絡まった糸をほどいて

茉莉花 しろ

プロローグ


私が最後に見た景色は暗い部屋に明かりが一つだけの虚しい物だった。


他の人って、自殺する時とか最後に何を考えて何を見て誰を想って息を引き取っていくのだろうか。綺麗なお花畑か、はたまた激しく波打つ海なのかな。それとも、通勤通学途中の駅のホームかな。まぁ、そんなことどうでもいいや。これからの私には関係無い。


だって、これから私は地獄に行くのだから。


「……さよなら、世界」


誰にも聞こえない、聞こえる訳も無い声で呟いて太いロープで輪っかを作った穴に頭を突っこんだ。ギシギシと古くなった木の椅子が音を立てるが、それも今の自分には届かない。何も考えることなく椅子を蹴ると一気に重力がかかった。締められて行く首に苦しさを感じながら、酸素を送ることが出来なくなり自分の体が地上に打ち上げられた魚のように動く。


しかし、ここで抵抗する気もない。ゆっくりと力が抜けて行くのを感じながら、目の前の景色が霞んで行く。あぁ、やっと、やっとこれでこの世界とはおさらばすることが出来るんだ。これで、もう生きなくて良いんだ。


喜びを感じた直後、私は意識は消えて二度とこの世界に戻って来ることはなかった。




世の中に平等なんてない。私がそれを知ったのはまだ年齢が二桁も無かった頃の話。いつの日か何処かで聞いた話では、最後にヒロインが幸せになると決まっているらしい。だが、幸せいっぱいのヒロインになれる日はもう、二度と来ない。


「……え? 私が、人を助ける?」


「そうだ。そうすれば、お前の怨念も消えるだろう。お前の……えーっと、名前は……心艮しんごん、で良いな? 心艮の中に溜めている莫大な恨みをを消化する為に人助けを命じる」


見上げるとそこにはでっぷりとしている大きな体を持った閻魔大王様、のような人がいた。人かどうかも分からないけど、ここに来て分かったことは一つ。私は、ちゃんと死ねたらしい。


首を吊った後、あのまま意識が飛んでいつの間にかあの世まで来ていた。周りを見渡しても白い装束を見に纏っている人間ばかりで、私もその中の一人でもあった。一つの白い紐のように長く繋がっている列を見つけて、何となく並んでみたら目的地はまさかのあの世の裁判所。そこから何人もの裁判官に裁かれるらしいのだが、私が閻魔大王の前に現れたと時に周囲が騒ついた。「なんて恨みの大きさなのだ」と。


「でも私、自殺したんですよ? 普通、地獄に落ちて何かしらの罰を与えられるべきなのでは?」


「いや、まぁ、そうなんだけどね? 心艮の恨みの気持ちがあまりにも大きすぎるんだよ。全ての刑罰を課してもそれは消えることはない。このままでは他の亡者に示しがつかないし、何よりこの地獄の秩序にも反するんだ」


先程まで畏まった言い方をしていた閻魔大王様は、私と話をしながらちょくちょく現れている部下?のような人達に指示を出しながらこちらをチラチラ見ている。話し合い、と言うものでもなく、ただ聞かれたことだけに答えている様子を見ていると、私が人助けをすることは決定事項なのだろう。特に嫌な訳でもないし、正直どうでもいい。死んだ後にも面倒なことに巻き込まれるなんて、自分のことを更に恨んでしまう。


「地獄に秩序とかあるの……?」


「そこはおいおい説明するから。あ、そんな白装束だと嫌でしょ? ほら、これを着て」


「……? セーラー服?」


「それ着たら近くにいるここの職員に話を聞いてね。じゃ、僕が話せることはこれだけだから。あー忙しい忙しい!」


自分の手の上に置かれたのは一つのセーラー服。半袖ではなく長袖で白地、襟の部分は黒に近い紺色で一本だけ白い線が入っている。これを見た私は頭の中でフッと浮かんだ光景に目を見開く。


「私の、高校の、制服……」


ねっとりと纏わりつくように、ゾンビが這い出てくるかのように思い出される記憶に鳥肌が止まらない。身体中の穴と言う穴から変な汁が溢れ出してくる。頭の中に響いているのは甲高い笑い声とヒステリックに叫ぶ叔母の声。腹の底から何かが込み上げてくるのを感じ取り、咄嗟に手で押さえる。


「うっ……うぇっ……」


「だ、大丈夫ですか?」


なりふり構っていられない私を横から心配して話しかけて来た一人の女性。自分の手で必死に抑えながら横目でみると、そこには眉尻を下げ、下を向いて屈んでいる私に視線を合わせようと覗き込んでいた。そっと私の背中に手を添えている感覚がするが、温かみを感じない。それもそうだ、死んでいるのだから。丸めていた腰をぎこちなく伸ばして「すみません、大丈夫です」とだけ伝える。大丈夫、これくらいいつもの事なんだから。そうしないと、また叔母さんに怒られる。


私の明らかに平気じゃなさそうな言葉に戸惑いながらも彼女は「こっちで、着替えてください」と案内をしてくれた。私の歩幅に合わせるように先に進む彼女はチラチラこっちを見ている。気味が悪い物を見ているような目でヒソヒソと話している人を何人も見て来たのを思い出した。きっと、何処に行っても私の存在は邪魔なのだろう。


「ここで着替えてください。私は外で待っているので、終わったら声をかけてくださいね」


私の先を進んでいた女性は足を止めて指を差す。そこには直方体の箱がいくつも連続して並んでいた。カーテンで遮られており、厚手なのか中は簡単に見えそうにない。しかも、いつの間にか建物の中に入って来ていたようで、あまりにも広い部屋をキョロキョロと見渡していた。

私は彼女の指示に数回頷き、カーテンを開けて中へと入る。抱えるようにして持っているセーラー服をギュッと握りしめていると、「閉めますね」と私をチラリと見てから独特な音と共に彼女の姿が見えなくなった。


思い出したくもない記憶。思い出、なんて綺麗な言葉で説明したくない私は捻くれている。純白に近い制服には染みやシワ一つ付いていない。輝く程に美しいこの服に袖を通すのもおこがましく感じる。試着室の中にある机であろう高さの台に制服を置き、いつの間にか着ていた白装束を脱ぐ。絹で作られているのか、肌触りが良い装束はスルスルと音を立てて床に落ちる。私はそれを拾う事なく白い服に袖を通す。


寒くもなく、暑くもないこの建物は一体どんな仕組みになっているのだろうか。それとも、死んでいるからそれすらも感じられないのだろうか。最後にさりげなく制服と一緒の添えて合ったタイツを仕方なく履いてから、スカートに手をかける。スカートも上と同じ真っ白なままで綺麗に折り目がつけられている。最後、チャックを締めると外側から声をかけられた。


「どうですか? サイズとか、合っていますか? 閻魔大王様、意外と適当だから……」


「あ、はい。ピッタリです。これで大丈夫でしょうか……?」


あの人が適当なのは何と無く最初のやり取りで分かっていた。部下に私のことを丸投げするくらいだ。忙しいのだろうが、今の所は私に逐一説明している時間はないようで。頭の片隅でチクチク嫌味を言いながらカーテンを開ける。すると、試着室の外側に一足のローファーが用意されていた。


それをジッと見つめていると、そこから少し離れた所にいた先程の女性に「さ、これも履いて!」と嬉しそうに勧められた。生前、このように嬉々として勧められた覚えがないので少々戸惑いながらも、真っ黒なローファーに自分の足を沈める。すっぽりと入ったその靴に心地良さを感じた。軽くつま先で床をトントンと叩いて、自分に合うように少しだけ動く。


「わぁ! 想像以上に似合っているわ! さぁさぁ、あとはこっちに来て! 今から閻魔大王様に言われたことを説明するから!」


軽く手を合わせて嬉しそうにピョンピョン跳ねる彼女は、私とは比べ物にならない程感情豊かなようだ。まるで、本物のお母さんみたい。心の中で唱えると、何とも言えない生々しい気持ちがヌルッと顔を出す。

ダメだ、これ以上思い出すとまた気持ち悪くなる。足取りが軽い彼女を追いかけるために鉛を引きずるようにして歩みを進めた。


しばらく歩くと、今度はまた違う建物が見えて来た。見えて来ただけで、正直どれほどの規模かは分からない。立ち止まって見る暇もないので軽く頭を上げると、遥か彼方にある屋根を目を細めて見るがすぐに首が痛くなったので止めた。前を歩いている女性は私よりも少し背が高くて、美しいスタイルをしている。顔も綺麗な顔をしていたので、現世だったら確実にモテるんだろうなぁと考えていた。


「お待たせしました! こちらにお座りください!」


「は、はい……」


いきなり声をかけられたので一瞬だけ息が止まったのだが、明るく笑顔を向ける彼女を見て詰まっていた気道に空気が通った気がした。絞るように声を出して返事をしてから、目の前に置かれているシンプルな椅子に座る。

椅子と同じようなデザインの机があり、その上には一束の書類が置いてあった。丁寧に置かれたであろうその書類に手を出していいのか分からなかったので黙っていると、先程の女性が机から一メートルほど離れた場所に立った。


「では、これから心艮さんの恨みを浄化するための説明会を行います! それでは、手元にある書類をご覧ください!」


彼女の手にも同じ内容が書いているであろう紙をペラっと一枚めくる。私も彼女と同じように手を動かすと、そこには何やら大きな文字で『目次』と書かれていた。というか、彼女のこのテンションはいつまで続くのだろう? 何だか、閻魔大王様よりも頼りになるような。頭の中でそこそこ失礼なことを考えていると、目の前に書かれている文章を丁寧に読み上げていった。


「まず、話すことは三つです。一つ目は、心艮さんの持ち合わせている恨みについて。二つ目は、その浄化方法。三つ目は最初の依頼者についてです! それでは、まずは心艮さんの恨みについてご説明しますね!」


こんなにも嬉しそうに人の恨みを話す人がいるのだろうか。いや、ここはすでにこの世ではないから死に対する価値観も大きく変わってくるのかもしれない。むしろ、今の私にとってはそっちの方が楽かもしれない。重苦しい雰囲気で話されるよりも、明るく面白おかしく話す方が気も楽だ。


「心艮さんの現世に対する恨みは今まで来た亡者達とは比にならないものです。現世での行いが天界行きか地獄行きかの判決に繋がることは周知の事実でしょう。地獄に行く亡者は何かしら現世に恨みを持っていたり、悪い行いをして来ています。彼らに自身が生前していた悪い行いや恨みを浄化させ、現世に転生が出来るようにしています。あ、ちなみに地獄で何をしているかはお教え出来ないので!」


「は、はぁ……」


彼女の文末に絶対音符が付いている。楽しそうに話しているようだが、内容は決して笑顔で話せるものではないので、自分は地獄に行ったら何をされていたんだろうと考えたけどすぐに止めた。曖昧な返事をしていると、「では、次のページへ!」と言い書類に目を落としてめくった。


「二つ目は、これらの浄化の方法です。先程話した通り、他の亡者は大体地獄で何かしらの処罰を受けながら恨みを浄化します。ですが、心艮さんの恨みはそこでは解消出来ないので特例措置を行いました! それが、こちらです!」


ジャジャン!と一人で効果音をつけている女性は心底楽しそうだ。右手をパッと前に出すと、ポンっと一つの藁人形が出て来た。初めて見た藁人形は首に赤い糸が巻かれており、その先はフヨフヨと糸が浮いている。それ自身も浮いているので不思議に思い凝視していると、私の視線に気づいた彼女は「ふふっ」と笑った。


「興味を持ってもらえて良かったです! こちら、心艮さんの恨みを全て受け取ります。今はここで浮いているだけですが、今から心艮さんの親指と首に巻き付けてもらいます。貴女自身とこの藁人形を繋げるためですので、ご理解お願いします! あ、ちなみにこの糸は首に絡んで死ぬようなことはないのでご安心を! ってもう死んでるから関係ないか!」


アハハ!と声を出して笑っている彼女に頬を若干引き攣らせつつ「は、はは……」と乾いた笑いで誤魔化した。二人で笑っていると、ふわふわ浮いていた藁人形がこちらへと向けって来る。すると、勝手に赤い糸が自分の左親指と首にシュルシュルと巻かれていく。不思議と嫌な感覚は無いので無抵抗でいると、ピタッと止まった。


「わあ! 心艮さん、この藁人形と相性ピッタリですね! あ、でもこの藁人形には自我がないんだっけ? まぁでも! お似合いですよ!」


「お似合い……」


心の何処かがホワン、と温かくなった。初めて、言われた気がする言葉。微笑みを絶やさない彼女は本心で言っているのだろう。置いてけぼりの自分の心がまともに動いたのを感じて、安心したような、よく分からない気持ちになった。


「では、これで最後です! 二つ目と繋がってくるのですが、心艮さんの恨みを晴らすためには『天界の住人の恩返しのお手伝い』をしてもらいます!」


「お手伝い……?」


「そうです! すでに数人候補を挙げているので、まず最初にこの方の所へ……」


手に持っている書類をめくって一人の女性の写真が見えた時だった。バンッと勢いよく開いたドア。扉と言うよりも意外と現代チックな作りであるこの部屋では、私が入って来た扉ともう一つ扉がある。他の部屋に繋がっているのだろうとは思っていたが、まさかノック無しで扉が開くとは思わなかった。


「ねーえー! 心艮ってどの子―?」


甘く緩い話し方に、目立つピンクの服に動く度に揺れるスカート、足元には少し高めのヒールが付いているこげ茶の編み上げブーツ。タレ目を主張するような派手なメイクに目が奪われた。今まで私が関わったことの無いタイプの女の子。


「あ! もしかして貴女が心艮? 私、火糸糸かししって言うの! 閻魔大王から教えて貰ったんだー! よろしくね!」


カツカツカツとヒールで音を出しながら近づいて来た彼女はスッと私の前の前に手を出した。よく分からずに彼女の真っ白な手を見つめていると、「あれ? 握手知らないの?」と言われた。見上げると不思議そうに首を傾げている可愛らしい女の子。高い位置に結われたツインテールが揺れ動いている。


おずおずと手を出すと、ガシッと手を掴まれたので体が硬直してしまった。カチコチに凍ったマグロのように動かない私を見て、立った彼女はしゃがんで視線を合わせて来た。


「もしかして、緊張してる? 大丈夫だって! 私は貴女と仲良くなりたいだけなんだから!」


「は、はぁ……」


「あ、あの! ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ? 何故貴女がここにいるのですか!」


自分のペースに持って行くのが上手なのか、それとも私が流されやすいだけなのか。どちらかは私には判断出来ないが、焦っている女性を見る限り彼女が自分とペースに持って行くのが得意なのだろう。握手をした手を上下に振っている彼女はピタリと止め、ツインテールを揺らした。


「えぇ? 閻魔大王から聞いてないのー? ほら私、今お盆でちょー忙しいからって後回しされたじゃん!」


「えぇ! そ、そんな話聞いて……」


「あ、君! すまないね、さっき決まったことなんだよ。きっと心艮とも仲良く出来ると思うから! じゃ、あとはよろしくー!」


「え、閻魔様! お、お待ちください!」


バタバタと音を立てながら閻魔大王様の後を追いかける女性。今目の前で繰り広げられていた事に頭が付いて行けず、一人ポツンと残された。いや、正確には二人か。とにかく、いきなりドアから顔を出したかと思ったら、いつ間にか決まった決定事項を述べて去って行ったのだ。自由にも程があるだろう。足音が小さくなって行くと、この空間に静寂が訪れた。何かを話した方が良いのだろうけど、私にはそんな気の利く事は出来ない。


「ねぇ、心艮って呼んでもいい?」


「えっ? い、いいけど……」


「おっけー! ありがと! 私も火糸糸って呼んでいいから! てか、これって例の資料? 読んでもいい?」


「あ、うん……」


沈黙を破ったのはやはり彼女で、話をどんどん進めて行く。生前は人気者だったんだろうなぁと思いつつ、ペラペラと先程読んでいた書類をめくって行く彼女を見つめた。

シルクのように滑らかそうな手の先には、華々しく彩られたネイルと人差し指にはめられている銀の指輪。私には縁がない世界だな。羨ましいと言う感情よりも先に、可愛いなぁと思ってしまう私はきっと自分に無関心だ。


「ふーん、なるほどね。最初からそこそこヘビーな内容ね。よし、じゃあ行こっか!」


「へ?」


一通り目を通したのか、パタンと最初のページに戻した火糸糸……ちゃん。呼び捨ては慣れないので、一応ちゃん付けをさせて貰った。腰に手を当て堂々としている彼女の発言に目を見開く。普段そんなに感情を出さない私にとっては久しぶりの大きなリアクションだった。


「こ、こら! はぁっはぁっ……さ、先に進めるんじゃ、ありません!」


「あれ、もう戻って来たの? 閻魔はー?」


「閻魔大王様からは話を聞いて、そのまま職務に戻られました! もう、ほんっとうに人使いが荒いんだから……」


開けっ放しのドアから現れたのは、先程までここで説明していた女性。息を切らし、髪を振り乱している辺り、懸命に足を動かして戻って来たのだろう。ふぅ、と一息ついた後に彼女は私達に近付き火糸糸ちゃんから書類を取り上げた。


「貴女にも説明しますから! 大人しくしててください! 良いですね?」


「はぁーい」


キリキリと動く女性とは正反対に、間延びした声で返事する彼女。私よりも女子高生らしい気がする。立っていた彼女は私の前にある机に腰をかけた。ツインテールにした毛先をくるくると手で弄びつつ、自身のネイルを見ている。到底真似出来ない彼女の仕草に圧倒されながら、まだ説明があるのかと少しうんざりしていた。

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