第7話 食べられる黄金

 人の三大欲求といったら食欲、睡眠欲、性欲。

 でも幼児の頭の中なんて、

『お腹空いた』

『早くご飯食べたい』

『この匂いは何だろう?』

 の三つで大半が説明できたりする。


 一日でも早く成長したい呂青は、父が肉を食べているタイミングを見計らい「アッ! アッ!」と甘えるようにした。

 すると呂布は「青も一口食べてみるか?」といって分けてくれるのだ。


 これを近くで観察していたのは呂琳。

『お肉=旨いもの』という等式が完成しているらしく、呂青に便乗するようになった。


「バーバ!」

「琳も食べたいのか?」

「アッ! アッ!」


 呂琳は食いしん坊モンスターだから遠慮することを知らない。

 当然一口なんかじゃ満足するはずもなく、あの手この手で呂布から食べ物を引き出そうとする。


「あら? 琳が泣いているのですか?」

「こいつ、泣いたら天からエサが落ちてくると思っている」

「可愛いじゃありませんか。よく食べよく寝るのが子供の仕事です」

「確かに……言えているな……」


 こんな調子だから呂布夫妻はたくさん食料を与えてくれた。


 当時の食文化に触れておくと、呂布が暮らしている中華北方ではあわを食べるのが普通だった。

 味は白米ほど洗練されておらず、独特のエグみもあるから、雑穀米に近いイメージだ。


 ところが、時の皇帝(霊帝れいていのこと)が異文化マニアであり、西洋の食を取り入れるようになった。

 その代表格といえるのが小麦を薄く伸ばして焼いたパンである。


 都の人たちも帝を真似てパンを口にするようになった。

 しかもパンが美味しいのは事実なので、第一回パン食ブームといえる現象が地方都市にまで波及していったのである。


 そんなある日。


「英姫、帰ったぞ。胡餅パンを食べよう」


 呂布が買ってきてくれた食べ物を家族四人で囲んだ。

 お皿の上には満月みたいなパンが置かれている。


「親父がハチミツをくれた。人伝ひとづてに聞いた話だが、胡餅パンにつけると美味しいらしい」

「まあ⁉︎ ハチミツなんて貴重品じゃありませんか⁉︎」

「青と琳に食べさせようと思ってな」


 英姫が本気で驚いていることから分かる通り、庶民にとってハチミツは高嶺の花なのである。


 呂青はというと、さっきからよだれが垂れまくり。

 ハチミツといえば栄養満点で、薬としても売買されるくらいだから、大富豪じゃなければ口にできないと思っていた。


 同じ重さの黄金と取引された。

 昔はそれくらい貴重だった。

 いわば食べられる黄金。


 呂琳はハチミツを知らないから小首を傾げている。

 ふっふっふ……あまりの美味しさに度肝を抜かれるといい。


「ほら、琳、舐めてみろ」


 呂布は娘の手をつかみ、指先にハチミツを絡めさせた。

 それを呂琳の口まで運ばせる。


「んまぁっ〜〜〜!」

「美味しいか?」

「んまっ! んまっ! んまっ!」


 喜びすぎて拍手を始める始末だ。


 呂青もハチミツ付きのパンを口に入れてもらった。


「どうだ、旨いだろう。これがハチミツの味だ。山の猟師のご馳走だ」

「んまぁっ〜〜〜!」


 あまりの甘さに頬っぺたが落ちそうになる。

 手足をバタつかせながら床をのたうち回り、独楽こまみたいに高速スピンした。


「英姫も食べてみろ。次にハチミツが手に入るのが何時いつになるか分からない」

「では、いただきます」


 呂布は優しいパパなので全部のハチミツを家族三人に食べさせようとしてくれた。

 呂青がそれに気づいた頃には、容器がほとんど空になっており、残りわずかなハチミツを呂琳が熱心に舐めまくっていた。


 他に残っているハチミツはある。

 呂青が持っているパンのやつ。


「アッ!」

「なんだ、青。俺にくれるのか?」

「アッ! アッ!」

「お前は将来、いい男になるな」


 そんな父子のやり取りを、英姫が微笑ましそうに見守っていた。

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