#36「遊園地に来たようです」

「――……はぁ、はぁ」

 

 ある日曜の昼下がり。

 俺はとある場所で、膝をついて、肩で大きく息をしていた。

 目の前に広がるのは、人でごった返している入場ゲートと、その奥にジェットコースターをはじめとした大仰なアトラクション。


 ……そう。

 俺は今、遊園地の前にいた。


「はぁ、はぁ……杠葉ちゃんは……」


 整っていない息のまま、俺は人混みの中から待ち合わせをしていた人物を探す。

 目当ての人物は、思っていたよりもすぐに見つかった。

 杠葉ちゃんは……入り口前に鎮座している、何を|象(かたど)ったのかよく分からない巨大モニュメントの前に立っていた。

 たぶん、俺が見つけやすいようにという配慮だろう。


 俺は杠葉ちゃんを見つけるなり、すぐ彼女の元に駆け寄る。

 俺に気付いた杠葉ちゃんは、少しむくれたように言う。

「……10分遅刻ですよ、お姉様」

「ご、ごめん……華恋を撒くのに時間がかかっちゃって……」


 こういう時に限って勘がいいのだ、アイツは。

 もし今日のことが華恋にバレようものなら、確実についてきただろう。

 別にそれはそれで楽しいのかもしれないが、今日はあくまで杠葉ちゃんへのお礼を兼ねてのもので――あくまで2人で遊園地に行きたいという杠葉ちゃんの要望だったため、申し訳ないが華恋には遠慮願ったのだ。


 すると杠葉ちゃんはすぐに、むくれ顔から、いつもの穏和な表情に戻る。

「ふふ……冗談です。珍しく朱鳥お姉様が慌ててるから、ちょっとだけ揶揄からかいたくなっちゃいました」


 杠葉ちゃんのそんな表情を見るのは初めてだったので、少しだけ新鮮だった。

 俺の自惚れでなければ……杠葉ちゃんが以前よりも心を開いてくれているのだと考えて差し支えないはずだ。

 そう思うと、少し嬉しかった。


 ……と、いかんいかん。

 こんな場所で呑気にしている場合じゃない。

 時間は待ってはくれないからな。


 俺は仕切り直すために、軽く咳払いをした。


「……さてと。それじゃあ、中に入りましょうか」

「はい、お姉様!」


 そして俺と杠葉ちゃんは、遊園地の中に入ったのだった。


◇◇◇


『じゃあ――ひとつだけ、お願いしても良いですか?』


 父さんと久しぶりに対峙して――そして杠葉ちゃんに助けてもらった、あの日。

 日頃のお礼をしたいという俺に、杠葉ちゃんが言ったのは、こんな願いだった。


『私は、朱鳥お姉様と――遊園地に行きたいです』

 そのお願いを聞いた時、正直……え? それでいいの? と思った。


 もちろん拒否しようとは思わないけど……ぶっちゃけもっと大胆なお願いが来たとしても受け容れる覚悟はできていたから、拍子抜けだった。

 だけどその控えめな感じが、逆に杠葉ちゃんらしくもあった。


「わあ……すごい人ですね……」

 遊園地の中に入った杠葉ちゃんは、開口一番感嘆の息を漏らす。

 確かに園内は、人という人でごった返していた。

 もちろん今日が休日というのもあるのだろうが……それにしたって尋常じゃない多さだぞ。


 ちなみに、実はこの遊園地も天王寺グループの所有している施設のひとつなのだが、杠葉ちゃんにはそのことは伝えなかった。

 説明するのが面倒だし、わざわざ教えるのもなんだか鼻につく気がしたからだ。折角楽しんでくれているところに、水は差したくない。


 もっとも俺もほとんど来たことがなかったから、その広さに改めて驚いているクチなのだが。


「杠葉ちゃんは、何から乗りたい?」


 俺がそう尋ねると、杠葉ちゃんは右から左へ視線を行ったり来たりさせながら呟いた。


「うーん、ジェットコースターにも乗りたいし、観覧車にも乗りたいし、どうしようかな……」


 そんな杠葉ちゃんを見て、俺は微笑ましく思う。

 俺と一緒に遊園地に行くのを、こんなに楽しみにしてくれていたんだなって。


 ――と、

 その時だった。


「――あっ」

 杠葉ちゃんの体が、人混みの中に飲み込まれそうになる。


「杠葉ちゃんっ――!!」

 俺は、咄嗟に彼女に手を伸ばした。

 伸ばした手は、なんとかギリギリ杠葉ちゃんの手を掴み取る。

 俺は、全身を使って杠葉ちゃんの身体をこちらに引き寄せた。

 

 引き寄せられた杠葉ちゃんは、俺に抱き止められるような格好になる。

 俺は、俺の手の中で強張っている杠葉ちゃんに声を掛けた。


「……大丈夫?」

「はい、ありがとうございます……」

「はぐれちゃうから、あんまり余所見してたらダメだよ?」

「すみません……」


 杠葉ちゃんにも、意外とそそっかしいところがあるんだな……。

 まあ、しっかりしてると言ってもまだ中学生だし、なんらおかしくはないのだが。

 むしろそういうところを含めて、可愛らしいなと俺は思った。


 杠葉ちゃんは俺に握られた手をまじまじと見つめていたが、やがてこう言った。


「……朱鳥お姉様」

「うん?」

「もし良かったら……このままこうして手を握っててくれませんか?」

「……え?」

 ちょっと予想外の提案だったので、思わず変な声が出てしまう。


 すると杠葉ちゃんは、急に早口で捲し立てた。

「あ、別に変な意味じゃなくて! またはぐれちゃうといけないから、こうして手を繋いでた方が良いかなって……!」

「そ、そうね……」

「ごめんなさい、嫌だったら良いんです――」

 そう言って、杠葉ちゃんは手を離そうとする。

 それを俺は――、強く握り直した。


「あっ……」

「別に、嫌だなんて言ってないよ」

 そして、彼女の手を引く。


「……さ、行こっか」

「はい……!」


 そう元気よく答える杠葉ちゃんは、なんだか嬉しそうに見えた。


◇◇◇


 遊園地の中に入っていく朱鳥と杠葉。

 それを遠巻きに眺めている少女が1人いた。


「黙って出ていったと思ったら、なんで遊園地に……? しかも、杠葉ちゃんと一緒に……」


 少女は眉間に皺を寄せながら、2人が遊園地の中に消えていくのを見送った。


「あやしい……」


 そして少女――華恋は、2人を追って、遊園地の入場ゲートへと向かう。


「待ってなよ2人とも……。私を差し置いて遊ぼうとしたことを後悔させてやるんだから――」

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