3‐3 忍び寄る毒牙
「あら、ありがとうディーク」
柔らかな微笑と共に目の下の黒子が特徴的で温和そうな女性が孤児院の建物に入ったディークにお礼を言った
ディークは初恋の人――――ノエル・オードの感謝の笑顔を堪能してから、笑みを浮かべる
今は少し影のあるディークの姿は見られない。長身のノエルに笑いかけるのは年相応に活発な青年の姿だった
「俺は差し入れを持ってきただけさ、礼ならマスターに言ってください」
「レオスさんね。あの人もようやくリンクスさんと一緒になったんでしょ? お祝いの品を送らないと…」
「別にいいってマスターは言ってたぜ。自分の事よりノエル姉さんの事の方が心配そうだった
この前、俺の無茶に巻き込まれて怪我したばっかりだったのにな…」
「そう言えば最近あってないですね。あの人の奥様にはかなりお世話になったものですから、レオスさんにあなたやリベア
それにゲイルさんも呼んで茶会でも開きたいものね。良い茶葉が手に入るといいのだけれど…」
「前のお仕事で貰ったものがあるんだ。客席なんかで出してるけど俺なんかには余る代物なんだ
良かったら分けてあげるよ。代金代わりにおいていかれたものだから量は無駄に多いし…だからといって売るのも忍びないし
そこそこ高価そうなものだから今度来た時に姉さんに分けてあげるよ。ここにいるチビ達にも飲ませてやりたいんだ」
「気を使わせてごめんなさいねディーク。貴方の好意に甘える形になるけど、頂戴するわね」
「へへへ…別に良いんだって」
ディークは満面の笑みを浮かべて嬉しそうだった。少年のような笑みを浮かべる彼に物憂げな母親のように心配するノエルの二人は
血は繋がっていない筈なのではあるが、見ようによっては本当の姉弟のようにも見えなくもない
家族を幼い頃に失った彼にとってリベアやノエルは兄弟同然に育った肉親も同様だったのだから
「そう言えばあなたお仕事はしっかりしてる? ちゃんとご飯食べてるの?」
「あ…まぁね。ぼちぼちって感じ」
「リベアに美味しいもの作ってもらったの? あの子って機械いじりは得意で腕っ節も強いけど、料理の腕は…」
細いあごに人差し指を当てながら何かを思い出すようなしぐさを見せるノエル
彼女の知るリベアは、機械いじりは得意だが料理は苦手でよくノエルが手伝っていたものだった
「大丈夫だよ。この前ゲイルのおやっさんのとこ行ったんだけどちゃんと出来てるよ
それどころかあいつ野菜も作ってるんだぜ? ここら辺乾燥してるから管理が大変なんだと愚痴ってた」
彼女がまだサラダしか作っていなかったような気がするが、さすがに大丈夫だろうとは思う
そこらへんは父親のゲイルに教えてもらっているはずだ。片親とはいえ血の繋がった親を持つ彼女がディークには羨ましかったが
「まぁ…それはよかったわ! ところでディーク、今夜は食べていかない?」
突然の誘い。
「え…いいの?ミシェイルが何か言ってこないか?」
「別にいいわ、今日は早く仕事を終わらせるつもり。子供達の相手もしてあげて欲しいの」
「ああ、ノエル姉さんの頼みなら俺は何だってやるよ。じゃあ久しぶりにご馳走になるかな?」
「楽しみにしておいて。今日は私、久しぶりに腕を振るっちゃうから!」
「ははッ、そいつは楽しみだ! 姉さんの料理、ずっと食べたかったんだ!」
そして二人は笑いあっていた。昔一緒に過ごした者同士のよしみ、まるで本当の肉親のように
かつて繁栄を誇った文明に汚染され野生の変異種が蔓延る死の大地・アウターエリアにおいてもこうして人の営みが失われることはない
人とは希望を持って前に進む生き物なのだ。どんなに絶望を前にしても決して挫ける事のないその勇気
こうして繋がり助け合っていく温もりは、人だけが持ちうる貴重な財産であるのかもしれなかった
「ディーク、今日は本当にありがとう。貴方だって仕事があるのに…」
「いいんだ、最近あまり来ないからさ。それよりいいのか? こんなに貰っちゃって…」
ディークは一抱えほどのある大きな包みを目で示す。その中には保存が利く食料が入っていた。
ノエルからのお裾分けだ。彼女謹製の味付乾燥肉や水で溶けるスープの粉末などが詰め込まれており。
焼くのも、そのまま食べるのも調理に使うのもオーケーというわけで、人に合わせて食べられるように工夫されている。
大好物だった干し肉が入っていることにディークは喜んでいた。子供のころよく食べていたからだった。
「いいのよ、私なんてレオスおじ様に比べると全然忙しくも無いんだから。差し入れのお礼みたいなものよ。
レオスさんやゲイルさんの所にも持っていって頂戴ね。それとリベアの為にレシピ入れておいたの。」
「へぇ…ノエル姉さんの手料理をあいつが作れるのかな?」
「あの子、手先はすごい器用だから大丈夫じゃない? でも性格は…」
「…相変わらず短気でガサツだよ、俺だってレンチ投げつけられて何度殺されかけたことやら…」
「まぁ! やんちゃでせっかちなところは全く変わっていないのね。安心したわ」
「おいおい…頭に当たったときは半日くらい気絶してたんだぜ…」
口元に手を当てて、くすくすと上品にノエルは微笑む。それにつられてディークも笑う。
今夜の満天の澄んだ星空は塵で霞んでおらず、月の光が綺麗に映えていた。
ごくたまに汚染物質の粉塵で空が覆われ、晴れていても全体的に薄暗く見えてしまうときが玉に瑕だったが。
「…ディーク。帰りは気をつけてね、寝ぼけて変異種の群れに突っ込まないように
貴方はまだ二十になったばかりなのよ。ハンターのお仕事も自分の体を大事にね。」
「ああ、大丈夫さ。でも何でそんなこと聞くの?」
ノエルは整った睫を伏せるように視線を下方に向ける。その様子は悲しそうにも見えた
不安を感じさせる口調は彼女が何か感じ取っているのか? それが月の輝きか風の匂いが教えてくれるのか?
ディークは知っていた。彼女は体が弱くディークやリベアに比べるとあまり外には出ないほうなのだが、
彼女は人一倍勘が鋭い。砂漠で迷ったディークの居場所を無理をして突き止めたり、リベアの嘘を見抜いたりした事がある。
「ええ、ちょっとね…嫌な予感がするのよ。」
やや赤みがかった満月を見上げながら、穏やかだが憂いを匂わせる口調でノエルは言った。
「フフ…なんて美しい赤い満月なの。狩りを行うには十分な風景ね」
うっとりとした口調で男が言う。ここは街から三キロほど外れた砂漠のど真ん中。
はっきり言えば夜の砂漠は温度が低い。変異種達の大部分も眠りについている時間で
毛皮で体を覆われたコヨーテ位なものであった。しかし、二人の人間はどういう理由かその場所に対峙していた
そのうちの一人、細身の男―――セルペンテはもう一人の珍客である外套を羽織った少女に問いかける
「……。」
「正直言って、まだこんなに寂れた街に居たとはね。ワタシもこの近くに住んでいたのだけど…まぁ、昔の事ね。」
「…。」
「ちょっと貴女。人がせっかく話しているのにシカトは失礼なんじゃない?
これだから最近の若い子は…って、アナタって本当に十代なの? それにしては無愛想で可愛げがなさすぎるような…。」
「…早く始めるんじゃないの?」
感情がこもらない無表情…というよりまるで電子音声のように平坦な口調で少女は言った。
挑発もセルペンテに対する怒りも透き通るような声音からは聞き取れない。
まるで心を何処かに置き忘れてしまったように彼女の言葉は冷たく、無機質だった
「そうね…早く始めないとね。こんな寒いところにずっと居たらおハダが荒れちゃうのよ
それに貴女だってすごくしたいんでしょう? 解るわよその気持ち、ワタシもすごく熱くなってきたわぁ…
いやん、もう我慢できそうに無いじゃない……じゃあ、早く始めましょうか…」
一見奇妙かつ軽薄な口調で男が言うが紫のルージュが塗られた薄い唇は歪み、快楽殺人者の笑みを宿している。
それこそがこの男―――セルペンテがハンターを追い出された所以の『毒蛇』としての本性が垣間見えた瞬間だった。
「―――――殺し合いをねッ!!」
言った刹那。砂漠の真ん中で二つの影が交錯し、ぶつかり合った後に一気に離れ、再度交わる。
まるで月下でダンスを踊っているように、砂地を蹴って躍動する二人の動きは巣早く並の人間では目に追えない早さだった。
お互いに申し合わせたように繰り出される技の数々の応酬は、Bクラス以上のハンターがこの場所に居たとすると、
砂漠の砂地にのあまりの目を見開いていただろう、砂を蹴りつつ飛び回る二人の超人的な素早さに。
ナイフの一線が銀の弧を空間に描き、相手を貫こうとする手刀が繰り出され、重たくも早い蹴りが小さな頭部を砕こうと唸りを上げる!
だが、この場所で行われているのは華々しい演舞の披露ではなく、互いの命を懸けた純然たる殺し合いなのだ。
「フフ…貴女、強いわね。この、毒が塗っているナイフに全く掠りもしないなんて。」
十数回目の攻防を終えた後に、唐突に距離を取ったセルペンテが己の体を抱きしめるようにしながら、
ウットリと戦闘の美酒に酔い快楽に塗れたその顔は、仮にリオン辺りがこの場所に居たとしたら顔を顰め、嫌悪感を露にしていただろう。
「それにまだ、本気を出していないようじゃない?」
「…。」
無言で拳を構える少女。その目はまるで相手の様子を探り、一部の隙を見出そうとするようにセルペンテを観察している。
セルペンテは自分の言葉を無視し続ける黒の少女に対して不快感を抱き始めた
「でもね、ワタシにはまだ取っておきがあるのよ」
右手に持ったナイフを後方に投げ捨てる。乾燥した夜の砂地に得物が落下し、乾いた音を立てる。
そして素手になったセルペンテは毒々しい紫の塗られた右手薬指の爪を、左腕の静脈に突き立てた。
ためらいも無い彼の奇行に、少女の瞳が微かに見開かれる。数秒後にセルペンテから無数の血管の様な管が肌に浮かび上がった
「フ、フフフフフッ。これが新しく調合した私のとっておきよ!」
「…!?」
少女は咄嗟に体を捻って、約五メートルの距離を一気に詰めたセルペンテの貫手をかわし、そのまま後方に飛び去って距離を取る。
足を取られやすい砂地での一瞬の動き。しかし、髪の一部をもっていかれた。もう少し反応が遅ければあの爪が右頬を捕らえていただろう。
そして、間違いなくセルペンテの投げ捨てたナイフと同様に爪にも毒が塗られているはずだ。
つまり、少しでも触れてしまえばアウトということになる。彼の身体能力が格段に向上していることを考えると、いつまで避けられるか?
「今のは自分の体に作用する強化剤。でも、試作品で副作用なんかはあまり発覚していないから封印してたのよね。
でも、ある人の技術協力でこれが完成したわ。貴女を倒した後はお礼にデートに誘っちゃおうかしら?」
「まさか、ナノマシンを…」
「おっと…話しすぎちゃったわね。依頼人の事を口に出しちゃうなんて、ワタシってホントにドジっ娘!」
「……。」
セルペンテが軽く拳骨を作って自分の頭を軽く小突くジェスチャーをしている間に、少女はそれを引き抜いた。
それは光を纏った、赤く輝く刀身にして光の剣。そしてあの男が少女に与えた力。
その名は『アーク・ブレード』旧時代に作られた、人類が持つ最強の白兵兵装は世界に五振りも現存しないといわれる。
大戦に失われた幻の武装なのか? それとも特殊部隊用に少数生産されたものが現代まで保管されてきたのか?
そんなことは彼女の知る由では無いし、剣の出自になんて全く興味は無い。
重要なのはこれを彼女が扱えることが可能でかつ、強大な力だという二点だけだ。それが作られた目的や用途なんて関係が無い。
これがその刀身の色のように、血に塗れた復讐を果たせる力ならば彼女にとって左程大した問題ではなかったからだ。
「へぇ、ようやく本気を出したってこと? ワタシも秘蔵の切り札を持ってきた甲斐があったわぁ!」
「……来い。」
地獄から響いてくるような低い声で少女が告げる。その声には先ほどと違って暗い感情が秘められていた。
相手がコロニーにかかわっている人間ならば、手心を加える必要は無い。とりあえずはセルペンテを無力化し手がかりを無理にでも聞き出す。
方針は決まった、今はただ目の前の敵から情報を得るのが最優先だ。敵の四肢を切り落としてでも手がかりを探り出す。
「フ…フフフッ! いいわよ、その目殺意に濡れた目ってすっごく綺麗! さぁ、もっとワタシを楽しませてぇぇッ!!」
紛れも無い殺意が宿った怜の瞳を確認して、セルペンテは哄笑を上げた後、獲物に再び襲い掛かっていた。
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