1-2 100人目のお客様

 パンッ! パ、パンッ!

 扉を開けた瞬間、まるで銃撃を受けたように激しい破裂音が耳元で鳴り響いた。驚いて閉じた目を恐る恐る開けてみると、目の前に一人の男が立っていた。

「おめでとうございます!」

 彼はそう言ってこちらに握手を求めてきた。反射的に突き出された手を握ると、彼は満足そうに微笑みかける。

 糸目が印象的な狐顔で、身長は成人男性としては平均的な僕よりも目線が一つ高い。全体的にすらっとしていて、その細みの身体にぴったりと合うスーツを身にまとっている。

 彼の頭には色とりどりの紙吹雪が乗っかっていた。よく見ると足元にはきらきらと光るテープやが一緒に落ちている。どうやら入ってきたときの破裂音はクラッカーが鳴らされた音だったらしい。

「いやはや、おめでとうございます。なんとお客様はちょうどご来店百人目のお客様になります。わが社では現在キャンペーンを行っておりまして、お客様には無料で異世界ツアーの方にご参加いただくことが可能です!」

「な、なんですか……?」

「まあこんなところで立ち話ですから、こちらへどうぞ」

 そのまま握手をしていた手を引かれ、店の奥へと案内される。

 店内は薄暗く、怪しげな雰囲気が漂っていた。狭い店内に物が溢れていて、旅行代理店とは思えないほど雑然としている。

 人がひとり通れるギリギリの間隔で背の高い棚が並んでいて、棚には様々なものが無秩序に置かれていた。本や食器、壺や陶器、置時計、電燈、絵画やよくわからない芸術品の類まで、とにかくありとあらゆるものが入り混じっていた。アンティーク調の古びた雰囲気のものが多く、古物商と言われた方が納得する風景だった。

「うわっ!」

 それらを一つ一つ眺めていると、今度は大きな西洋甲冑のようなものが現れた。突然人が出てきたのかと思って驚いて声を上げてしまう。さらに、その奥には斧や剣、盾などが壁に掛けられていた。

「こちらへどうぞ」

 一番奥まで辿り着くと、そこには小さなカウンターが用意されていた。僕は促されるまま椅子に腰かける。ちょうど向かい側に彼が座り、ようやく少しだけ旅行代理店の様相となった。

「改めまして、この度は見事百人目のお客様ということで、誠におめでとうございます。私はこの店の店長をしております栖原と申します」

 栖原はうやうやしく頭を下げ、胸ポケットから名刺を差し出した。

「ITB……異世界旅行代理店、ですか?」

「はい。私どもはその名の通り、お客様に異世界を体験していただくべく独自のツアーをご紹介しています」

「異世界って、なんかアニメみたいですね」

 ずいぶん突飛なセンスだと思うが、よく海外に行くと人生観が変わるという話も聞くし、異世界というのもあながち間違っていない表現なのかもしれない。

「それではこちらがご契約書になりますので、ご一読の上、一番下にご署名をお願いいたします」

 そう言って目の前に文字が敷き詰められた紙を渡される。約三ページにわたってややこしそうな硬い文章が続いていた。普段から本を読むので活字に抵抗のない僕でも、読むのを躊躇う文章だ。

「いや、そうじゃなくて、違うんです」

 そこでふと我に返る。そもそも僕は別に旅行がしたくてここへ来たわけじゃない。

「どうかされましたか?」

 栖原は不思議そうな顔で僕の方を見る。こんなに店の奥で落ち着いてしまっている状態で、今更冷やかしでここへ来たなんて言えなかった。

「実は、その、バイト募集のチラシを拝見しまして……」

 結局嘘ではないが本当でもないことを口走って誤魔化そうとする。

「なるほど、そうでしたか。それは失礼いたしました。ただ、大変残念なのですが、今は応募ができません」

「え、募集してあるって書いてありましたけど」

「そうですね、募集はしているのですが、あいにく今は応募を受け付けられません」

 いざそう言われると拍子抜けしてしまうが、こちらとしては好都合だった。募集していないのなら仕方ないということで、このまま帰ることにしよう。

「それは残念です……。じゃあ、今日のところは帰りますね」

「ちょっとお待ちください」

 そそくさと帰ろうとする僕を栖原は優しく制止する。

「お急ぎでなければ、ぜひこちらお申込みいただけませんでしょうか? せっかくのご縁ですから、私としても手ぶらで帰っていただくのは残念なのです」

「そう言われても……」

 正直、旅行にはあまり興味がなかった。知らない場所へ行くと、自分の孤独を再確認してしまう気がして、何となく苦手だった。休日に何時間もかけて遠くへ出かけるよりも、家で本を読みながら遠くに思いを馳せる方がいい。

「実はなかなかないことなんですよ。普段は最低百万円からが当店の相場になるので、こうして無料でご招待するというのは今回が初めてです」

「百万円!?」

「はい。厳密に言うと、色々とオプションも付けさせていただくので、同じプランをご購入いただくとなると、ざっと三百万くらいにはなります」

 一端の大学生には考えられないほど途方もない金額につい目の色が変わってしまう。三百万円が無料、というのは、少し話が変わってくるかもしれない。

「せっかくですもんね……」

 とりあえず置かれていた契約書に目を通してみることにする。内容的にはさほど複雑なことは書かれておらず、一般的な契約書と変わらぬ体裁だった。これを見る限り、特に怪しい店ではないように見える。

「ちなみに、期間はどのくらいなんですか?」

「一応こちらで考えるとちょうど一週間ですね」

 長いように感じるが、海外旅行と考えると妥当なところだろうか。

「行き先はこっちで選べるんですか?」

「いえ、あいにくですが、こちらで指定したプランに参加いただく形になります」

「なるほど……。ちなみにどこになるんですか?」

「到着地はウェルデンという街ですね」

 やはり聞いたことのない名前だった。知る人ぞ知る場所なのだろうか。

「わかりました。せっかくなので参加します」

「ありがとうございます。それではご署名を」

 改めて一通り契約書の内容に目を通したあと、末尾に自分の名前を書いた。

「時間的にもちょうどいいですね。それではこちらへ」

 今度はカウンターの隣にあった重たい鉄の扉を開け、その中に僕を案内する。どうやらさらに奥にもう一つ部屋があるらしかった。

 中に入ると後ろで大きな音を立てて扉が閉まる。その部屋は壁沿いにぼんやりとした青い明かりがついているだけで、目が慣れていないこともあってほとんど何も見えない。

 ――もしかしてこれってやばいのでは……。

 一瞬、部屋に閉じ込められたかと思い不安になる。そもそもこんな怪しい店の奥にのこのこ入ってきてしまって大丈夫なのだろうか。しかし、今更どうすることもできなかった。

周りから話し声が聞こえてきたので、どうやら他にも人がいるらしいことがわかった。時間とともに少しずつ目も慣れてきて、ぼんやりと部屋の全体像が見えてくる。

 部屋は真ん中に直径三メートルほどの大きな球体が鎮座していて、それを取り囲むように丸い形をしていた。そこまで広くはないが、天井が妙に高く、中心の球体に沿うようにドーム状になっている。構造的には昔行った天文台を思い出す。

 僕の位置から見えるのは五人。僕と同い年くらいの女の子が一人と、若いカップル、三十歳くらいの男が一人。もう一人は伏せた顔が長い髪に隠れていて、シルエットしかわからなかった。球体の死角になっている辺りから楽しげに話す男女の話し声が聞こえるので、もう二人くらいはいそうだった。

「大変お待たせいたしました!」

 栖原の声が聞こえたかと思うと、目の前にあった球体にぼうっと青い光が灯る。そこには地図が映し出されているようだったが、それを見ただけではどこなのかわからなかった。

「これから皆様を異世界の旅へとお連れします。人も、動物も、景色も、概念も。すべてが異なる世界への旅は想像を絶するほど刺激的なものになることでしょう」

 手を大きく広げ、高らかと口上を並べ上げる。

「ウェルデン! そこは豊かな自然の中に佇む東部随一の交易都市です! そこには世界のすべてが集まると言われています。そんな街で皆様は異世界の何たるかをその目で、その耳で、その心で体験していただければと思います」

 僕は少し不思議に思う。これじゃあまるでこれから旅に出発するみたいだ。

 突然、足元が強い光を放ち出す。何やら部屋全体に魔法陣のような幾何学的な模様が浮かび上がっていた。

「それでは皆様よい旅を」

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