第12話 Steam Engineers

「ねえランコ」

 名前を呼ばれて、蘭子ははっと顔を上げた。

「何でしょう」

「さっきのハンマー、ランコも欲しい?」

「え?」

 唐突な提案に、蘭子は困惑した声で返す。

「それって、どういう……」

「護身用。ナイフよりずっと効く。女の人を想定して軽めに造っているから、ランコでも使えるよ」

「もしかして、あれってアンシュさんが造ったのですか?」

「うん」

 アンシュはあっさり頷いた。

「何でそんなまた、物騒なものを……」

「ロンドンに住むインドの資産家に頼まれたんだ。奴隷同然で連れてこられた娼婦が身を守る為、雇用主に見つからない程度の小さい武器を開発して欲しいって。造ったところでそんな劣悪な環境に狙って普及させるのが困難なんだけどね」

 滔々と続ける。

「でも聞いた話だと、売春宿への支援団体っていう名義で、娼婦の人達に直接会って箱に隠して食べ物とかと一緒に渡しちゃってるみたい。あ、内緒ね。まだバレてないみたいだから」

「え? でもそれって……アンシュさん、そういったものを作れるだけじゃなくて、すでに商売もなさってるんですか?」

「技師の免許くらいとっくに取得済み。USEsなんかと一緒にしないで」

「ゆ……?」

「Unlicensed Steam Engineers(無免許蒸気技師)。僕がやっているのはそんなんじゃなくて、ちゃんとしたやつ」

「え、ええ……!」

「まあいくら免許持ってても危険な発明品を護身用とかいって売りさばいちゃうとUSEsとそんなに変わらない気もしてくるけど。僕みたいな電気工学専門の人間でも蒸気ってひとくくりにしちゃう辺り、みんな技術の発展には頼るけど、実際働いている人間には疎いよね」

 アンシュの饒舌なぼやきが聞こえないくらい、蘭子は何から驚けばいいのか分からないという顔をしている。

「まあ、ともかく」

 アンシュは、よいしょと修治郎を背負い直すと、改めて横目で蘭子を見つめた。変わらぬ無邪気な目だ。

「僕がその仕事を引き受けたのも、おんなじ故郷の人が辛い思いをしているのをちょっとでもどうにかしたかったから。やりたいって思ったら思っている内にやらないと、僕はすぐに忘れちゃう。だからね」

 最後は、語気を強めて言い張った。

「僕はハサウェイを許さない」

 そのまま、続ける。

「今まであのロバお嬢様が何言ってても正直どうでも良かったのに、どうしてか分からないけど、今はすっごく許せない」

「……あんなことされて、どうでも良いって思えていたのですか」

「うん、僕の仕事には関係ないしって思えてた。でも今はすっごく、あのお嬢様を手ずからぶちのめしたい」

 幼い声音に、冷静な怒りが滲む。

「だからランコも協力してっていう訳じゃないよ。僕なりに考えて、あのお嬢様にどうにか仕返しをする」

 蘭子は、睨むように前を向く隣の彼に、自分と同じものを感じていた。

「アンシュさん」

 はっきりと名を呼ぶ。

「それだと、やっていることがハサウェイのお嬢様と変わりありません。私達はもっと正当に、あの人を追い詰めるべきなんです」

「正当に?」

「はい。修治郎様には法学を勉強しているお兄様もいますし、きっとどうにかなります」

「ランコ」

「私だって、私だって許せません」

 言葉を切る。込み上げたものを飲み込んで、続ける。

「折角、新しいお友達を作ろうとしていたのに。折角の機会だったのに。こんな風に潰されてしまうなんて。とても酷くて、心無くて」

「次はどっちに曲がるの?」

 蘭子は膝から崩れ落ちそうになるのをこらえ、かろうじて右を指さした。

「ありがとう」

 アンシュは口元に、やんわり笑みを浮かべた。

「ランコ、泣きそうになってたから、ちょっと話逸らした方が良いかなって。まあ道も分からなかったけど」

 言われて初めて、蘭子は目頭がじんわりと熱くなっていることに気がついた。先程流した涙は頬に固まっている。

 気遣いがちょっと突拍子のないだけで、きっとこの人は優しい人だ。

「それに、もう一度ありがとう。ランコの言う通りだ。ちゃんと追い詰めた方がいい。正式に、もう二度と、こんなこと出来なくなるくらい」

「あの、アンシュさん」

 蘭子は真っ赤な目元で問うた。

「何故一度会ったばかりの修治郎様に、そこまでしてくださるのですか?」

 アンシュは即座に返す。

「仲良くなりたいって思ったから。何だか、同じ東洋人だからとか、あのお嬢様に食ってかかるのが格好よかったからとか、理由は出てくるけどみんな後付けに思える」

 蘭子も、優しい声音で返した。

「確かに、先程のアンシュさんの淡々と話されている姿は、修治郎様と似ていたような気がします」

 アンシュの背中で眠りこける修治郎を、蘭子はじっと見つめて歩く。

「きっとアンシュさんは、修治郎様の、ロンドンで初めてのお友達になってくださいますよ」

 蘭子は修治郎に日本語で語りかけた。

「どういう意味?」

「いえ、何でもありません」

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