rewind

その手に持つはハンマーと曲線から成る

金属製の物体。業界ではドリーというモノだ。

目の前には軽く凹んだクルマの板金。

目を瞑り該当箇所を触りながら

形状を把握する。

見てとれる中央の凹みと

わずかだが盛り上がったその周囲。

洗練された造形に浮かび上がる不自然な陰影。これを。


カンカンカンカン…


ハンマーで軽く叩く。


カンカンカンカン…


耳を澄ます。ドリーと板金の反響音で持って

要領を掴んでいく。


叩く、叩く、叩く、叩く。


一見粗暴な行動。しかしながらこれは

立派な修復作業だ。荒削りながらも

度重なる直線の造形はやがて

曲線へと近似していく。


「ふぅ…これでどうでしょうか。」

「オッ、終わったか!どれ見せてみろ!」


老成の職人が素手で持って仕上がりを

確認していく。


「ウンウン、及第点ってトコだな。

凹みも跳ねっ返りもほぼ残ってないが

ちょい叩く回数多かったな。薄くなってら。」

「そうですか…」

「気を落とすんじゃねぇよ?

お前専門上がりじゃねぇだろうが。

人によっちゃ習得までに1年近くかかる作業だ。

お客様に出せるもんとはまだまだ言えないが

下地は出来てる。この出来なら仕上げ作業で

納品出来るまでに持っていけるさ。」


ありがとうございます。と頭を下げる。


「ったく、突然休みやがったから

ひよっこに無理難題押し付けて

叱ってやろうと思ってたのによぅ…

こんなもん見せつけられたら

何にも言えねえじゃねえか。」


作業服の背中を思っきし手のひらで叩かれた。

っ痛ぅ……今日中には消えないかも…


「その節は本当に失礼致しました。」


あの日から睡眠も取らず

只呆然と耽っていた数日間。

工場のことはもちろん日数の感覚まで

まるで抜け落ちており、

2日程度に錯覚していた引きこもり期間は

一週間をとうに過ぎていたのだ。


「まぁしゃあねえよな?

ヨメさんの容態が急変したんだろ?

その様子じゃあまるでメシもとってねぇな?

心配なのは分かるが体調管理は気をつけろよ。

職人はテメェの身体が

稼ぎ道具なんだからな。」



百合音とあてもなく家を飛び出して数日。

安ホテル連泊で彷徨う日々の中、

なんたる奇縁の巡り合わせか

モノ好きな大家の気まぐれで

なんとか六畳半の寄りべに漕ぎ着けた僕たち。


「この現代に駆け落ちカップルなんて、

探したってありつけないからねぇ。」


ピカソのプリントTシャツのうえで

腕組みしたままどこか優しげな苦笑いでもって

此方を見つめる大家さん、洞爺とうや真智まち


「ホンットウにありがとうございますッ!」

「た~だしっ!」


契約書をピッと摘んで取り上げる大家。


「ウチの部屋を貸し出してやってんのは

アンタが職つくためだよ、惚け茄子。

期限は一週間だ。

この子養うってんだろ?アンタ一人で。

根性見せな!アオ・ビョー・タン?」

「あの、その…出来なかった場合は?」


つい口を突いて出た世迷言に

呆れたようにため息をついて、


「誘拐犯として警察に突き出してやるよ!」


契約書と一緒に添えられた写真写りの悪い

運転免許証の顔を指差しながら

言い渡されたのだった。


親族に名前のないくせに

扶養人の枠が埋まった若干学生風の

胡散臭い男。


コンビニや飲食店を

たらい回しにあった最終日。

帰り道に視界に入った学歴不問のポスター。


「ヤル気あんだな、アンちゃん!

ヨシッ採用だ!」


向かって出会って即採用。

波多見卓児。通称ハタさん。

この人の粗暴な職人気質に助けられたのだ。



「まだ4ヶ月程度だがよ、

勉学の方も出来るみてぇだからな!

3級はヨユウだろうさ!」


そのまま持ち場に帰っていくハタさん。

ふぅ…気まぐれ抜き打ちチェック。

新人は見て覚えろと雑用ばかりの日々だったが

少しは連欠の信頼を取り戻せたんだろうか。

飛び入りの流れ者は慎ましく。

僕も引き続き雑用に、ーーー


「おぉーう、どうなんだよドロップアウトぉ?

波多見にこってり搾られてんのかぁ?」


…………


「よっちー、

コイツハンマリングなんかやってるよぅ。

今時こんな技術、

機械でやっちまうのにさぁ。」

「ジジィもボケてんよなぁ?

職人職人ってうるせぇし…

エ、ン、ジ、ニ、ア!つくづく鬱陶しい野郎だ。

手間なんだよ、時代遅れの老害め…」


なぁ?と肩に腕を回される。

そのまま工場の裏へ。

まぁ想定はしていたんだ…

自販機横まで歩いて行って腕を離す長身。

気づけば小柄の太鼓持ちは

肩と腰に手を当てがい、

羽交い締めに似た体勢へと切り替わっていた。

長身が一歩前に踏み出し、此方に振り向きざま

鳩尾に、一発。


「ごぉっ………」


内臓に直で響く殴打。抗えず上体が傾く。

しかし抑えられたままだ。頭だけが重りが

ついたようにうなだれる。


「流石、クラス敵なしのよっちー!

エグいボディブローが決まったぁ!」

「なあ、よお、おい。聡くん。」


サルが膝裏を蹴り飛ばす。

当然膝をついた無力化ポーズ。

そのまま前髪を引っ掴まれて顎が突き出たまま

長身の男、木崎きざき夜詩ようたを見上げる。処刑される敗戦兵か、僕は。


「どうゆうつもりでさ、お仕事ブッチなんて

してたわけ?」


反抗する気なんてない。皮肉げに笑わない。

真顔は挑発行為。模範的に苦痛だけを表情に

滲ませて事実だけを返答をする。


「ッあ、同居人の…はぁ…すぅ、容態が

急変したんだ…危ない状態だった…」


横隔膜の使い方を捉え直して

肺の空気を入れ替え、

かろうじて発声する。


「俺もさ…ばあちゃんから遠縁の親戚まで

危篤状態にしたことあるよ?

でも嫁なんてのは流石に

ムリがあるんじゃないの…?」

「出たよ、同居人!逃げるように高校中退して

かろうじて残ったヲタクの脳内設定!

ダッチワイフに恋でもしてんのかよ、

コイツ!」


眼輪筋から右頬にかけてが吊り上がる。

抑えきれず溢れた反射運動。

そんな様子を目にとめた木崎はえらく

上機嫌そうにほくそ笑んだ。


「聡くんがどんなオナニーしてようが

オレは一向に構わないよ?でもさぁ…」


しゃがみ込んで左頬に大振りのパンチ。


「ぁ…よっちー、顔は」

「マスクでもさせときゃあいいだろ」


ぺちぺちと僕の右頬を軽く叩き、

右の二本指で互いの両の眼窩を指差す。

「目を見て聞け」のジェスチャー。


「テメェの雑用が

オレにまで回ってくるんだよ。

なぁ?そいつはいけないこと、だよな?」

「ごめん、ーーー」

「夜詩くん、申し訳ありませんでした、な?」

「よ、うた…くん、

申し訳、ありませんでした…」


うしっと立ち上がる木崎。

肩に手をポンポンと手をおく。


「何はともあれ、

そんな聡くんとオレでも同期なんだ。

お互い助け合って行かないとな?」


立ち去って行く二人組。


はぁ……

脱力。砂利の上にうつ伏せで倒れる。

……仰向けに寝返り。


晴天。

少しばかりの雲が

遮るもののない空を横切って行く。



…なんにせよ、百合音は生きている。


であれば、生活は続いて行く。


それだけで


僕はまた君のために

日々を繰り返していけるんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る