1-31 望まぬ戦い

「ここだ」

 カジのおぼろげな記憶を頼りに、それらしい部屋の前まで辿り着いた。

「ここが外れならお手上げですね。時間的にそろそろ脱獄が気付かれてもおかしくない」

「まあ四の五の言ってても仕方ねえだろ。開けるぞ」

 カジが扉に手をかけ、ゆっくりと開く。

「いきなり何の用事かしら。ノックくらいしてくれるとありがたいのだけれど」

 部屋に入るよりも先に、中から声が聞こえた。

「ミレナ!」

 ちょうどこちらを振り返るミレナと目が合った。僕は彼女の姿を見て色々な想いが湧き上がってきて、堪えきれずについ声が出てしまった。

「……何故、あなたたちがここへ?」

 しかし、彼女の方は決して歓迎ムードではないようだった。僕らを捉える目は明らかな敵意に満ちている。

「違うんだ! 僕たちはミレナを助けに……」

 うろたえて意識が逸れた一瞬の間で、彼女が目の前に迫ってきていた。そして、喋ろうとする僕の口を塞ぐかのように、手に持った杖を顎に押し当てる。慌てて誤解を解こうとするのを、彼女自身に遮られてしまった。

「大丈夫よ、殺しはしないから」

 冷たい声が耳を撫でた。感情が抜け落ちた、冷酷で敵意に満ちた声。それはミレナからの明確な拒絶であり、話し合う気などないという意思表示だった。

 それでも説得をしようと口を開きかけた瞬間、全身に横からの重力がかかったような感覚があり、そのまま壁に向かって吹き飛ばされた。内臓が押しつぶされてしばらくの間息ができなかった。

「エト!」

 カジが慌てて駆け寄ってきて、身体を起こしてもらって何とか呼吸を取り戻す。

「どうやら向こうさんは本気みたいだな」

 顔を上げてミレナの方に目をやると、まさに次の攻撃の準備をしているところだった。杖の先についた青色の水晶に魔力が集まり、眩い光を放っている。そして、その光に呼応するように、いくつもの氷塊が空中に現れて、彼女の周りを取り囲んでいく。

「ねえ、カジ。ここは僕に任せてくれない?」

 僕は拳を握るカジの手を押さえて言った。

「任せるって言ったって、お前だけじゃあいつは……」

「大丈夫。大丈夫だから」

 よろめく身体に力を入れて、何とか立ち上がる。

 それを待っていたかのように、ミレナは生み出した氷塊を一斉にこちらへ飛ばしてきた。

 隣にいたカジが慌てて間に入って庇おうとするのを、一直線に僕をめがけて飛んでくる氷塊を見据えながら右手で力いっぱい押し返す。

「なっ……」

 いくつかは身体に当たって砕け、その爆風が連鎖的に他の氷塊に波及して、激しい爆発が僕を包み込んだ。

 衝撃をもろに受けて再び部屋の隅に吹き飛ばされる。腕や足には氷の欠片が刺さっていて、全身を切りつけられたような痛みが襲っていた。

 目にかかった血を拭い、喉に絡まった血と嘔吐物の混じったねっとりとした液体を床に吐き出す。

力の入らない手足を無理矢理動かして、気力だけで立ち上がった。

「終わりよ」

 霞んだ視界の中で朦朧とする僕に、容赦ない追撃が襲ってきた。

 もはやどんな攻撃をされているかもわからない。下半身に妙に冷たい感覚があって、おそらく自分は凍らされているのだろうということに気付いた。

「さあ、次はあなたの番ね」

 ミレナは攻撃の照準をカジへと切り替えた。

 放たれた魔力が地面を凍らせながら、カジの方へと迫っていく。

「悪かったよ。お前の覚悟がよくわかった」

 カジは降参を示すように両手を上げて笑った。

「後は頼んだぜ、エト」

 無抵抗の彼の身体が一瞬にして氷に包まれる。

 頭の先まで凍り付き、彼が完全に動かなくなると、戦いの喧騒が消えて静けさに空間が支配される。部屋中に広がった氷が発する冷気だけが音もなく漂い続けていた。

 先ほどまで鬼神のごとき攻勢を見せていたミレナも、その静けさを噛みしめるように呆然と立ち尽くしていた。

 パキッ。

 そんな中で、小さな破砕音が響いた。

 耳をそばだてていなければ聞こえないような、ほんの微かな音だったが、それは僕の耳には確かに届いていた。

 パキッ。パキ、パキパキパキ。

 その音は連鎖し、少しずつ大きな音に変わっていく。

 ちょうどミレナが音に気付いてこちらを向き直った瞬間、張りつめた細い弦を震わせたような優しい高音が部屋中に響き渡った。

「動かなければ、これ以上傷を増やすこともなかったのに」

ゆっくりと、着実に動かしていた右足が、覆っていた氷を砕いて前に出る。その勢いで下半身を固めていた氷がバラバラに崩れ、僕はようやく身体の自由を取り戻した。

「……感謝してるんだ」

 肺から上がってくるか細い空気を絞り出しながら、ミレナに向かって話しかける。

「ミレナが戦い方を教えてくれたおかげで、この世界での生き方を見つけることができた」

 あの山の上からの景色を見たとき、この世界は自由だと教えてもらった。でもそれは結局自由を得る力がなければ意味がない。『唯能』を使い、少しは戦うことができるようになって、僕はようやくその自由を掴む権利を得た。

「ミレナと一緒に旅ができたおかげで、仲間と冒険する楽しさを知ることができた」

 それまではカジに連れられて後ろを付いていくだけだった。四人で同じ目的地を目指して旅を始めたことで、お客様感覚を抜けて、やっとこの世界に参加することができた。

「ミレナと話した夜のおかげで、僕は少しだけ自分の過去を認めることができた」

 弟との思い出を聞き、家族というものを教わった。自分に注がれていた愛情が、どれだけ温かいものだったかをほんの少し理解することができた。

「だから、感謝してるんだ」

 僕に向かって飛んできた攻撃を、あえて避けることはしなかった。小さな氷塊は僕の頬をわずかにかすめ、後ろの壁にぶつかって弾けた。

「私はあなたたちを裏切った」

 次々に向かってくる氷塊は、すべて僕から逸れて消えていく。

「私はあなたたちを利用しようとしたのよ!」

 叫ぶような声とともに飛び出した攻撃は、大きく逸れて虚しく宙空へと消えた。

「ここに来る途中、僕たちと同じように囚われている人たちを見た。彼らはもう救いを求める気力もないほど疲弊していて、すべてを諦めてしまっていた。そんな人たちを横目に、僕たちは自分たちが助かるために、その人たちを無視してここまで来ました」

 目を閉じると、身体を寄せ合う姉弟の姿が鮮明に思い浮かぶ。

「結局僕たちはできることしかできないんだ。助けられる人しか助けられない。ミレナもオサムを助けるために、自分にできることをやろうとしただけでしょ?」

「……それでもだめなのよ。もう私は引き返せない」

 そう言ってミレナは再び魔力を練り上げ、青白い光に覆われる。

 そして、目の前に巨大な氷塊が出来上がっていき、部屋の温度が急激に下がるのを感じた。

「死にたくなかったら、抵抗しなさい」

 そんな脅し文句を聞かされても、決して僕は戦わない。

「大丈夫。ミレナが本気で戦っているなら、こうして僕がまだ立っていられるわけがないから」

 僕のその言葉で、ミレナの心を縛り付けていた最後の糸が切れた。

「どうして……」

 真っ直ぐミレナを見据えていた僕の目が、ようやく彼女の瞳を捉えた。涙をこらえて充血した瞳に、胸の内に秘めていた想いが詰まっているように感じた。

 ミレナが膝から崩れ落ちるのと同時に、部屋を覆い尽くしていた氷が溶けて消えていく。

「一緒にオサムを助けに行こう」

 肩を震わせて俯くミレナに、そっと手を差し伸べる。

「……ありがとう」

 消え入りそうな声で答える彼女の手は、氷のように冷たくて、思っていたよりもずっと頼りなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る