第1話 初めまして、世界

暗く、明るい、水の中へ。

 冷たく、暖かい、水の中へ。

 

 落ちてゆくような、そんな感覚。

 全身が、記憶が、自分が、溶け出し、洗い流されていくような、そんな感覚。

 

 底に、落ちる。

 硬く、無機質で、けれどどこか暖かく懐かしい底に身を委ねる。

 

 木漏れ日がまぶたに落ち、優しく朝を告げる。

 微風が全身を撫でてゆく――――――――――――





「いや、ベッド硬ぇ‼︎‼︎」


 跳ね起きる。

 人生ワースト10に入るぐらいの最悪の目覚めだった。

 

「というか…………ここ、どこだ?」


 青々と繁る背の高い木々、それよりも遥かに大きい木。

 森のような場所ではあるが、その木々の根元に木製の家らしきものが点在している。

 それだけでなく、巻きつくように階段のようなものがあり、一本一本の間には吊り橋のようなものがかかっていて、それらを辿る過程にも家らしきものが大量にある。

 

 少なくともこんな場所は記憶にない。

 …………というか何も分からない。

 ここがどこであるか以前に、そもそも自分が誰なのかすら分からない。

 

「――――――――……ま」


 自分の体に目を落とす。

 なんか線がある。

 胸の真ん中から手先、足先にかけて白い線が枝分かれしながら全身にまとわりついている。

 あれ? あのぅ…………全裸なんですが。

 

 何も覚えてはいない。

 それは甘んじて受け入れよう。

 だが、いくつか確証があるものはある。

 

 その一つ、何を隠そうこの


 そのはずなのに……なのに……無い。

 付いてない。いない。

 

「――――――さまっ……て……うが」


 こんなことがあっていいのか?

 許される道理がないはずだ。

 ――――ハッと、気づいた。

 

 ああ、これ、質の悪い夢だわ。


 と。

 

 そして、確証は確信へと変わる。

 、と。


 賢い俺は、IQ300(たぶん)の灰色の脳細胞をコペルニクス大回転させて、ノーベルが幼児退行するほどの結論を出した。


 寝よう。

 早急に寝よう。

 おやすみ悪夢。

 もう二度と出てくるなよ。


 座った体制で寝るのもアレだし、硬ーい石のベッドの寝転がって…………


「寝るなぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!!!!」

 

 右側面から衝撃。

 華麗に着地‼︎

 あっ……無理。

 

 顔から地面に突っ伏す。

 しかし痛みは特に無く、若草の柔らかさが直に肌に伝わるのを感じる。

 

 食んでみよう。草だ。

 あんまり美味しくない、というより味がない。

 

「え……嘘…………し、死んだ……の……?」

 

 なんかツンツンされてる気がする。

 でも、俺は動かない。

 いやだ。

 見たくない。

 


「あっ!! 動いた!! 嘘寝ね!? おーきーてぇーー!!!!」

 

「ぐはぁ!?」

 

 あまりの衝撃に体が跳ねる。

 

「痛っ!? ……くは無い…………よし、寝よう」


「起きてって、言ってるでしょぉぉぉぉぉぉーーー!!!」


 体をすごい勢いで揺さぶられる。

 

 なんか、腹が立ってきた。


「うわっ!? 燃えてる!? なんで!? なんで!?」


「は?…………うわっ!! めっちゃ燃えてる!!! 何これ怖ぁ!?」


 全身が燃えていた。

 生まれて始めて火だるまになった気がする。

 いざ火に包まれてみると、これはなかなかに怖い。

 

 と、強い風が吹く。

 するとたちまちに自分の体から出ていた炎が消えてゆく。

 

「な……何なんだよ…………これ……」


「こ、こっちが聞きたいわよ………… あんたの情緒、どうなってんのよ…………」


「えぇ…………そんなこと急に言われても………… で、誰?」


 声のする方向に目を向けると、そこには小さい女の子が大きな石にしがみついてこちらを睨んでいる。

 小さい、と言っても人間の中でというわけでは無く、身長30cm前後で薄緑色の翅を生やしている、亜麻色の髪の毛を高い位置でポニーテールにした……所謂『妖精』と呼んでいるファンタジーなアレだ。

 

 今はなぜかボロボロになっている。何でだろう。

 赤い瞳にうっすらと涙を溜め、抗議の視線を向けてくるコレに対話が可能である、という希望的観測で質問を投げかけてみよう。


「名前は?」


 なんか知らんけど着火した。


「ネルト……」


 ものすごく機嫌が悪そうに答えるが、きちんと返事をするあたり育ちはいいのだろう。

 小さいのによくできた子だ。

 

 そう感心していると、彼女は深呼吸をしてこちらに向き直る。と同時に鎮火した。

 そしてゆっくりと口を開き――――――


「…………おはようございます、守護者様。どうか我々をお救いください」

 

 とんでもないことを口走りやがった。


「え無理」


 無理である。というより『何言ってんだ、こいつ』感が強い。

 確かに多くの人がこちらに平伏しているという状況を見る限り、神頼みの一種であることは想像に難くない。が、しかし、その頼まれる側の立場になった覚えはないし、中二病を発症してしまった覚えも無い。

 頭の整理が追いつかない。

 

 知らぬ土地、知らぬ風景、知らぬ身体、未知の種族、人体の発火――――――

 ありとあらゆる不可思議。常識外の事象の連続。最も非科学的で選択肢から真っ先に排除すべきこの現象は――――――


「…………これが、『異世界転生』っていうヤツか……」


 しかし、死んだ記憶が無い。死ぬ前の記憶がない。

 いや、それだけでは無く、そもそもの――記憶が無い。


 自分の性別も、名前も、性格も、顔も、身長も、年齢も、両親も、友人も、趣味も――――――――自分に関する記憶だけがことごとく、無い。

 あるのは『記録』。地球という場所にある日本という土地にいたこと、そこにあった文化、言語、常識、歴史…………それだけだ。


 何はともあれ、この状況について正確な回答を得なければならない。


「…………俺は、何でここにいるんだ?」


「?…………えっと、……から?」


「それは、誰の意思で?」


「それは守護者様を呼び出したのがってこと? それはこの世界のみんなの意志だけど……どうかしたの?」


「いや、何でもない……ありがとう」


 物凄いテンプレートな回答。ならば、この質問もテンプレートを踏襲した回答になることは間違いないだろうが…………


「帰ることは可能なのか?」


「うん、できると思うわ。でもそれには世界を救ってくれないと出来ないの…………」


「それは交換条件ってやつか?」


「そう、と言えればいいのだけれど、違うの。あなたを世界に戻すために必要な魔力が足りないのよ。その魔力を充填するためには『コア』が必要なんだけど、それが無いの……」


「『コア』……?」


「あっ、そっか『コア』知らないのか。えっとね……『コア』っていうのはこの後ろにある『世界樹』っていう木の栄養源みたいなもので、すっごく大っきい魔力の塊なの。でもそれが『悪魔』って言うやつに取られて壊されちゃって『世界樹』が栄養源を無くして枯れそうって言うのが今の状況。で、あなたを元いた世界に送り返すための魔力を生成できるのも『コア』ってことな訳よ。……分かった?」


 と、ネルトと名乗った少女は上目遣いで不安げに確認をとってくる。


「うん、まあ何となくは。俺にその『コア』ってヤツを回収して来いってことでいいんだな?」


「理解が早くて助かるわ。で、守護者様の名前はなんていうの?」


「分からん」

 

「へ?」


「いや、記憶が無いんだよ」


「え、えっ、えぇ? えええええぇぇぇぇーーー!? 何で!? 失敗!? そんな筈は…………っは!! まさか、さっき落としたから? それとも魔法ぶつけたから? どうしよどうしよぉぉぉ!! 怒られる……確実に怒られる………… 殺す? ううん、もう魔力も残ってないから…………」


「おいコラ聞こえてんぞ」


 故意に記憶を奪った訳じゃなかったのか。

 まあ、何かの手違いであれ記憶が無いことには変わりないが。

 

 ――――――違和感。

 会話を始めたのが数分前からだったとしても、声量は普通くらいで会話をしていれば少しの反応はあるだろう。そうでなくとも、呼び出した対象が目覚めても反応すらしないのは仕来りでない限りあり得ない。仮にも自身が頭を下げている対象なのだ。いきなり燃え出したり、風が吹いたり、叩き落とされたりして何も反応しないはずがあろうか。


 そして、はっきりと認識する。

 

 

 

「ネルト、おいネルトッ!! ここのヤツらさっきから動いてない!!」


「え?――――――」


 世界が凪いだ。

 色が落ちてゆく。

 音が止む。

 

 後ろから物凄い圧力を感じる。

 殺気、と言うものはこんな感じなのだろう。


 ゆっくりと後ろを振り返り――――――


「やあ、初めまして。守護者くん。僕は――そうだね、うん『悪魔』とでも名乗っておこうか。まあ君の敵だと言う認識で構わないよ。さて、いきなりで悪いんだけど、死んでくれないかな?」


 モノクロの男か女か分からないそれは、漆黒の目と口を歪めて、嗤った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る