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 イーデラフト公爵の娘、メノーラが到着したのは、次の日の昼のことだった。

 眼鏡をかけて、縮れた髪の毛を一つのお団子に結んでいる。

 両手にたくさんの本を抱えており、部屋に到着するなり、リーリエの机の上にはアダブランカ王国の歴史書やら淑女のたしなみ、料理本まで置かれていた。


「はじめまして、私メノーラと申します。この度は、第一王妃の教育係に任命されまして、誠に光栄でございますわ。今日私、色々と考えましたのですけれど、まずは色々リーリエ様とお話をしてから、授業カリキュラムを考えようと思いまして、色々と本を持ってまいりましたの」


「はじめまして。今日からよろしくお願いします」


 リーリエが丁寧に挨拶をすると「まあ!なんて丁寧な挨拶!恐縮ですわ。他の貴族のわがままお嬢様とは大違い!これが王族っていうものなんですわね」と嬉々とした表情でメノーラは両手を合わせた。


 どうやら、メノーラにとって王族の教育係という役割は初めてのことらしく、非常に浮足立って見える。

 そして、とんでもなくおしゃべりな口は、リーリエだけでなく、傍に控えていたミーナさえも圧倒した。


「私のお父様は長いこと大臣をやっているのですけれど、クノリス王が王になった時に、我が家はもうダメだって言っていましたのよ。没落していく運命だったのだと。前王の時にも大臣をやっていて、貴族は全員殺されるって思っていたみたいですわ。私は、クノリス王はそんな人間じゃないわって思っていたのですけれど、実際蓋をあけてみたらちゃんと有能な人間とそうでない人間の区別はついていたようで、安心しましたわ。今回も数ある教育係の中から、私を選ぶ素晴らしい人を見る目!まさに王の中の王ですわ」


 彼女に話をさせていたら、日が変わっても話し続けているのではないかというくらいだ。

 ようやく彼女が授業を始めようとしたのは、ミーナが二回目のお茶を淹れ直した時だった。


「ところでリーリエ様は、どうして途中で教育をおやめになって?」


 授業カリキュラムを組むために、リーリエが受けている教育と受けていない教育を選別している途中で、メノーラが尋ねた。


「私……母が亡くなってから、教育を受けさせてもらえなくて」


 事情をあまり詳しく話していいものか悩んだので、リーリエはかいつまんで自分の身の上話をした。


「まあ!なんとひどい……!悲劇ですわ!そんなこと、あっていい話ではありませんわ!」


 床に崩れ落ちて、メノーラは瞳から大粒の涙をこぼし、胸元に隠してあったハンカチで鼻をかんだ。


 あまりに泣くので「私は、もう大丈夫ですから」とリーリエの方が慰めるはめになった。


 ミーナは天井を仰いで、三杯目のお茶を淹れ直し始めた。


 リーリエの教育はだいぶ遅れていたらしく、これから毎日メノーラがリーリエのところへ通うことになった。


「時間はたっぷりありますのよ。うふふふ」とメノーラは、帰宅して行った。


 王宮からの御用達とのことで、貴族の令嬢への教育は他の講師に引き継いできたらしい。


「あのおしゃべりは、悪意がない分、厄介ですね」


 静まり返った部屋の中で、ミーナが聞こえない程度に呟き、リーリエは思わず吹き出してしまった。


「聞こえていました?」


「バッチリと。だって、とっても静かなんだもの」 


 リーリエの言葉に、今度はミーナが噴き出した。


「大丈夫なんでしょうか?彼女は」


「大丈夫だと思うわ。ものすごくおしゃべりなこと以外は、とてもしっかりしてそうだったから」


 ミーナの質問にリーリエは答えた。

 ノックの音がして、クノリスが部屋の中へと入って来た。

 手には小さな包み紙を持っている。

 ミーナが「私は失礼いたします」と気を使って部屋を出て行った。


「今夜の晩餐は二人で取ることにしたが、問題ないだろうか?」


 クノリスの提案に、リーリエは些か安心した。


 大臣達との食事は堅苦しく緊張の連続だったからだ。


「もちろんですけど、何か私しくじりましたか?」


「そういう意味ではない。昨日は顔合わせの意味も込めて、一緒に食事をしたが、元々大臣と食事は滅多にしないのだ」


 クノリスはそう言うと、リーリエを抱き寄せて、自分の膝の上に乗せた。


「ちょっと……どうしたんですか?」


「自分の妻になる女性を抱きしめることは、不思議なことではないだろう。今日の授業の感想を聞かせてくれ」


「一度降ろしてくださったら、話します」


 降ろすつもりはないらしく、クノリスの抱きしめる力が少しばかり強くなった。


「細いな」


 小さな声でクノリスが呟いたので「どうせ豊満な身体ではありません」とリーリエは言い返した。


 その時だった。

 クノリスの手が、リーリエの胸元に忍び込んでいたので、リーリエは慌てて身をひるがえし、クノリスの頬を思い切り叩いた。


「何をするんですか!」


 突然のことだったので、リーリエの心臓はバクバクと音をならす。


「何をって、夫婦になるんだ。当然のたしなみだろう。思っていたよりは、あるな」


 叩かれた頬を抑えて、クノリスがリーリエの胸を触った方の手をじっと見つめた。


「まだ結婚の儀式をしていないんですよ!」


「また君のそれか……。どうせやることなんだ。順番なんかどうでもいいじゃないか」


「大事なことです」


 自分の胸元を隠して言うリーリエに、クノリスは深いため息をついた。

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