14.不名誉な称号

「3人揃ってのこのこ遅刻とは何事ですかッ!」


(あぁやっぱり……)


 あお木賀きがの金切り声を真正面から浴びせられ、縮こまっていた。しかも二大問題児と黒板の前、つまり全クラスメイトの視線に晒される位置に並ばされている。


 二大問題児はともかく、何でそこに静井しずい? ――という空気が、何ともいたたまれない。


「す、すみません……」


 蒼はしおれて謝るが、他の2人は自分は悪くないと言わんばかりに涼しい顔だ。それが木賀の血圧をさらに上げている。


「――罰として、放課後図書館の窓掃除ですッ」


 また掃除……と、蒼はがっくりとうなだれた。






 そして迎えた放課後。


 3人は雑巾の入ったバケツをぶら下げて、図書館へと向かっていた。通りがかった生徒や、何なら教師もギョッとしたようにこちらを――主に蒼を見る。


「……あれ、問題児増えたの?」


 という声を聞き取ってしまい、蒼は大いに落ち込んだ。


「おい、ぐじぐじしてないでとっとと歩け」


「ひどっ! そこまで⁉」


「そこまでだ」


 一鞘ひさやに一蹴されてしまう。


 蒼は一鞘にさらに何か言われる前にと、そそくさと姫織いおりの方に体を寄せた。こちらの方が無口な分、まだ気が楽だ。


 ようやく図書館に着いてみれば、木賀はいなかった。代わりに、司書が「3階と4階の窓をお願いできるかな」と優しく指示を出してくれた。どうやら木賀はこちらに赴く気はないらしい。蒼としてはホッとした次第だ。


 とりあえずまずは、4階を3人で拭いてまわることにする。


 しばらく言われたままに窓拭きをしていた蒼であるが、だんだんモヤモヤしてきた。拭いても拭いても、窓の汚れは一向に目につく。外側が汚いのだ。おまけに今日はよく晴れているので、余計にその汚れが目立つ。


「……あのー、窓外側から拭いてもいいですか」


 どうにも達成感がなくて司書の人に尋ねると、目をぱちくりさせた。


「あなた、1年生よね?」


 と確認してきたのは、同じ戦闘科でも上級生であればこのぐらいの高さは問題ないからなんだろう。しかし蒼は研修学校に入学したての身だ。


「結構高いわよ? 梯子もそこまで高いのはないし……」


「大丈夫です。足をかけられそうなところ、いっぱいあるんで」


 心配そうな司書をよそに、蒼は平然と窓から身を乗り出した。






 図書館の外壁は、窓の下に、足がぎりぎり載るぐらいの出っ張りのようなものがあった。足場としてではなく、デザイン性として作られたものなのだろう。


 しかし、蒼は前からそこに目をつけていた。いいなぁ、上りたいなぁと図書館の前を通る度にうずうずしていたのだ。しかし図書館は校舎のすぐ脇にあって人通りが多い。その為、こっそり上るということもできずにいた。それがまさかこんな形で叶うとは。


 蒼はウキウキとその出っ張りに足を置いた。いざ窓から出てみると、思っていたよりも高く感じる。どうしよう。もう楽しい。


(……い、いけないいけない)


 蒼は高揚する気持ちをかぶりを振ってごまかした。そうだ、これは掃除の為にやっていることなのだ。決して、決して自分が出たかったから出ているわけではなく。


 そうして外側の窓掃除を始めていると、カラカラとすぐ隣の窓が開いた。見ると、一鞘が身を乗り出している。


「お前、それ水拭きだろ。後から乾拭きしていくから」


 ……昨日から思っていたことなのだが、この兄妹は掃除に慣れ過ぎていやしないだろうか。


「あ、はい、お願いします……」


 それをツッコむ気力も度胸もないので、軽く会釈して作業に戻る。


 一鞘と2人であることに気まずさを感じていたのは、最初だけだった。ずっと上りたかったところに上れているし、窓はきれいになっていくしで、だんだんと楽しくなっていく。この作業を下の階でもやれるなんてとまで思っていると。


「……お前、この高さ平気なのか」


 突然話しかけられ、蒼は作業の手を止めた。訊いてきたのは一鞘で、【五天】と関係のない話をされたことに、ちょっとびっくりする。


「高いとこ、好きだし……落ちても普通に着地できる、かな」


「1年の女子でそこまでできる奴、お前ぐらいだろ」


「まぁ……体動かすの好きで、習ってたから」


 いつも通り、父のことに触れない範囲でぎこちなくうなずく。


「……、そっちは? やっぱり誰かに教わったの?」


 一鞘、と呼ぶのは少し躊躇われた。しかし蒼のそんな引け目には触れず、一鞘がたちまち渋い顔になった。


「じじぃにな。おれが【たつ】になったからって張り切りやがって」


 後半は独り言のようにつぶやき、忌々し気に舌打ちまでしている。よほどしごかれていたのだろう。祖父のことかと確認すれば、あぁそうだと実に嫌そうながら答えてくれる。


 だからあれほど体術に慣れていたのかと、蒼は納得した。統帥五家のひとつである、武家たつけの人間なのだ。どういった家なのかは秘匿されているので蒼は知る由もないが、それほどの名門の家柄であれば、幼少期からみっちり叩き込まれることは想像がつく。だが、それと同時に、僻みっぽい感情がこみ上げた。


 ――あたしだって、お父さんが生きていたら。


 蒼は雑巾を握る手に力を込めた。


「そういえば、【五天】の話途中だったな」


「あ、うん」


 話題が変わったことにホッとして、蒼は素直にうなずけた。ここならだれの耳にも入らないだろう。4階の窓の外側なんて。


 一鞘は手を動かしたまま、話し始めた。


「まず、五家自体はもっと自由度が高いが、【五天】はこの学校に通うことが義務付けられている」


「……どうして?」


 思わず手を止めて、蒼は一鞘を見た。名門の五家が、何の変哲もないこの研修学校にこだわる理由が分からない。


「この学校、龍脈の交わりが1番多いんだよ。それだけ妖が寄りつきづらいんだ」


 5本も交わってるところなんてそうない、と一鞘は言う。蒼は初めて知ったので、面食らった。


「だから、この学校内にいるって言ってたの?」


「あぁ。それと【五天】は一応戦闘科入学も義務になってる。自分の身を守れるように」


「じゃあ、戦闘科を探せば……」


「いや、そうとも限らない。過去には体が弱くてそういった訓練を受けなかった奴とか、学校では戦闘科以外の学科に入って個人的に戦闘訓練を習っていた奴もいたらしいから」


「……そ、そっか」


「それと、【五天】は必ず同い年なんだ。だから絶対おれらの学年にいる。……それこそ体が弱いから初等学校で留年してて、まだ入学してないなんて可能性もあるが」


「な、なるほど……」


 蒼はふと、自分が思ったよりも普通に一鞘と会話できていることに気が付いた。こうして関わる前は明らかに苦手なタイプだなぁと思っていたし、関わっている今でもやっぱり苦手なタイプだなぁと思っているというのに。


(今みたいに、いつも怒鳴らないでいてくれたら、もうちょっと協力してあげようとか思えるのに……、)


「何か訊きたいことあるか?」


「……えっ」


「何だよ」


 一鞘に怪訝そうな顔を向けられ、蒼は自分がまじまじと一鞘を見てしまったことに気が付いた。


「あっ、いや、えーっと! この間見せてくれた龍能って、どんなことに使うのかなーって思って……」


「それは教えられない」


 一鞘が、キッパリとした口調で言い切った。蒼はそれまでちゃんと会話できていたことを、否定されたような気持ちになった。


「……ご、ごめん……」


 蒼は何だか、さっきまでの自分が恥ずかしくなった。友達でもないのに、馴れ馴れしくしてしまった。


「お前さ」と、一鞘が顔をしかめた。


「そうやって、すぐに謝るのやめたら」


「ご、ごめん」


「また謝ってるじゃねぇか」


「ごめん」


 しまった、と思って見上げると、一鞘がうんざりしたような顔でこちらを見ていた。


「……あっそ」


 ため息混じりに言ってからは、もう何も話しかけてこなかった。蒼もそれ以上は何も言えず、黙々と作業することにした。けれど内心では、今言われたことに対する不満がむくむくと湧いてきていた。


(……そっちが弱み握ってきてるくせに)


 蒼の『弱み』に対して蔑むようなことはしてこなかったが、それは蒼を動かすのにちょうどいい餌だからというだけだ。


(……人としてどうなの、それ)


 いじけた気持ちで窓を拭きながら、蒼は決意した。……とっとと後の4人を見つけて、2人から距離を置こうと。






 翌朝、学校に来た蒼は教室に入るなりとんでもないことを言われた。


「よっ、三大問題児」


 ――蒼は目を剥いた。


「……ちょっと待って、それあたしのこと⁉」


「他に誰がいるんだよ~このこの」


「ひどっ⁉」


 肘でつっつこうとしてくる男子を即座に避けながら、蒼は絶句した。


「あたし、昨日はたまたま一緒だっただけで」


「いや~、でも掃除のチームワークは見事だったけどなぁ」


 蒼の反論を遮って、他の男子もニヤニヤしながらからかってくる。蒼は思わず、教室を見渡した。二大問題児はどちらもまだ来ていないようだ。ひとまずホッとしたものの、蒼は今の男子の言葉が気にかかった。


「見事って……?」


 これに答えたのはにのだった。


「蒼ちゃんと風端かざはた君、3階と4階の窓の外側拭いてたでしょ? 格好良かったよ~」


 いいなぁ~、わたしも早くできるようになりたい。と、にのはのんびりうっとりした口調である。


「で、狭見はざみさんが内側を黙々と拭いてたよね」


「なかなかのチームプレイじゃん!」


「あ、梓と友誼ゆうぎまでっ⁉」


 昨日のあの光景がそんな風に映っていたなんて。というか、そこまで大勢の人間に見られていたなんて。


「それに静井、問題児っぽいとこ結構あるじゃん」


「ひど――――――っ⁉」


 男子の1人にサラッと言われて、蒼はがぁんとショックを受けた。


「大丈夫だって」


 そんな蒼に苦笑しながら、梓が慰めるように言う。


「あの2人より、蒼の方がよっぽど人間らしいから」


「あー、それはわかるな」


「狭見さんと風端君は、天才肌って感じする」


「近寄りづらいっていうか、別の次元っていうか……」


 別の次元、というのは、的確な表現な気がする。【五天】だしねぇ、としみじみと思った蒼は、そこでハッとした。


 この中に【五天】がいるかもしれないのだ。


 全員見つけるまで道連れ、という姫織の呪いの言葉を思い出し、蒼は目の前にいるクラスメイト達の目を必死に見つめる。すると。


「……何か蒼ちゃんって、急に目力強くなるよね?」


 急に、梓にそんなことを言われた。蒼が反応するよりも先に、友誼が「わかるー!」と激しく同意した。


「えっ、そうかな⁉」


「そうだよー! いつもはほにゃっとしてるのに、急――にめちゃくちゃ見つめてくる時ある! こっちが照れるわ!」


「ええええ」


「あぁ、大丈夫。ほにゃっとはほにゃっとでも、ニノとは違うジャンルのほにゃっとだから」


「意味分かんないよ⁉」


 友誼と言い合っていると、にのも口を挟んできた。


「何だか、見抜かれてるって気がするんだよねぇ」


 今、まさしくそれをやっていたところだったので、蒼はギクリとした。しかしみんな、蒼のそんな反応には気付いていない。


「じゃあさー、今度みんなでダウトやってみない?」


「ダウトって、トランプのか?」


「そうそう。蒼最強説検証! ってね」


「おっ、いいじゃんいいじゃん。ジュース賭けようぜ」


「わたしはアイスがいいなぁ~」


「で、みんなどっちに賭ける?」


「え、静井最弱」


「それな~」


 ……言いたい放題といえば、言いたい放題であったが。






(「見抜かれてる」……か)


 それから講義に入り、蒼はにのに言われたことを反芻していた。無論、講師の声は耳に入っていない。


 ――そんなに視線、強かったのかな?


 自分では分からない。むしろ他人と視線を合わせられない方だと思っていたし。


(視線が強いなんて、風端君の方がよっぽど……、)


 そこまで考えて、蒼は思考を止めた。違う、今はそういうのはどうでもいいじゃないか。


 蒼はかぶりを振って、小さなメモにシャーペンを走らせた。


『このクラスには、イオリとヒサヤだけだと思う』


 どの子達も、2人のような強烈な光の宿った目をしていなかったのだ。ごくごく普通の、少年少女らしい明るい光。


 蒼は教師が黒板に書いている隙を窺って、一鞘の机に折りたたんだメモを置いた。まずは憂鬱な相手から済ましてしまおうと思ったのだ。


 蒼が一方的に気まずくなったというだけで、一鞘の方は昨日のことなどまるで気にしていないようだった。まったく普段と変わらない様子で、さっきの休み時間も感知に関することをこっそり尋ねてきた。戸惑う蒼の様子にも、特に頓着していなかった。


 蒼のメモを広げた一鞘は、すぐにそれを握り潰した。内容を理解したのだろう。


 蒼は姫織にも伝えようと、新しいメモ用紙を手に取ったのだが、


「……それはやめておけ」


 一鞘が、何気ない風を装ってかぼそっと言った。


「えっ?」


 どうして? という疑問がそのまま声に載ってしまい、それは静かな教室では思いのほか目立った。


「そこ、喋らない!」


 教師に注意され、クラスメイトがクスクスと笑う。


 特に梓達がからかうような笑みでこちらを見ていて、蒼はいたたまれなくなった。友誼の唇が三大問題児、と動いたのが分かってしまい、蒼はがっくりとうなだれた。






 そして休み時間。


「姫織は読書中にちょっかい出されるの嫌いなんだよ。めちゃくちゃ機嫌悪くなるから、それ忠告したかっただけ」


 お前迂闊過ぎ、と一鞘にため息をつかれ、蒼は【五天】早期発見を改めて心に誓った。


 やっぱり一鞘は苦手だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る