13.

 エレミアが聖王国の王太子について各国を回り結界の儀式を見学していた頃、長兄夫妻は王家主催の舞踏会に参加していた。

 長兄ダニエルが成人してからは国内のことは全て任せ、現公爵夫妻は他国を精力的に回っている為、本日も不参加である。

 いつものことであるし、不敬だなどと王家に言われる筋合いもない。

 名目上は、この国の為に現公爵夫妻は働いているのだから。

 長兄夫妻は次期公爵としての社交はほとんどしていない。

 歴代の公爵もまた、国内の社交は全く重視していなかったのでその流れを汲んでいるに過ぎないのだが、それが気にくわないという連中が国内には多くいた。

 王家を始めとする上位貴族の面々だ。

 下位貴族とは関わることはまずないので、どう思っているか興味もないし端から相手にもしていない。

 かつて王家は率先して公爵家を労い、そして貴族達にも公爵家の重要性を訥々と語っていたから、貴族達も公爵家を王家同様敬っていた。社交も最低限で良いと許していたにも関わらず、いつの時代からか文句を言ってくるようになったのだった。

 会場に入れば一斉に視線を浴びる。長兄夫妻の容貌にまず見とれ、しばし呆然とした後は反応は二つに分かれる。

 嫉妬と悪意が入り交じったものと、純粋に国内最大貴族である公爵家への羨望である。

 長兄夫妻は誘われれば茶会や夜会へ出向くことはあれども、仕事上必要な一部のもののみであり公爵家で茶会や夜会を行うことはない。

 貴族同士のつき合いはほぼ表面的な物のみであり、顔を出しているだけで、親しく付き合うつもりはない。

 公爵家は自国を拠点としてはいるものの、多忙であり、無能は存在しない。

 使用人すら、他国から厳選した最低限の精鋭で回しているのだった。

 自国で雇っている数少ない使用人は、王家や上位貴族から送り込まれたスパイであるが、あえて飼っている。

 公爵家が王家を裏切ることはありませんよ、というポーズの為だ。

 実に下らないが、スパイを潜ませていることで安心する相手なのだから、楽なものである。

 王族への挨拶の為玉座前へと移動し、軽く頭を下げる。

 我が公爵家は王家と対等である為、最敬礼の必要はない。

 だが王を始め王妃も王太子も不快げに眉間に皺を刻んで見せるので、こちらこそが不快になった。表に出すことなく平然と見返せば、言葉に出しては何も言えないようで王太子は顔を背けて舌打ちをしていた。

 王族としてふさわしくない。

「公爵夫妻は今日も不参加なのだな」

 参加してくれたことに感謝の意を示すことなく王のこの発言、明らかに公爵家を下に見ていた。

「両親はこの国の繁栄の為、他国へと赴いております」

「我が王家が主催する舞踏会より優先すべき仕事とはな」

「全く、両親には少しゆっくりして頂きたいものでございます。働きすぎで身体を壊さねば良いのですが。常に案じております」

「……」

 さらりと聞き流しそんなことを言えば、不満を見せながらも、表立って公爵夫妻を非難することのできない国王は、沈黙で答えるしかない。

 この国の為に身を粉にして働いているのだと言われておきながら、放置して王家を優先しろなんて台詞はどんな厚顔無恥でも言えはしない。

 その程度の分別は持っている国王である。

 逆に言えば、公爵家に対してその程度の理解しかない、ということだった。

「それにしても、エレミアはどうして王宮に来ないのです?妃教育が終了しているからと言って、許されることではありませんよ。我が王家に嫁ぐことを蔑ろにしすぎではなくて?」

 王妃の言葉には棘があった。

 エレミアは体調不良であること、学園卒業まで静養させると国王に許可を取っているにもかかわらずの、この言葉。

 まずはエレミアの体調はどうかと聞くのが先だろう。

 エレミアのことなど何も考えていない、ということを露呈してみせたのだった。

 この王妃は昔から公爵家に対してこんな態度であったから不安はあった。だがまさか、暴行を働くなんて思ってもいなかった。

 もっと早くあの子の苦しみに気づいていれば、と後悔してもしきれない。

「エレミアは静養中でございます。輿入れ致しましたら我が家でゆっくり過ごすこともできなくなります故、最後の親孝行、家族孝行をしておりますのでご容赦を」

 淡々と返すが、王妃は扇を目元付近まで隠しながらふん、と鼻でせせら笑う。

「その甘えまくった性根、王宮に上がったら鍛え直して差し上げるわ」

「さすが学園入学からしばらくで陛下と婚約され、卒業後も妃教育が終わらずさらに六年以上の時間をかけられた妃殿下、その性根はよほどしっかりしておられるようで、感服致します」

「なっ…無礼な…!」

 エレミアは十歳に至るまでにすでに必要とされる教育はすべて修了していた。

 彼女はいつも自信なさげに、「お兄様達には適いませんわ」と謙遜していたがとんでもない。兄妹同じ教育に加えて、妃教育まで終えた彼女こそが天才であるのだと、我ら兄弟は知っていた。いつも奢ることなく一歩引いて控えめな妹を、尊敬していたのだった。

 今更こんな愚鈍で性格最悪の女に教育してもらう必要はないし、二度と王宮に上げるつもりもなかった。

「お前の妹が学園にいないだけで、空気が清浄に満ちている。あの女は呪われているのではないか?そんな女が僕の婚約者だなんて、間違いだと思わないか」

 愚鈍で性格最悪な女にそっくりな男が、醜悪な顔で笑っていた。

 それで妹を貶めているつもりなのだろうか、と思う。

 緩く微笑を刻みながら、ダニエルは首を傾げて見せた。

「そうですか。我が家にいる妹は女神のように美しく、優しい心根の持ち主ですが、殿下の前では違うのですね。わかり合えないとは不運ですね。歩み寄らないとは、不幸ですね。見もしないとは、哀れですね。でも妹にとっては幸運だと思います」

「…はぁ?何を言ってるんだ?頭大丈夫か?」

 理解してもらう必要はない。

 今までも妹に対する無礼な態度は散見していたが、ここまで露骨ではなかったことを考えると、まだ遠慮していたのだろうな、と思う。

 だからこそ、父や俺達兄弟は愚かにも「子供のように稚拙な独占欲と照れが暴走した結果」と受け取ってしまったのだった。

 精神が大人になれば、妹に正しい態度で接することが出来るだろうと。

 母や妻に言わせれば贈り物の一つも寄越さず、我が家を訪ねても来ず、舞踏会に参加するのに迎えにも来ない王太子に、怒りと侮蔑を込めた冷たい表情を浮かべて「論外だ」ということになるのだが、妹自身が「わたくしは気にしていないから」と笑って言うので、「何かあったら教えてね」と言いつつ様子を見ていたのだった。

 愛の形はそれぞれである。妹が王太子を愛しているのなら、見守るつもりだったのだ。

 本当に、後悔してもしきれない。我々は愚かであった。

 だが間に合って良かったと思う。

 王太子に向かって哀れみを込めて微笑んで見せ、「では」と踵を返す。


 貴様等に妹は渡さない。


 欲しくもないようだし、お互い利害が一致して良かったではないか、と思う。

 この国に公爵家は我が家だけだった。

 王族が臣籍降下する際も、公爵の位はもらえない。それが建国時、双子の兄弟間で決めたことだった。王である弟が、最大限兄を敬い優遇した結果だった。

 それが今となっては。

 挨拶の為後ろに続くのは侯爵家となるが、興味もない為夫妻はそろって階段を下り、一曲ダンスを踊って会場を後にしようと歩き出す。

「これはこれは、次期公爵閣下、ご夫人、本日も麗しくいらっしゃいますなぁ」

「…これはどうも」

 ヘラヘラと笑いながら声をかけてきたのは、王太子の不貞相手である娘とその父親であった。

 どの面下げて話しかけてくるのか、しかもこちらは公爵家であり、伯爵家に馴れ馴れしく話しかけられる謂われはない。

 そっけなく返すが気にする様子もなく、隣で控える娘の背を押すようにしながら、伯爵は下卑た笑みを浮かべた。

「ご存じでしょうか。我が娘は王太子殿下より、格別のご配慮を賜っておりまして」

「そうですか」

「この後、殿下とダンスをさせて頂ける栄誉も頂戴しております」

「そうですか」

「このドレスやアクセサリーも…おっと、いかんいかん、何でもございません」

「そうですか」

「嫌ですわお父様、招待されてもいらっしゃらない婚約者様がお可哀想です」

 娘は口元を扇で覆いつつも、にやついた笑みを浮かべているだろうことは明白である。

 薄く笑みを浮かべたまま聞き流していることに気づきもせず、親子は二人で勝手に盛り上がっていた。

「いやいや、婚約者殿は静養中なのだろう?招待されても来られなかったのだ。そんな風に言ってはいけない」

「あら…そうですわね。ご病気でいらっしゃるとか。…将来の王妃になろうというお方が病弱で大丈夫なのでしょうか…わたくし、この国の行く末を案じてしまいますわ」

「何、心配することはないだろう。御子が授かれないのなら、側妃を召し上げれば良い話だ。もしくは健康な娘が正妃となり、代々のお約束である公爵家の婚約者殿が側妃になるか…」

「まぁ、そうですわね。病弱でいらっしゃるなら公務もまともにこなせないかもしれませんわ。それならば側妃として後宮に入られればよろしいのだわ。王家に嫁ぐ、という公爵家とのお約束も、守れますもの!」

「そうだそうだ。結果は同じだ。我が娘は頭がいいな!」

 がはははは、と大声を上げて笑う伯爵と娘に向けるべき感情といえば殺意しかなかったが、長兄夫妻は表情を変えることなく笑みを浮かべたまま耐えていた。

 周囲を取り巻く貴族達は、伯爵の無礼を咎めるでもなく頷いている者すらいる。

 学園での王太子とこの伯爵令嬢の不貞ぶりは有名であり、国内の貴族達には知られている。それでも批判も非難も出ないのは、公爵家の立場を理解していない貴族達ばかりになってしまった、という証左であった。

 ダニエルは思わず浮かびそうになる笑みを抑え込み、口角を引き上げるのみにとどめた。

 組んだ腕に力の入る妻の手を軽く撫でて宥め、不敬極まりない伯爵親子を見やる。

「なるほど、なんならその案を陛下に奏上されてはいかがか」

「は…?」

 大人しく引き下がるとでも妄想していたのか、言葉をかけられ伯爵はしばし呆けた。言われた意味を考えていたのだろうが、あまりにも間抜けな顔である。

「え、よろしいので?」

「検討する価値があるかどうかは陛下が判断されるでしょう。我が公爵家は反対致しませんので、どうぞお好きに」

「…いやはや、たまにお見かけする公爵令嬢様は、とても殿下に釣り合わな…ああいや、非常に控えめな方でいらっしゃる!いつも壁の華となり、我が娘と殿下がダンスを楽しむのも許して下さる寛大さもお持ちだ。そして病弱でいらっしゃるとなれば、正妃の座もご辞退したいとお考えかもしれませんな。いやいや次期公爵閣下は実に話の分かるお方だ!お許し頂けるのであれば、まずは殿下にお話をさせて頂きましょう!なぁ、ベル?」

「はい、お父様。次期公爵閣下からのご推薦の案、ということで、お話しさせて頂きましょう」

「どうぞご自由に」

 妻の力が強くなり、小刻みに震え始めた。

 怒りが爆発しないうちに退散するべく、ダニエルは調子づいている親子に向かってにこりと笑んだ。

「では我々はこれで」

 返事を待たず、踵を返す。


 さてこれで上手く転ぶといいのだが。


 転ばなくとも、王太子は婚約破棄を望んでいるのだからどうとでもなる。

 馬車に乗り込めば、ノーマが扇を潰さんばかりに握りしめており、ギリギリと折れそうな音がした。

「落ち着いて、ノーマ」

 声をかければ大きく深呼吸をし、恨めしそうな瞳で睨みつけられた。

「あなた、社交をもっと積極的に行って、貴族達を味方に付けておけば、あのような屈辱、見逃さずに済んだのでは…?」

 帝国の第一皇女としてその美貌と優秀さで周囲からの敬愛を一身に受けていた姫は、針の筵とも言える現在の公爵家の状況に不満があるようだ。

 気持ちはわかる。

 嫁いで来る前から我が公爵家の事情は理解していたし、実際に国内向けには力を入れていないこと、力を入れる価値もないのだということを話してはいたが、ここまで露骨に公爵家を侮辱するような発言を投げつけられたのは今回が初めてだった。

 これまでは陰口はあっても面と向かって言ってくる者などいなかったし、言わせる隙を与えなかったのだが、ダニエルは見定めようと思っていた。


 公爵家の役割、公爵家の存在意義を知らしめる為の行動をやめた時、連中はどう動くのか。


 結果、王家を始めとしてこの国に配慮すべき貴族は存在しない、ということが知れたのである。

 親切ごかしに「学園で王太子殿下が他の女性と懇意にしている」と知らせてくる貴族はいたが、それも公爵家のことを思ってではなく、むしろ醜聞として楽しむ連中ばかりであった。


 もはやこの国に、公爵家の功績を理解する貴族は存在しない。


「…エレミアちゃんのことを言われるのが、本当に腹が立つったら…誰のせいでこうなっていると思っているのかしら…?」

 歯ぎしりせんばかりの妻に気持ちは同じだと頭を撫で、肩を抱き寄せ寄りかからせる。

「大丈夫。エレミアはもう、この国に関わることもないし、噂であろうと聞かせる必要もない。卒業パーティーで断罪だったか、奴等にやらせてやって、そこで最後だ。エレミアには最後に嫌な思いをさせてしまうが、俺達がついているし、他国は皆味方だ」

「ええ…。でも断罪だなんて…先に婚約を解消してしまえば、エレミアちゃんは嫌な思いをしなくて済むではありませんか」

「無論全て綺麗にしてから臨むとも。それに、好き放題させるわけでもない」

「お考えがあるのね?」

「もちろんだよ。他に気になることはある?」

「この国を捨てることには賛成ですわ。こだわる必要も感じませんし。ただ、…わたくし、公爵家の嫁として、もっとやれることがあったのではと…」

 後悔を見せる妻を愛しく思いつつ、ダニエルは首を振った。

「これで良いんだよ。だって今の状況は、四代前の時から狙って行ってきたことなんだから」

「え…?」

 そして王宮から公爵家への短い道中、ダニエルは公爵家の復讐の話を妻に話して聞かせたのだった。

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