9.出掛けなければ良かったなぁ……

「なんなんですか、あの令嬢は」


 店を出るなりレイリーが鼻息荒く言った。


「貴族としての礼儀がまるで身についていませんでしたね」


「……お嬢様の名前を呼んでいましたけど、ご学友ですか?」


 イリナとユーリックも、ワカナの常識のなさに憤っている。そりゃこの世界であんなフランクな態度は、教養がないことを晒して歩いているようなものだから、3人にはかなり異質な存在に映っただろう。


「彼女が、聖女ですわ。同じ学園に通っていますけれど、貴族としてのマナーや教養を身につける気があるのか、ないのか……」

(あれが噂の聖女だよ。関わりたくないんだけどね……)


「……!? あの方が、聖女様ですか!?」


 レイリーが心底驚いたように声を上げる。普段あまり表情を崩さないイリナとユーリックも驚いた様子で私を見た。


「いくら聖女様とはいえ、あの態度は、その、あまりにも」


「レイリー」


 レイリーが暴言を吐きそうだったので言葉を遮った。悪役令嬢であるエヴァリアの専属騎士が、聖女の悪口を言っていたと噂されるのは大変マズイ。


わたくしの専属騎士なら、あなたの言動がわたくしの評価になることをよく理解しなさい」

(失言したら命とりだから、本当に気をつけて……)


「そうは言っても、エドワード様はお嬢様の婚約者でもありますし、いくら聖女様でもあれはさすがに」


「お黙りなさい」

(ちょっと)


 レイリーの腕をぐいと引っ張った。心配して、私の代わりに怒ってくれるのはとても嬉しい。けど、こんなに人がいる前で、大きな声で話すことじゃない。


「ここはレトゼイアの屋敷ではありません。落ち着きなさい」

(家ならまだしも、通行人の目もあるんだから)


 大きなため息が出る。ワカナのさっきの行動、これまでの行動についても頭が痛いのに、エドワードの態度、レイリーやイリナ、ユーリックの怒りや心配。やっぱり出掛けなきゃよかったかも。休日の日にまでこんな思いをしなきゃいけないなんて。


わたくしのためを思うのなら、これ以上のことは胸に仕舞いなさい。それができないのなら、レイリー、あなたは先に帰っていいわ」

(私のためって思うなら今はとりあえず黙ってレイリー)


「……申し訳ありませんでした」


 怒りや心配といった感情を表面的には消して、騎士然とした態度でレイリーが謝った。騎士としてのプライドや、プロ意識のようなものを、その態度からはとても感じた。


 私は小さく溜め息をついた。聖女伝説の通りにはならないよう、回避するために色々しているけど、果たしてその努力は意味があるのだろうか。


「綺麗なお姉さん、お花はいかがですか?」


 ふと視線を下ろすと男の子が、花かごからマリーゴールドに似た花を差し出していた。


「……いただくわ」

(ありがとう)


 そっと受け取ると、男の子はニコッと笑った。柔らかな笑顔が、強張っていた私の心を少し和らげてくれる。


「お姉さん、何かあったの? 浮かない顔して」


「何もないわ」

(大丈夫)


 子供の目にもわかるほど、憂鬱な顔をしていたのだろうか。


「嫌なことがあった時はね、思いっきり遊ぶのがいいよ! ぼくが案内してあげる!」


 名前も知らないその男の子は無邪気に、私の手を引こうとした。


―――!


 一瞬のことだった。


 レイリーが私と男の子の間に割って入る。男の子は、腕を掴もうとするユーリックのことをひらりとかわした。


「ガードかったいなぁ。せっかく子供の姿になったのに」


 さっきまでの無邪気な子供っぽさは消えていて、残念がる様子は大人びて見えた。目にはさっきと変わらない愛らしい男の子として映るのに、全然別の人間に見えるのが変な感じだ。


「何者だ」


 レイリーもユーリックも腰に携えた剣に手をかけて、鋭く聞いた。ピリリとした、張り詰めた空気になる。


「知ってどうするの? 君たちはそのレトゼイアのお嬢さんを守るだけで、俺に危害を加えることはできないでしょ」


 なんだか見下したような言い方。


「それにしても、こんなにすぐ気づかれるなんて思ってなかったよ。ちょっと警戒しすぎじゃない? お嬢さんに対して過保護すぎると思うなー」


 ポリポリと人差し指で鼻の頭をかきながら、男の子は言った。その仕草を見て、思い出した。彼はレオンだ。決して表には出てこない情報を扱うギルドの長。裏社会に通じる何でも屋。色々な呼び名があるけれど、こんな真っ昼間に姿を現すような人じゃない。一体なぜ、こんなところにいるのだろう。


「聖女様の目の敵にされてるレトゼイアのお嬢さんってどんなのか、見に来たんだけど、結構ふつうだね」


 レオンは品定めをするように、じろじろと私を見て言った。


「無礼者……!」


「おやめなさい」


 今にも剣を抜いてしまいそうなレイリーとユーリックに声をかけた。こんな街中で騒動を起こしたら注目の的だ。相手はギルド長のレオンだとしても、今は子供の姿だし。こちらの分が悪い。


 聖女伝説の中で、彼は聖女に興味を抱いていた。何かというと聖女を気にかけ、時には手助けし、時には翻弄し、自由気ままなキャラクターでとても魅力的だった。なんでも知っていて大人な態度と、いたずらや意地悪を仕掛けてくるときの子供っぽさのギャップがたまらない。


 でもどうして私に興味を抱いたのだろう。原作では聖女にくっついていた気がするんだけど。


「見に来たというのなら、もう充分でしょう。わたくしの美しさは伝わったでしょうから、お帰りなさい」

(見たならもういいでしょ。あなたと関わると、また聖女との接点ができちゃいそうだから早く帰って)


 私がそう言うと、レオンは少し驚いたように私を見た。


「へぇ。俺がどこの誰だか聞かないんだ。どんな目的でここにいるのかも聞かないんだ」


 言いながら、レオンの口角がにぃっと上がる。いたずらを思いついた時のような、邪悪な笑顔だ。


「ねぇ、聖女様のこと、お嬢さんは疎ましく思っているんだろう? 俺が聖女の弱点でも教えてあげようか?」


 レオンが見返りもなく情報を提供する訳がない。エヴァリアも原作内で、こんなふうにレオンに持ちかけられたんだろうか? 例え、エヴァリアとレオンが世間話くらいはする間柄であったとしても、それが聖女の世界を変えるほどのことでなければ原作では描かれないだろう。だから、私には本当のところはわからない。


「いりませんわ。フェアじゃないですもの」

(後々面倒事に巻き込まれそうだし、いらないよ)


「意外だな。もっと飛びついてくるかと思ったのに」


 ちょっと考えるそぶりをしてレオンは言った。


「第三王子のエドワード様と聖女様の関係性、気にならない? お嬢さんは一応、婚約者でしょう?」


 私が私じゃなく、エヴァリアだったら飛びついていた情報かもしれない。エヴァリアはエドワードのことはなんでも知りたがったし、聖女のことを毛嫌いしていたから。でも私はそんな情報いらない。どうせそのうちエドワードとは婚約破棄をするつもりだし、そうなれば2人がどんだけ仲良くなっていようとも関係ない。2人を引き裂く悪役令嬢はごめんだ。


「何を勘違いなさっているのか存じ上げませんが、あいにく興味がありませんの」

(興味ないよ、そんな情報いらないよ)


 私がそう言うと、レオンはますます顔をほころばせた。新しいおもちゃを見つけた時のような、子供の笑顔。でもその裏側には、情報ギルド長としての企みがあるに違いない。可愛い顔に惑わされないで、私。


「まぁ、いっか。とりあえず今日は様子見ってことでよしとしようじゃないの」


「エヴァリア様!」


 突然名を呼び、駆けて来る人物がいた。


 やっとレオンから解放されると思ったのに、今度は誰? 億劫に思いながら振り向くと、そこにはルクブルグ商会のマシューがいた。

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