。

当然、駐車場なんて封鎖済み。

歩道に乗り付けてアイドリング。

立ち入って森の中。

頭蓋の後方斜め上。

魚眼レンズの如き俯瞰。

脊髄ツタウ稀れびとの

瘂門から眼球へ繋がるワームホール。

燃えるように輝く月が

あんなにも高くからボクを覗き込んでいる。


開く瞳孔。滲む発汗。

震え。怯え。恐れ。


「っく……あぁあゝアあァア嗚呼あア!」


拳固めて大木に打ちつける。

拭う。払う。仔削ぎ落とす。


「…っふ、奔れよ。ソレしかオマエには…選択肢は無かったろうが。」


手の甲に木皮の切れ端による裂傷が幾許。

丁度いい。ヘタレの焼入れにはもってこいだ。

今にもはち切れそうな筋繊維を無理に駆動して

落ち葉で足場の悪い傾斜を駆け上がる。


愚か者の木偶人形。

キミにいつまでも

変わらずそのままで

笑ったままでいて欲しくって。

叶わないと解っていても

事実のままで手放せなくて。

彼女の幸せを願うコトの

一体何がいけないのだ。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァッ…!」


常緑樹の茂みに覆われた暗がりを抜ける。

宙羽ヶ丘、その頂上は芝の上。

有るのは樹齢700年の老巨木。


月の明かりと星々に

照らされ浮かんだその麓。

見慣れている、華奢な曲線の姿見。


「っは…百合音っ!」


白いワンピース。

かの上体を半分だけ傾けて

あの黄昏に似た流し目でもって

息荒立てる男を見やる。


「よかった…いや、

キミが無事ならそれでいいんだ。」


彼女の手を再び取ろうと歩み寄る。



だが。

彼女は、百合音は。

一度こちらに向けた視線を。

再びかのソラ、悠久を想わせる瞬きに注ぐ。


ーーー、っう………


「なぁ…帰ろう。あの六畳半に。

キミの為なら今の仕事も続けられるし。

ホラ、料理だって!

今は確かにヘタかもだけど…

いずれプロにだって負けない夕食を

作ってみせるさ。な?」


反応は、ない。


「なぁ、ユリ、ーーー」



その時だった。

巻き上がる突風。

軽く吹き飛ばされそうな錯覚に陥り

思わず身体をうずくめる。

否、其れはむしろ必然なのだ。

限界を越えろ。疲労を消し飛ばせ。

そう謳って動かした蒼ヶ峰聡の全身は

もはや一歩たりとも

動けないほどに疲弊していた。

彼はもはや震えるのみで

立ち上がることさえ、かなわない。


「くっ…あ…」


うつ伏せのまま彼女に手を伸ばす。

刹那、彼の聴覚は場違いな異音を感じとった。


「バカな、こんなにも星が見えるんだぞ…」


些細な思いつき。

真っ当に生きていれば

まず役にも立たない豆知識。

だが、其れが今の彼に浮かんだ直後

蒼ヶ峰聡を今までにないほど戦慄させた。


「ダメだ!

早くこっちに、ーーー」


閃光。ホワイトアウト。

轟音。ハイピッチノイズ。


揉まれる。崩れる。霧散する。

今の彼に平衡感覚はない。

ましてや視覚や聴覚、痛覚さえもno signal

遠のく意識の中、

覆らぬ死の気配だけを感じ取っている。


あぁ、さすがに。

今回ばっかりはダメかもなぁ。


機能しない網膜に意味はないが

お行儀よくも瞼を閉じたその時だった。


ジジジッ…


「熱っつ…」


多分、この位置は。

確か、右手があったか。

ラジコンみたいだ。

感覚のない指先に信号を送る。


「っつ…あはははっ…」


何を笑ってるんだ。訳がわからない。

でも、でも、でも、でも。


「カギだ…はは…

あんな安アパートの、こんなにちっぽけな…

ただの、ただの細っこくて平べったい金属だ…」


笑みが止まらない。

カギだ。ただの。カギだ。

銅とニッケルと亜鉛でできた

突起のついたただの、ただの、カギだ。


感じ取れないのに。

目視も出来ないのに。


何故かわかる。

温い。温い。温い。


「あっははは…」


ふと涙が流れる。

じゃあきっと、目がついてる。

ふと笑いが溢れる。

じゃあきっと、鼓膜ものこってる。


廻す。廻す。廻す。

家を出て、廻す。

帰ってきて、廻す。

廻す。廻す。廻す。

一人で廻す。

二人で廻す。

また来る明日を、想って廻す。

愛しの彼女を、想って廻す。


百合音が目を覚ましてからは、

上も下も廻すド畜生だったケド。


赦されるのなら。

生きているのなら。


「帰ろう…」


ぼやけた視界が戻っていく。

彼女の距離、約10m。

芋虫のように這っていく。


蒼ヶ峰聡が知る由もないが。

上昇気流により発生した雷撃。

そのとてつもない衝撃により

落雷地点より爆風が発生する。

うつ伏せの姿勢により鼓膜穿孔は免れたが。

落雷を受けた木より大アンペアの電流が

飛び移ることを側撃雷といい

其れを受けた彼女の生存率、約30%。


近づいていく。

近づいていく。

見える。グラついた認識でもワカる

百合音は木の方を向いたまま、

膝をついて座り込んでいる。

あぁ、憶えがある。

テレビの前、彼女いつもあの姿勢で食いついていたっけ。


「カッ…百合音…百合音!」


喀血。口内出血じゃあない。

管全体が痛みを訴えてる。


「reboot.reboot.reboot…」

「百合音、あぁ…」


彼女の腿の横に手を突く。

が。

肘関節が安定しない。

震えながら崩れ落ちる。


「わぶっ……」

「Sequence completed Authenticate.」


見上げる。

こてん。と首を傾げてこちらを覗き込む彼女。

その頬には紋章の如き亀裂が刻まれている。

情けない姿を見せてられるか。

歯を食いしばって上体を起こす。


「っあ…キズ大丈夫なのか、ソレ」


彼女の頬に手を当てようとする。

パチッ


「…っ痛ぅ!ーーー、ん?」


この感じ、何処かで…


「どうでもいいな!そんなの。

とっとと救急車を呼ぼう。」


ポケットからスマホを出す。

しかし、


「…マジか。電源入んないじゃんか。」


無理もない。

直撃はせずとも瞬間磁場はメチャクチャ。

電子機器は一発でオシャカである。


「ユリ、ネ…?」

「ーーー、へ?」



ていうか。


「喋れるのか?!百合音ッ!」


思わず肩を強く掴んで揺さぶる。

困惑したような仕草のままの彼女。

ーーー、やってしまった。

彼女は大怪我をしてるんだぞ。

負傷人を揺らさないのは大原則だ。


「…まぁいいさ。今は何にしても病院だ。

百合音、すぐに助、けを呼ぶから…な…」


思わず立ち上がろうとする。

が。出来るはずもない。

世界が、倒れてくる。


「な…ははは…だ、大丈夫だ…から…」


まるで産まれたての子鹿。

震えるだけ。支えるだけの体力を持ち合わせていない。

もう一度試す。より力を振り絞る。

両膝を地面から無理に引き剥がす。

だが、それがまずかった。


あっ…


致命的なバランスの崩し方。

傾斜に向かって真っ逆さま。

フザけんな、ここまで…来たんだぞ…

こんな、ところ…で…


「フッ…!」


倒れていく身体がマイケルジャクソンばりの前傾で停止する。

ピンと張った右手を掴むのは

他の誰でもない、百合音その人だった。

そのまま引っ張られ、慣性そのままに胸の中に飛び込む。


「おっ…おお…ありがとう、百合音。」

「ユリネ、とは。誰のこと、でしょうか?」


しかし出迎えたのは。

熱のこもらない事務的な問いかけだった。


「申し訳ありませんが、

アナタのご希望に添えません。

ワタシは、ユリネという人物では

ありませんから。」

「ーーー、は?」

「ワタシには、わからない。

アナタの向けるその感情が。

何に起因しているのか。

何に依存しているのか。

どうしても、どうしてもわからないのです。」


ごめんなさい。と謝る彼女。

ひどくひどくか細い身体。

その儚さは。



「いいんだ…」


「ーーー、イイ?コウ、テイ?」


強く。強く。

決して緩まないように。

彼女を、百合音を抱きすくめる。


いんだよっ…!謝らなくたって!

憶えていなくたって…!いんだ…!

いんだよ…!」



そうだ。一時的なモノだなんて、楽観視してたけど。

不要いいんだよ…そんなの近似いいはずなんだ。


「それだって別にいんだ!

ボクはあの日キミの手をとって…!

幸せにするって…!もう二度と離さないって…!

誓ったんだからっ!」


変わらない。

変わらない。

移っていったり、

滲んでいったりなんてしない。


「何度でも言ってやる…!

ボクの幸せは変わらない…

キミがそばに居てくれれば…

キミが心から笑ってくれれば…

ボクはそれだけで。

明日を生きていけるんだっ!」


思えばきっと。

出会って初めて。

なんだって今まで言ってなかったのか。

紛れもない愛のプロポーズ。


情けないな…

こんな、泣きじゃくりながらだなんて。


それでも彼女の反応は、ない。

帰ってこの鍵を廻せば

また変わらず明日がやってくるんだから。



「おい、コッチだ…!」


懐中電灯に照らされる二人。

星天の霹靂。

長く、そして変え難い夜は

こうして一旦の幕を終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る