桃花色の風 ーもののふともののけの賀歌ー
碧月 葉
第1話 桃色の髪の少年
あいつは家に居なかった。
昨日学校で相談があると言っておいたのに、ホント気ままな奴だ。
「ミケさん」
俺は巾着から帆立の干貝柱を取り出すと、空中に呼びかけた。
すると、尾が二つに分かれたぷっくりした三毛猫が、ふわりと現れた。
「
福々しい猫又は俺が差し出した貝柱をほくほくとした顔で食べ、口のまわりを大きくペロリと舐めた。
「約束していた筈なのですが、
「うん。呼ばれたのか呼んだのか分からにゃいけど…… 登ってくる?」
「はい、幸い雪は止みましたし。行ってみます」
猫又であるミケさんの言葉は、本来は霊力が高くないと上手く聞き取れないらしい。
しかし俺は物心ついた時にはあいつと一緒にいたからか、自然と分かるようになっていた。
ふわふわした風のようなあいつを捕まえるのは大変だ。俺はミケさんにお礼を言うと銀白の道に新たな足跡を付けながら、あいつがいる山中を目指した。
雪に覆われ凍てつく会津の冬は厳しい。
でも、俺はこの季節が好きだ。
空気は澄み、枯れ木に花が咲いたように雪が積もりキラキラと輝く様子は実に美しいと思う。
あいつのものと思われる霊気と足跡を追っていくと、途中で空気が変わった。
ピンと張り詰めた気配。
いた。
白い小さなものが舞っている。
雪では無い。
そこだけが春。
雪のかかった松の下、一本の桜が限りなく白い花を咲かせている。
はらりと降る花びらの先には桜の精と見紛うような桃色の髪の少年がいる。
紅の袴を穿いた彼は、妙に品格のある白髪の髷の翁と語らっているようだった。
まるで一幅の絵のような光景に思わず息をのむ。
「晴海、遠慮するなよ。入ってこい」
群青色の瞳が俺を捉える。
祓魔師としての力を使っている時のあいつ視線はいつもより鋭くて、何となく圧倒される。
俺はあいつの傍らにいる老爺に一礼してから声をかけた。
「琉生、約束を忘れてただろう」
「ん? あれ、今日だったか?」
大して悪びれもせず首を傾げる様子に俺はため息を吐いた。
「では琉生、そんな訳じゃから重々お気をつけなされ」
「ああ、黒さんありがとう」
黒と呼ばれた翁は俺にも軽く微笑んでからふっと居なくなった。
張り詰めたような空気と桜の花も同時に消えた。
「今の黒さんは、
「霊には違いないけど、どちらかといえば神に近い存在だな。昨年京都に行った時に知り合って仲良くなったんだ。それ以来、今みたいにたまに現れては忠告や情報をくれる」
琉生はなんてことないように答えたが、俺は絶句した。相変わらず規格外の奴だ。
親同士が親しいため俺たちは物心ついた時から連んできた。
昔から、そこら辺の
「しかし晴海、黒さんが見えたんだ。やるなぁ」
「普通は見えないのか?」
「そうだな。いい感覚を持ってると思うよ」
実際、俺の霊的才能は全て「勘」に極振りで良く「見える」し「感じる」。
「進路、今からでも『もののふ』にしたら?」
『もののふ』は妖などから人々を守る職だ。
俺は首を振った。
「嫌だよ。俺は警官になるって決めてんだ。炎だ氷だってバンバン術を打ちまくるお前と一緒にするなよ」
父親が当代随一の祓魔師で、その才能を受け継ぎ、京都の一流どころからも声がかかるほど将来を嘱望されている琉生。
片や俺の親父は地方の行政官で、日々書類に埋もれている。昔は殿様の近侍としてぼちぼちの剣客だったらしいが、所詮は100人並みの才能だ。
息子の俺だってたかが知れている。
「つまらない奴」
「俺は凡人なんだよ。命を常に危険に晒す仕事なんかできるか」
「警官だって命かけるだろ。しかも上の命令で。『もののふ』は自分で仕事を選べるんだぞ、俺は誰かの犬になって体張るのは嫌だな」
だろうな。
束縛されるのを嫌う自由人。こいつは犬というよりは猫だ。
「それより、相談に乗ってくれるんだろ。せっかくカステラ持参で来たのに」
「お、丁度お腹が空いた所だよ」
「馬鹿、山に持ってくる訳無いだろ。お前ん家に置いてきたよ」
「…… 急いで帰ろう」
***
「ところで相談って、色恋の話じゃ無いよな。それだと役に立たないよ」
「そんな事分かってるさ。同じ組の奴が怪異に悩んでてさ。お前の意見も聞きたかったんだ」
山を下りながら俺はようやく相談をはじめたのだが、ふとゾワリと嫌な気配がして全身に鳥肌が立った。
「…… 琉生。ヤバいのがいる」
直ぐさま琉生も目を瞑り、気配を探った。
「…………‼︎ なるほど。晴海、属性は分かるか」
琉生の眼光が鋭くなる。
「おそらく『木』だと思う。霊力は控えめだが、攻撃力が高く、防御力が桁外れだ。それに、体に似合わず動きは速そうだぞ」
「分かった。お前は結界を張って後ろに下がっていろ。何か変わった事があったら教えてくれ」
「了解」
藪がガサガサと音を立て、巨大な何かが転がり出てきた。
俺も琉生も大きく跳躍してそれを避ける。
毛の生えた蛇。
10尺位のその生き物は頭と思われるものをもたげ、ガバリと開いた口をこちらに向けて涎を垂らしている。
「
琉生は、手刀で空中に四縦五横の格子を描く。
「九星九宮……魔を縛り邪を祓へ」
光の糸が網のように張り巡らされ、野槌の動きを封じた。
しかし相手も怯まない。
身体を膨張させ、糸を霧散させた。
飛びあがった野槌は、大きな口で息を吸いながら琉生目掛けて落下してきた。
大きな雪煙があがる。
琉生は…… 空中だ。
もう一度九字を切る。
霊気の出力をあげたのか、空気の震えが一層激しくなった。
「
琉生が唱えると、風がうねり、その中から
男は太刀を引き抜く。
薙ぎ払われた太刀の流れから真っ赤な紅葉が生まれた。
紅葉は吹雪のように野槌を取り巻く。
「
琉生と武士の声が重なる。
紅葉が一斉に炎に変わり明るく燃え上がった。
炎は巨大な蛇に絡みついた。
火はさらに勢いを増して蛇を包み込み、やがて炎の柱のようになった。
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