第5話 瑞城の桜並木

 「じゃ、瑞城ずいじょうの桜並木は知らないですよね?」

 「桜並木?」

 「はい」

 愛沙あいさは言って顔を上げ、足取りをスキップするように弾ませる。

 秒読みをはじめる。

 「五、四、三、二」

 でも、「一」に行く前にわかってしまった。

 赤レンガの舗装ほそうが終わるところに大きい木が笠のように枝を拡げている。

 誇らしく。

 葉の感じからは金木犀きんもくせい銀木犀ぎんもくせいに見える。

 でも、だとすると、これほど大きく育った木は初めて見た。

 その向こうに、薄ピンクの雲のように桜がふんわりと咲いている。

 愛沙はそこに桜がある、と教えたいのだろう。

 「一、ゼロ……あ、あれ?」

 愛沙があわてる。

 「着きませんでしたねっ」

 ふふふんと照れ笑い。

 もともと五秒で歩ける距離ってこれぐらいだと思うんだけど?

 愛沙と景子けいこはそのまませかせかせかと歩いて、坂を上がる。

 景子は、桜の木があるのはわかったと伝えようとする。

 でも、その前にレンガで舗装した道はいちばん高いところまで行き、眺望ちょうぼうが開けた。

 「はい、でも」

 景子がそこまで言ったところで、愛沙が言った。

 「ほらっ!」

 ことばとともに愛沙が左手をぐんと拡げて、リズミカルに背中のほうへと大きく回す。

 そっちを見ろ、ということだろう。

 「ああ!」

 景子のことばがそこで止まった。

 門からの道を上りきったところから横にまっすぐ土手が伸びていて、その上に、一列、桜が並んでいる。

 何本の木があるかはわからない。ここからは隙間すきまなくぎっしり並んでいるように見えた。

 その全部が薄ピンクの花をいっぱいにつけていた。

 まわりには誰もいない。

 愛沙と景子、二人がいるだけだ。

 二人で桜を独り占め。

 これは、たしかにサプライズだ。

 下から歩いて来て、この上の秘境にこんな桜の名所があるとは思わないから。

 「ああ」

 感心する声しか出ない景子を見上げて、愛沙は胸を波打たせるように笑う。

 「泉ヶ原いずみがはらって、あんまり桜が集まって咲くところってないんですよね」

 泉ヶ原というのは、さっき景子が下りた、この学校の最寄り駅だけど。

 たしか、この学校の住所も「泉ヶ原町」だった。

 「あとは海岸のほうに下りていったところの公園くらいで。あとは、ぽつん、ぽつんとあちこちに散らばってる感じです」

 「うん」

 その桜が、ここの土手に上がったところで咲き誇っている。

 土手の一列が雲になって、浮き上がったようだ。

 愛沙と二人、ちょっとだけ空の上に浮いているような。

 桜はまだ咲いたばかりらしい。地面に散っている花びらはほとんどない。

 「この学校に進学した女子だけが、これを見られる、ってわけです」

 愛沙はちょっとハスキーな声でふふふふんと喉を鳴らす。

 それと、ここに勤めている人たち。

 景子のような。

 景子は小さい愛沙を振り返った。

 「愛沙ちゃん、進学おめでとう」

 愛沙の白っぽいカーディガンも、カーディガンの下にのぞく地味な紺色の制服も、白い襟も、色白の顔も、全部がその桜の薄ピンクの光を受けて、同じ色の光をかすかに放っているように見える。

 「あっ」

 制服の両方の肩を「ぴくん」と上げる。

 その様子が、高校生というよりもずっと小さい子どものようだ。

 愛沙は振り向いて斜め後ろの景子の顔を見上げた。

 「景子さんも、ご就職、おめでとうございますっ!」

 「あっ」

 景子の肩も同じように上がる。

 愛沙とは違って、「ぴくん」という急な反応ではなかったと自分では思うけど。

 「ありがとう」

 愛沙のように、むじゃきに、自然に湧いてきたという笑いかたはできない。

 でも、それは、自分が大人だということだな、と景子は思った。

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