#XX「番外編/百瀬先生、がんばる」

「――……いくらなんでも、飲むペース早過ぎじゃない?」


 金曜の夜。

 それは1週間のなかで、大人たちが最も自由になれる時間。

 普段は女子校で教鞭を取っている彼女――|百瀬小春(ももせこはる)もその例にもれず、山積みだった仕事から一旦解放された彼女は、明日から久々の休みだということもあってか、早速一杯目から快調に飛ばしていた。


「ぷはぁ〜……だって、こんなふうに思い切り飲めるの、久しぶりなんだもん」

「あとで酔い潰れたとしても、アタシは面倒見ないからな?」

 小春の大学時代からの友人――|柳瀬梨緒(やなせりお)は、苦笑混じりにそう呟いた。


「……ところで、ついに担任持ったんだって? おめでとう」

 梨緒は、早くも頬が赤く染まっている友人に、祝福の言葉を投げかけた。


 梨緒は小春と同じ教育学部の同期だったため、彼女の努力をよく知っていた。

 途中でドロップアウトした梨緒とは違い……小春は、皆に慕われる立派な先生になりたいという夢を捨てずに、ここまで頑張ってきた。

 そして今、ようやく担任を持つことで、その夢に一歩近づいたのだ。

 それをずっとそばで見守ってきた梨緒は、まるで自分のことのように嬉しかった。


 小春は、莉緒の言葉に頷く。


「うん、ありがとう」


 だが、その表情は俄に曇り出す。


「確かにクラスを持つのは念願だったし、そのこと自体はすごく嬉しいんだけど……うちの学校の子たちって、良くも悪くも他と違うっていうか……クセのある子が多いんだよねぇ……」


 小春が現在勤務しているのは、かの有名な栖鳳女学院。

 そこに入学してくる生徒たちは、大なり小なりお金持ちの子がほとんどな訳で……。

 そうなると当然普通の子とは、扱い易さが変わってくる。


 特に小春の担当する予定のクラスには……あの周防世莉歌がいる。

 周防世莉歌。

 父が現役財務大臣で、他にも数多くの政治家を排出している名家のお嬢様だ。

 それ故彼女自身のプライドも高く、扱いにくさにかけては教師陣の中でもお墨付きだった。


「あはは、なるほど……厄介な子を押し付けられた訳だ」

「何で初担任の教師に、そんな重荷を背負わせるかなぁ……」

「んー……期待されてるってことじゃね?」

「そんな訳あるかぁー!」


 莉緒の他人事過ぎる返しに、お酒の入った小春はキレ気味に叫ぶ。

 そして次の瞬間には、また塞ぎ込む。

 小春はグラスの縁を指でなぞりながら言った。


「私……あのクラスで本当に上手くやっていけるのかなぁ……」


 小春の口から漏れ出る弱音。

 こんな弱音は、普段の彼女なら絶対に吐かない。それでもこんなふうに溢れてしまうのは、きっとお酒の力と、隣に気の許せる友人がいるからだろう。


 もっとも、それ自体は……彼女が普段から抱えている悩みで。


 ついにクラスを持つことが出来たという嬉しさがある反面、本当に自分なんかに担任が務まるのだろうかという不安が、彼女の内の中には、ずっとぐるぐると渦巻いていた。

 それが今日というきっかけを与えられたことで、溢れ出してしまったのだ。


 梨緒は、小春の様子をしばらく黙って眺めていたが、やがて彼女に言った。


「うーん、なんというか……もっと肩の力を抜いた方が良いんじゃない?」


 小春は昔からずっと、頑張り過ぎるきらいがある。

 そして1人で抱え込もうとするのだ。

 それは在学中からの彼女の癖のようなもので。

 梨緒はそれが心配で、今回の飲みの席を設けたのだ。結果的に、その読みは当たっていた。


「小春なら、絶対に立派な先生になれるよ。だから、自信持ちなって」

「うん……」


 親友の励ましを受けて、小春は少しだけ気が楽になった。


 それからというものの、小春はほとんど愚痴に近いような不安の数々を、梨緒に話し続けた。

 梨緒は、時折おちゃらけて話の腰を折ったりしながらも、真剣に話を聞いていた。

 

 それは結局、小春が酔い潰れるまで続いて。

 梨緒は、肩を貸して彼女を家まで送ったのだった。


◇◇◇


「……頑張らなくちゃ」

 小春の吐いた吐息が、心地良い春の陽気の中に溶けて消えていく。

 

 今日は月曜日。つまり、また教師としての1週間が始まる。

 先日の梨緒との飲み会で励まされた小春は、ちょっとだけ前向きになれていた。

 だけど……不安が完全拭い去れたという訳でもない。

 少しでも考え過ぎると、またネガティブな思考に陥ってしまう。

 だから、敢えて前向きな言葉を声に出して、自分を奮い立たせていた。


 小春のスマホに、SNSの通知音が鳴る。

 開いてみると、莉緒から一言『ガンバレ!』とだけメッセージが届いていた。

「梨緒……ありがとう」

 小春は、そのメッセージを眺めながら、自分を鼓舞した。


「私なら出来るよね、きっと――」


 栖鳳女学院では、心を清らかに保つにはまず挨拶から――そう言った理由で、校門前で朝の挨拶をすることが習慣となっていた。

 生徒会の生徒と、持ち回りで教職員のうちの1人が校門前に立ち、登校してくる生徒に挨拶する。

 小春は、今日がその当番だった。


 次々と登校してくる生徒たちに、小春は一人ひとり挨拶をしてゆく。


 だが、そんな中――、小春は校門をくぐってゆく生徒たちが、妙に色めき立っていることに気付いた。


『誰だろ……綺麗な子だね、モデルさんみたい』

『見たことない顔だけど……ウチの生徒かな……?』


 歩いていく生徒から、そんな会話が聞こえてくる。

 小春は、生徒が流れてくる方向に目を凝らした。


 すると――明らかに制服とは異なる、落ち着いた柄のワンピースを着た少女が立っているのが見えた。

 

「あの子は……――」 


 遠目でハッキリとは分からなかったが……女性としては長身のスラリとした立ち姿と、風に当てられてサラサラとなびく長い髪。おまけに、そこから覗く顔立ちは、驚くほどに整っていた。

 通り過ぎた生徒たちが話題にしていたのは、間違いなくこの子だろう。


 この学校に何か用があるのだろうか。

 或いは転校生か。

 でも転校生が来るなんて話は、少なくとも小春の耳には届いていなかった。


「――誰だろう……?」


 小春は何故か、彼女から目が離せなかった。


 この少女――天王寺朱鳥は、ここから約1週間後に小春のクラスに編入することになるのだが……この時の小春は、まだそれを知る由もない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る