第四話「蜜月を過ごして」①

「恋人ぉ?」


「うん。火糸糸ちゃんって私より年上じゃん? 恋人とかいたことあるのかなぁって」


「えー……まぁ、一人や二人はいたことあるけど……てか、何でこのタイミング?」


「はい、どうぞ」


バサッと火糸糸ちゃんの前に出したのは書類の束。いつも通り私達は十五夜さんに呼び出され、今回も依頼があるからと駆り出されたのだ。毎回のことながら、突然部屋に入って来るのを辞めて欲しい。二人で部屋の中でオセロをしていたのだが、突如バンッと開く扉に何度驚いたことか。


暇な時間が多い私達はよく二人でゲームをしたり、この前行き損ねたカフェに行ったりと死んだ後の人生を楽しんでいるのだ。そんな時間を突然邪魔しに来るのでちょっと苛立っていたりする。まぁ、そんなこと言わないけれど。


「これ、今回の依頼者? めっちゃおじいちゃんじゃーん!」


「その人、婚約して以来ずっと他の女の人と付き合っていなかったんだって」


「え? それマジ?」


私がコクリと頷くと、「すげー!」と叫んで書類をパラパラめくって行く。今回の依頼者は私達よりも一回りも二回りも年上のおじいちゃん。書類に載っている写真では真っ白に染まっている頭にシワが顔にいくつも刻み込まれている。

歳をとっていると言うことは見て分かるが、何というか、綺麗に年齢を重ねているんだなぁと写真越しに伝わって来る。誰かを好きになった覚えのない私にとっては、何故一人の女性をそこまで愛することが出来るのかが不思議だった。


「てか、この人って太平洋戦争で死んでいるんだね。人生の大先輩じゃん!」


「あれ、そんなこと書いてあった?」


「ほら、ここに」


ペラペラとめくっていた火糸糸ちゃんは書類に視線を落としたまま私に言った。確かに戦死とは書いてあったが、そこまで詳しく見ていなかったらしい。手渡された書類を再度確認してみると、そこには確かに『太平洋戦争により戦地へ赴き戦死』と書かれていた。

授業でしか習ったことのない戦争を体験した人と出会うのか。本を読んでいたこともあって正直聞きたいことが山ほどある。しかし、聞くに聞けない気もするのだ。何というか、触れてはいけないガラス玉のような。


「本当にあったんだね、戦争って」


「まぁ、ね」


「死んでから実感するなんて、皮肉過ぎない?」


椅子を少し浮かせてバランスを取りながら動かしている。ギィギィと音が出るこの椅子が私の代わりに返事をしているようだ。死んでから、実感する。そんなこと山ほどある。何人か手助けはしてきたけど、自分が生きている時よりも理解出来たことが多いのは事実。それをもっと早く知っていたら私の人生は変わっていただろうか。


ありもしない事を頭の中で考えていると、「あ、そうだ!」とピョンっと椅子から立ち上がった火糸糸ちゃん。少し浮かした状態からよくそんな事が出来るな、と変なところで感心していると部屋の出入口へと向かう。


「どこ行くの?」


「えー? そりゃあ、左寺さんの所よ! どうせ今回もお世話になるんだから、先に会っておこうって!」


「えー……別に、自分達で探せば良くない?」


「いいじゃんいいじゃん! ほら、心艮も一緒に行こうよ!」


出入り口までるんるんで歩いて行った彼女は渋る私の袖を引っ張る。しんみりしていた空気は何処へやら。気乗りしない私に向かって「ほらぁー!」と駄駄を捏ね始めたので、開きっぱなしになっているドアから何人も中を見ている。この部屋の前を通るたびに目が合うのは気が滅入るので、「分かったよ……」と仕方なく許可をした。


「やった! じゃあ、早速行こ! 今すぐ行こう!」


「はいはい、準備するから待っててね」


世のお子さんをお持ちのお母さん達、あなた達は凄いですよ。こんなやり取りをきっと毎日しているのでしょう? 私には耐えられません。火糸糸ちゃんは私より年上なはずなのに、こんな時は子供のようになる。末っ子だったのかな、と思い書類やら色んな物を支給されたカバンに入れた。


「ねぇ、もしかしてお兄ちゃんかお姉ちゃんいた?」


「え、何で分かった?」


「いや、何となーく。よし、じゃあ行こうか」


ソワソワが抑えきれない火糸糸ちゃんは私の周りをちょこまかと動いており、ヒールの高い靴の音が鳴っていた。私の質問にピタッと止まって不思議そうな顔をしていたので、本人は無自覚なんだろうなぁと声に出しそうになる。必死に言葉を飲み込んで適当にあしらい、左寺さんの元へと向かった。


道中、火糸糸ちゃんはすれ違う人に話しかけたり、付き合った男の人の話を私にしていた。とは言っても、記憶のカケラが少しずつ増えていっているだけなので断片的だったが、「まぁ男なんてピンキリだよね」と何かを悟ったことを言っていた。遠くを見つめているので、あまり深くは聞かない方が良いかなぁと思い「そうなんだね」と相槌を打っていた。


そんな話も長くは続かず、エレベーターに乗ってからは左寺さんに会うことがどれほど楽しみなのかと散々聞かされた。現代でも通じる程の美人である彼女は、儚い雰囲気纏っている。今にも消えてしまいそうな女性を見ると、こんな人がきっとモテるんだろうなぁと感じるのだ。火糸糸ちゃんの話を聞きながら頭の片隅で考えていると、待っていたエレベーターがチーンと音を立てて開く。誰も乗っていないと思い二人で乗ろうとすると、ドンっと誰かにぶつかった。


「痛っご、ごめんなさい! 私、全然前見てなくて!」


「え、あぁ、大丈夫ですよ」


私より少し小さいくらいの女の子、もとい女性が頭をペコペコしながら謝る。ふわふわの髪の毛は癖毛なのだろうか。動く度に揺れるのでまるで子犬のよう。私も数センチのローファーを履いているので少し身長を盛っているが、彼女はスニーカーに近い靴。元々そんなに背が高くないのかな、と思いながら「顔を上げてください」と冷静に伝えた。


すると、「あ、ありがとうございます……」と言いながら顔を上げると、半泣きになっていた。何やら訳ありっぽい気がするが、今はそれに気を取られている場合ではない。


「あ! い、急がないと怒られる……! じゃあ、私はこれで!」


腕に付けている時計を見て顔を青ざめさせた彼女。手にはいくつか書類のような物を持っていたので、ここの職員さんだろう。しかし、ここの職員さんっていつも忙しそうだ。ここではゆっくり過ぎている時間でも現実世界では物凄い速さで進んでいる。そのせいなのか、死者は続々とあの世であるこの世界にやって来るのだ。ウサギのように走って行く彼女を見送りながら、「職員さんって、どんな死に方したんだろう」とふと疑問に思った事を言葉にした。


「え? 職員さんも死んだの?」


「あれ、聞いてないの? そうじゃないと辻褄が合わないじゃん。私達も死んでからこの世界に来たんだから、閻魔大王様とかじゃなければそうなるんじゃない?」


「あー確かに。って、あ! エレベーター閉まっちゃう! 早く早く!」


開いていた扉が閉まろうとしているのを急いで手で止めた火糸糸ちゃん。現世と同じように手を入れたら反応するらしく開き直した扉。彼女に急かされるがままに誰も乗っていない四角い箱の中へと入った。


『天界行き』と書かれたボタンを手慣れた手付きで押す。すると、いつもと同じ音が聞こえて来たので後は上に着くのを待つことに。依頼人に会いに行く事と左寺さんに会いに行く事をメインにしているので、エレベーターは何処に出るのだろうか。乗った人が行きたい所へ着くとは聞いているが、二つも目的があるのだ。純粋な疑問が出て来る。


「そう言えば、依頼者のおじいちゃんの依頼内容ってどんなの?」


「読んでないの? ほら、もう一度見せるから自分で確認して」


「はいはーい」


ゴソゴソとカバンの中から書類を取り出し、「丁寧に扱ってよ」と手渡す。受け取った火糸糸ちゃんはペラペラとめくりながら鼻歌を歌っている。この前の件については何も突っ込んではいないのだが、前より楽しんでいる気がした。ふとした時に見せていた冷めた姿も彼女の一面なのだろうが、そんな姿も見なくなった。心を開いてくれているのか、それとも吹っ切れたのか。隣でるんるんしている彼女の考えは本人にしか分からない。


「これ、また現世に関与しちゃうやつ?」


「そうなるね」


「ふーん。『元・婚約者の元気な姿を見たい』ねぇ。健気って言うか、ここまで来ると一途って言葉だけでは表現出来ないよね」


「会ってみないと分からないよ、きっと」


一途、と言われればそうかもしれない。誰かをずっと愛していることは難しいと誰かが言っていた。紙をめくる音が箱の中で響く中、彼女の言葉を心の中で繰り返す。生前、たくさんの愛を受けていた彼女が愛情深い人間に育ったとは言えないし、だからと言って私のように愛を一欠片も貰えなかった人が誰かに愛情深くなるとも言えない。

しかし、初めての依頼で出会った不良少年の桃草霞さんも親から愛情を貰えずに育ったのだが、一人の女の子を守るために命を張れたのだ。あれも一種の愛の形だろう。


「その前に左寺さんに会うんだからね! 忘れないでよ!」


「分かってるよ。あ、もう着くからそれ返して」


チラッとエレベーターの上の方を見た。もうそろそろ着くと言わんばかりにピカピカと光っている『天界行き』の文字。変な所で現実的と言うか、アナログと言うか。先程まで真剣に考えていたことが抜けてしまったようだ。返された書類をカバンの中に入れていると、チーンと軽い音が聞こえる。その音の直後にウィーンと扉が開き、一目散に火糸糸ちゃんは出て行った。


「うわ、すご! 今度は森の中?」


カバンの中に入れた後に私も降りると、風に乗って香って来る緑の匂いと土の匂い。キョロキョロと見渡してみると、見たことのある景色だった。いつもなら山の近くとか、何処かの道の途中に出されることが多い。今回のように森のど真ん中に通されたのは前回の時と同じ気がする。


「ここ、私来た事あるかも」


「え、そうなの? じゃあ、依頼者と左寺さんの場所は近いって事?」


「さぁ? それは分からないけど、前回の依頼で図書館に行ったの。そこの近くに似ているなぁって」


「へぇ。じゃあ、その依頼者が図書館で働いてるかもしれないって事だよね」


恐らく彼女の推理でほぼ間違ってないだろう。彼の情報が書かれている書類の中に、『今は働いてはいないが趣味で小説を書いている』とあった。目を通した時に入って来た内容だったので忘れていたが、この景色を見てサラサラ髪の彼女を思い出す。

言葉には出さないけれど、同じ事考えていたりしないかなぁと思い火糸糸ちゃんを見る。ツインテールを揺らす女の子は見ていた書類を手に持ったまま辺りを見渡している。すると、「あ!」と嬉しそうな声を出して走り始めた。


「左寺さーん! やっぱりいた!」


「あら、心艮ちゃんと火糸糸ちゃん。もう来たのね」


「はい! あれ、私達が来るの知ってたんですか?」


「そうよ。あ、もしかしたら会わなかったかしら? 身長低めで黒髪の癖っ毛の女の子」


火糸糸ちゃんのお尻から尻尾が生えて来そうだ。ニコニコの彼女は駆け寄った先にいる左寺さんが放った言葉に私にぶつかった女性を思い出す。


「もしかして、私より少し身長の低い方ですか?」


「そうそう! 彼女、毎回私にあなた達の事を教えてくれるの。ほら、この前話した閻魔大王様の秘書の秘書の子よ!」


「あぁ、あの子が……」


左寺さんの話を聞いて納得する。いかにも気が弱そうな女の子だった気がする。容姿からして幼く見えるのだが、私より年上だろう。火糸糸ちゃんのようにしっかりした雰囲気ではないのだが、少し気の弱い優しいお姉さんと言った感じだろうか。あくまでも私の感覚なので確証はないが。


私と左寺さんだけで話が成立しているのを見て、火糸糸ちゃんは「ねーえー? 私、それ知らないんだけどー?」と頬を膨らませている。可愛らしいな、と思ってしまった私はだいぶ度胸がついて来たらしい。


「そんな女の子がいるって話よ。ほら、今日も依頼者を探しているのでしょう? 今回は一体、誰かしら?」


「えっとねー、八重菊やえぎく春秋はるあきって言うお爺ちゃん! 左寺さん、知ってる?」


「あの方が? ……そう、珍しい事もあるのね。分かったわ、案内するね」


表情を崩さない彼女が目を見開いた。いつもニコニコしているのが通常である左寺さんが?と一瞬驚いたのだが、詳しくは聞かない方が良さそうだ。だって、瞬間的に見えた彼女の表情は浮かなかったから。

私達の返答を待たずして、「こっちよ」と歩き始めた。土の上に緑の葉っぱが敷き詰められているからなのか、葉の擦れる音が聞こえる。重苦しい雰囲気に今すぐ逃げ出したい気持ちを抑えながら歩いていると、明るい声が響いた。


「左寺さん、このお爺ちゃんと知り合いなの?」


「まぁ……そうね。一応、知り合いよ」


「へーえ。その人、ずっと一人の人を想っているんでしょ? めっちゃ凄いよね!」


「そうね、私には出来ないわ」


いつもよりも少し冷たく聞こえる口調は気のせいだろうか。左寺さんの声色に気づいているのかいないのか、火糸糸ちゃんは「確かに難しいですよね!」と同意する。私達の前を歩いているお姉さんはこっちに顔を一切向けない。さらさらと揺れ動く黒髪をじっと見つめた。どんな表情で、どんな事を思っているのだろうか。ほんのカケラだけだが、ニコニコしている彼女の皮を剥がした気がした。


「さ、ここよ。ごめんなさいね。私、今日他の予定があるからここで失礼し……」


「あれ、君は雨彗うすいくんじゃないか」


彼女が指差した先に見えたのは小さな山小屋。ウッドデッキが付いているその小屋は和風テイストが多い天界では見かけない雰囲気を醸し出していた。すると、森の中から出て来た一人の男性が『雨彗うすいくん』と呼んだ時に反応したのは左寺さんだった。

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