第15話 逃亡の先


 暗くなってきた。


 ヴィットが光る馬を出して、先に道を行かせたが、木々の葉が光を遮る森の中の道は、その光だけでは心もとない。

「ぶべ」

 心身共に疲労していたミレナはうっかりと木の根に躓いて転んだ。

「だっ、大丈夫?」

「うん、転んだだけじゃ。何ともねえ」


 やがて日がとっぷり暮れる頃、一行は森を抜けた。そこには、ペーツェル王国軍の旗が立っていて、月光の下で風にはためいていた。


「うちの軍の旗だ!」

 ヴィットは嬉しそうに言った。

「ということは我が軍の多くは、ここの農地の領主に、宿を乞うているのだろう」


 開けた農地は月の光が足元をさやかに照らし出していた。もう転ぶ危険性はなさそうだった。


「ミレナ、その膝、意外と深い傷じゃない?」

「ん? どれどれ……本当じゃ。意外と血が出とる。気づかんかった」

「領主の館にご挨拶したら、真っ先に軍医に診てもらうといい。早く手当てしないと大変なことになる」

「分かりました!」

「ふん、今更ミレナの心配ですか? ノラン先輩」

「悪かったって、ヴィット。あの時は僕もこの二人を人質に取られて、どうすることもできなかったんだ」

「……」

「……」

「そんなしゅんとしねえでください、御三方。私は気にしてねえですよ」


 ミレナは明るく言った。


「ほれ、あれが領主様のお館じゃあねえですか? 行ってみましょう」


 館の前では見張りの兵士が武装して立っていた。


「失礼する。僕たちはペーツェル軍の魔法部隊の者だが」


 ああ、と兵士は敬礼した。


「ご無事で何よりです。あなた方のことなら主人も歓迎するでしょう。ここにはラース将軍率いるペーツェル軍が身を寄せておりますゆえ」

「そうか! では僕たちは本隊に合流できたということだな」

「左様です。少々お待ちを。すぐに中の者に伝達して参ります」

「ついでに軍医がいたら呼んでくれ。ミレナが転んで怪我をした」

「何かその言い方だと情けねえなあ」

「事実、自分でこさえた傷だろうが」

「そうじゃなあ」


 程なくしてミレナたちは館に通された。ミレナは救護室に案内されて軍医に処置を受けた。

 救護室にはベッドが並んでいて、他にも何十人かが休んでいた。

「うーん」

 呻き声が聞こえる。

 ミレナは包帯を巻いてもらいながら、部屋を見渡した。

 顔が腫れ上がっている者、足を切り裂かれた者、銃弾を腕に受けたらしい者。

「みんな大変な怪我じゃなあ」

「ましな方ですよ。生き残ったんですから」

「そうかあ……」

「はい、これで大丈夫です。傷口はきれいにしましたし、出血も止まっているので問題ないでしょう。お疲れ様でした」

「おお、ありがとうなあ」

「いえ……」

「よいしょ」


 ミレナは立ち上がった。


「そんじゃあ、頑張ってなあ、軍医さん」

「は、はい……」

「さあ、飯じゃ飯じゃ」


 召使いに案内されて食堂に着くと、もうミレナの席は用意されていた。同時に到着した他の五人もそこにいて、先にパンを頬張っている。


「あ、ミレナ、大丈夫だった?」

「問題ねえって言われた。心配させちまってすまねえな」

「これだから軟弱者は。そこがお前の席だ。とっとと食え」

「ありがとうなあ」


 ミレナはふかふかの椅子に座って、温かい料理を口にした。


「うまぁ……生き返るなあ」

「ミレナは本当に何でも美味しそうに食べるね」

「だってうまいんですから仕方ねえです……」


 そしてベッドもふかふかだった。王宮の自室のそれよりは固かったが、そんなことは気にならない。

 ミレナはぐっすり眠った。少し、悪夢を見たが、翌朝にはけろっとしていた。


 さて、大幅に規模を縮小してしまったペーツェル軍は、急ぎ首都バーチュまで逃げ帰った。五日ほどで着いてしまった。ミレナは再びラウラと涙の再会をすることができた。

 ラース将軍をはじめとする上位の軍人は、一足先に帰ったヨアヒムとアルビーナに挨拶と報告をしに行った。


 その日は王宮内に様々な噂が流れた。


 ヨアヒム二世はルイゾンの襲来とその軍の強さに恐れをなしてしまわれたようだ。少数の護衛を連れて妻子と共にロゴフまで逃げ延びるらしい。となるとこの町がシェルべの手に落ちるのも時間の問題だ。王宮はルイゾンに踏み荒らされるだろう。アルビーナは何をしているのか。これまで通りヨアヒムを叱咤して、国を導いてはくれないのか。本当にこの国はシェルべ領になって消えてしまうのか。


「消えはせんじゃろ」

 ミレナは呑気に言った。

「ルイゾンもそこまでひどい略奪や虐殺はしとらんのじゃろ? そんなら統治者が変わるだけで人々は残るべ」

「そ、それはそうだけど……統治者が変わるっていうのは結構なおおごと、かな……?」

「大変な事態だ。僕らペーツェル人貴族の地位や名誉は儚く消える。代わってシェルべ人のやつらが我が物顔で王宮をのし歩くようになるんだぞ」

「んー……そりゃあどうでもいいかなあ……」

「馬鹿言ってる場合か! 軍人はみな処刑されるかもしれないんだぞ」

「えええ」

「『えええ』じゃない。戦争に負けるとはそういうことだ。シェルべ軍が占領国の魔法部隊をどのように扱ってきたかは、その国ごとに異なるが、今回はヨアヒム様が交渉もせず真っ先に逃げられるとのことだからな。高望みはできん」

「で、でも、シェルべ人は魔法部隊を軽視してるんだよね? わざわざ処刑までするかなあ……?」

「お前、捕虜にされたことをもう忘れたか。少なくとも僕たちは脅威と見なされているんだ」


 ヴィットは険しい顔をした。


「捕虜にするだけではまた逃げ出される、と判断されたら、残された道は死だ……」

「えええ、そいつは困る! 何とか私が有用だって認めさせて、軍に入れてはもらえんかなあ?」

「難しいだろうな。一度否定したものを受け入れることは、国にとっては難しいことなんだ」

「厄介なやつらじゃな……そしたら、どうすればいいんじゃ」

「僕が知るか! とにかくヨアヒム様の行動を注意深く見守ることしかできん」

「いえ、あなたたちは明日にでも逃げなさい」


 急にアルビーナが割り込んできた。

「わっ!?」

 アルビーナは空中で逆さまになってミレナたちを見下ろしていた。


「無事に帰ったのね。大変よろしい。でもあなたたちは明日にはロゴフに向けて発ってもらうわ」

「アルビーナ様。ということはつまり、ヨアヒム様がお逃げになられるという噂はまことですか」

「ええ本当よ」


 アルビーナはくるりと半回転して床にドンと足をついた。


「あの臆病者の馬鹿ヨアヒム! 国のため兵士のため、少しでもルイゾンと会って交渉してきなさいってケツ叩いてやったのに、ビビるばっかりで全然使えないわ!」


 アルビーナはぷんぷん怒っていた。


「だからあなたがたは万が一にでも処刑されないようにロゴフ軍に匿ってもらうの。いいわね? ペーツェル王国全土がシェルべ王国に占領された場合、シェルべの勢力はロゴフの国境に隣接することになる。そうなったらさすがのロゴフ王も本気を出すでしょう。あの大国ロゴフに全力で叩いてもらったら、さすがのシェルべ軍も多少は弱るはず……その機会に一斉に畳み掛けてペーツェル王国をも取り戻す。それくらいしか手は考えられないわ! そのためにもあなたがたにはロゴフに協力してもらわなくちゃね」

「承知しました」

「は、はい……」

「そんで、アルビーナ様はどうされるんです?」

「え?」

「今の言い方じゃと、ちょっと気になっちまって……。アルビーナ様は一緒に来られねえんですか?」

「ふうん」


 アルビーナは顔をわずかに逸らして、横目でミレナのことを見た。


「別に隠してたわけじゃないけど、鋭いじゃない、ミレナ。その通りよ。私はバーチュに残るわ」

「ええっ!」

 ヴィットとエーファはびっくりして声を上げた。アルビーナはにやっと笑った。


「ヨアヒムなき今……いやなくはないけど、あいつが頼りにならぬ今、ルイゾンと少しでも交渉して被害を少なくできるのは私くらいのものよ。ラースが残って交渉に当たってもいいけど、彼に国家を背負わせるにはヨアヒムほどの箔が無いし、彼自身も殺されかねない。だから主戦力には逃げてもらうの」

「ということは、アルビーナ様お一人で交渉に臨まれるのですか? 危険です!」

「あら、それは、ヴィットに口出しされるようなことじゃないわね」

「うぐっ……出過ぎた真似をしました。御無礼をお許しください。しかし僕はアルビーナ様の御身が心配で」

「そう。ありがとう」


 アルビーナが珍しく素直に謝意を述べたので、ヴィットは逆に面食らったらしい。顔を赤くして「いえ、そんな」としどろもどろになっている。

 その横でエーファが遠慮がちに口を開いた。


「で、でも、シェルべは魔法天使を幽閉するような国……ですよね。アルビーナ様お一人で、お話を聞いてもらえるんでしょうか」

「そこは私の腕次第ね」


 アルビーナは両手を腰に当ててふんぞり返った。


「ま、天使は普通死なないし傷つきもしないから大丈夫よ。だからこそシェルべ王国もアデライドを……シェルべの天使を、幽閉はできても処刑はできずにいるの。私は話すだけ話したら全力で逃げるつもりでいるし、仮に幽閉されちゃったとしても、あなた方は助けに来てくれるんでしょ?」

「もっ、もちろんです」

「は、はい」

「はい。そりゃもう」

「なら安心よ。私だけが残る、これが死者を最小限に抑える最善の策。そういうことで、あなたたち、さっさと荷造りしてらっしゃい」


 

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