日本一の桃太郎!

花山慧太郎

第1話 はじまりはじまり…

むかしむかし…

あるところに…


おじいさんとおばあさんが住んでいました。


おじいさんとおばあさんには、可愛い孫がいました。


孫の名前は【桃太郎】…


郷の長を勤めるおじいさんとおばあさんの その孫と言う事で、将来を大変 期待されていた桃太郎は…


何と、郷で【最弱】と罵られておりました…。


桃太郎は何度も何度も挑戦しましたが、なかなか上手くいきません。


武芸も学問もできない彼を、郷の皆はだんだんと見放し、期待しなくなっていきました。


桃太郎は皆の反応に大変悲しみ、自分自身に期待しなくなっていったそうな…。




…ここは《日本》のとある場所。


世は戦国。


日本の統治と覇権を求め、多くの武将が争いを絶やさぬ時代。


同時に凶悪な妖怪達が闇に蠢き、理不尽な災いが人々に降りかかる暗黒の時代でもあった。


争いを好み、戦争を絶やさぬ人間達。


その裏で跋扈する妖怪達と、それを払う陰陽師。


世に起こる不幸な出来事は妖怪のせいであり、特に【鬼】達が争いの原因だと考えられていた。


これはそんな時代、そんな人々の間で起こった物語…。




「桃太郎!

起きろーーーーーッ!!!」


大きな叫び声で飛び起きた桃太郎。


心臓が張り裂ける思いで起きた彼は、辺りをキョロキョロと見回していた。


自分は何故ここに居て、何故 横になっていたのかが分からない。


完全に気が動転していた桃太郎は、息を切らせながら自分の身に何が起きたのか確認していた。


半袖の黒い胴着に黄色の袴。


基本的な練習用の服装をしていると言うことは、今は剣の練習中だ…。


そして、自分の身体のあちらこちらがズキズキと痛いむ…。


更に自分が稽古場にいる事に気付いて、最後に自分を覆う程の大きな人影に気付いた。


まだ腰を上げられない桃太郎が上を見上げると、そこには同じく胴着姿の実の祖父の姿が…


その時やっと気が付いた…


桃太郎

『…オイラ…また稽古中に失神したんだ…』


郷の誰にも勝てず…


挙げ句、剣術を習い始めたばかりの年下の門下生に負けた桃太郎を見て、酷く不機嫌な様子のおじいさん。


おじいさんは鋭い眼光で桃太郎を睨み付け、今にも振り下ろされそうな右手の竹刀を肩に抱えていた。


「やっと気が付いたか」と、呆れるような言葉を吐き捨てたおじいさん。


彼は桃太郎の腕を掴んで立たせると、今日の稽古はお仕舞いだと告げて どこかへ行こうとしていた。


その背中を、ただ見続ける事しか出来ない桃太郎…。


言葉で伝えられなくても分かった…


「…もうお前には何も期待していない…」


実の祖父から そう思われている事を感じ取り…


それでも諦めず…


毎日毎日、桃太郎はおじいさんを振り向かせようと努力を続けていた…


桃太郎

『…だけど…今日もダメだったか…。』


才能がない事を理解しながら、それでも毎日おじいさんに挑んだのは、何も勝ちたいからではない…。


少しでも成長した姿を見せたいから…


少しでも安心させたいから…


育ててくれている恩義に報いたいから…


だから、桃太郎は毎日全力で挑戦していた。


しかし結果は出ず、誰も桃太郎の事を見ようとはしなかった。


…実の祖父でさえ…。


まるで桃太郎の存在が目障りかのように、誰もが桃太郎の扱いを雑にする。


桃太郎の心は、僅か齢10歳にして砕かれようとしていた。


桃太郎

「じい様!」


完全に姿が見えなくなる前の郷長を呼び止める桃太郎。


それは今の桃太郎に出来る全力の抗い。


ダメな自分に対する、精一杯の拒絶だった。


…その思いが通じたのか…?


郷長は顔だけ僅かに振り向いた…。


表情は確認できず、返事をする事さえなかったが…


それでも立ち止まってくれた郷長に桃太郎の期待感は膨らんだ。


桃太郎

「…明日も来て…いいかな?」


その問いにおじいさんが答える事はなく…


ただ静かに稽古場の扉は閉められた…。


惨めに立ち尽くし、項垂れる桃太郎。


そんな桃太郎を、稽古場に居合わせた他の稽古生が指を指して笑う。


「出来損ない」

「期待外れ」

「役立たず」


他にも多くの陰口が、桃太郎の背中に突き刺さった。


諦めたくなる気持ちと、諦めたくない葛藤が桃太郎の心の中で渦を巻く。


桃太郎

『…じい様はオイラを見もしなかった…


…もう…諦めようよ…。』


桃太郎

『…いいや!


じい様は来るなとも言わなかった!


諦めるのはまだ早い!』


どんなに突き放しても、また直ぐに戻ってくる諦めの言葉…


そして押し寄せて来る絶望感…


…稽古場の反対側で退屈そうに友達と喋っている自分に勝った相手を見て…


桃太郎は心の底から自分を呪った…。


桃太郎

『…何で…オイラにだけは出来ないのかな…?』


しばらくの間…


桃太郎が自分の不甲斐なさに打ちひしがれていると、稽古場の別の場所から竹刀の大きな打撃音が響き渡る。


まるで桃太郎の心臓を貫くような鋭い音を立てた竹刀。


その竹刀を握っていたのは、桃太郎が通う寺子屋で最も優秀だと噂の【桜】という女性だった。


彼女は桃太郎と同じ10歳なのに寺子屋の先生から一本を取ってしまった。


桜を評価し、称える言葉が周囲から沸き上がる。


桃太郎もいつの間にか見とれていた。


彼女が持つその技術、知識、そして評価の全てが羨ましく…


それを持たない自分を強く恥じていた。


桃太郎が桜との差に歯を食い縛っていた頃、今度は稽古場の外で歓声が上がる。


桃太郎の視線は歓声の出所を追った。


集まる大観衆…


悲鳴混じりの笑い声…


そして…縦に二つに斬られた滝…。


その滝の下に居たのは…


竹刀を持った1人の少年だった…。


少年の名は【金時】…


彼も桃太郎と同じ寺子屋に通う同い年の優等生。


常に桜と比べられる程の腕前で、剣の腕だけなら寺子屋で一番であるとの評価が高い生徒であった。


その金時が斬ったのは、彼の背丈の五倍は有ろうかという大滝。


彼はそれを、竹刀を下から振り上げただけで割ってしまったのだ。


間もなくして滝は元の姿へと戻ったが、金時の周りには今も拍手が鳴り止まなかった。


自分とは余りにも違う評価…


自分とは余りにも違いすぎる人生…


そして…


余りにも情けない自分…


優秀な誰かを見て嫉妬して…


追い付こうとも思わずに諦めようとする…


そんな自分が自分の中に居る…。


その事に気付いた桃太郎は更に自信を無くしてしまい、その日は誰にも気付かれないように静かに稽古場を後にした。


…ここは誰にもその所在を知られていない山間の郷…


50年程前に桃太郎のおじいさんが設立した、とても平和な土地である…。


豊穣な収穫を得られる豊かな土地であるために、郷は五穀の売上で成り立っていた。


澄み渡った美しい川の水…


春になると乱れ咲く満開の桃の花…


四季折々の美しい植物達…


郷の商店街には食事処や生活に必要な物を売る商店が建ち並び、郷へと続く道にはそれぞれの見張りが駐在している。


そのお陰か、戦国の世に在ってこの郷は、戦争を経験した事のない子供達が多数存在していた…。


毎日のびのびと暮らし、寺子屋では学問を学ぶと共に武術や法術について学ぶ。


その成績を競い合い、互いが互いを高め合いながら、卒業の印を得た者から順に外の世界へと旅立って行った…。


時に良き伴侶を見付けて帰って来た者もいる…


時には親に捨てられて、郷に迷い混んだ子供も…


また時には争いを持ち込む部外者もいた…


…しかし…


外部からの観光や商売に来る者は1人もいない…


ここまで平和な土地でありながら、何故誰も近寄らないのか…?


…それはここが…


将来は侍や術師になる者達を育てるための育成機関の役割も担っていたからだ…。


ここの郷で育った子供達は皆、何処へ行っても活躍できる戦闘技術や、大抵の妖怪を払う事が可能な法力を身に付けている。


今、郷で農作業をする者達は皆、その子供達が活躍して帰ってきた姿だ…。


外部から争いの火種を持ち込もうとする者がいれば、彼らが即刻排除した…


凶悪な侍達でさえ、まるで赤子の手を捻るかのように…


故に、どんなに温厚に見える年寄りでも、この郷では油断して襲い掛かる事はできない…


1人1人がそれぞれ、名の有る武芸者なのだから…。


この土地で育つ子供達は幸せ者だ…


他の土地で生まれ育てば、争いとは無関係に暮らしていた農村の子供達でも時には巻き添えとなって命を落とす…。


例えどんなに将来性のある子供でも…


簡単にその芽を摘まれる…


その点…


そう言った心配が無いこの土地では、優秀かつ有能な子供達が多数育つ…


この土地に住む子供達もまた、そこらの侍を相手にしたとて引けを取らないのだ。


…たった1人…


…桃太郎を除いては…


どんな英才教育を受けても、彼だけがその芽を開花させる事はなかった…。


…今日も多くの非難を受けながら、やっと終わった帰り道…


肩を落として歩く桃太郎の目に、やっと自分の家が見えて来た…。


立派な造りではあるが、屋敷と言う程ではない大きさの家。


敷地内の一角には桃太郎の実家が営む和菓子の店があり、その反対側には物置小屋…


中央には井戸が建てられていた…。


それらを囲むのは塀などてばなく、まばらに映えた竹や木々…


門と言う門は無く、植物の生えていない場所から入れるようになっていた…。


大人が横に並んでも5人分程度はあるその場所から入っていくと、桃太郎の家の全貌が見えて来る…。


広い庭…


池などは無いが、敷地内から見る風景は絶景…


遠くの山もハッキリと見える…


近くを流れる川のせせらぎも…


植物の高さも程々で景観の邪魔にならず、日差しの邪魔にもならないので洗濯物も干しやすかった。


一家の家事全般を担うおばあさんにとっては最高の造り…


…そして今も…


そこには洗濯物を取り込もうとしている桃太郎のおばあさんの姿があった。


おばあさんは物干し竿から洗濯物を取っては腰を曲げて足元の籠に入れ、また直ぐに次の洗濯物へと手を伸ばす。


きっと洗濯物が終われば、他にもこなすべき家事が残っているのだろう。


とてもとても忙しそうに、毎日の日課をこなすおばあさん…。


桃太郎が帰った時、おばあさんは桃太郎に背中を向けていた…。


おばあさんの忙しそうな後ろ姿を見ながら、今日 寺子屋であった事を思い出す桃太郎…。


その悔しさを思い出すと、桃太郎はおばあさんに合わせる顔が無かった。


おばあさんに気付かれないように、静かに玄関へと向かう桃太郎…。


しかし何故か、おばあさんには桃太郎のやっている事がバレバレだった。


おばあさん

「帰ったのかい? 桃太郎。」


その時、おばあさんはまだ後ろを向いていた。


音を立てた訳でもないのに、まるで背中に目でも付いているかのように桃太郎を呼び止めたおばあさん。


桃太郎は驚きを隠せず、同時におばあさんに捕まる事を覚悟した。


観念したかのようにおばあさんの元へと歩み寄る桃太郎。


その表情は蒼白に染まり、手には汗が握られていた。


まるで悪い事でもしたかのような桃太郎の様子を、厳しくも愛情の有る目付きで見詰めるおばあさん。


おばあさんは桃太郎に「座れ」と指示を出すと、家の縁側へと導いた。


そこに桃太郎を座らせると、おばあさんは「忙しい忙しい」と独り言を良いながら家の中へと入って行く。


しばらくしておばあさんが戻ってくると、彼女の手にはお皿に乗った【吉備団子】が持たれていた。


その吉備団子を桃太郎に差し出して、ゆっくりと隣に座るおばあさん。


おばあさんの正座はとても綺麗で…


伸びた背筋と凛としたその横顔は正に芸術…。


その威風堂々とした佇まいを見ていると、桃太郎は本当に自分と血が繋がっているのかと疑ってしまう程の差を感じてしまっていた。


…おばあさんの顔を見れない…


これ程立派なおばあさんを目の前に、情けなく下を向く桃太郎を…


明らかに何かを諦めそうになっているその様子を、おばあさんは…表情1つ変えずに見詰めていた…。


おばあさん

「上手く行ってないのかい?」


核心を突かれた。


その通りだ。


何一つ上手くいかない。


寺子屋で学んだ事も、道場で経験した事も、何もかも…。


誰よりも学んだ。


誰よりも練習した。


それなのに桜や金時に全く追い付けない。


いや、彼らだけではない。


自分に後ろ指をさす他のヤツらにも…


年下にさえあしらわれた。


もう自分には何も期待できない。


そんな気持ちを、桃太郎は拭う事が出来なかった。


差し出された吉備団子だって、本当は桃太郎の大好物。


だけど、今は全く食べる気になれない。


自分の袴を握り締めたまま口を利かない桃太郎にしびれを切らしたおばあさんは、その平手で桃太郎の背中を一撃。


決して痛い訳ではない。


かといって、触れるように叩かれた訳ではない。


痛みを感じない程度の強い衝撃…。


それは…不思議なくらい暖かく…


しかし…


桃太郎の胸の中に…とても力強く響いていた。


おばあさん

「そんなに悔しいなら、一回くらい泣いてもいいんだよ?」


それだけ言うとおばあさんは家の中に戻り、やはり忙しそうに家事をこなす。


おばあさんの言葉が胸に響いて…


それでも泣けなくて…


そんな、おばあさんの優しさにさえ応える事の出来ない自分を恥じて…


桃太郎の胸の奥で生まれた悔しさが…


桃太郎に、今は甘えるよりももっと他にする事があると感じさせていた。


桃太郎

『…日が暮れるまで…もう少し素振りしてみるか…。』


気合いを入れ直す意味でも、おばあさんから貰った吉備団子を食べようと手を伸ばす桃太郎。


それを食べたら竹刀を手にし、そのまま近くの河原に行こうと…


しかし…


その手が吉備団子に触れたと感じた次の瞬間…


何故かそこからは、1つ残らず吉備団子の姿が消えていた。


何が起きたのか分からずに辺りを見回す桃太郎。


しまいにはお皿を洗うおばあさんまで確認するが、おばあさんに怪しい気配はない。


桃太郎はお皿を台所まで運ぶと、訳が分からないまま1人 河原へと歩いて行った…。


…ここは普段、誰も近付かない近所の河原…


釣りを楽しむにしても良い場所は無く、時々 蛇も出るので誰も近寄らなかった。


…桃太郎が誰にも知られず、ひっそりと稽古するには打ってつけの場所…


ここならば桃太郎は何の心配も無く、全力で没頭する事が出来たのだ。


川に到着するなり、桃太郎は寺子屋で学んだ剣道の素振りを繰り返していた。


その日に経験した事を身に染み込ませるように。


桃太郎

「じい様にされた事。

じい様に通用した事。

今のオイラに足りない全て…。」


桃太郎は強くなりたかった。


周りを見返したいからじゃない。


今の自分を情けないと感じるから。


そう感じる度にここへ来て1人で稽古を復習していた。


ここへ来て「もうダメだ」と感じるまで竹刀を振り回してから家へ帰る。


それが桃太郎の日課になっていた。


桃太郎

『オイラには桜みたいな文武の才は無い。

金時みたいな恐ろしい剣の威力も無い。

ならば何でなら張り合える?

オイラはどう戦えばいい?』


今日も1人で力尽きるまで竹刀を振るう。


心のどこかで、それを「無駄だ」と感じながら。


…時間は流れ…


遠くの空が赤く染まり始めるまで桃太郎は竹刀を振り続けていた…。


何度も何度も…


立っているのもやっとに感じるまで振り続けて…


…そしてとうとう…夜が訪れようとしていた…。


桃太郎

『少し休んだら…もう少しだけ練習しよう…。』


次が今日最後の練習…


そう意気込んで立ち上がろうとしていた時…


遠くから歩み寄る、誰かの足音が聞こえてきた。


恐らく足音は1人分…


何者なのかも分からないその足音は、迷う事なく桃太郎の方へと、真っ直ぐ近付いて来た…。


桃太郎

『…誰だ?』


竹刀を支えに使わないと立っていられない程に消耗していた桃太郎。


ヨロヨロと立ち上がる事は出来たが、既に精根尽き欠けていた。


そんな彼は、歩み寄る誰かに気付いていても、それをわざわざ確認しようとまではしなかった。


桃太郎

『こんな時間に川遊びって事も無いだろうが…

1人で練習してる所は見られたくないな…。』


そして桃太郎はゆっくりと歩き出す…。


顔中に流れる汗を手首で振り払い、時に竹刀を杖代わりに使いながら…


顔も見られないように背中を見せて去ろうとした…


…その時…


立ち去ろうとする桃太郎の後ろ姿を見て、足音の主が歩みを止めた。


「あれぇ?桃太郎?」


それは桃太郎にとって予想出来なかった反応。


災難と言うしかない。


近付いて来るのは知りもしない他人だと思い込んでいたのに…


そこに居たのは…


桃太郎

『オイラを知ってる相手か!』


高鳴る心臓。


驚きの余り、思わず桃太郎も足を止めてしまった。


歩みを止めなければ聞こえなかったフリくらいは出来たのに。


これでもう無視はできない。


いったい誰なのか?


桃太郎の事を後ろ姿を見ただけで判別できる相手…


桃太郎は冷たい汗を流しながら、恐る恐るその相手の方へと振り向いた…。


…そこにいたのは…


寺子屋の代表的存在で、皆の憧れ…


教師さえ倒してしまう女門下生…


桜だった…


彼女は桃太郎の目標でもあったのに…


そんな相手に、隠れて稽古しているのがバレてしまった。


不足の事態に桃太郎の気は動転し、その思考を完全に停止させていた。


桃太郎

「さ、桜!」


「やっぱり桃太郎じゃあ!


こんな所で何しとるん?

もしかして1人で稽古?」


図星だった。


1発で当てられた。


「コイツ心でも読めるのか?」と誰かに聞きたかった。


桜の勘の鋭さが、桃太郎の焦りに拍車を掛ける。


必死に言い訳を考える言い訳…


有る事無い事を言いそうになる口…


気を動転させながらも桃太郎が何かを言おうとしたその矢先…


再び桜の鋭利な直感が襲い掛かる…。


「あ!さてはなかなか成績が良くならないから、隠れて稽古して皆を見返してやるー!


…みたいな?」


桃太郎は自分の身体に電気が走ったのかと思った。


仕返しのつもりは無いが、概ね核心を突かれた桃太郎。


桃太郎の顔は真っ青になるほど血の気が引いて、その身体は金縛りにあったかのように硬直していた。


桜の目の前に居るのがいたたまれなくなってしまった桃太郎。


何も言い返せない事を覚った桃太郎は混乱して、「さよなら!」と叫ぶと桜を残して1人走り出していた。


「あ!※どけぇ行くん!?(※何処へ行くの?)」


顔を真っ赤に染めて、振り返る事なく走り続ける桃太郎。


「逃げた」と言われても仕方がない。


それでも今は直ぐに1人になりたくて走った。


目的の場所なんか無かった。


どこでもいい、誰にも会わなくて住む場所を探して走っているのに…


…それなのに…


…何故だ?


桜が桃太郎を追いかけて来た。


桃太郎を後ろから「おーい」と呼ぶ声がする。


「何故?」という驚きと…


「空気読めよ!」という怒り…


それらが桃太郎の心の中で暴れまわり、逃げる足を更に加速させた。


その様子を見れば、自分が1人になりたい事を分かってくれると信じて…。


…それなのに…


桜はまだ追ってくる。


桃太郎の加速に追い付く程の早さで、みるみる内にその距離を縮めてくる。


気が付けば桜は桃太郎と並走していて、「どうしたん?」「どけぇ行くん?」などの質問を繰り返していた。


桃太郎の心の中には、恥じらいや情けなさはいつの間にか無くなっており、どんなに全力で走っても桜に追い付かれる事への悔しさでいっぱいになっていた。


桃太郎

『さっきはあんなに勘が良かったのに何で1人にしてくれない!?』


このままでは負ける!


だがどうせなら、誰にも見られる事のない人気の無い場所で敗北したい!


…そう願っていたのに…


桃太郎は遂に力尽き、望んだ場所とは程遠い、人通りの多い商店街で倒れ込んだ。


荒々しく息を切らせる桃太郎。


そんな桃太郎と並走していた桜は、桃太郎に合わせるかのようにゆっくりとその足を止めた。


…何より驚くべき事は、桜がいっさい息を切らしてはいなかった事実。


桃太郎も直ぐに気付いた…


…こんなに差があるのか…


顔を上げる力も残っていなかった桃太郎は、目の前の地面に滴る自分の汗を傍観しながら、その歴然たる差に絶望感を抱いていた…。


桃太郎

『…何なんだよ!


…いったい何の用があってここまで追い掛けて来たんだ!?


…何にも用事がないならどっか行ってくれよ!』


いまだに起き上がる事の出来ない桃太郎の隣にしゃがみ込み、彼の顔を覗き込む込む桜。


桃太郎は桜に顔色を伺われている事を知ると、最後の自尊心を振り絞って僅かに顔を背けた。


…だが…


その行為が、桜の鋭い直感を敏感に反応させた。


おもむろに懐に手を入れる桜…。


…そこから取り出した物は…


「これな、【成績表】渡しとくわ!」


「後で良くないか?」とツッコミたい桃太郎だったが…


長時間の力走で消耗した体力では、桜に言葉を返す気力は絞り出せなかった。


息を荒く乱しながら地面にへばり付いたようにして動けない桃太郎。


そんな彼に桜の話しは更に続いた。


「さっきな、桃太郎が稽古場から先に帰ってまうから渡せなかったんよ!


ほんでな!あの後先生が来てな!

桃太郎はどこじゃ?言うから誰も知らんー言うて…」


桃太郎

「あの…その話…後で良い…?」


…それが桃太郎の率直な感想だった。


同じ距離を同じ早さで走って【この差】…。


桃太郎が今日一番こたえた出来事だった…。


桃太郎はまだ起き上がる事もできない。


桃太郎は早く桜の話が終わる事を祈って、時間が過ぎるのを待っていた。


だが桜の話が終わる頃には日が暮れて、桃太郎の体力と精神力は完全に底をついていた。


桃太郎

『…おのれ桜…今に見ていろよ…

…お前がヨボヨボのおばあちゃんになる頃…

必ずオイラはお前から一本取ってやるからな…!』


平等な条件で桜に勝てる場面が思い浮かばない…


その敗北感が、桃太郎に次々と卑怯な作戦を考えさせていた…。


「あ! それからもうイッコ!」


あれだけベラベラと話していたのに、まだ何かあるのか?


そう言わんばかりに桜を睨み返した桃太郎。


だが、これで最後と言うのならば聞こうじゃないか。


桃太郎は最早、惰性で桜の話を聞いていた…


しかし…


この後で桜が告げた一言が…


諦めながら努力を続けていた桃太郎を少しだけ変えた…


「1人でも頑張る桃太郎…

カッコよかったなぁ!」


…初めてかも知れない…


桃太郎が聞かされ続けた言葉達の中で…


その努力を認めるような発言は…


非難と罵倒と慰めの言葉を聞かされる繰り返しでしか無かったこれまでで…


桜が桃太郎に伝えたその一言は…


桃太郎に生まれて初めて【感動】と言う衝撃を教えた…。


日も暮れた町並みが…明るく見えるような気がする…


桃太郎の瞳に映った桜のいる世界が…


彼には…


キラキラと輝いて見えていた…


「桃太郎また明日なぁ~!

駆けっこ楽しかったよー!」


桃太郎

「駆けっこじゃねぇ!

全力疾走だッ!!!」


桜に向かって投げる竹刀…


だがその竹刀が桜に届く事はなく…


自尊心を粉々に打ち砕かれた桃太郎は、桜が帰った後もしばらく帰宅する気力さえ無かったのだとか…。



…その晩、桃太郎は不思議な夢を見た。


何を見たのかまでは分からない。


だがそれはとても生々しい夢で…


『ご馳走さま』


…と、桃太郎に感謝の言葉を残していった。


桃太郎が「誰だ?」と問い掛けても返事は無く…


桃太郎は自分が少しずつ目を覚ましていくのを感じていた。


桃太郎が起きる直前…


【それ】は桃太郎の右手に触れた…。


だがその事は、目を覚ました桃太郎の記憶には残る事はなく…


ほんの微かに手のひらに残る温もりを、桃太郎は気付く事は出来なかった…。



桃太郎は今日も寺子屋へと登校する。


何度通っても何一つ上手く行かない寺子屋…


だが今日は、いつにも増してやりにくい状況になっていた…。


登校途中…


寺子屋が近付くに連れて増える、桃太郎を指す誰かの指…。


ヒソヒソと、内容が分からない程度に聞こえてくる桃太郎の噂話…。


それは決して桃太郎を評価するような内容ではなく…


桃太郎を見て見ぬフリをして、決して近付く事もないその態度は、桃太郎の気分を害していた。


この状況は、早い段階で解決しないと面倒な事になる…


そう感じた桃太郎は、近くを通った門下生に思いきって聞いてみた。


今何が起きているのか?

自分が何をしたと言うのか?


その質問に対する答えは…


何も知らない桃太郎を驚愕させた…


昨日、川辺で1人で稽古をしていた事が皆に知れ渡っていたのだ。


愕然として寺子屋の入り口で立ち尽くす桃太郎。


それもそのはず。


自分は誰かに1人で修行している事を話した事はない。


ならば、知っている誰かが話したとしか思えない。


知っているのは桜だけ…


…と、言うことは…


桃太郎の胸の奥に、モヤモヤとした嫌な感情が広がっていった…。


誰かが話したのだとしたら桜しかいない。


しかし、桜がそんな事をするとも思えない。


ならば他に、誰かが見ていた可能性もある。


その僅かな可能性を信じて、桃太郎は桜を探した。


しかし周りには桜の姿は見当たらない。


震える手を押さえながら、思いきって寺子屋の戸を開けても…


そこには桜の姿は見付からなかった。


…それどころか…


やはり桃太郎の秘密を知って噂話をする生徒会役員共や教師で賑わっている。


桃太郎

『す…既に皆に知れ渡ってるーーーーーッ!!!』


逃げ場を無くした桃太郎。


寺子屋に入るに入れず、引くに引けず…


桃太郎はその場に呆然と立ち尽くす事しか出来なかった…


桃太郎

「か…帰りたい!」


…その時、桃太郎の後ろから歩み寄って来た人影…。


それは…


唯一桃太郎の秘密を知り得る人物…


「あれぇ?桃太郎どしたん?」


何食わぬ顔で登校して来た桜…。


しかし桃太郎は桜の事をまだ信じていた。


桜がそんな事をするはずがない!


その程度の道徳は持っているはずだ!


そう信じて、桃太郎は桜に問い掛けた。


桃太郎

「さ、桜…昨日のアレ…皆に言った?」


「うん、言ったよ!

それがどうかしたんかな?」


即答!


その余りの衝撃に、頭の中が真っ白になる桃太郎。


迷う事無く、表情さえ変えず、笑顔のまま…


桃太郎に裏切りの言葉を伝える桜…


桃太郎の胸の奥から…


ドロドロとした暗黒の感情が溢れ出して来る…


それは怒りに変わり…


憎しみに変わり…


悪意に変わり…


果てには殺意へと変わり果てていた…


桃太郎

「…さぁ~~~くぅ~~~るぁ~~~ッ!!!

きぃ~さぁ~むぁ~~~ッ!!!!!!」


あろう事か、鬼の形相の桃太郎…。


それでも桃太郎は心の中で自身に言い聞かせていた。


桜は別に悪くない。

悪いのは努力を積み重ねても成長できない自分自身だと言い聞かせた。


隠れて稽古する事だって別にいい。


秘密を持ったっていい…


…それでも…


押さえきれない程の力で押し寄せてくる感情の波を、桃太郎が押さえる事は出来なかった。


今にも暴れだしそうな桃太郎。


桜でさえ狼狽えそうになるその様子を目の当たりにして尚…


背後から彼に声を掛ける者がいた…


…それは…


金時

「桃太郎!お前こそこそ隠れて1人で稽古してんだってなぁ!?」


寺子屋の破壊力第1位…


【金時】だ。


金時は剣道の授業でもないのに脇に木刀を携え…


まるで敵でも見るかのごとき目付きで桃太郎を睨む…。


暴力的でありながら、それでも威風堂々たる風貌…


そんな金時に憧れ…


彼の取り巻きになる者も少なくはなかった…


金時

「ちょっと付き合えよ…。

俺が実力を拝見してやるからよぉ。」


桃太郎と金時は幼馴染みだった。


だが桃太郎は金時のこう言う性格が苦手で、しかも何をするにしても負けていた。


今となっては誰にも敵わないほど弱くなってしまった桃太郎。


そんな桃太郎を、何故か今でも敵対意識を持って接して来るの金時…。


今日もどうせ負かされる…。


…恐い…


金時の攻撃によって我が身に受けるその痛みも去ることながら、目の前の金時から逃げようと思ってしまう自分自身の感情に立ち向かえない事が…


何より恐かった…


困難から逃げようとしてしまう自分が恐い…


そうする事で成長から逃げようとする自分が恐い…


挑もうとする意識から逃げる自分自身が…


恐い…


だれにでも分かりやすい言葉に直すのは、今の桃太郎にはまだ難しい…


しかし…


簡単に言えば負けず嫌いな性格の桃太郎には、金時の誘いを断る理由はなかった…。


桃太郎が金時の挑発のままにその後を着いていこうとした…


…その時…


「ちょっと金時!

【弱い者】苛めは絶対にいけんよぉ!」


【弱い者】と言う言葉が桃太郎の胸を深々とえぐった。


「桃太郎と金時の力の差なんか【歴然】なんじゃから、【強い】金時が【弱い】桃太郎を傷つけてどないしよるん!?」


前言撤回、桜の方が酷かった。


桜に悪意は無い。


ただ、素直で嘘の無い桜の言葉は桃太郎の弱い部分を意図も容易く傷付けた。


攻撃を受けた訳でもないのに、立っている気力を失ってその場に崩れ落ちる桃太郎。


戦意を失い、廃人のように這いつくばる桃太郎。


その様子を見て、さすがの金時も同情する気持ちを押さえられなかった。


金時

「…ごめん…

俺が悪かったよ…。」


まだ1日は始まったばかりだと言うのに…


桜の言葉に打ちのめされ、金時の優しさにとどめを刺された桃太郎。


桃太郎はこの時、きっと帰りたかったに違いない…


…しかし桜に捕まってしまった桃太郎は、放心状態のまま引き摺られて1時間目の授業に向かう事となった…。


「さぁ行こー!

1時間目の授業は体育じゃー!」


金時

「あいつ今日…

生きて帰れるのかな?」


時は流れ…


今は4時間目【実技】の時間…。


この時間は生徒にも任せる事が出来るような、簡単な御祓いを学ぶ事ができる時間だった。


この郷の寺子屋では一般的な授業の他に、侍を目指す人向けの授業や、陰陽師や法師になりたい人向けの授業も儲けられていた。


授業内容は簡単なものから高度なものまで様々で、今回の授業では自分でお札を作ったり簡単な儀式を行う事で小さな妖怪を退治してみようというものだった。


ここでも桃太郎の宿敵は桜…。


彼女は寺子屋が用意した妖怪を見事に退治していく。


彼女の周りはいつも拍手と歓声で包まれていて、その笑顔は絶える事を知らなかった…。


桃太郎

「よーし!オイラもやるぞぉ!」


負けてばかりはいられない!


桜が出した結果を見て、やる気を出した桃太郎。


そんな桃太郎に与えられたのは、小さな檻に入れられた貧相な妖怪だった…。


小型妖怪

「助けてよー!ボク何もしてないよー!

何でこんな檻に入れられてるんだよー!

ちょっと散歩していただけなのに、何でこんな事になるんだよー!

…やだよー!死にたくないよー!」


…桃太郎に用意された妖怪は、誰もが祓う事を躊躇ってしまうような小さく弱い妖怪だった。


まるで青い人魂の形をした妖怪が、今から自分を払おうとしている桃太郎にすすり泣く。


やる気を出した筈の桃太郎であったが、この小型妖怪を払うには罪悪感が双肩に重くのし掛かる。


先生の顔色を伺う桃太郎。


しかし先生は「勉強だから」と桃太郎を突き放した。


同じ寺子屋の生徒達も、桃太郎と目を合わせようとしない。


桃太郎は仕方なく、お祓いをするために先生が用意してくれた祭壇へと妖怪を運んだ。


小型妖怪

「嫌だよ~…怖いよ~…

死ぬなんて嫌だよ~…」


桃太郎は祭壇の前で正座をして両手を合わせ、お祓いの為の経文に目を通す。


小型妖怪

「お前らこんな事して何が楽しいんだよぉ…

弱い者を苛めて恥ずかしくないのかよぉ…

お前らには人の心が無いのかよぉ…」


後は経文を読めば小型妖怪は祓われる。


…はずだった…


小型妖怪

「お父さん…お母さん…

先に行って…待ってるからね…」


桃太郎

「こんなの出来るかぁーーーーーッ!!!」


だが桃太郎には出来なかった。


桃太郎は小型妖怪が入った檻を手に取ると、先生の前に突き出した。


桃太郎

「もっとやり易いのをお願いします!!!」


すると周りから桃太郎に対してヤジが上がる。


「そんな簡単な事もできないのか!」

「先生が全てお膳立てしてくれているのに何だその態度は!」

「先生!コイツがいると勉強の邪魔だよ!」


数々の罵声が桃太郎を否定する。


教師でさえ、桃太郎の態度に怒りを顕にした。


蓄積されていく桃太郎の不満…。


やがて限界を超えた桃太郎は感情を制御出来なくなり、手に持っていた小型妖怪の檻を床に叩きつけてしまった。


桃太郎

「じゃあお前らがやってみろよッ!!!」


檻は壊れ…桃太郎の足下に四散する…。


檻の中に居た妖怪はここぞとばかりに飛び出し、助けてくれた桃太郎に感謝の言葉を残した…。


小型妖怪

「ありがとうよ!この間抜け!」


そう言い残すと、小型妖怪は何処かへと消えて行ってしまった。


唖然として動けないでいる桃太郎。


ふと我に帰ると…


桃太郎の周りを囲む大勢の生徒と教師達…。


そのあまりの形相と殺気をはらんだ威圧感に、桃太郎は圧倒されてしまった…。


「出ていけ!」

「もう二度と来るな!」


そうして寺子屋の外へと蹴り出されてしまった桃太郎。


悔しいが桃太郎は何も言い返せる事なく、ただ言われるがままに退学と言う処分を受け入れるしか無かった…。


何処かへと去って行こうとする桃太郎…。


そんな桃太郎を心配して呼び止めた唯一の存在は…


またしても桜だった…。


「桃太郎!どけぇ行くん!?」


桜は桃太郎の後を追い掛けようとしていた。


しかし桃太郎は桜の気配に勘づいて、いち早く駆け出していた。


曲がり角を見付ける度に右へ左へと方向を変えて走り、桜の視覚から自分の姿を隠して逃げた…。


また追われて来てはたまったものではないと…。


…そんな一心で…


桃太郎の計画が功を奏したのか、今度は追い付いて来る桜の姿は何処にもなく…


それが桃太郎の望んだ結果のようでもあり…


それが少し寂しくもあった…。


そうして走り続けた桃太郎。


逃げた桃太郎が辿り着いたのは、郷の外れにある森の中…。


ここには郷の御神木となる、大きな桃の木が成っていた。


通常であれば20年程で寿命が尽きる桃の木だが、この郷の御神木である桃の木は遥か昔からそこに居た…。


桃太郎のおじいさんが郷を造ろうと考えた時には既にそこに存在し、丘の上から郷全体を見下ろして、毎年美しい花を咲かせていた…。


今は丁度桃の花の季節で、遠目にも分かる満開の桃の花を見て桃太郎は足を止めていた。


桃太郎

「オイラと同じ【桃】なのに…

お前は華やかで本当に美しい生き様だな…。」


ヒラヒラと舞い落ちる桃の花が綺麗で、桃太郎はつい見とれてしまっていた。


何もかも嫌で…

何一つ上手くいかない…


努力すれば、やる気があれば、願いが叶う事がなかったとしても【そこ】に少しずつ近付いて行けると信じていた。


しかし現実はどうだ?

一歩だって近付けたような気がしない。


むしろ遠ざかっていくようで、不安と不満が桃太郎の心を押し潰していた。


自分の何がいけないのか?


どう足掻いても変えられない現実に理不尽を感じて自暴自棄になる。


何もかも考えられなくなって瞳を閉じた桃太郎の頬を、優しい風と桃の花が撫でては過ぎ去って行った。


ここには静けさ以外に何も無い。

誰も見ていないし、聞いていない。

そして桃太郎を包み込む暖かな陽気。


それらが桃太郎に、心の奥底で留めていた本音を言わせてしまった。


桃太郎

「…もう、諦めようかな…。」


桃太郎の脳裏に、今まで自分を罵倒してきた多くの人々の顔と言葉が甦って…


桃太郎が踏み止まっていた多くの失意を認めさせていく。


桃太郎

「…オイラもじい様や…父様みたいに…」


桃太郎が最後に思い浮かべたのは家族の顔…


強く逞しい祖父と父。


いつか追い付きたかった彼等に…


桃太郎

「…強く…なりたかったなぁ…」


今は…何があっても追い付けないような…


そんな気持ちが桃太郎の心の中に溢れ出して、桃太郎の考えを支配していた。


涙さえ流れないほどの失意…。


自分には泣く資格さえ無いと思えてしまう…。


それ故に表情さえ作る事ができない…。


桃太郎は認めていた…


心の底から…


完全なる敗北を…。


今は何も考えず…


ただ少しずつ散り続ける桃の花を見て、どんどん希望が失われていく自分と重ねていた。


…こうして自分も抗う事すら出来ずに朽ちていくのだと…


そう感じていた…


…その時。


「…もう諦めるのか?」


突然、桃太郎に向けて投げ掛けられた声…。


それは誰からも何も言われるはずがないと高を括っていた桃太郎の心臓を矢のように射抜いた。


見えない矢が胸を突き抜けて何処かへと消えて行く…


実際に攻撃を受けた訳でもないのに、致命傷を受けたような絶望感…。


何か取り返しがつかない事をしたような…


…そんな感覚…


まるで誰かに急かされるように、慌てて声のした方向を探す桃太郎。


そこに居たのは…


桃太郎が人生で初めて目撃する鬼だった…。


見るも美しい白で包まれた白鬼…。


たった1人で岩にもたれ掛かるその鬼は、太陽の光を反射する白い髪と、そこから覗く白い角を持ち…


尖った耳と長い牙が、血に飢えた獣の武器として桃太郎の目に映り込んでいた。


しかし、どこか神聖な雰囲気を漂わせるその鬼は、その身に纏った白い衣を自らの血で赤く染め…


致命傷を負っている様子なのに、それでもその眼は鋭く、冷静に桃太郎の事を観察していた。


…まるで何一つ諦める気は無いとでも言わんばかりに…。


気迫のみで自らの儚い命を繋ぐ…


そんな白鬼の質問に…


桃太郎は…何も答える事が出来なかった…。


静かな時が流れていく。


桃の花びらに囲まれた幻想的な空間で…


桃太郎と白鬼だけが世界の全てであるかのように…

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