29.

 鍛えているわけでもない国王の拳でも、鍛えているわけでもない王太子が受ければそれは甚大な痛みとなって頬を襲い、床を転がったことで身体中に痛みが走る。

「い、…っ、な、なんですか、父上…!!ち、血がッ!!」

 口を開くだけで激痛が走り、口内を切って血が顎を伝って滴り落ちた。

 上半身を起こしたものの、未だ立ち上がれない王太子の動揺の叫びを、国王はさらなる大声でひねり潰す。


「うるさい!!貴様のせいだ!!どうしてくれるこの国はもうおしまいだっ!!」 


「…は…?」

 国王の激怒に誰も動くことは出来ず、執務室内にいた侍従も宰相も護衛騎士も棒を飲んだように立ち尽くすのみだった。

「どういう、意味ですか…?」


「私は!!公爵家と!!縁を切ることは!!反対だったんだっ!!」


 癇癪を起こした幼児の如く地団駄を踏み始めた父親の姿に戦慄しながら王太子は尻で後ずさるが、誰も助け起こしには来ない。

「で、ですが、鉱山も手に入れたし、追い出したし、万々歳だとおっしゃったでしょう…?」


「当初はなっ!!だがこんなことなら!!向こうの要求を!!飲むのではなかったッ!!」


「…よ、要求って…」

 意味が分からず周囲を見るが、侍従も宰相もこの世の終わりのような顔色をしており、事情を聞ける様子ではなかった。

 仕方なく父に目を向ければ、充血しきった目を限界まで見開き、唾を飛ばしながら「これを見ろ!」と四角く薄い箱を取り出して来て、ぱかりと開いた。

 二つ折りの黒いソレは、上段に何かシートのようなものが貼ってあり、下は操作盤のようだった。

「それは…?」

 カチ、と音がして再生された映像と音声に、王太子の顔色は一瞬にして青ざめた。


 学園での王太子による公爵令嬢への暴行と暴言が、映し出されていたのだった。


「な、なななな、そ、それ、なんで…!」

 動揺のあまり動悸も激しく、舌がもつれ、噛んだことでさらに血が出たが、気にする余裕もなかった。


 なんで、なんでそんなものがここにある!?


 脳裏を占めるのはその言葉だけであり、他に何も考えられなくなってしまった。

「自分の大切な娘を暴力と暴言によって傷つけられ、しかもそれは王太子だけでなく王妃にまで及ぶ。とてもではないが耐えられないと!!言われた!!」

「……、ぅ…っ」

「先代の二の舞になるとわかっていて、娘を嫁がせることはできないと!!」

「い、いや、それは…、でも…っ」

「貴様、公爵家は王家と対等だというのは国法であるのだぞ!?実際とは異なるとしても、王太子であろうとも公爵家への暴行や暴言は犯罪なんだっ!!そんなこともわからんのか馬鹿がっ!!」

「ぅ、いや、ち、ちちうえ…っ」

「向こうに訴えられたら終わりなんだッ!!法で定められているということはな!裁判になれば全てが公表されるということだ!!この国唯一の王子の!王太子の!!醜態を、国内に晒すと言うことなんだぞ貴様、わかっているのか!?」

「……も、もうしわけ、ありま、せ…っ」

 

 また殴られ、王太子はさらに扉付近までふっとんだ。


「ぃぎ…ッが…ッ」

「これを見せられ、黙っている替わりに国外に出ると言われた。この国と縁を切るとな。黙って出て行かせろと。二者択一だ、選べと言われた。この、私が!!…国王たる、この私が、脅されたんだぞッ!!」

 目を剥き叫び続ける父親は、すでに箍が外れてしまっているようで、書類をまき散らし、デスクを蹴りつけ、ソファに拳をぶつけている。

 恐ろしくなり、王太子はただ小さくなって震えていたが、結果としては望み通りじゃないかと思い口に出せば、父に睨まれ「ヒッ」と叫ぶ。

「ああそうだな、表面だけ見れば思い通りだ。鉱山は王家の手に入り、公爵家はなくなり、おまえは疎ましがっていた婚約者を切り、好きな相手と婚約できた!!卒業式後の舞踏会で、王家の評判を上げ、公爵家を地に貶めた!!…ああ!!まさに!!理想通りの展開だったよ、ついこの間まではなっ!!」

「……、い、いったい、なにが…?」

「そう、表面だけ見れば理想通りだったんだ…おまえの言う通りの展開を用意し、全て思惑通りだった…。そう、表面だけはな…」

「ち、ちちうえ、落ち着いて下さい…」

「……っ……っ!!」

 呻いて床に膝を付き、父が頭を抱えて蹲った。

 良く聞こえないが、「もう終わりだ」と「どうしてこんなことに」という言葉だけは辛うじて判別できた。

 困惑し宰相を見れば、宰相もまた今にも首が落ちそうな程に項垂れ、蒼白な顔は意識を保っているのが不思議な程だ。

「さ、さいしょう…なにがあったんだ…?」

 父の様子が異常である。

 こんな父は見たことがなかったし、どう考えても国に重大な何かが起こったに違いないのだ。

 宰相はちらりと目線を寄越し、絶望の表情のまま呟いた。


「魔虹石は掘り尽くされ、もはや我が国には存在しません…」


「は?」

 ぽかんと、口を開けた。

 何を言っているのか。

 そのままの姿勢で固まった王太子に溜息をつき、宰相は虚空を眺めながら呟いた。


「公爵家は知っていたのでしょう、魔虹石の埋蔵量がもう空であることを。…だから逃げたのです」


「そんな馬鹿な」

「…ああ、これが夢だったならどれ程良かったでしょうな…」

 幽鬼の如くゆらゆらと身体を揺らしながら、宰相は笑う。

「四代ごとに公爵家から姫が嫁いで来ること、夫婦になった翌日に、儀式をすること。…先代の姫が、儀式直後に死亡したこと。わたくしの家は代々宰相の地位を頂いておりますからな、事情は存じ上げておりますとも。「夫婦」でなかったから、姫は死んだ。…儀式を軽んじた王家の過失ですとも。ええ、そうですとも」

 自嘲の笑みに唇を歪め、王を見下ろす。

「わたくしには一切知らせて頂けませんでしたな、陛下。宰相たるわたくしにも内緒で、公爵家を追い出したのは陛下です。ああ、わたくしも慢心していたのです…まさか部下を使って書類を用意し、宰相の決裁印まで勝手に使われるなどと、思ってもおりませんでした。…公爵家に対しても、送り込んだスパイからはめぼしい情報は何もなかったから安心してしまった。…ああ、わたくしの責任も確かにあるでしょう。ですが陛下、どうしてわたくしに相談して下さらなかったのか…」

「反対するからに決まっているだろうが!!」

「当然です。何故公爵家が四代ごとに嫁いで来るのか。その意味を考えればわかることです」

「そんなこと、一言も言わなかっただろう!!」

「知っていて当然のことを、何故言う必要があるのです…幼児に建国記を話して聞かせるのとはわけが違うのですよ?我が家にも、歴代当主の手記は残されている。王家と公爵家との関係は常に気にかけよと書かれていました。…ああ、公爵家は出しゃばらず、ずっと目立たなかったからいつの間にか…いや、目立たないようにしていたのか…この時の為に…?」

 ぶつぶつと呟き始めた宰相に、もはや他人の言葉は聞こえない。

 王太子はふらつきながらも立ち上がり、未だ蹲ったままの父に言葉を向けた。


「今からでもエレミアと婚姻し、儀式をすれば魔虹石は戻るのですか?」


 はっと顔を上げたのは父だけではなかった。

 侍従も宰相も、その手があったかと言わんばかりの生き返りようである。

「そ、それは…だがおまえ、」

「構いません。エレミアを呼び戻しましょう。頭を下げてもいい。謝罪しろというならしましょう。この国には代えられません。僕が土下座して救われるなら」

「…ウィリアム…」

「今公爵家がどこにいるのか知っている者は?」

 この時誰もが、父に殴られ鼻血を垂らし、顔をぼこぼこに腫らした無様極まりない王太子を頼もしいと思った。

「それならば外務大臣に聞こう」

「すぐに呼べ!」

 命じられた外務大臣が全身に汗を噴き出させながら執務室に参じた時には、王太子の傷は癒され、王の執務室はいつも通りの様相へと戻されていた。

 王のみならず王太子や宰相にも迎えられ顔を引きつらせた外務大臣が用件を尋ねると、王は最も聞かれたくないことを聞いてきたのだった。


「今公爵家はどの国にいる?各国との外交を行っているのだろう、報告をせよ」


「そ、…その、公爵家はすでに我が国から追放された一族。我々の関知する所では…」

「何を言うか。公爵家が各国の橋渡しをし、外交も貿易も担っていたのだから、各国にとっては重要な取引相手であろうが!知らぬでは済まされんぞ!」

「ひっ、あ、あの、その…」

「はっきり言え。各国と連絡は取れているのだろう?最近外国の特産品も手に入らぬ。しばらくは混乱もあろうと見逃してきたが、そろそろ時期は過ぎたぞ。いつまでも怠慢が赦されると思うな」

 王の威厳ある発言に、外務大臣はさらに汗を噴き出し、取り出したハンカチはあっという間にびしょ濡れになっていた。

「大臣、正直に話してくれ。国家の大事なんだ。公爵家の情報が必要だ」

 王太子の追撃に、外務大臣は視線を泳がせる。

 宰相の突き刺さるような冷たい視線に身震いし、王の射殺さんばかりの瞳に震え上がった。

 逃げられないことを悟り、外務大臣は土下座した。


「も、申し訳ございませんんんん!!各国とは断絶状態、一切向こうからの連絡はなく、こちらからの連絡手段もございませんッ!!」


「は?」

「なに?どういうことだ?」

 首を傾げる王達に、外務大臣は説明した。

「元々、他国から我が国に外交使節団が来ることがあっても、公爵家に滞在しておりました。他国に赴く際は公爵家の面々が出向き、成果を上げたものを外務省に報告してもらっておりました。職員の随行はなく、誰も公爵家がどことどのような繋がりを持っているのか存じません!!」

「はぁ…?うそだろ…」

 呆然とした呟きは王太子のものだったが、その場にいる全員の心情でもあった。

「…ではおまえは今まで何をしていたのだ」

「…わ、わたくしは、上げられる報告書に目を通しておりました…」

「ではその報告書を片っ端から探せ!名前を見て、連絡を取れ!!」

「で、ですが、連絡を取る手段がないのです!!」

「だからおまえはさっきから何を言っているのだ!?ならば公爵家はどうやって連絡を取っていたというのだ!!」

「わ、わかりません。ですが帝国方面の船を使っているという話は聞いたことがございませんし、使節団もいつの間にかやって来て、いなくなっていると。…おそらく、他国で流通している魔道具を使っているのではないかと…」

「まどうぐ?」

 聞き慣れぬ単語に、王太子は首を傾げた。

 宰相や王も馴染みがないようで、怪訝な表情をしている。

「魔力と魔石を組み合わせて、便利な道具を作り出す術式があるようなのです。それを聞いたのは父からですが、この国には必要のないものだと言っておりましたので、今まで存在を忘れておりましたが…」

「仮にそんな道具があるのなら、公爵家を探せば何か残っているのではないか」

「…いえ、中はもぬけの空。何もございません。さすがにそこは確認しております…」

「では、外部と連絡が取れないなら、自分から出向くしかなかろう。帝国に船で行って、事情を聞いてくるがいい」

「か、かしこまりました」

「本来ならばそれくらい自分で思いついて行動すべきじゃないのか」

「も、申し訳ございません…」

 王の辛辣な言葉に萎縮した体を取りながらも、外務大臣の内心は苛立っていた。

 お飾り筆頭の地位は外務大臣だった。

 何もやることがなく、日がな一日遊んでいられる、貴族達が羨ましがる地位ナンバーワンだったのだ。

 日々上がってくる書類はすぐに片づく。

 面倒な交渉は公爵家がやってくれる。

 事務方は調整だったりあれこれと多忙だったが、そもそもが公爵家の仕事なので外務省の人数は少なく、過ごしやすい職場だったのだ。

 それが日常だったのに、突然公爵家がやっていた仕事を全て引き継げと言われても困るのだった。

 そもそもが、情報共有も何もしておらず、上から降りてくる案件をただ処理するだけの部署に何を期待しているのか。


 だが、命じられたからには仕方がない。


 外務大臣は職員や使用人を多数引き連れ、帝国行きの船をチャーターした。

 王国から帝国への定期船の運行を管理するのは港を領地に持つ男爵家だったが、大喜びで話に乗って来た。

 主な客層である平民の乗船がここ最近途絶えており、上位貴族の大臣とそのご一行となれば売り上げは平民百人を乗せるよりも遥かに大きい。二週間ほど前に平民の乗船が途絶えてからは帝国への運行を中止していたのだが、最上級の船を用意し、休業させていた船長達を大急ぎで呼び戻した。

 平民の乗船が途絶えた理由は、船長達から聞いて男爵は知っていた。

 だが深刻には捉えておらず、そのうち戻って来るだろう、と言う程度の認識だった。

 男爵家の定期船の売り上げは、割合としては大きくない。

 大河から見える景勝地をぐるりと回る、貴族向けの遊覧船の売り上げの方がはるかに大きく、また帝国からも定期船がある為に、こちらが船を出さなくともそれほど困らなかったということもある。

 戻って来る平民がいないことに、もっと疑問を持つべきだった。

 外務大臣一行は、大河に突如現れた強大な魔獣によって船を壊され投げ出され、あげく食われて藻屑となって消えたのだった。


 帝国と王国を行き来する船など、ここ一週間でなくなっていた。

 

 帝国と行き来する層は、貴族ではなく平民だった。主に郊外に住む豊かとは言えない者達が、出稼ぎの為帝国へと出向くのである。

 そして平民は、大挙して帝国へと移住していた。

 公爵家がいなくなる前から、帝国人は付き合いのある王国人に噂を流していた。


『この国から公爵家がいなくなるんだってな。公爵家に見捨てられたら王国、もう終わりだろ。今まで公爵家の伝手で王国に荷を卸しに来てたけどさ、そういうわけだから手を引くことになるんだわ。今なら帝国だけじゃなく、よその国でも働き口紹介してくれるってよ。…ま、考えといてくれや。あんたとはいい取引させてもらったから、この話は特別だぜ』


 貴族よりも平民の方が公爵家のありがたみを知っていた。

 帝国に行けば、聞かれるのは公爵家のことばかり。

 他国の人間がこの国の何を知っているかと言えば、公爵家と魔虹石とドラゴン・ハートなのだった。

 平民学校を作ったのは公爵家である。

 平民は六歳から十歳まで学校に通うことが出来、読み書き計算から自国と他国の歴史など、基本的なことを一通り習う。

 だから平民は知っている。

 公爵家が偉大な家であることを。

 危機感を持つのは、貴族達よりも早く、強かった。

 王都までわざわざ出向いてご用聞きをしてくれる他国からの商人は、公爵家の追放と共に姿を消した。

 シアーズ大商会の会長といえども、他国から来てくれ、要望を聞いてくれたからこそ成り立っていた商売だった。

 商人が来なくなれば、成り立たない。

 伯爵家は今、倒産の危機に陥っていた。

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