第六話「こおりがし」②

「……ん……し……ん……心艮!」


「……あ、れ。ここは?」


「良かったぁ……! ここは医務室だよ。念のために設置されたって言ってたけど、本当に良かった……」


遠くから呼ばれる私の名前、いや、名前なのか?私の本当の名前は違うから何と言えば良いのだろう。消えていた記憶が頭の中に流れ込んだのが分かってからは『心艮』の名前に反応出来る気がしない。混乱している私の横で半泣きになっているのは火糸糸ちゃん。綺麗にメイクをしているのに、涙で大変な事になっている。


仰向けになったままの私は何とか体を起こして周りを見渡す。簡易的な作りではあるが、白を基調にした家具や棚の中にはいくつか医療関係の物が置いてある。死んだ後の世界なのにこんなのを作るなんて、本当によく分からない所だ、と見当違いなことをぼんやりと考えていた。


「ちょっと待ってて! 今、十五夜さんに電話するから!」


私が起きた事について気を取られていたのか、ハッとしたように思い出す火糸糸ちゃん。自身の小さいカバンからスマホを取り出してカカカッとリズミカルな音で入力していくのを見つめていると、ガラッと勢いよく扉が開く。


「し、心艮ちゃん……! 起きれて良かった……!」


「十五夜さん……」


扉から登場したのは髪を振り乱して来た十五夜さんだった。私が倒れる前にも似たような場面を見た気がするのだが、それとは比にならないくらい髪もボサボサで汗だくの様子。息を切らしているのを見ると、全速力で走って来たのだろう。夢の中の私とは正反対なこの現実に皮肉を感じてしまう。


「はっや! さっきメッセージ送ったばかりじゃん!」


「そ、そのくらい心配だったのよ! 居ても立っても居られないから、会議抜けて来たわ!」


「そ、それは大丈夫なのでしょうか……」


会議を抜け出すなんてドラマの中だけじゃないんだなぁ。きっと大事な内容を話していたはずなのに良かったのかな、と心配して声をかけるとグッとこちらに親指を立てて見せた。


「問題ないわ! だって、心艮ちゃんの話だったもの」


「え、私、ですか?」


「そうよ。早速聞くけど今回の依頼、どうする?」


「は? 無理に決まってんじゃん! 十五夜さんも見てたでしょ? あのままじゃ心艮から減った恨みが増えるだけだって!」


「分かってる。その事についても話をしていたの。流石に早すぎたんじゃないかって。でもね、これは心艮にとっても乗り越えるためのチャンスだと私は思ったわ」


「でも! その人に会ったとして、また心艮が同じようになったらどうするの⁉︎」


激しく繰り広げられる討論に私は聞いているだけのお客さん状態。自分のことなのに、彼女たちに任せっきりなんて情けない。私の事を気にかけてくれる友達がいて、それでも私はこの状況を乗り越える必要があって。どうすれば良いのかなんて悩んでいる場合じゃない。意を決して互いの意見をぶつけ合っている二人の間に入るように「あの!」と大きい声を出す。


「わ、私、この依頼、やります」


「はぁ? 心艮、自分が何を言っているのか分かってる?」


「分かってるよ」


「それなら尚更許せないね。絶対行かない方が良い」


「うん、火糸糸ちゃんの気持ちも分かる。でもね、それでも私は行かないといけない。向き合わないといけない時が来たの」


憎むべきは世間では無かった事を、依頼主の人々が教えてくれた。あの世にもこの世にも、何処かで苦しんでいる人がいて。そして、それを助ける人とそれに助けられている人がいた。誰もが死んだ後に後悔するのではなく、どうやって前を向こうかと必死に考えている人ばかりだった。


火糸糸ちゃんも、自分の生前について向き合っていたと思う。本人は逃げているつもりかもしれないけど、私からしたら十分に自分の行いに向き合っていた。今、隣で真っ直ぐ私を見つめる彼女に私は言葉を続ける。


「私、ね。きっと、悲しかったんだと思う。誰にも愛されず、誰も愛せずに生きて来たから。心が温かくなる感覚を忘れていたの」


「心艮……」


「ある小説にね、書いてあったんだ。怒りと悲しみは似ているって。私はきっと、悲しかったから、淋しかったから。世間を、あの世界を憎んでいたの」


キュッと手を握ると微かに震えていた。チラッと手元を見ただけなので分からないが、自分の心を曝け出す事にまだ恐怖があるのだろう。しかし、今からそれに打ち勝つ必要があるのだ。私の話を真剣に聞いている彼女は「はぁ」とため息をつく。飽きられたかな、と自分の心が締め付けられたが彼女が言ったのは意外な言葉だった。


「分かったよ。じゃあ、私も付いて行く。そうじゃないと行かせないからね?」


「火糸糸ちゃん……あり、がとっ……」


「ちょ、何で泣くのよ! ほら、さっさと涙拭いて!」


差し出されたティッシュを何枚か取って涙を吸い込ませる。すると、ニュッと生えて来た手が同じように数枚ティッシュを取っていた。その腕の先を見ると、十五夜さんも同じように涙を拭いていた。「ううっ よ、良かったねぇ……!」と何故か泣いている彼女を見て、私と火糸糸ちゃんは顔を見合わせる。「ふはっ」と漏れた笑い声は医務室の中に響いた。


普通なら医務室で煩くすると怒られるが、死んだ後の世界でここに来る人は早々いない。笑っていても誰にも咎められないけど、泣いている十五夜さんには怒られた。


「はーあ、笑った笑った! んで? 私達、これからどうすれば良いの?」


「ぐすっ……そ、そうね! まず、このまま依頼を続ける事をさっきの会議で話してくるわ。ちょっと待ってて!」


溢れる涙を拭き切ったのか、手に持ったティッシュをくしゃっと丸めて勢いよく出て行った。バタバタと走って行く音が小さくなると、医務室の中が騒がしさが薄れる。私と火糸糸ちゃんの二人きりになると少し気まずい。


何というか、面と向かって彼女と話をしたのが初めてだったのだ。この沈黙をどうするべきか、と悶々としていると「あのさ」とツインテールの彼女が口を開く。


「私、これでも心艮のこと、心配しているんだよね」


「そ、そう、なの?」


「当たり前じゃん。……心艮、大変な人生を送っていたんだね」


「まぁ、ね」


自分の人生を振り返ることなんてしようとは思わなかった。彼女の様子からして、十五夜さんから私の話を聞いたのかもしれない。名前を聞いて生前を思い出し、取り乱していたら誰だって気になる。私も彼女の生前の話を聞いてはいたが、どう考えても私とは似ても似つかない人生を送って来ていた。


目を伏せて真っ白なシーツを見つめている彼女は、まさにクラスの人気者タイプ。陰で虐められていた私とはすれ違うことはあっても、こうして仲良くなるとは限らない。


「それでも私と、一緒にいてくれるの?」


「何言ってんの、当たり前じゃん」


「……でも」


「もー! でもじゃない! 私が一緒にいたいと思うんだから、それで良いじゃん!」


バンッと布団の上を叩くとベッドが揺れた。その衝動で私も同じように揺れたのでビックリして「そ、そう?」と声が裏返ってしまう。いつも自分の思った事をストレートに伝える彼女が言葉を濁す事に首を傾げていると、ヒョコッと開きっぱなしのドアから一人顔を出した。


「話は終わったかなー?」


「は? ちょっと、話聞いていたの⁉︎」


「さぁ? 心艮ちゃんのことが大好きなんだなーって思いながら見てただけだよ!」


「さ、最初から聞いているんじゃない! この性悪!」


ニタニタと笑っている十五夜さんは私達の会話を盗み聞きしていたらしい。ふふふ、と笑っている姿を見ていると火糸糸ちゃんの本心に気づいているのかも。ポカポカと腕を軽く叩いている彼女の姿を見つつ、「あの、私のことが大好きって……」と聞いてみると「あれ、分からない?」とキョトンとした。


「この子ね、あなたが倒れた時に一番焦っていたのよ。運ばれた後も、まだ仕事中の閻魔大王様の所へ走って行って怒鳴って暴れたんだから大変だったのよー?」


「そ、そんなことが……」


「あー! そんなこと、もうどうでも良いじゃない! ほら、早く今回の依頼について話してよ!」


「はいはい、仕方ないわねぇ」


顔を真っ赤にして止めに入った彼女だったが、それすらもヒラリと躱す十五夜さん。何というか、長い時間をいるだけあって手慣れている。私が倒れた後の話なんて気にも留めなかった。自分のことで手一杯になり、パニックになっていた私をそこまで想ってくれていたとは。それにしても、閻魔大王様の所へ直接行って抗議するなんて。流石、行動力の塊と言ったところだろうか。


「えーっと、あ、これね。改めて話すけど、今回の依頼主は遠野とおの遣人けんとさん。享年五十三歳。生前は特に問題を起こしていないのと、死因を考慮して天界行き。依頼内容は、『今まで迷惑をかけた愛……もとい、心艮に謝罪をしたい。償いをしたい』だそうよ」


「都合の良いおっさんね。吐き気がする」


「ま、まぁそこは置いといて……あの、死因は何だったんですか?」


「飛行機の墜落事故よ。日本へ帰国する途中で飛行機の不具合により墜落してそのまま、ってところかしらね」


ペラペラと手に持った書類をめくっては解説をしてくれる彼女はあっけらかんとしている。私の隣で舌を出しベーッとしている火糸糸ちゃんは分かりやすく嫌な顔をした。

彼女らしいと言えば彼女らしいのだが、出来れば依頼主の前でその表情はして欲しくないなと願うばかりである。いざ会うとなると、まだ心臓がバクバク激しく動くが隣の彼女がいるだけで自然と勇気が出る。


「分かりました。すぐにでも天界へ向かいます」


「無理しなくても良いのよ? 前回みたいに急を要する依頼でもないし」


「いえ、待っていられないので。私のカバンって……」


「ここにあるよ」


ヒョイっと手に持って見せた火糸糸ちゃん。いつも私が使っているカバンを持っている彼女は少し得意げだ。わざわざ持って来てくれたのかな、そう考えると心がほんわかとする。手渡されたカバンを受け取り、「ありがとう、火糸糸ちゃん」と言うと照れているのか「ほら、行くよ!」と言って席を立った。


「あらあら、また照れてるぅ」


「う、うるさい! 先行ってるから!」


自分のカバンを持って彼女は出て行った。このセリフだけ聞くと怒って出て行ったように聞こえるが、耳まで赤くした彼女を見ているとそうではないのが分かる。ケタケタと笑っている十五夜さんもなかなか肝が座っているようで、あの火糸糸ちゃんを上手に扱っているなぁとちょっと思ったり。私も釣られて笑っていると、「……いいなぁ」とボソッと呟く彼女は何処かで寂しげだ。


「あの、十五夜さん?」


「ん? どうかしたー?」


「あ、その、なんて言うか……悲しそうだなぁって」


私の言葉に一瞬動きが止まった。ツインテールの彼女が去って行ったドアを見つめたまま止まっている動きと表情。もしかして聞いてはいけない事だったかな。血の気がサァッと引く感覚がしたのだが、彼女は私を見る時には微笑んでいた。


「そうね。私も、早く乗り越えなきゃなぁって思っただけよ」


「え、それはどういう……」


「ちょっと、心艮! 早く来てよー!」


遠くから聞こえた大きな声はきっと廊下中に響いているだろう。だって、ベッドから動いていないのに聞こえてくるのだから。タイミングよく聞こえた彼女の声に精一杯の大きな声で「分かった!」と返事をする。話の続きを聞こうと「あの……」と声をかけると、いきなりパンっと手を叩いた。


「ほら、火糸糸ちゃんが待っているわよ! 早く行ってあげて!」


「あ、はい……」


「カバン持って、スマホは? あ、この書類も持って行ってね!」


次から次へと物を渡し、ベッドの座ったままの私を急かすように立たせる。少し休んだからか体が軽く感じるのを他所に、彼女のその態度が気になって仕方なかった。ジッと見つめていると、「ん? どうした?」と優しい声色で聞いてくれる十五夜さん。


彼女も向き合わないといけない過去があるのならば、一体どんな内容なのだろうか。自分の好奇心のままに動きたいのだが、そんなことをしては彼女を悲しませるだけだと自分に言い聞かせる。


「いえ、ありがとうございました。行って来ます」


「はいはーい! 終わったら報告書、よろしくね!」


出入り口のドアに向かい、出る時に振り返った。何か言った方が良いのか、そんなことが頭の中に過ぎる。立ち止まった私を不思議そうな顔をして見つめる十五夜さんは首を傾げた。


「あの」


「うん?」


「早く、乗り越えられると良いですね」


意を決して言った言葉は伝わったかは分からない。でも、恐らく同じ立場であろう私が言える言葉はそれだけだ。彼女の反応が怖くて見れなかったので、急いで頭を下げて「失礼します」と言い立ち去った。未だに私を呼んでいる火糸糸ちゃんの声が響いている。早くしないと他の人からの視線が痛いので足を早めた。


「そう、だね……乗り越え、られるかなぁ……」


医務室に一人取り残された彼女が呟く言葉はそのまま空間に溶けていく。空気の一部として誰かに吸われる言葉は必要な人に届くべきだ。死んでも後悔する、死んでから後悔する。この二つの違いに悩まされる彼女には必要な言葉だったのだろうと、後から思うのだった。





ここまで天界へ行くことで気が重くなることは今後ない気がする。初めて天界へ行く時に感じた気持ちとはまた別物で、腹の底で何かがモゾモゾと動く感覚がするのだ。それを先程火糸糸ちゃんに話したところ、「一種の緊張じゃない?」と言われた時には腑に落ちた。


軽快な音と共に開いた扉から誰も出て来ることはなく、二人で入って行く。いつも通り『天界行き』と書かれたボタンを押すと重そうなドアが閉まった。


「……今回の依頼主のことなんだけどさ」


「うん」


「もう恨んでないの?」


「……分かんない」


隣に立っている彼女の顔が見れない。自分の領域に入って来るのは正直居心地が悪い。でも、こうして二人でいると自然と「大丈夫かな」なんて思ってしまうのだ。そんな彼女からされた質問に私は曖昧に答えるしかなかった。だって、本当に分からないから。


乗り越えるとは言ったが、果たしてそれが恨んでないかと言われたら素直に首を縦に振れないのだ。許すことと自分の中で納得することとでは話が変わって来る。ヴォーンと低い機械音が響く中、沈黙は続く。素直に答えるべきか悩んでいると、火糸糸ちゃんが先に口を開いた。


「別に、まだ恨んでてもいいんじゃない?」


「え?」


「だってさ? その人、直接助けてくれた訳じゃないんでしょ? 今まで散々酷いことされて来たのを『知らなかった』の一言で済ませるなんてありえないよ」


言葉の節々から伝わって来る彼女の怒りはきっと私のことを思ってのことだろう。言っていることはごもっともであり、反論は出来ない。『そんなこと知らなかった』その言葉が免罪符になると思っている人間は何人いるだろうか。罪意識のない悪意ほどタチの悪いものはないと誰かが言っていた。


それがいざ自分の目の前に立ちはだかった時、心の底から『許します』と言えるだろうか。得体の知れない黒くドロドロしたものが自分の中で混ざり合う。


「その時、考えるよ」


「ふーん、そっか。あ、でも私一発殴っちゃいそうだから気をつけてね」


「そ、それは困る!」


ハハッと笑った彼女は「冗談だよ」と言っているが、とてもじゃないけど思えない。声の低さと言い、本心がうっかり漏れてしまったかのように見える。私の答えには適当に返す割りにはこうして緊張をほぐしてくれているのは本当にありがたい。きっとこれから先も今みたいに気の利いた返しをしてくれるんだろうな、と思うと自然と笑みが溢れた。


「なーに笑ってるのよ! ほら、もう着くから準備して」


「うん、分かった」


チラッと私を見て頬を突いて来る火糸糸ちゃんはやはりお姉ちゃん。ちょっと前にお兄ちゃんがいると聞いていたので末っ子気質かと思いきや、意外と頼りになる。そんな事言ったら拗ねてしまうので心の中で留めておくけどね。

ヴォーンと鳴っている長方形の箱はゆっくりとスピードを落とす。最近ではこの感覚で到着が分かって来た。読もうと思っていた書類をカバンの中に入れていると、チーンと音が鳴った。


「さーて、今回はどんな、所、へ……」


「火糸糸ちゃん? え、ここって……」


鉄の扉が開いた先を見た彼女は言葉を詰まらせて固まった。まだカバンの中を見ていた私は中身が出ないように閉めて視線の先を見る。それと同時にフワッと外から風が吹き、どこか懐かしい匂いがした。一歩、また一歩と惹き寄せられるに外へ出るとそこに広がっていたのは一面の黄色い絨毯。


「これ、一体いくつあるの……」


横から聞こえて来た声に同意する。私達が出された場所はだたっ広い丘の上。その丘の上には無数のヒマワリが植えられていた。太陽に向かって懸命に咲いている姿は人を魅了するには十分であり、所々違う品種の花が植えられている。


花の匂いも微かにするが、夏の匂いもする。天界では珍しい夏の気候なのだろうか。長袖を着ているので体温管理が心配になったが、死んでいる身なのでほとんど暑さを感じない。


「あ、あんな所に小屋がある」


「え? 本当だ。もしかして、いや、もしかしなくてもあそこが依頼主の家、とか?」


私が指差す先にポツンと立っている小屋があった。森の中にある八重菊さんの家を思い出したが今回は花に囲まれた中にひっそりと建っているだけ。嫌でも目に入るそれに近付くか悩んでいると、「あら、心艮ちゃんじゃない」と後ろから声をかけられる。


「あ! 左寺さんだー!」


「ふふ、火糸糸ちゃんも相変わらず元気そうね」


「左寺さんも元気そう、ではない? ちょっと顔色悪くないですか?」


そうかしら、と微笑む彼女の肌はいつもより白い。太陽の真下だからなのかな、と考えていると私の方へ向き直った。


「心艮ちゃん、色々大変だったんですって?」


「え? あ、まぁ、そうですね……」


「でも、今からそれを克服するために行くんですよ!」


「……へぇ。そうなの」


ヒュッと心臓が冷たくなる感覚。左寺さんの隣で明るく説明している火糸糸ちゃんの笑顔が固まった。だって、ニコニコと微笑んでいた笑顔が一瞬にして消えたから。あの時と同じ表情。暖かい場所にいるはずなのに、心臓が掴まれるような感覚に冷や汗が止まらない。口を開こうとしても上手く声が出ないので鯉のようにパクパクと動くだけだ。しかし、左寺さんは私に一歩また一歩と近づいて来る。


「別に、克服しなくてもいいんじゃない?」


「え?」


「だって、その人も心艮ちゃんに酷い事をしたのでしょう? そんな奴ら、許す必要ないわよ。乗り越えなくたって、ずっと恨んでいればいいのよ。ねぇ、そう思わない?」


口角をぐいっと上げて笑う姿は美しい彼女の容姿には似ても似つかないもので。今目の前にいる人は別人じゃないかと思いたくなる。背筋にツーっと垂れる感覚がする物は暑さのせいではない、はず。私に触れるか触れないか程度の近さで舐めるように見て来る。「わ、私、は……」となんとか口を動かした時、誰かにぐいっと引っ張られた。


「あの、もう私達行かないといけないんで。それじゃ、失礼します」


一方的に言い放って私の腕を掴んだまま歩き始めたのは火糸糸ちゃんだった。さっきまで左寺さんに会えた事を嬉しそうにしていたのに。私に向けられた異常なまでの空気はすぐに変わって「そう、残念」といつも通りに微笑むお姉さんがいた。


私は何も言えず、とりあえず頭を下げて引っ張るツインテールを見つめるだけ。その彼女の横顔は切羽詰まっているようで、「ごめんね」と何故か謝られた。

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