第二話「臍を噬む彼ら」②



「……あ。あれって……」


「ん? あ! あの人じゃない?」


彼女達の間から見えたのは、燃えるように赤い髪色と、太陽か光かに反射してギラギラ輝く銀色のピアス。一度見たらなかなか忘れられないであろうその姿を火糸糸ちゃんは指を差した。


「あら、あの子は確か……」


指を差した先にいた人を見て、首を傾げる左寺さん。私達が探していた人ではないけれど、彼もあの書類に書かれていた中の一人だ。そして、私達が探していた人、とは違ったもう一人の男性だった。


「水掛愛翔、さん?」


「……あ? 誰だ、お前ら」


自分にだけ聞こえる声で言ったつもりだったのだが、離れている彼の耳には届いていたようだった。しゃがんで作業をしていた彼は、片方の膝を地面に着けて薪を拾っている途中だったらしい。彼から感じる視線は、以前会った桃草霞さんのような物ではなく、相手を威圧しているのがひしひしと伝わってくる。


「え、聞こえてたの? 耳、めっちゃ良くない?」


「彼があそこにいるってことは、近くに水掛静人さんがいるはずなのだけれど……」


「そうなんですか? ……って待って待って、こっちに向かって来ているんだけど?」


離れた所にいた彼は、隣で流れている小川の向こう側にいる。しかし、そんな事は関係ないと言わんばかりにズカズカとこちらへ歩みを進めてくる彼の表情はかなり険しい。流石の火糸糸ちゃんも戸惑っているようで、私と彼を交互に見ている。


私達の間にあった小川を靴のまま渡って来た。びしょびしょになっている靴によって水があちこちへ飛び散っている。そして、大きな声を出した火糸糸ちゃんに向けて……ではなく、名前を読んだ私の目の前で足を止めた。


「お前、誰だよ? 何しに来たんだ?」


「私は心艮しんごんと言います。今回は、あなたとあなたの叔父様からの依頼で来ました」


「はぁ? 依頼? 俺、そんなの頼んだ記憶ねーけど?」


見上げる彼の目つきで何人が逃げたのだろうか。お手本のような吊り目に加えて特徴的な三白眼に威圧されたら何も言えなくなってしまうのが普通だろう。しかし、私には何も響かないので淡々と説明を続けた。


「水掛静人さん、あなたのご親戚の方から依頼されたのです。この依頼にはあなたも関係しているのでお話をしています」


「いや、そんなこと知らねーって言ってるだろ? いい加減にしてくんね?」


春の気候のはずなのに、彼からはひんやりと冬の風を感じる。怯まない私に苛立ちを隠せないようで、頭をガシガシと掻いている。これ以上話をしても無駄になってしまうのかな、と思っていると遠くから「おーい!」と目の前にいる彼よりも低い声が聞こえた。声のする方向へ振り返ると、手を振りながら走ってくる一人の男性が。


「すみません、少し離れてる隙に問題を起こすなんて思ってもなくて…… えっと、もしかして今回依頼を受けてもらった方ですか?」


「はい、心艮と申します。水掛静人さんですか?」


「そうです、わざわざありがとうございます。それで、どんな流れで……?」


「そうですね、とりあえず今からお話するので待っててもらってもいいですか?」


体格の良い彼は「もちろんです」と言って再度頭を下げた。耳に入る彼の言葉遣いと見た目とのギャップに少々驚いたのだが、礼儀正しさに釣られてこちらも畏まってしまう。すると、小走りでこちらに近づいて来た火糸糸ちゃんが耳打ちする。


「ねぇ、私達が探していた人ってこの人?」


「うん。あれ、左寺さんは?」


「『見つかったなら私はお役御免ね。また、何処かで会いましょう』って言って帰っちゃったよ」


彼女の真似のつもりなのか、似せたように声色を変えている。少し似ているとは思ったのだが、いつもは誰にでも話しかけに行くのに今日はヒソヒソと話しかけて来たのだ。今回ばかりは怖いと思ったのだろうか。そんなことを頭の片隅で考えつつ、スカートのポケットの中に入れていた書類を出して、確認する。


「えっと、まずは水掛静人さん、あなたが今回の依頼者ですね。親戚である水掛愛翔さんに幼馴染の女性の様子を見て欲しくて依頼された、と。以上でお間違いないですか?」


「はい、そうです。私が直接関わってはいないんですけど……それでも大丈夫ですかね?」


「もちろんですよ。では早速依頼を……」


「おい、おっさん。俺はそんな依頼なんて協力しねーぞ」


スムーズに話が進んでいる、と思いきや。私と水掛静人さんのやり取りを一刀両断したのは真っ赤な髪の青年だった。青年とは言っても、私と年はそこまで変わらない。穏やかな春を表しているここの雰囲気を彼一人でぶち壊すことが出来そうだ。それほどまでにガラの悪い彼に話しかけたのは叔父だった。


「愛翔、いい加減にしなさい。死んでもなおその態度を取るのか」


「別に関係ねーだろ? 俺はあんなクソみたいな世界とおさらば出来て清々してんだ。これ以上、あの世界に何のようがあるって……」


「この依頼が、華凛ちゃんのことでもか?」


この場を去ろうとしていた水掛愛翔はピタッと動きを止めた。水掛静人さんの目は、ジッと彼を見つめている。女性の名前が出て来たのだが、もしかして今回の内容に関係あるのだろうか。重苦しい沈黙に場違いな鳥のさえずりが響いている。ホーホケキョと聞こえたその音は、ここが天国であることを思い出させる。しかし、目の前で繰り広げられているのは文字通り地獄の空気。


「あいつが、どうしたってんだよ」


「いつもお前の事気にかけてくれていただろう? 彼女は絶対にお前の事を悲しんでいるに決まっている。俺のバカな弟よりもな」


「はっ そんなの知ったことかよ。俺には関係ないね」


それじゃ、と手を軽く振って振り返る事もなく来た道を戻って行く。ジャブジャブと音を立てながら小川を横切り、薪が落ちている所へ歩いて行った。私と火糸糸ちゃんは二人のやり取りをただ見つめることしか出来ず、「あ、あの……」とやっと口を開いたのは数分経ってから。


「あぁ、すまないね。わざわざ来て貰ったのにこんな事になってしまって」


「それは大丈夫です。ただ、水掛愛翔さんがいないと出来ないことですので、どうしましょうか」


「そう、だな…… 少しだけ、お話でもして行きませんか?」


「お話?」


「うん、お話。ここの近くに新しく出来たカフェがあるんだ。そこで甘い物を食べながら僕の話を聞いてくれるかい?」


定位置に戻った自身の甥を見つめていた彼は、すぐに笑顔を見せた。先程までの会話では低めの声で話をしていたのだが、私達にはワントーン高めの声で謝ってくれた。何というか、大人の男性という言葉がピッタリな彼。と言うより、あの世にカフェってあるの?と思いつつ「分かりました」と返事をして彼に付いて行った。


「ねぇ、お兄さん。天界ってカフェがあるの?」


「そうだよ。地獄は分からないけど、天界にはカフェ以外にも意外と現世と変わらないんだ」


「へー凄い!」


私が思っていた疑問をぶつけた火糸糸ちゃんは、険悪な雰囲気を忘れさせるような明るさで話しかけていた。やはり、彼女がいると周りの雰囲気が変わる。無い物ねだりだとは分かっているが、私も目の前にいる女の子のように明るく振る舞える日が来るだろうか。私の前を歩いている二人は談笑している。それを見つめながら。カフェ行くの初めてだなぁとふと気づいた。あれ、私、現世の記憶が、戻りつつ……


「心艮! なーに難しい顔してんの? 眉間のシワ、やばいよ?」


「え?」


「ほら、笑って笑って! 今から甘い物食べれるんだよ? これほど幸せなことないでしょ?」


意識が何処かへ飛びそうになった時、声をかけて来たのは紛れもない太陽……ではなく、火糸糸ちゃんだった。眉間にシワが寄っていたらしい私は、「うん、ごめんね」とぎこちなく微笑む。眉の間をグリグリと押して来る彼女は、仲良くなった印だろうか。いつの間にか聞こえなくなった水の音の代わりに、賑やかな話し声が聞こえて来た。


「ほら、あれが最近人気のカフェだよ」


彼が指差した先に見えたのは、外にも席が置かれている可愛らしいカフェ。色とりどりのパラソルが見えた。所謂、お洒落なカフェと言われる場所に私は場違いではないのか、と一瞬戸惑っていたがそんな事を知らない彼女はズンズン進んで行った。


「うわー! めっちゃオシャレ! 天界にこんな所あるならまた遊びに来よっと!」


目をキラキラ輝かせてスキップをしている様子を見ると、現世でも行っていたのかもしれない。カフェと釣り合う格好をしている彼女を微笑ましく見ていると、遠くから「静人さーん」と声が微かに聞こえた。


「誰か水掛静人さんを呼んでません?」


「え? 俺には聞こえないけど……」


二人して周りを見渡すが、姿は見えない。おかしいな、私の空耳だったのか?そんな事を考えつつBGMが流れている中で耳を澄ませると、再度同じ声が聞こえた。しかも、そこそこに大きい声で。


「静人さーん!」


「あ、聞こえましたよ」


「本当だ。一体何処から……」


「静人さん! こっちです!」


かなり近くまで来たのか、声量が更に大きくなった。それでも周りを見渡しても見当たらない。山を切り開いた所にあるここでは、ほぼ一本道になっている。そのため普通ならばその道から来るのだろうが、そこには誰もいないのだ。そして、ガサガサと何かが出て来る音がする方向を見ると、「こんちわ!」と言って一人の少年が飛び出して来た。緑が広がる山の中から出て来たのはこれまたカラフルな頭。綺麗にピンクに染められた少年は山の中から出て来たとは思えない軽装だった。


「あれ、かけるくん? どうしたの、こんな所で」


「お休み中にすみませんっす! 実は、愛翔さんが他の奴と喧嘩を始めてしまって、止められないんすよ! 助けてください!」


「あいつ……! 分かった、とりあえず、その場所へ連れて行ってくれ」


「はい!」


手を大きく動かして身振り手振りで伝える翔と呼ばれた青年は、即座に指示した水掛静人さんに従った。私達と少し離れてキョロキョロしていた火糸糸ちゃんはこっちの異変に気付いたようで、小走りで近寄って来た。


「何かあったの?」


「どうやら水掛愛翔さんが喧嘩を始めたらしいよ。今から向かうらしいんだけど、私も行くつもり。火糸糸ちゃんはどうする?」


「そんな事あったの⁉︎ もちろん私も行くよ!」


「分かった。静人さん、私達も一緒に向かいます」


「了解。ただ、あいつは暴れたら本当に危険だから離れてて。いいね?」


「了解です」


焦っている、と言うより『またか』と言いたげな水掛静人さん。頭をガシガシと掻いているが、私達と青年に的確な指示を出している辺り大人だと実感させられる。「じゃ、走るからね!」と言った途端、一気に彼と私達との間に差が出来た。見た目通りと言うのか、あっという間に置いていかれた。私と火糸糸ちゃんも追いつけるように懸命に足を動かす。死んでいるのに、息を切らして必死に走っている。何とも不思議な感覚だ。


横では「ちょっと速くない⁉︎」と叫んでいる彼女はまだ余裕そうだ。高い位置で結ばれているツインテールは激しく揺れ動く。水掛静人さんが豆粒の大きさから等身大まで追いついた時、そこはかなり騒がしかった。暴言が飛び交うだけでなく、喧嘩をしている彼らに向かって野次が飛んでいる。


「おい、何してるんだ! 止めろ!」


「やべっ 静人さんだ!」


「捕まる前に逃げろ逃げろ!」


二人を囲んでいた周りの派手な髪色達はお腹から声を出した水掛静人さんの存在に気づき、蜘蛛の子が散るようにあっという間に去った。そして、喧嘩していた相手も流石に周りの反応に気づいたようで「し、静人さん……」と振りかざした拳を頭上て止めていた。


「愛斗、あとで話を聞く。一旦、自分の持ち場へ行きなさい」


「……うっす」


大人しくなった愛とと呼ばれた青年は、ゆっくりと自分の手を下げた。「静人さんに感謝しろよ」と吐き捨てた彼は、そのまま走って行った。先程まで騒々しかったこの場所が、私達の切れた息が響いていた。真っ赤な髪色をしている例の青年は、地面に尻餅をついていた。殴られた後なのか、それとも水掛静人さんが現れたからなのか。真相は分からないが、飢えた狼の如く唸る彼に臆する事なく近付く男が一人。


「愛翔、何してるんだ」


「……」


「黙っていても分からない。二度と喧嘩しないって、約束しただろう」


地面に座り込んで視線を上げない彼、水掛愛翔はどれだけ話しかけられても反応しない。口を一切開かない彼に向かって再び話しかける。


華凛かりんちゃんの様子、見てみろ」


「うるせぇ! 俺には関係ねぇよ!」


「心艮さん、今からすぐに現世を見せてもらうことって出来ますか?」


「え、あ、はい。それは可能ですが……その、大丈夫ですか?」


「えぇ。それでは早速お願いします」


少し前にも出た女の子の名前、華凛ちゃん。現世ってことは、彼女はまだ生きているのだろう。それが彼からの依頼内容であり、私が今から始めること。少し離れているからなのか、ドスの効いた声で叫んでいる水掛愛翔さん。「何してんだよ!」などと言いながらこちらに向かって来たのだが、危険を感じた水掛静人さんが力づくで彼を上から押し付けた。体重をかけているのか、苦しそうな呻き声が一瞬聞こえたが準備を始める私に向かって怒鳴り始めた。

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