第4話

「そういえば最後まで喋ったのあの狼だけだったなあ」


「兄さんってどうしてそんなに呑気なのっ!? 狼が喋ってたんだよっ!? もっと慌ててよっ!!」


「そんなこと言われても現に喋ってたし。それよりもう平気か?」


 問われて暁は赤くなる。


 本当は狼たちに危害が加えられることがないとわかって、少しすると安心してきて平気だったのだ。


 だが、透が庇って抱いてくれるのが嬉しくて怖がっているフリをしていた。


 言えば怒るかなと思ったので、暁は一応しおらしく言ってみる。


「まだちょっと怖い」


「嘘をつくなっ!!」


 が、透には通じなかったようで、あっさりと腕を離された。


 さすがにムッとする。


「なに? その態度」


「喉元を過ぎれば熱さを忘れる暁が、いつまでも怖がっているわけがないだろっ!! さては途中から平気だったな!?」


 確かに暁は肝が据わっている。


 ちょっとやそっとのことで、いつまでも怖がったり動揺するというのはありえない。


 が、ちょっと冷たすぎないかとも思う。


 あれだけの狼に囲まれても平気な13歳なんていたら、その方が不気味じゃないかと暁は思う。


 ので言ってみた。


「あのね、あれだけの野生の狼に囲まれて平気な13歳っていたら怖くない?」


「普通ならそうだろうけど暁は平気な気がする」


「どんな色眼鏡でボクを見てるの、兄さんっ!!」


 プリプリ怒る暁に透は苦笑する。


 それから律儀に自分たちに付き合って、立ち止まっている顔もみせていない相手を振り向いた。


「あの」


「変なこと聞くけどここはどこ?」


「古王国イーグルの首都アシャンの外れにあるメディシスの森だけど?」


 不思議そうな問いかけに透は傍にいた弟を振り向いた。


「暁、おまえ、そういう国聞いたことあるか?」


「ボクはないね。隆ならもうちょっと色んな国に詳しいかもしれないけど、でも、この状況でここが日本だとか、はたまた瞬間移動しただけで、実は外国のどこかだったっていうのも無理があるから、もしかしたら地球上には存在しない国かも」


 そう判断した理由は遠くに見える街並みである。


 まるで古きよき時代の中世を思わせる街並みが広がっているのだ。



 まあ現代でもそういう街並みの残っている国がないとは言わない。


 だが、一緒にいる人物の服装とか、聞いたことのない国名とか、考えれば考えるほど、ここが地球ではないという理由になる。


 すると傍から不機嫌そうな声が上がった。


「さっきからふたりでなにを言っている?」


 言われてふたりが振り返る。


「実は行くアテがないんだよ、俺たち」


「は?」


「ここがどこなのかは、さっき聞いたけど、少なくとも俺たちは、そういう国は知らないし、俺たちが暮らしていた場所で、そういう国の話は聞いたことがない。それにここにくるまでの体験も常軌を逸してるし」


「どういう意味だ?」


「う~ん。かい摘んで言うと勉強を習うために移動していて、気がついたらここだった? みたいな?」


 透の胡散臭い説明にも相手は怒った顔を見せない。


 ただ考え込むように顎に手を当てるだけで。


 周囲はすでに夕闇に包まれつつある。


 泊まるところもなければ、どうすればいいんだろう。


「『紅の神子』」


「だからあ。さっき狼にも説明したけど、俺はそんな人じゃないってば」


「だが、その眼が……」


 言いかけて相手が唖然と目を瞠った。


 彼はずっと後ろをついて歩いていたので、森の出口付近にきてからは、透を正面から見るのは初めてだった。


 その顔が呆気に取られているような気がして、透は暁と顔を見合わせる。


「あれ、兄さん。いつのまにか瞳が元の色に戻ってるよ?」


「よかったあ。一時的なものだったんだ? さすがにコンタクトでもないのに真紅はなあ」


 実は密かに気にしていた透である。


 あの瞳になってから狼の態度も、この人物の態度も変わった気がして。


「瞳の色がコロコロ変わるなんてありえないっ!!」


「いや。1番そう言いたいの状況を理解してない俺だから」


 呆れ顔になる透である。


 変だと言われても実際にそうなのだから仕方がないではないか。


 なってしまったことをとやかく言っても始まらないと思うのだが、相手にとっては事情が違うようだった。


「だが、マーリーンに言われた場所に行って、真紅の瞳をした『紅の神子』と呼ばれた人物と逢ったんだ。これで人違いというのも」


「あのさ」


「なんだ?」


「さっきから気になってたんだけど、その『紅の神子』ってなに?」


「『紅の神子』とはこの辺り一帯に伝わる伝説に登場する神の末裔だ」


「「神?」」


 ふたりが呆気にとられる。


 現代日本ではありえない説明だからだ。


「戦女神フィオリナの血を引いているとされる伝説の『紅の神子』」


「それって子供ってこと?」


「いや。それは定かじゃない」


 つまり彼らにとってもただの伝説に過ぎないということだ。


 女神の子供かどうかすら伝わっていないほど。


 そんな伝説上の人物と透が人違いされていたのだろうか?


「『紅の神子』の伝説は各国に伝わっているが、このイーグルでは救世主として祭られている」


「救世主」


 どんどん大きくなっていく話に、ふたりは反応を返せない。


「国は今荒んでいる。確実に滅びに向かっているんだ。イーグルには今、どうしても『紅の神子』の力が必要なんだっ!!」


「そんなこと言われても、俺はそんな人じゃないからねっ!! 神様の血なんて引いてないしっ!!」


「だったらさっきの狼たちを一瞬で従えた力は?」


「あれはただ単に向こうが人違いしただけなんじゃ……」


 透の言い返しは弱い。


 そこを突かれると言い返せないからだ。


「それにさっきまでは瞳も『紅の神子』の証である真紅だった」


「今は違うだろう。大体真紅の瞳なんて探せばもしかしたら他にも……」


「いないな。真紅の瞳をもてるのは戦女神フィオリナの血族だけだ」


 戦女神の血族だけ?


 でも、透の瞳は本来、漆黒だ。


 真紅になったのだってさっきが初めてだし、それが本来の瞳の色だとは思えない。


 それでも透が言い返せないでいると、それまで成り行きを見守っていた暁が、我慢できないと割って入った。


「人の兄さんを変な色眼鏡で見ないでよっ!!」


「兄さん? 『紅の神子』がふたりいたのか? だが、おまえの瞳はずっと漆黒のままだし」


 ジロジロとふたりを検分して、相手はポツリと訊ねてきた。


「おまえたち本物の兄弟なのか?」


 グッと詰まって返事ができない透と、不機嫌そうにそっぽを向く暁。


 その反応を見て相手はため息をついた。


「まあいい。人の家庭事情にまで首を突っ込むほど、おれも暇じゃない。とにかく行くアテがないんだろう?」


「え?」


「うん」


「だったらおれのところにこい。『紅の神子』かどうかはおいおい確かめればいいだろう」


「だから、違うってっ」


「だったらのたれ死ぬか? 野宿ができるほど暖かな気候ではないが」


「っ」


 なにも言えないふたりに相手はちょっとだけ笑った。


「おれの名はアスベル。おまえたちは?」


「俺は水無瀬透」


「ボクは水無瀬暁だよ」


「ミナセトールにミナセアキラね。変な名前だな。どこで区切るんだ?」


「いや。水無瀬はただの名字だし。大体、俺の名前はトールじゃなくてトオルだってば」


「トール?」


「だから、トオル」


「だから、トールだろう?」


 何度言っても相手は言えないようだったので、透はそれで妥協することに決めた。


「もういいよ、トールで。どうせ言えないんだろうし」


 嘆息まじりに呟くと相手もムッとしたらしかった。


 いつか言えるようになってやると心に誓う。


 それからふたりを促して首都に向かって歩き出した。


「ところでアスベルさんの家って大きいの? いきなりふたりも連れていって、父さんに怒られない?」


「はあ……」


 この暁の問いには何故かアスベルは盛大なため息をついた。


 ふたりが「?」と顔を見合わせる。


「おれの家については行けばわかる。それから人前ではおれを呼び捨てにするなよ」


「「なんで?」」


「どうしてもだっ!!」


 なんだか怒りやすいタイプらしいと、ふたりは同時に思う。


「それから父上のことをおじさんとか、お父さんとか、そういう呼び方もするな」


「父上?」


 意外な気がした。


 アスベルなら普通に「親父!!」とでも呼んでいそうな気がしていたが。


 するとアスベルが歩く速度は落とさないままに振り向いた。


「おい。今なにか失礼なこと考えただろう」


 ふたりが慌てて首を振る。


「まあおまえが本物の『紅の神子』で、そのことを認めるのなら、別に呼び捨てにしても、父上のことをどう呼んでも、おまえには許されるんだろうが」


「そんなに偉いのか? 『紅の神子』って」


「神と人間ではそもそも比較対象にもなれないだろう」


 なにを当たり前のことをと言いたげな顔で言われ、ふたりは戸惑って口を噤む。


 このままついていくしかないのだが、他に行くアテなんてないのだが、ついて行っていいのだろうか。


 泥沼に入りそうな気がするが。


「それにしてもトール」


「なに?」


「おまえ、念のために訊くが……男だよな?」


「どういう意味だよ?」


「いや。『紅の神子』はずっと女神で通っていたから」


「はあ? 女神ィ?」


 呆れてものが言えない。


「あいにく俺は正真正銘の男だ」


 ムスッとして答えると、フードから覗く片方の目が見えた。


 どこか懐かしそうな色を浮かべた青い瞳。


「それにしては女顔だな。見事なまでの美少女ぶりだ」


「勝手に言ってろ」


 その事実は知っていても改めて言われると面白くない。


「母上……」


 なにか声が聞こえた気がして振り返る。


 だが、アスベルはもう透の方を見ていなかった。

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