第2話 蓋をした過去は、唐突に開けられる


「……ごちそうさまでした」


 学校から帰宅した僕は、夕ご飯を一応家族と一緒に食べた。

 父さんは今在宅ワークをしている最中で、基本的に家にいる。

 母さんは専業主婦なので、同じく買い物とか友人と出掛ける以外は家にいる。

 そして一つ下の妹がいるのだが、今日は部活で遅くなるようだ。


 食事を済ませて立ち去ろうとする僕に、父さんが話し掛けてきた。


「千明、その……今日の学校はどうだったか?」


「……別に。いつも通りだよ」


「そ、そうか。やりたい事は見つかったか?」


「……そう簡単に見つけられたら、死ぬ必要ないよ」


「っ」


 ここで会話が途切れた。

 となると、リビングにいる必要はないので、僕は食器を片付けて自室にこもった。

 別に家族に対して恨みはない。

 ただ、家族と会話をするのも億劫なんだ。

 僕はこの家の中でも"無"だった。

 その証拠に、僕の部屋はベッドとカーテン以外は何もない。

 本棚も、本も、机も、椅子も、必要ではないので何もないんだ。

 

 僕の家族は皆過保護で、勝手に本棚等の家具を用意してくれたりしたんだが、そういった物が存在するのが許せなくて勝手に処分した。

 それが何度も繰り返されたが、僕も作業的に処分し続けた。

 結果、家族が折れて僕に干渉する事がかなり減ったんだ。

 正直うざかったから、今程度の関係がちょうどいいんだ。


 僕はカーテンを開けて、ベッドの上で月を眺めていた。

 特にする事はない。

 ただ、眠くなるまでぼーっとするだけ。

 月が綺麗とか、色んな星が見れて楽しいとか、そんな感情も湧かない。

 本当に、僕は感情すらなくしてしまったんだ。

 

(毎回思うけど、一日が異常に長く感じる)


 昔は時間が足りないと思う位早かったが、今は四十八時間位に感じてしまう。

 ゲームみたいに時を加速させるスキルとかがあればよかったのにな。

 














「……九時になったか」


 スマホを取り出して時間を見ると、時計は夜の九時を指していた。

 ようやく待ちに待った時間がやってきた。

 僕はリビングに行って取ってきた水が入ったコップを手に、薬を飲んだ。

 精神安定剤と睡眠薬だ。

 僕は睡眠薬がないと眠れない体になっていた。

 一度自殺を実行した経験がある為、決まった時間以外の服用は認められなかった。

 薬は両親に管理されていて、水を取りに行く時に両親から必要量の薬を渡される。

 しかし、最近睡眠薬の効きが悪くなっているように感じる。

 昔はぐっすり眠れていたのに、最近だと長く眠れて四時間程度だ。

 これは両親を何とか説得しないといけない。


「さて、今日は何時間寝れるかな?」


 薬を口に入れて水を一気に飲み干す。

 そしてベッドに寝転んで眠気を待つ。

 服用してから数分経った頃、瞼が重くなってきた。

 徐々に意識が遠のくのを感じる。

 そして、強烈な眠気に襲われて意識を手放した。






『おい日本人、さっさと金を出せ』


 刃渡り三十センチ程の錆びたナイフをちらつかせた二十代後半くらいの外国人が、英語で脅してきた。

 僕と一緒にいた体格のいい仲間が「そんなナイフで何も出来ないだろう」と英語で返していた。

 その仲間は空手をやっていて、腕っぷしがいい。

 最初は仲間が優勢だったが、次第に外国人がナイフを振り回してきて頬を切られて怯んでしまう。

 その隙にターゲットを僕に切り替えて、僕に向けて突進してきた。

 僕は胴体に狙いを定めて迫ってくるナイフを防御しようと、咄嗟に右手を盾にしてしまった。

 そのまま右手にナイフが吸い込まれていき――








「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 右手を抑えて絶叫して目が覚めてしまった。

 久々に悪夢を見てしまい、発狂してしまったんだ。

 しかし、発狂している時の事はこれっぽっちも覚えていない。

 僕が気が付いたら両親と妹に抱きしめられている状態だった。


「千明、千明ぃぃぃっ!」


 母さんが僕を強く抱きしめて泣いていた。


「くそっ、くそぅ……」


 父さんも僕を抱きしめながら、悔しそうに泣いていた。


「兄ちゃん、大丈夫だよ、大丈夫だからぁ!」


 妹も泣きながら僕をなだめていた。

 たまに僕はこのように悪夢を見て発狂してしまう。

 その度に僕の家族はこういう風に僕をなだめてくれる。

 家族がこんなにも泣いているので、僕は気持ちが落ち着くと他人事のようになってきて、また感情が無になるのを感じた。

 僕が感情をむき出しになるのは、この発狂した状態しかなかった。

 感情が無くなったのを感じた後、ちらりとスマホを見た。

 時間は十一時半。

 たった二時間半しか寝れなかったようだ。


(……睡眠タイムは、今日はこれで終了だな)


 僕は家族を部屋から出るように促した後、ベッドに寝っ転がって天井を見る。

 

(死にたい、死にたい、死にたい死にたい死にたい死にたい)


 どんどんと僕の心が黒く染まっていくのを感じる。

 染まり切ろうとした時、頭に泣いている家族の顔がちらつく。

 すると心は黒一色にならず、黒の中に小さな輝きがあった。

 まるで夜空に一つだけ輝く月のように。

 この輝きのせいで、死ぬのを辛うじて踏みとどまる形になってしまう。


(あぁ、死ねないな……)


 僕は仕方なく天井を眺めて、朝が来るのを待つ。

 そしてまた作業的に朝食を食べて、作業的に学校に行き、作業的に時間が過ぎるのを待つ。

 これが僕の毎日。

 

(これは本当に、薬を増やしてもらわないと流石にしんどすぎる)


 明日、学校から帰宅したら両親に言おう。

 薬を増やせばきっと夜明けまで眠れるはずだ。

 正直話す事が億劫過ぎるが、今回ばかりは仕方ない。

 気力を振り絞って交渉しよう。


 ようやく朝を迎えた僕は、朝食を済ませて登校する。

 また退屈な一日が始まる。

 




 そう、思っていた。


「はじめまして、桜庭 かなでといいます! プロゲーマーをやっていてお休みする事が多いと思いますが、仲良くしてください!」


 何と、転校生がやってきたんだ。

 肩まで伸びた艶がある黒髪に整った顔立ち。

 スタイルもかなりいいと言えるだろう。

 一言で言うなら美人だ。

 クラスの皆もかなり盛り上がっているようだ。


「うおぉぉぉ、マジかよ!! あの"かなちゃん"が転校してくるなんて!!」


「可愛すぎるプロゲーマーでグラビアとかに引っ張りだこのかなちゃんだ!!」


「超有名人が来てくれてマジテンションあげなんだけど!! このクラスでよかったぁ!!」


 そっか、プロゲーマーか。

 プロゲーマーねぇ……。

 あっ、珍しく悪夢を見て発狂した時以外で感情が湧き上がってきた。

 しかしどす黒い感情だけどね。

 

 そんな美人な桜庭が僕の方を見て、柔らかい笑みを浮かべた。

 だけど今の僕はそれを素直に受け取る事が出来ない。

 段々嫉妬等醜い感情がふつふつと湧き上がってくる。

 それらが僕の視線として具現化してしまったのだろう、桜庭の表情が強張ったのが確認できた。


 そうだ、僕はああいう人間が大っ嫌いなんだ。

 僕は好きな事を奪われたのに、桜庭は夢を叶えて輝いている。

 そんな人間は、無条件で僕の敵だ。

 こいつとは絶対に関わらない。

 関わったら、僕は醜い感情に支配されて、桜庭に何かしてしまいそうになる。


 桜庭が僕から目をそらしたのを確認すると、ふと思った事があった。


(どうやら陰と陽、無以外にも別の分類が存在していたんだな)


 その分類は"天上人"。

 夢を叶えた、陽キャ以上の輝きを放った、一般人とは違うオーラを持っている成功者。

 それに、プロゲーマーなんてなりたくてなれるものでもない狭き門。

 そんな彼女に僕は、ただ嫉妬と憎悪、殺意という感情しか持てなかった。

 天上人は皆僕の敵だ、絶対に関わらないでおこう。


 そう思っていたのだが、天上人は僕を放っておいてくれないようだ。


 昼休みに桜庭が話し掛けてきたんだ。


「橋本君、放課後ちょっと時間貰えない?」


 おどおどしながら僕にそんな事を言ってきた。

 僕の表情に怯えているのか、小刻みに震えている。

 正直面倒だ、面倒だがどんな話をするのか好奇心が勝ってしまった。

 天上人が僕にどんな話があるのか、非常に興味が出てきた。


「……手短になら、いい」


「あ、ありがとう……」


 そう言うと、自分の席に戻っていく。

 ……さて、放課後まで時間が過ぎるのを待つか。

 

 しかし、今になって桜庭と話す時間を作った事に後悔した。

 それと自分の好奇心を恨んだ。

 何故なら、この天上人は触れてほしくない事に容赦なく触れてきたからだ。


 誰もいない屋上で、一言、たった一言で僕の心を真っ黒に染めた。


「橋本君、"NEO"さんでしょ?」

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