琥珀の帰還
「あら、ずいぶん立派な琥珀ね、どうしたの」
カラスカの朝食の準備を手伝った後、イミリケはレガーニャの部屋を訪れていた。奴隷女が見つけた宝石を渡したところ、盲目の叔母は手にしただけで石の正体を見抜いた。そんな芸当を見ても今や家族は誰も驚かない。
「メルカルト神殿の階段に落ちていました」
「まあ、そんなところにあったとは」
「どういうことですか」
「いえ、なんでもないの。それより持ち主を探さないとね。きっと探しているはずよ」
「神殿の宝物ではないのでしょうか」
「あら、どうして」
「カラスカが昨晩神殿に侵入しようとしたそうです」
「それは元気なこと。あら、しようとしただけなの」
「そこがはっきりしないのです。どうも酔っぱらった勢いで侵入を試みたようなんですが。でもこんな立派な琥珀は、やはり神殿から持ち出したのではないかと」
「そうね、あの子ならやりかねないわね。仲間内の肝試しかなんかで」
やはり本人に聞くのが早いと、二人はカラスカが朝食を取っている食堂に向かう。しばらくは勢いよく食事をするカラスカの様子を見ていた。
「温かい食事をとって少しは元気になったかい、カラスカ。ところで、これはどうやって手に入れたの」
カラスカが夢の中で見た光る石を母が持っていた。
カラスカは先ほどまで母と従姉が入ってきたことも気に留めず、ほうばるパンをスープで流し込んでいたが、光る石を見て食事の手を止めた。
「それをどこで」
「私たちが聞いているのよ」
今度は腰に手を当てたイミリケが問いただす。二人はカラスカの座っている大きな食卓テーブルの対面に座った。再び食事を取り始めたカラスカだが、ある程度空腹が収まってきた上に、母とイミリケがすぐに席を立つ様子もなく、自分のことを見ているのに耐えられなくなり、食事を中断した。
「わかったよ。話すよ」
昨晩の出来事となぜそんなことをしたのかの経緯を語り始めた。
「神殿の本殿の壁によじ登って、宙に投げ出されたところまでははっきり覚えているのね」
レガーニャはカラスカがやや混乱しながら語る話を整理しつつ、状況を確認していった。
「そう、真っ暗な闇の中で目が覚めて、妖精と話して、また気を失うまで、なんだか不思議な感覚なんだ。本当に起きたことなのか自信がないよ。妖精なんて初めて見たし」
「次に目が覚めた神殿の塀の外にはどうやって戻ったか覚えていないのね」
母の確認にカラスカは水を飲み干し、木製カップをテーブルに置いてうなずいた。
「そう、それで始めから全部が夢だったんじゃないかと。情けないけれど、塀を乗り越えられず、下に落ちて気を失ったまま朝を迎えたんじゃないかって。でも昨晩はお酒は飲んでいないよ」
最後はちらりとイミリケを見てカラスカが答えた。
「たぶん、カラスカの言うとおりだと思うわ」
「えっ」
イミリケが驚いて隣の叔母の方を見た。
「でも、先ほどは」
「カラスカならまた何かやらかしてくれたのかもって期待したけれど、今の話を聞いたらそれはなさそうね。塀から落ちた時に頭を強く打たなくてよかったわ」
「腰はまだ痛いんだよ」
腰をさすりながらカラスカが答える。
「ロオ」
レガーニャが琥珀を拾った奴隷女を呼んだ。
「きっと落とし主が探しているはずよ。市場の噂を拾ってきて」
ロオと呼ばれた奴隷女は入ってきてすぐに部屋を出ていく。
「さあ、持ち主が現れるまで大切に預かっておきましょう」
レガーニャは琥珀を布に包んで懐に入れた。
朝食を終えたカラスカは少し深刻そうな表情で自分の部屋へ入っていった。その様子を見ていたイミリケは、カラスカのことを気にしつつ、ロオが不在のため代わりに食事の後片付をしていた。
しばらくすると、カラスカは着替えを済まし、出かけようとしていた。意外にも今はずいぶん開き直ったような表情をしている。
「どこへお出かけ」
「友達のところ」
カラスカの後ろ姿を見送ったイミリケは叔母に呼ばれた。
「食後は少し思いつめた感じでしたが、出かける時にはなにか吹っ切れた感じでした。友達のところに、昨晩のことを説明にいったのだと思います」
「少し前なら失敗したことが悔しくてしばらく引きこもっていただろうに。自分から友達のところに弁解しに行くなんて、カラスカも成長したものだわ」
「確かに私がここに来たばかりの頃は、すぐに意地になったり、不貞腐れたりしてましたね」
「あなたのおかげよ、イミリケ」
「私はなにも」
「あなたに格好悪いところを見せたくないのよ。いじけたり、泣いたりしてるところを」
イミリケはそれがなぜ自分のおかげと言われるのか分からず、きょとんとしている。
「カラスカはあなたにも随分甘えているけれど、私やロオへの甘え方とは違うわ」
その違いは単に歳が近いせいと思っているイミリケは、
「お二人と違って、私はまだそこまでカラスカからは信頼されていないからだと思います」
レガーニャはイミリケのこの面での鈍さを微笑ましく受け止めている。
「まあ、いいわ。それよりも、これはあなたが持っていて、イミリケ」
レガーニャが琥珀を包んだ布を取り出し、イミリケの手に握らせた。
「でも、これは」
「大丈夫、これを落とした人は現れないし、まして神殿から宝物が盗まれたと騒ぎも起きないから」
「まだ市場の様子を見に行ったロオが戻っていません」
レガーニャはイミリケを安心させるようにゆっくり何度かうなずいた。
「この琥珀に持ち主なんていないのよ」
イミリケが困惑の表情を浮かべる。
「敢えて言えば、私たちにご縁があると言えばいいかしら」
「この琥珀は私たちに何か関係があるということですか」
「カラスカが拾って来たんだから」
「それならば、私でなく、カラスカが持っている方が」
「あの子にはまだ早いわ」
「この琥珀は一体」
「私だって何もかも分かるわけではないのよ。でも今のあなたなら持っていて大丈夫。逆にこれを持っていて大丈夫なのはあなた以外に思い当たらないわ。結婚祝いということで持っていて、イミリケ。」
イミリケはそれ以上問いかけても、叔母が今は説明するつもりでないと悟り、
「分かりました。でも持ち主が現れれば、すぐにお返ししたいと思います」
と包みを受け取り、話題を変えた。
「カラスカは大丈夫でしょうか」
「神殿侵入のことかしら。それともあなたがハンニバル様のところに嫁いでいった後のことを聞いているの」
イミリケは前者の意味で聞いたのだが、後者についても気になっていたので、
「どちらもです」
と答えた。
「あの子なら大丈夫よ。生まれながらの幸運児だから」
周りにいる大人たちがカラスカをそう呼び、どこかカラスカに甘かったり、あまり心配する様子がないことに苛立ちと不安を感じていたイミリケだが、
(叔母様がそう言うのなら)
カラスカのことは心配しすぎない方がよいかもと思い直した。
いっしょに暮らし始めたころ、叔母の発言にはこれまでのイミリケの常識とはかけ離れたことも多く、驚いたり疑問に感じることがあったが、その後叔母の言うことがことごとく正しく、適切であることが分かり、今や全面的に信頼していた。
祖父や父はあまり触れなかったが、イミリケは祖母や母からは何度もこの叔母がかなり力のあるドルイドであり、そのうえ女性であったことで部族の村に居づらくなったのだと聞かされた。誰も一切その理由を話さないが、叔母が盲目であるのは先天的なものや事故によるものではなく、叔母自身が原因となって招いたものでないかとイミリケは感じるようになっていた。
女性のドルイドは非常に珍しく、男社会が顕著なこの時代において、力のある女性は珍重がられながらも、煙たがられる面もあったのだろう。それでも祖母や母の話しぶりからは蔑ずみもあったが、羨む想いが感じられた。イミリケ自身はこの叔母を尊敬し、憧れていた。女性が自分の意思を貫いて生きていくのが非常に難しい時代において、それをやり遂げる勇気と、障害を乗り越えていく力があるこの女性に同姓として強く惹かれた。自らは部族長の孫娘としてカルタゴの次代の棟梁に嫁ぐ身であればなおさら、その自由な生きざま、考え方が刺激的であった。部族の繁栄のための政略結婚に不満も後悔もないが、叔父と叔母のような結婚に憧れもあった。とはいえ、イミリケは間近に迫ったハンニバルとの結婚が嫌ではなかった。噂に聞くハンニバルの印象は決して悪いものではない。”バルカ王国”の”王子”たる血統だけでなく、すでに戦闘で軍も率いており、実力でも十分にこのイベリア半島の支配者となる器であると評判であった。
(叔父様と叔母様のようにお互い尊敬し合える夫婦になりたい)
改めてそう感じたイミリケだったが、ハンニバルの将軍としての評判を思い出したのをきっかけに、その思いが再びカラスカに戻ってきた。
「カラスカは兵士に志願したいようですね」
イミリケがしばらく物思いにふけっているのをやさしく待っていたレガーニャは、
「そうみたいね。あまり向いてはいないけれど、軍隊での経験も悪くないわね」
何ら不安を感じていないのか、笑顔で答えた。とても魅力的な笑顔であった。これに加えてカラスカと同じ褐色の瞳を見開いていたら、どれほど美しく見えることであろう。
「なるようになるから、心配しなくていいのよ。そろそろカストゥロからの輸送団がお出ましの頃ね。出迎えの準備をしなくちゃね」
そういって、席を立つ叔母の後に続き、イミリケも部屋を出た。
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