1-48 絶望

 指を鳴らす音に合わせて、ジルヴェを守るようにどこからともなく敵が現れた。

 一人は背中に剣を携えた細身の青年だった。見た目は若く、僕より少し年上くらいに見えた。全体的に気の抜けた雰囲気を漂わせていて、この場の緊迫した空気を気にせず、けだるそうにあくびをしている。

 もう一人は真っ黒いマントに身を包んだ老婆だった。腰が大きく曲がり、身長が半分ほどに縮んでしまっている。貼りついたような不気味な笑みを浮かべていて、黒目の小さな瞳で僕らを値踏みするように見つめる。

 おそらくあれがストルツァの言っていた四天王の残り二人だろう。武器を見るに、青年の方がレン、老婆の方がウロモリか。明らかに二人とも只者ではない雰囲気があった。

「あんたらには恨みはないが、命令なんでなッ!」

 最初に動き出したのは左にいたレンだった。

「威勢がいいな。そういう奴は嫌いじゃないぜ」

 剣を抜き、一直線に飛び出してきたのを、カジが真正面から受け止めた。力は拮抗しているようで、互角のまま鍔迫り合いの状態で二人が睨み合う。

「ヒッヒッヒ。それじゃあこちらも始めるとするかね」

 ウロモリの方に目を向けると、開いた手の上に魔力の渦が出来上がっていくのが見えた。

「何か来るわ」

 僕とミレナはぐっと身構える。

 渦巻いていた魔力は徐々に形を変え、一凛の花が出来上がった。鮮やかな赤色が黒ずくめのウロモリの姿と対照的に浮いた印象を受ける。

 そして、突然ウロモリの手にあった花が弾けると、それが小さな光の粒となって天井から僕たちに向かって降り注いだ。

「まずい! それを吸ってダメ!」

 ミレナの叫ぶ声が聞こえたときには、すでにもう遅かった。息を吸った瞬間、突然視界が回転するように歪み、足に力が入らなくなって膝から崩れ落ちた。

「こいつは『幻花』と言ってね。私の魔力が籠った花粉をばら撒いたのさ。直にあんたたちは意識を失って、永遠に夢の世界をまどろみ続ける」

 瞼が重く、目を開くことができなかった。このままいつまでも眠ってしまいたいとそんな思いに駆られてしまう。

「ずいぶんと下品な花ね」

 微かに開いた目でミレナの方を見ると、どうやら彼女は無事のようだった。

「何!? あんたも確かに『幻花』の花粉を吸ったはず……」

「いいえ。残念ながら吸う前に凍らせてもらったわ」

 そうか。ミレナの魔法で空中に舞う花粉を凍らせることで無効かしたのか。少し離れた位置にいた僕は先に花粉を吸ってしまったが、彼女は上手く回避していたようだ。

「私がもっと綺麗な花を見せてあげる」

 そう口にしたときにはもう、すでにミレナの氷がウロモリの足元に迫っていた。

「生意気な……」

 恨み言を言い残し、ウロモリは一瞬にして全身が氷に包まれる。そして彼女を飲み込んだ氷はそのまま成長していくように天井へと伸びていき、青白く輝く一凛の花が完成した。

「大丈夫?」

 ウロモリの魔力が消えたことで僕も意識を取り戻し、ミレナに支えられながら何とか立ち上がった。

「えーちょっと婆さん負けんの早くない?」

 依然としてカジとの攻防を続けていたレンがこちらの状況を見てそんなことを口にした。

「よそ見してる場合かよ!」

 その隙を見逃さずにカジが詰め寄るが、その一撃をいとも簡単に止めてられてしまう。一見すると実力は拮抗しているが、どうやらレンはまだまるで本気を出していないようにも見えた。

「やめだ、やめ。終わりにしよう」

 突然レンは降参するように両手を上げた。

「はあ?」

「いや、だって三対一っしょ? 無理だよ、無理。おっさん意外と強ぇし」

 相変わらず手を上げたまま、飄々とした態度で僕らから距離を取るように後ろへ下がる。

 そしてジルヴェの横まで着いたところで、彼に目を向けて軽く会釈をした。

「ってことで、悪いね。俺はここらで失礼するわ!」

 そう言ってくるりと踵を返すと、手に持った剣を部屋の一番奥にある大きな窓に向かって振り下ろす。見事に斜めに切られた窓はバランスを崩して砕け散り、吹き曝しになった部屋の中に外からの空気が一気に雪崩れ込んできた。

「お、おい! 待て!」

 一拍遅れてジルヴェは後ろを振り返るが、そのときにはもうすでにレンの姿はなかった。よくわからないが、どうやら彼は主人を裏切って逃げてしまったようだった。

「これでもうお前を守ってくれる奴はいなくなったぜ?」

 危機的状況を理解して怯えた表情を見せるジルヴェを、僕たちはゆっくりとにじり寄って追い詰める。

「終わりね」

 これで無事に戦いが終わる。あとは残りの異世界ライフを楽しんで、元の世界に戻るだけだ。

 僕は拘束用の縄を取り出しながら、安堵の溜め息を吐く。

「馬鹿め」

 しかし、彼は突然顔を上げたかと思うと、まるでたがが外れて壊れてしまったおもちゃのように笑い出した。そして狂ったように大きく見開いた目で僕らを見つめ、彼はゆっくりと胸元から何かを取り出す。

「それならば、お前ら共々すべてを壊してやろう」

 彼の手に握られたお札のようなものが光り出した。

「いでよ! マンティコア!」

 その呼びかけに応えるように、彼の手の中の光が一気に部屋中を包み込んだ。

 あまりの眩しさに目を塞いでしまった。一瞬の後に目を開くと、視界が妙に暗く感じた。

「これは……」

 いや、暗く感じたのではない。実際に暗かった。僕たちに覆いかぶさるように巨大な影が出来上がっていたのだ。

 その影の発生源を辿るように、視線を上に向ける。

 僕たちの目の前には巨大な魔物が姿を現していた。

「……さっきジルヴェが持っていたのは召喚符ね」

「召喚符?」

「ええ。召喚獣を呼び出すための魔道具よ。あれには術者の魔力が込められていて、簡単な手続きで魔力を必要とせずに召喚獣を召喚できる」

 どうやらこの魔物はその召喚符によって呼び出されたものらしかった。

 ライオンのような身体に羽を生やし、針のように尖った尻尾を携えている。鋭い爪が地面に突き刺さるように立てられ、その体躯はこの部屋の天井よりも大きく、窮屈そうに首をもたげてこちらを見据えていた。

「こいつはマンティコア。ひとたび暴れ出せば千人喰らうまで止まらないと言われるほど凶暴な魔獣さ。高い買い物だったが、こういうときのために買っておいてよかったよ」

 ジルヴェは勝ち誇ったように言った。

「まずいわね」

「ああ。あいつは今までの奴らとは訳が違え」

 しかし、彼が得意げになるだけのことはあるようで、ミレナもカジも今の状況をかなり深刻に捉えているようだった。

「どうする? こいつを倒さないと、ジルヴェを捕まえることは……」

「いえ。むしろ彼の身が危ないわ」

 しばらくの膠着状態が続いたあと、突然マンティコアがその重い身体を動かした。

 薙ぎ払うように放たれた前足を後ろに下がって何とか避ける。しかし、空振りして行き場を失ったその攻撃はそのまま横にいたジルヴェの方へと飛んで行った。

「しまった!」

 直撃を受けたジルヴェは開きっぱなしの窓を抜けて外に放り出されてしまった。

「どうして……」

「召喚符は自由自在に誰でも召喚魔法が使えるような便利な代物じゃないの。基本的には術者自身が召喚の手間を省くために使う程度のもの。召喚魔法は呼び出すことよりも、それを操ることが重要なの。術者以外の人間が呼び出しても、現れた召喚獣は制御不能のまま暴れ回るだけよ」

 つまり、このマンティコアは呼び出したジルヴェの言うことを聞くわけでもなく、ああして見境なく攻撃をする暴走状態というわけか。

「何か対策はないの?」

「召喚符に込められた魔力が切れれば、自動的に姿を消すはず。ただ、その間だけでも相当な被害が出るのは間違いないわ」

 外にはストルツァたちがいるし、街まで出られてしまったら、もっと多くの被害が出てしまう可能性がある。何とかしてここで食い止めなければならなかった。

「一気に畳みかけるぞ」

 幸いなことに、奴はこちらに興味を示しておらず、油断しているようだった。先ほどの攻撃も奴にとっては攻撃というよりも、群がる虫を払うような動きだったのだろう。だからこの隙をついて仕留めるしかない。

「行けぇええ!」

 ミレナが足元を凍らせて身動きを奪い、僕が《あらしのよるに》で目を狙って視界を奪う。そしてひるんだところにカジが渾身の一撃を与えるという算段だった。

 しかし、その目算は見事に崩れ去る。

「なんて奴だ……」

 まずミレナの攻撃はしっかりとマンティコアの足を捕えた。そして《あらしのよるに》が死角を突いて右目に爪を突き立てる。

ところが、寸前でこちらの存在に気付かれると、大きく口を開いて思い切り身体を噛み砕いた。

 すかさずカジが攻撃を加えようと近づくが、固まっていた足をぬかるみから引き抜くようにすっと動かすと、そのまま振りかかる彼を拳で簡単に払いのけた。

「こんなの勝てない……」

 戦いにすらならない圧倒的な強さを前に、絶望感に襲われる。

 そんな僕たちを嘲笑うように、マンティコアはこちらには見向きもせずに、くるりと振り返って窓の外へと飛び去っていった。

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