#2「やっぱり祖父には敵わないようです」

 翌日、俺は祖父じいさんから、本邸の道場に呼び出されていた。


 天王寺極堂てんのうじきょくどうと言えば、少しでも詳しい人間なら一度くらいはその名前を聞いたことがあるだろう。大半を父さんに任せて既に隠居生活を送っているものの――古くから存在し、現在も数多くの事業で成功を収めている『天王寺財閥』の総帥だ。


 正直言うと、俺は祖父さんのことがあまり好きではない。

 だが、天王寺家で絶対的な権力をもつこの人物に呼び出されたれた以上、同じ家の人間として顔を出さない訳にはいかなかった。

 俺は、道場に入る時の正装――袴姿で、祖父さんの目の前で正座した。


「朱鳥、お前――女になったそうだな」


「……はい、お祖父様」

 見ての通りだよ、クソジジイ――という言葉は、グッと喉の奥に押さえ込む。


「そうか、よりにもよって、お前がな……」

 俺の答えに、祖父さんは、残念そうに眉を顰めた。

 そんなこと言われたって、俺だってなりたくてなった訳ではない。


「天王寺家の男子にまつわる話はすでに聞いているな?」

「ええ、まあ……おおよそは」


 どうやらこの女体化現象は、先祖代々、天王寺家の男子のみが発症するものらしい。原因は不明。嘘か真か、かつて天王寺が踏み台にしてきた者たちの怨念のせいだとかなんとか、そんなふうにも言われたりもしているとのことで……。

 母さんがこれを『呪い』と表現したのは、そういった理由からだった。


 ……と言っても、天王寺家の男子として生まれても必ず女性になる訳ではなく、数十年に1人存在するかどうか程度の現象らしい。


 だが現在、天王寺直系の男子は、俺しかいない。

 祖父さんが残念がっているのはそのためだ。俺が女になってしまったがために、天王寺家の跡を継げる人間が居なくしまったから。

 もっとも、こうなったことで俺はせいせいしている。

 女になってしまったことへの戸惑いはもちろんある

が……なにより天王寺の事業を継ぎたいとは1ミリも思っていなかったからだ。

 もちろん女でも継げない事はないだろうが、少なくとも俺が女になってしまったことで、祖父さんたちの目論見が外れた事は事実なのだ。その事実だけで、俺としてはいくらか胸が晴れる思いだった。


「お前は……あまり驚いていないようだな。突然自分が女になったというのに」

「流石にもう……1日以上経ってますので」

 ……いや、本当はまだ驚いているのだ。だが、あまりに突然のこと過ぎて、まだ感情が追いついていないだけだ。


「……立て、朱鳥」

「はい、お祖父様」


 俺は祖父さんに促されて、立ち上がる。


「儂が、お前に武道を教え続けてきた理由がわかるか?」

 祖父さんが俺を睨んだ。

「……いえ」

 ついさっき、俺は祖父さんがあまり好きではないと言ったが……正確には、祖父さんと相対するこの時間が好きではないと言った方が正しい。

 現在俺は、合気道と剣道で三段を所有しており、他にもいくつかの武道を齧っている。だがそれは、多くの時間をここで費やしてきたために得られたものであって……そのために数多くのことを犠牲にしてきた。

 友人と遊びに行くことなど許されなかった。そのせいで、俺は今の学校で孤立していた。

 それと引き換えに得られた武道の技術だ。


「強い男になるため、でしょうか?」

 取り敢えず思い当たる理由を答えたところ、祖父さんはゆっくりとかぶりを振った。

「……違うな」


 そして答える。


「……お前が万が一女になってしまった時のために、強く生きられるようにするためだ」

 戯言だ、と俺は思った。

 だけど、仮にそれが本当だとしたら……俺はまんまと女になってしまったということだ。

 なんというか、笑いが込み上げてくる。


 祖父さんは一切構えることをせず、俺のことを真っ直ぐに見据えた。

「さあ……今日の稽古を始めるぞ。何処からでもかかってきなさい」


 祖父さんは脱力し、完全に無防備な状態だった。とてもかかってこいなどとのたまう人間の姿には見えない。

 くそ……なめやがって……。

 そっちがその気なら、今日こそは……絶対に一本取ってやる。


「……やああッ――!!」


 俺は床をつま先で力強く蹴り、一気に間合いを詰めた――。


 だが……そんな俺の健闘も空しく。

 数時間後、俺は道場の真ん中に仰向けに倒れ込んで、無様に天井を拝んでいた。


「ちくしょう……あのジジイ、女に対して少しも手加減なしかよ……」


 まぁ、こんな時に女になったという事実を盾にする俺も、正直かなりダサかったが。

 

 祖父さんは俺にもう立ち上がる気力がないと見るや否や、一切労いの言葉もなく、とっくに道場を後にしていた。

 その代わりに、妹の華恋がひょっこりと現れて、倒れてる俺の顔を覗き込む。


「にぃに、大丈夫?」

「まぁ、なんとかな……」


 カッコ悪いところを見せたくなくて、つい強がりを言ってしまう俺。

 だけどそれがかえってカッコ悪いような気もして、なんだかドツボにハマってしまっている気分だった。


「だけど、しばらくは立てそうにないかも……悪いけど少しそっとしておいてくれないか?」

「うん……でも、動けるようになってきてからでいいから、お母さんのところに行ってもらえる?」

「母さんのところに? なんで?」

 俺が当然の疑問を投げかけると、華恋は難しそうな顔をする。


「うーんと、よく分からないけど……なんか呼んでたから」

 それ以外のことは本当に知らないようだった。


 母さんが俺に用?

 まぁ十中八九、今回の女になっちまった件についての話だろうけど。


「……分かったよ。行けるようになったら行く。だけど直ぐに行けるかは分からないから、期待はするなって言っといてくれ」

「うん。確かに伝えたからね!」


 それだけを言い残した華恋は、トコトコと小走りで道場から出ていった。そして俺はようやく1人になる。

 誰もいない道場の真ん中で、俺はポツリと呟いた。


「女、か……」


 まさか、自分が女になっちまうなんてな……。

 正直今でも信じられない。現実感の全くない話だった。

 でも現実問題、男としては考えられないくらいに発達した両乳が、俺の胸に重くのしかかっている訳で。


「俺……これからどうなんのかな……」


 そんな独り言が、つい口を突いて出たのだった。

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