第七話「十五夜の追憶」①

山積みにされた書類の処理が終わり、意気消沈している所に珍しいお客さんが来た。


「あー最っ高! ずっと来てみたかったんだよねぇ!」


「ふふっ 気に入ってもらって良かったです。」


「私まで良かったんですか? 吉糸よいとさん」


ふわふわの髪の毛が笑う度に揺れる。向かい側に座っている彼女から良い匂いがしてくる気がした。可愛らしい彼女の姿は疲れ切った私達にとっては女神のように見える。ここは森の中にひっそりと立っているカフェが建っており、以前から火糸糸ちゃんから「このカフェ、行きたい!」と叫んでいたのだ。


「いいんですよ。それと、今回の依頼は私が代行することになったんです」


「んん! ほれ、めっひゃおいひい!」


「火糸糸ちゃん、ちゃんと食べてから喋ってね」


モグモグと口を動かしながら喋る彼女は目をキラキラ輝かせている。彼女の前に置かれたのは一つの大きなパフェ。大粒の苺がたくさん乗っており、下にはアイスクリームやらコーンフレークやらが積み重なっている。見ているだけで口が甘くなりそうな私は、数分前に出された紅茶をすすって口直しをする。


十五夜もちづきさんは? また会議か何かで?」


「えー……っと。それは、この書類を見て貰えれば分かるかと……」


机の上に出されたのは今は見たくない憎き書類。恐らく依頼者の内容が書かれているのだろうけど、あの富士山の如く積み重なった書類を見た後は目を逸らしたくなるのも仕方ないはず。それよりも、言葉を濁して渡して来た吉糸さんの様子が気になってチラッと見るが、困った顔をしている。「美味しー!」とモグモグ口を動かしながらツインテールがふわふわと動いているのを横目に、渡された書類に目を落とした。


「……え。こ、これって、まさか……」


「……そうです。次の依頼者は、十五夜もちづき紫苑しおんさん、本人です」


息が止まった。正常に呼吸しようと思っても、忘れてしまったかのように動かない私の体。聞き慣れた彼女の名前が耳に入って来ない。彼女の名前をもう一度呟き目の前の彼女を見ると、眉を下げてコクリと首を縦に振るだけ。吉糸さんが来るのは珍しいと思っていたけれど、それだけではなかったのだ。


「ねぇ、それって本当?」


「火糸糸ちゃん……」


「十五夜さんって、職員さんじゃなかったの?」


いつの間にか空になった器を端っこに寄せた彼女。私が何も言えずにいる中で的確な質問をする彼女は冷静なお姉さんだ。この質問は吉糸さんを動揺させるには十分だったようで、ふわふわの髪の毛が変に揺れる。目を泳がせて視線を合わせない彼女に「吉糸さん?」と押してみると、「……お話しします」と観念した。


「十五夜紫苑さんは、天保の飢饉の時に亡くなりました。その時の彼女は色々と訳ありで、天界に行かせるか地獄に行かせるか、かなり渋っていたらしくて。でも、天保の飢饉って大量の人が亡くなったじゃないですか。一人にそんな時間を割くわけには行かず、仮の天界行きにして職員として働いていた、と言ったところでしょうか」


「そうなんですか……」


「職員さん達って、やっぱり訳ありなの?」


「まぁ、そうですね。私もその一人なので」


苦々しく笑って答えた彼女は、自分のことは聞いて欲しくないらしい。スッと目を逸らす吉糸さんも生きている間の方が苦しかったのだろう。私と似たようなものかもしれない。それよりも十五夜さんのことを聞いて、本当にこれから依頼を遂行しないといけないのか、と気が重くなる。今まではほぼ赤の他人で初めましての人だったので気兼ねなく話を出来たのだが、私達のことを詳しく知っている人となるとどうすれば良いのか分からない。


「ちなみに、内容は何?」


「それは、この書類を見てください。私から言えるのは、それだけです」


私の手にある書類の束を指差して、微笑んだ。頑張って笑みを崩さずにいるのが分かってしまう辺り、彼女自身も気が気ではないのだろう。これからどうなるのか、そもそも私達がこの依頼を引き受けるかどうか。胃が痛くなるような思いをしている彼女に対して断る選択肢は無いけれど、内容を見るためにページをめくった。


「『早艸そうそうの所へ連れて行って欲しい』……これだけ、ですか? と言うか、この早艸さんって誰のことで……」


「早艸さんは、あなた達もよく知っている方ですよ」


「よく、知っている方? それって……」


「左寺さん、とか言わないよね?」


嬉しそうにパフェを頬張っていた彼女だと想像出来ない程の低い声。彼女はかなり左寺さんに好感を持っていたので嫌なのかもしれない。しかし、前回会った時のあの人は確実に私を通して違う人を見ていた。まさかそれが、十五夜さんだっただなんて勘違いであって欲しい。


「そうです。早艸さん、もとい左寺さでら雨彗うすいさんの所へ連れて行ってあげてください。私からもお願いします」


願った私の思いはすぐに打ち壊され、目の前で頭を下げている吉糸さんを見ていると心が痛む。まさか、自分達に関わっていた二人に関係があるなんて。こんな事、誰が考えただろうか。隣で口を閉ざしている火糸糸ちゃんは眉間にしわを寄せている。場違いに流れる音楽や人々の話し声が遠くに聞こえてくる程、この話は現実味を帯びていない気がした。そもそも何故、彼女が一緒にお願いしているのだろうか。


「あの、何で吉糸さんがお願いするのですか? そこまで親しいとは思えなかったんですけど……」


「十五夜さんは、私がこの世界に来た時に初めて出会った人です。……あの、クソみたいな世界からやっと抜け出せた私に優しく声をかけてくれたのが、彼女だったんです。いつかお礼をしたいと思っていましたが、やっとその時が来たんです」


「でもさ、依頼を遂行するのは私達なんだけど?」


「それは……分かって、います。でも、私に出来るのは、ただ頭を下げてお願いをする事だけなんです。だから、お願いします」


一度は顔を上げて私達を真っ直ぐに見つめていたが、もう一度頭を下げた。目を潤ませている彼女を見て、心がキュッと締め付けられる。私達だってお世話になっている十五夜さん。初めて私に優しく話しかけてくれた人だったのを覚えている。


誰かの痛みに寄り添うことが出来る彼女は私のサポート役として本当に助けられた。そんな彼女からの依頼は普段からでは出ないはずだった切実な願い。拳をギュッと握り締めて「……分かりました」と自然と声が出ていた。


「十五夜さんの依頼、受けます。すぐにでも彼女をここに呼んでください」


「あ、ありがとうございますっ……すぐに呼んできます!」


パタパタ……とペタンコ靴の音が小さくなっていく。勢いよく立ち上がったからなのか、椅子は少し違う方向を見ている。それを見つめながらこれからの事を考えていると、「いいの? これで」と隣から聞こえてくる。


「この前会った左寺さん、様子おかしかったじゃん。絶対に心艮を通して十五夜さんを見ていたと思うんだけど」


「……そう、だね。でも、少しくらいはお返ししてもいいじゃん?」


「ふーん、そんなもんかねぇ」


私の事を心配しているのだろうけど、興味ないふりをする彼女は素直じゃない。興味ない人には興味あるように振る舞うのに。毎日一緒にいると分かるようになって来たので何とも思わないが、きっと今回も一緒に来てくれるのだろう。「あ、これもう一つお願いしまーす」と通りすがりのウェイトレスさんに声をかけていた。「お客様はどうされますか?」と聞かれたが、首を振って断った。


「それ、ちょっと見せてよ。どーせ頭に入れておかないと大変な事になりそうだし」


ん、と言って手を差し出す彼女は片手にスプーンを持って新しいパフェが来るのを待っているらしい。その片手間に読むと言うのだから、緊張感が薄れてしまう。私は「汚さないでね」と言って渡すと、「分かってるよ!」と口を膨らませていた。風の音に混じっペラペラと紙をめくる音が聞こえる。私も読まないとな、と思っていると一つのページで手が止まった。


「ねぇ、心艮」


「なに?」


「本当に、十五夜さんを助けたいと思う?」


「そりゃあ、ね。それがどうかしたの?」


スッと差し出された書類は数枚先に進んでおり、彼女の読む速さに驚いた。しかし、手渡された紙に目を落とすと思わず「え?」と声が漏れる。


「本当に、助けるの?」


何かを訴えかける目で火糸糸ちゃんはジッと見つめる。まるで、『考え直せ』と言われているようだ。数ページ先に書かれていたのは十五夜さんの生前の話。そして、何故彼女は仮の天界行きで職員をしていたのかが書かれていたのだ。勝手に読み進める自分の目が恨めしく思ってしまう。そして、最後まで読み切った時に出た言葉は……

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