第三話「切れた糸の行方」①


友達って、何だろう。


ふとした瞬間に思い出すこの悩み。いや、悩みと言うよりも議題に近い。何を基準として、何の価値があるとして、友達を作るのか。生前そのような物が一人もいなかった私にとって永遠に出ることのない課題である。では、何で今このような事を考えているかと言うと、それは目の前にある一枚の紙切れを読んだから。そこには、『今回の依頼、私は参加しないから』と書かれていた。誰の字かは分からないが、依頼に参加する、と言ったら一人しかいない。


「え、今回心艮ちゃんだけなの?」


「あ、十五夜もちづきさん」


椅子に座ったままの私は呆然とペラペラな紙を見つめていた。それを偶然通りかかった彼女が声をかけて来たのだ。ちなみに彼女は、前回から私達の面倒を見てくれているお姉さん。前回の鏡を勝手に使った時に説教されたばかりだ。そんな彼女はいつもいるはずの火糸糸ちゃんがいないことに気付いたらしい。私を見た時には一瞬眉尻を下げたのだが、私が彼女の質問に頷くと「あら、そうなの?」と目を丸くしていた。


「今回は参加しないらしいです。まぁ、強制ではないので何も言えませんが」


「そう……でも、ちょっと意外だったわ」


「意外?」


「えぇ。だって彼女、いつも誰かと一緒にいるじゃない? まるでクラスの人気者って感じだったもの」


言われてみれば、と初めてその時思った。私とは正反対であろう彼女に対して、妬み僻みは一切出て来なかった。死んでいるからなのか、私がそう言うことに興味を示さないからなのか。答えは分からないが、常に誰かと話をしているイメージの強い彼女が自ら一人を選ぶのは初めてだ。


「まぁ、それでも依頼はありますから。今回も天界にいる人なんですよね?」


「そうよ! 今回の依頼人はね、かなり大人しい子なの。今は図書館で働いているわ」


「図書館……」


久しく聞いていないその単語が耳に入った時脳裏に過ったのは、辺りを焼き尽くすような真っ赤な光とそれに微かに混ざる橙色。そして、その中に一人本の中へ文字通り入り込むように顔を埋める一人の女の子。伸ばしたままの黒髪は結ばれておらず、手入れもされていないのが伺える。一心不乱に本を読み漁る彼女はまさしく本の虫。彼女にとって本の中は、ただ一つ色付いた世界であったようで。


「……ん。……ご……んちゃん、心艮ちゃん!」


「え?」


「ちょっと、大丈夫? いくら話しかけても反応しないから焦ったよ……」


「あ、すみません。それで、何でしたっけ?」


何処か別の所へ飛んでしまっていたのか、何度目かの呼びかけでやっと気づくことが出来た。何の話をしていたのか、頭が真っ白になってしまった私。何事も無かったかのように振る舞って彼女の話の続きを促した。


「今から会いに行く子の話よ。九蘭くらん香雪こゆきさんって子。そう言えばあなたも本が好きって言ってたわよね? それなら話が合うんじゃない?」


「まぁ、そうですね。とりあえず、その図書館に行ってみます」


「そうしてあげて。今回は一人だから心細いかもしれないけれど、頑張って! あと、彼女に関する書類はここに置いてあるやつだから。じゃ、終わったら報告書お願いね!」


十五夜さんが指差した先には一つにまとめられている紙の束が綺麗に置かれていた。いつも思うのだが、彼女は丸いものも四角くするタイプのようで、かなり几帳面だ。火糸糸ちゃんとは正反対だよな、と思った。こんな時にでも彼女の事を思い出す自分に驚きつつも、恨みが浄化されて来ている証拠なのだろうと考える。


それにしても今回一人で天界に向かうと聞いてからは少しだけ気が重い。人に話しかけるのが苦手な私にとって、道を聞くと言う方法が消えてしまった。


「……まぁ、何とかなるか」


外から聞こえてくる何かを作っている音や話し声が静かな部屋に響いている。目の前にある書類を手に取り、いつも通り天界へ行くためのエレベーターへ向かった。


歩いている最中に読もうと思ったのだが、人と何度もぶつかりそうになったので仕方なく手に持った。以前までは職員の人に好奇の目で見られていたが、非日常も慣れれば日常になるらしい。たまに視線は感じるけれど、それ以上にここでの業務に追われているので私に構っている暇はないようだ。


忙しそうに駆け回っている彼らの間を縫うように歩いて行き、目的のエレベーターに着く。タイミング良く来ていたようで、誰も降りてこない事を確認してから乗る。他に乗り合わせる人はいないようだったので『天界行き』のボタンを押してすぐに書類をめくった。


「『九蘭くらん香雪こゆき、享年二十歳。死因はアルコールを多量に摂取した事によるアルコール中毒。生前は大人しい性格であり、大学生の時には何度か飲み会でアルコールを強要される。一度は逃れたが、二度目で逃げる事が出来なくなり、アルコールを一気飲みして死亡。普段から酒に慣れていなかったためだと考えられる。今回は生前、一度だけお酒の強要を助けてくれた友人にお礼を言いたい』……アルコール、中毒かぁ」


私は成人する前に死んでしまったので、アルコールがどんな物かは全く分からない。小説の中では楽しんで飲むもの、はたまた自分を律する事が出来なくなるもの、と書いてあった気がする。そして何より引っかかったのはツインテールの彼女。あの子の死因もアルコール中毒だったはずだ。確認する事はないけれど、もしかしたら因果関係があるかもしれない。


そんな期待をして数枚の紙をペラペラと何度もめくっては文字を目で追って行った。三周目に差しかかった時にチーンと軽い音がする。無機質に響いていた機械音が消えて行き、開いた扉から流れて来たのは葉っぱが擦れる音。一歩外に出れば、例の如くエレベーターが消えた。


「ここは……山の中?」


時々耳に入ってくる鳥のさえずりと、所々入ってくる木漏れ日はまさに平和な世界を感じさせる。辺りを見渡すと、そこに広がる木々は肌に優しく触るか風に揺らされている。二回も天界に来ているのだが、毎度違う場所へ出されるのだ。この前不思議に思って十五夜さんに聞いた所、「乗っている本人が行きたい所に連れてってくれる事があるのよ」と言っていた。本当にそうなら死後の世界凄いなぁ、と呑気に思いながらどっちに進むか悩んでいると、聞き慣れた女性の声がした。


「あら、また迷子かしら?」


「え、左寺さん? 何でここに……」


「言ってなかったかしら? 職員さんに毎回頼まれているのよ、あなた達のこと」


「あ、そうなんですか」


振り返ると両手を前に添えて微笑んでいる彼女がいた。あまりにも会う回数が多いので思わず聞いてしまったのだ。それでも変わらず笑みを絶やさない彼女に少し気味の悪さを感じてしまうのは私だけなのだろうか。


「今回は一人なの?」


「えぇ、まぁ。あの、事情を知っているのでしたら『九蘭香雪』さんの事は……」


「もちろん知っていますよ。あちらの図書館で働いているわ。案内しましょうか?」


「えー……と、そう、ですね。お願いします」


前回同様、案内を申し出た彼女に対してどう受け答えすれば良いのか一瞬、言葉に詰まってしまった。火糸糸ちゃんのようにスムーズに会話が出来ればいいのに、とこれ程までに羨んだ事はない。「じゃ、私に付いて来てね」と言われたので適当に頷いて隣ではなく後ろから付いて行くことに。私より背の少し高い彼女の頭を見ながら彼女について考えた。悪い人でないことは分かっている。ただ、何と言うか、形に出来ないような、底知れない何かを感じ取った。


「そう言えば心艮ちゃん。あなた、その藁人形に籠っている恨みは浄化されているの?」


「まぁ、そう、ですね。何でそんなことを?」


「ごめんなさいね。この前、閻魔大王様の秘書の……秘書?の方が言ってたのを聞いたのよ」


「そうだったんですね。これには意思が無いらしいので害は無いですよ」


ふわふわ浮いている藁人形を突いてみる。何も反応が無いのを見ていると、ふふっと柔らかい笑い声がした。


「心艮ちゃん、優しいのね」


「いや、その」


「興味本位で聞いてしまって申し訳無かったわね。ほら、あそこがお探しの図書館よ」


何故私を優しいと言ったのか彼女の意図は分からなかったが、半歩先を歩いていた左寺さんはチラチラとこちらを見ながら話しかけてくれた。その行動からも彼女の優しさを感じる。森の中から微かに見えたのは、和風な天界では少し浮いている橙色のレンガ。洋風チックなその建物の全体像が見えてくると、「もう大丈夫そう?」と聞かれた。


「あ、はい。わざわざありがとうございます」


「いいのよ。私も、好きでやっている事ですから」


「またね」と言って軽くお辞儀をした左寺さんは、再度にこりと微笑むと背を向けて去って行った。礼儀正しいと言うか、現代には無いお淑やかさを感じられる。私もいつか彼女のように微笑んで暮らせる日が来るようになるのだろうか、なんて思いつつ例の図書館へ足を運んだ。


西洋の建物のような見た目をした図書館からは、何も聞こえない。入り口であろう扉の前に立つと、ドアの横には『天界図書館』と書かれた一枚の板。和と洋が混ざり合っているのか少し違和感がある。扉の目の前でまで来て開けようとすると、心臓が大きく鳴る。どくん、どくん、全身に響く音に手が震える。


「何、してんだろ」


はぁ、と軽く息を吐いて頭を横に振る。考えていたも仕方ない。今は頼まれた依頼を終わらせなければ。頭の中に巡っていた考えを振り払ってドアノブを握った。ギィ、と音が鳴り中へ顔を少しだけ出す。するとそこには、壁いっぱいに敷き詰められた本があった。誰かが歩いている音と紙をパラパラめくる音が響いている。少しでも声を出せて響いてしまいそうな程に静かな中に足音を立てないように入る。


「あら、お客さんだわ。何か御用かしら?」


「えっ あ、私のこと、ですか?」


「もちろんよ。他に誰もいないでしょ?」


ふふふ、と手を口元に添えている女性が後ろから声をかけて来た。今日はやたら後ろから話しかけられる気がする。嫌では無いけど、良い気はしない。戸惑う私を怪しい目で見ることなく話しかける彼女は心が綺麗なのだろう。私より少し背の高い彼女は、落ち着いた格好をしている。地味でもなく、派手でも無いその服装はまさに図書館司書だ。


「そうですよね、すみません。実は、九蘭香雪さんと言う方を探していまして……」


「あぁ! 香雪ちゃんのお友達?」


「あ、いえ、そうではなくて……」


「あらあらあら、そんなこと言わないで! ほら、彼女の所へ案内するわ!」


ガシッと私の手首を強く握った女性はそのままグイグイ引っ張った。「え、あの、その」と言葉が上手く出てこない私はされるがままになっている。何とか足を動かして彼女のスピードについて行くと、私が履いているローファーの音が響く。その間は鼻歌を歌いながら連れて行っている後ろ姿を見て、火糸糸ちゃんを思い出す。格好は似ても似つかないのにな、なんて自嘲する。


そんな事を長時間考えたくなかったので、周りを見渡した。私以外にも数人、利用者らしき人はいるがこちらには目もくれない。自分の世界に夢中になってるのだろう。私も同じようなものだったから分からなくても無い。響いて跳ね返る靴の音、本のページをめくる音、図書館独特な匂いに唯一楽しかった生前の記憶を思い出される。白黒の世界に色が付いていたのは本の中だけだったから。


「いたいた! 香雪ちゃん、お客さんよ!」


「はーい……私に、ですか?」


小さめの声、とは言っても静まり返った室内では目立つ音量。数人がこちらを見た気がしたのだが、すぐに視線を本の中へと落としていた。彼女が声をかけた女性は、黒髪に所々焦げ茶色の髪をしており、肩まで切り揃えられている。髪を染めて伸びてしまったのだろうが、サラサラと髪が流れている。線が細い彼女は片手で分厚い本を数冊持っているのを見て、意外と力があるのかな、と頭の中で考えた。


「そうよ! そもそも図書館にお客さんなんて珍しいからはしゃいじゃったわ! じゃ、ごゆっくり!」


止まらないマシンガントークは一方的に切り上げられ、少しだけあるヒールの音を立てて去って行った。何というか、嵐のような人だったな。去って行く後ろ姿に向かってお礼を言うと、九蘭香雪さんが「あの……」と申し訳なさそうに声を出す。


「あ、すみません。いきなり押しかけてしまって」


「いえいえ、大丈夫ですよ。もしかして……その、私がした依頼の事だったり……」


「えぇ、もうお話は聞いてるので軽く確認だけしようかと思いまして。でも、ここだとちょっとあれなので、外にでも……」


周りを見渡すフリをすると、察してくれたのか「じゃあ、外でお待ちください!」とにこりと微笑んだ。柔らかい雰囲気を持っている彼女は手に持っている本を持ったまま何処かへ行ってしまった。そう言えば図書館や本屋で働いている人って案外力仕事であるって聞いたことあるような。スタスタと何事もないように去って行く彼女を見てそんなことを思い出していた。彼女に言われた通りに外へと足を向けた。


歩いている間に良さそうな本がないか少しだけ目を動かす。視線を感じることのない場所は珍しい気がして心が躍ってしまう私はまさに本の虫に相応しいかもしれない。見慣れないタイトルに見たことのない言語。どれを見てもつい手を伸ばしてしまいそうで、何とか自分を律して任務に戻ろうとするのを繰り返す。


「またここに来れたらいいんだけどなぁ」


名残惜しいと思いつつ、近付いてくる出口へと足を運んで行く。溢れた独り言は誰に拾われることなく、ドアノブを回して外に出た。扉を開けた後にフワッと感じる爽やかな風にほっとした。ここに来る時にベンチが一つあったのでそこで座っていれば良いかな、と考えてそこへ向かう。公園によくあるようなベンチは少し廃れているのか所々ペンキが剥げている。ゆっくりと腰を下ろして空を見上げた。

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