第2話 やってしまった

 また狸なのか。

「こ、こんにちは。私、椿神社におります、お紅です」

 黒に真っ赤な椿を散らした着物を身につけた少女がぺこりと頭をさげてきた。今まで出会った狸娘たちの例に漏れず、この子も美人だ。しかし、地味めだ。控えめな美が輝くといってもいい。

「あなたは、以前、刑部狸のときに助けてくださった」

「わ、わたしはなにもしてません」

 おどおどと俯いてしゃべるお紅は恥ずかしそうに俯いて、ちらりと視線を向けてまたきゃあと俯いた。

 年頃の娘さんそのままだ。

 苦手だ。

 こういうタイプは何を話せばいいのか、要領を得ないことは口にしてくるので面倒だ。

「それで、こちらにはなにを」

「あの、えっと、その」

 しどろもどろ。

 ああ、はやく本題にはいってくれ。

「んっと、あ、恥ずかしい」

 ここまできて今更。

「その、そのですね」

 ちらちら。

 もじもじ。

 うつむき、うつむき。

 黙ったまま話が一ミリも進まないのに政はいい加減にうんざりしてきた。横を見るとなんの話かと猫はにこにこ笑っているし、三太は興味深そうに眺めている。

「あの、一体なにが」

 とうとう我慢できずに政は聞いた。

「……で、……ほし、です」

「はい?」

「……のすきなものをつくってほしいんです」

「いま、なんと?」

「狐さまの好きな食べ物を作ってほしいんですっ」

 勢いよくお紅が口にした言葉に政はあっけにとられた。



「あの恥ずかしがり屋のお紅が来たと聞きましたが、狐の飯をねぇ」

 けらけらと六角が笑いながら顎を撫でる。

「知ってるんですか?」

「だいたいの事情は。それで尋ねてこたられてんだすね?」

「ええ、まぁ」

 お紅は狐の好きな食べ物を作ってほしいと叫んだあと、真っ赤になってはずかしぃ~と声をあげ、庭へと駆け出していってしまい、そのまま行方不明だ。

 一体、なんなんだ。

 置いていかれた政はため息をひとつついて、車を出したのは六角のところだった。

 狸のことなら、六角に聞くのが一番だと思ったのだ。

 六角の店のそばはおいしいので猫も三太も喜んでついてきた。

 先日の騒動で怪我をしていた六角はまだ包帯があちこちに見えるが、政が来ると歓迎し、店の座敷に通してくれ、話を聞いてくれた。それも店で出すおそばつきでーー本日はえび天、キノコの煮物の小鉢、大根とにんじんの漬物、山菜の炊き込みご飯というメニューだ。

「あれは身分違いの恋をしてるんですよ。いい加減に諦めたかと思いましたが、まだしがみついてるんですね」

「身分違いですか?」

「ええ。狐……松山には狐がいないと言いましたよね?」

「はい」

「実は数匹はおります。そして、その狐たちのまとめ役をしているのに、お紅はずっと恋をしてるんですよ」

「……種が違いませんか、それ」

 狸が狐に恋をしたところで、それは成立するのか。種が違うのに。いや、バケモノだとそういうのは気にしないのか?

「そうそう、だから不毛だからやめろといいましたが、お紅はほら、年頃の娘ですから、一度熱をあげるとねぇ」

「はぁ」

「まぁ、あいつは、イケメンじゃかろのお」

「そうなんですかって、わっ」

 いつの間にか政の膝のうえに刑部狸がちょこんと座っていた。本当に、いつの間に。

「ふふ。政くん驚いたかの」

「驚きましたし、びっくりしましたので膝から降りてください」

「や!」

「そんな子供みたいな」

 ぎゅうと爪をたててくる刑部狸に政は途方にくれた。これが、四国でも神とも言われる狸なのか?

「総大将、政さんが困ってますよ」

「やじゃあ」

「総大将といえど、政さんを困らせるなら相手しますが」

「落ち着いてください。六角さんもいつもは冷静で真面目なのにどうして」

「……私だって膝の上にのりたいですよっ」

 六角が牙をむく。

 え、そういうお怒りなのかと政があきれていると

「こういうところは、目上に譲らんかい」

「譲っているでしょう。総大将でなけりゃあ、いますぐぽいしてますよ」

「できるもんならやってみい」

 人の膝の上で言い争うのはやめてほしい。

 これではそばを食べるどころではない。

 政は仕方なく、刑部狸を両手で抱えてわきに置いた。爪を出して一生懸命抵抗しようとしてきたが、問答無用だ。

「そばがのびます」

「政くんのいけずぅ」

「なんとでも……ん」

 政の目が注目したのは、箸だ。

 桜の枝だ。それを先を鋭く削って箸にしている。でこぼこであるが、花が咲いていてとても美しい。

 見ると、猫や三太たちのもそうだ。

「すごいですね」

「気に入りましたか」

「……口にいれて平気なんですか」

 桜の木は外にあるものだ、菌が気になる。

 ぷはーと六角は噴出した。

「そこらへんはきっちりやっておりますから安心なさいな」

「はあ、しかし、枝を折っていいんですか?」

「ご安心なさい。それは桜の木がくれるといってくれたもんです」

 ふふっと得意げに六角は笑う。

 たぬきが化けて人の世に混じるのだ。桜がしゃべってももう驚いたりはしない、つもりだ。

「政さんに食事を出すといったら提供してくれたんですよ。どれ裏庭にいますから、あとでご挨拶しましょうか」

 はぁと言いながら政はそばをすする。桜の木の箸はごつごつとして使いづらいが、よく研いでくれたおかげでつかみやすい。それに甘い香りがする。

 なんとも心が躍る。

 食事をとるようになってからわかったが、こういう小細工が楽しいというのはあるのか。

「先ほど話に戻りますが、四国には狐はほぼおりません。理由としては、昔、人を騙した狐がおりましてね、怒り狂った人が仏に祈り、この島から追い出した、ということです。かわりにたぬきはよいとされましたね」

「わしら、かわいいからのぉ」

 などと刑部狸がのたまう。

 まだ政の膝にのりたそうにしているので、仕方なく、政はえび天を差し出した。それを口を開けて受け取った刑部狸はさくさくとと食べていく。

「じゃから狐は基本、ここにはおらんのよ。あれ、性悪とか言われて嫌われてるんじゃ」

「たぬきもわりと性格悪いと思いますが」

「政くん、たぬき嫌いか」

「私たち、そんなことしてませんよ」

 刑部狸と六角が慌てて言いつのってきた。

 政としては、別にたぬきが嫌いとかではない。単純に昔話――カチカチ山などを思えば狸も相当に悪だ。

 今更だが、松山は狸が多い理由が少しわかった気がする。

 やはり、その土地柄というのもあるし、過去の出来事がかかわっているのだろう。それがもしかしたら、猫に関することにつながるかもしれない。

「けど、狐がまったくいないわけではないんですね?」

「そりゃあ、あれは神の使いのお稲荷とかおりますからね、ここらへんで唯一お稲荷として名の知れているのが、伊予の稲荷神社でしょうね。あそこは九尾の尾を持っておりましてね、それで分霊の一匹がおります」

「九尾っていうとあの有名な」

 別にホラーやオカルトに詳しくなくても、最近ではそういった妖怪などのドラマもよく作られていて見ることがある。政はそこまでバラエティ番組は見ないが、ちらほらと聞く。いわく、九つの尻尾を持つ狐が強くて、いろいろと悪さをしていた――らしい。

「九尾の狐ですね。あいつは昔、人に退治されて今は石になっているといわれてますが、自分の尾をいくつか分けているんですよ。本当に性根が悪い」

 ふんっと六角が言い返す。

「狐はさ、尾に霊力と命が宿るっていわれてるんだ。あ、これ猫ともだけどさ」

 三太が教えてくれた。

「基本的に獣はそういう傾向にあるよね。あれ、たぬきは聞かないけど」

「私たちは、存在そのものが神のように完璧なので」

 しれっと六角が言い返してくる。なんだ、この自信に満ちあふれた狸は。

 政が胡乱な目で見ていると、膝の上に重さがきた。ちゃっかり、刑部狸が膝にのってきている。

「けど、松山は狐も嫌いじゃないよ? 松山のなかには九州最古の稲荷神社もあったりするくらいですからね」

 と三太がそば汁を飲み干した。

「狐を追放したのに?」

「まぁ狸と狐はセットが多いからさー。あー、おいしかった。ねぇ猫ちゃん」

「はい。けぷーです」

 人が狸たちに弄ばれながら必死に情報を集めていればこいつらは満腹まで食べている。

「それで、会うのですか? あそこの狐は神に仕えているだけあって、悪いものではないのでその点は大丈夫でしょう。まぁ、かなり癖がありますが」

「癖ですか……そうですね」

 六角の問いに政は沈黙した。

 別に義理があるわけではないし、引き受けなくてはけいない必然性もない。けど。

 ちらりと猫を見ると、食べ終えた満腹感からほっこりと笑っている。政の視線に気が付いたらしく、顔をあげてにこりと蕩ける笑みを浮かべてくる。

 最近、体よくつかわれている気がする。

 まぁ、けど

「もうすぐ、それも終わりですしね」

「へ」

「はい?」

「言ってませんでしたね、そろそろ有給が切れますりので、ここを去るかもしれ、ぐえ」

「だめじゃーー。政ちゃーん」

「政さん、そういうことをさらっというのはずるいですよ」

 思いっきり刑部狸が胴に飛びついてきたうえ、六角が驚いた顔で迫ってきたのに政は、今更だがこれは言うタイミングを間違えたのかと真剣に思った。

「あのさ、政さんってわりと空気読まないよね」

「え」

「空気っていうか、自分の評価低いせいか爆弾をさらっと落とすっていうか」

 三太が呆れた視線を向けてきたのに政は自分の迂闊さを少しだけ自覚した。そんなつもりはなかったが、二匹の荒ぶるたぬきを見て、失敗したと心から思った。

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