第35話 現実

 その晩、祥吾は実家にいた。やはり家族のいる家で、美緒のいる部屋で、この戻り時計を使うのは躊躇われたため、美緒との熱い夜を過ごした翌日、仕事帰りに実家に顔を出した。


「久しぶりだね。あんた忙しそうだね。この前、お父さんの誕生日に美晴さんがお赤飯とケーキ持ってきてくれたとき、祥吾さんは忙しくてって言ってたけど、身体大丈夫なの?無理しないでね」


「わかってるよ。大丈夫大丈夫」


 知らなかった。親父の誕生日に美晴がそんなことしてたのか。親父の誕生日……親父の誕生日、俺、何してたっけ?


 祥吾はその日、何をしていたのか頭の中で思い返した。


 十月七日。そうだ、美緒の部屋にいた。美緒と過ごしてから、酔った振りして帰ったあの日、そういえば翌朝出てきた赤飯で、「なんで赤飯?」の問いに、「お義父さんの誕生日だったでしょ」そう言ってた気がする。美晴は俺の親も大事にしてくれる。季節の折の挨拶や、こうした両親の誕生日も欠かさず何かしらしてくれている。やはり美晴は大事な人だ。それはもう、絶対だ。


「ちょっと昔の友達の連絡先、こっちにあったなって思ってね」


 何の用かと聞かれたときそう返事をし、祥吾は物置化している自分の部屋に向かった。ここに来るのは正月以来になるかな。特にこの部屋に用事があるわけでもないが、正月に来た時くらいはと覗くようにしていた。物置化しているとはいえ、キチンと掃除はされている。母はそういう人だ。


 部屋の真ん中に腰を下ろすと、時計をセットした。いよいよだ。美緒に会いに行く。まだ、関係を持つ前の美緒。初めて会ったあの日の美緒に会いに行く。初々しい美緒があそこにいる。これはこれでなんだかワクワクする。


 過去時間 2013年 9月18日 15時


 未来時間 2018年 11月17日 20時30分


 セットして、両側にあるボタンを両手の親指で「えいっ」と押した。


 何も起こらない。


 あれ?なにか間違えたか?もう戻ってやり直して、また戻って来ての今なのか?祥吾は全く変化があったようには思えない、今この瞬間に首を傾げた。


「はぁ~~~っ」


 腕を組んで、目を瞑って大きなため息を一つついた。



「……ですね」


「えっ?」


「やっぱり二階以上がいいかなって」


 えっ?美緒?なんで?


 祥吾は自分に起きたことが一瞬、わからなかった。が、その一瞬で、頭の中は勢い良く回り始め、やり直しに来たことがわかった。本物だ。やはり本物だった。


「あの……坂野さん?」


「ああ、すみません。そうですね、やはり一階ですと防犯の面でも不安になりますよね。この先にご紹介するところは全部二階以上ですから」


 と、そうだ、この後だ。この後、美緒に聞かれるはずだ。あの言葉を……


「坂野さんはどんな部屋にお住まいなんですか?あっ、ごめんなさい。既婚者ですよね、なら一戸建てかな」

 

 美緒の口からその言葉が出た時、その視線は祥吾の薬指に止まっていた。


「そうですね、今は一戸建てに家族と住んでいますけど、結婚前はやはりこんな感じの部屋にいましたよ。男だったし、一階でも気にしていませんでした。でも角部屋を選びました。窓が一つ余分につくだけで、明るさが随分と違うなと思ったので」


「へぇ、角部屋だと窓が余分につくことがあるんですね。確かにそのほうが明るくなりそう。今日見るところに角部屋はありますか?」


「ありますよ。でも一つ言っておかなければならないのですが、角部屋だとほんの少し家賃が上がるのですが……」


「そっかぁ、明るさって、お金がかかるんですね」


 美緒のその言葉にひとしきり笑い合った。


 美緒、美緒、愛おしい美緒……結婚していると言ってしまった。これで美緒との時間を持つ未来は消えた。


 美緒が借りることになる部屋を内覧し、美緒を駅で降ろした後、近くの市営の駐車場に車を止めた。美緒との未来がなくなり虚しい気持ちになっていた。未来に戻ろう。どうやるんだろう……さっきは確か、ため息とともに目を瞑って……



「ちょっと祥吾、こんなところで寝ないでよ。部屋で寝たら?布団敷いてあるから」


 う~ん……布団敷いてある?母さんの声?あ、そうか、実家の自分の部屋にいたんだった。えっ?部屋で寝たら?辻褄の合っていない会話だと、ハッと目が覚めた。


「あれっ?なんでここに……」


「もう、何ぼんやりしてるのよ。今日は泊まってけば?どうせ帰っても一人でしょ」


 え?帰っても一人?は?どういうことだ?


「あんた、いったいこれからどうするつもりよ。女に乗り込まれるなんて、私はもう美晴さんに申し訳なくて申し訳なくて……こんなことになって、美晴さんのご実家にも迷惑かけて……」


 え?なんだ?なんだ?どうなってるんだ?何が起こってるんだ……


「部屋に行くよ」


 そう言って祥吾は物置化してる自分の部屋に向かった。が、物置化してたはずの部屋は片づけられ、布団が敷かれていた。

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