第27話 27合目

「異常気象っていうレベルではないのう、コレは」


「驚いたなあ。まさか少しばかり眠っている間にこんな風になるとは」


「申し訳ありません。私も油断していました。この辺りにこれほど雪が積もるのは珍しいのですが・・・」


皆が口々に言った。幸いながら雪の嵐は一瞬で過ぎたらしく、現在の天候は良好だ。


「で、どうするのじゃ、コーイチロー?」


「進むのか、戻るのか、ですね。わたしはリーダーの判断に従いますよ?」


ふうむ、どうやら全幅の信頼を置いてもらえているらしい。


けれど、ホントどうするかな。常道から言えば戻る選択をするべきなのかもしれないが、C1まではそれほど遠くない。むしろ戻る方が苦労しそうだ。


「進もう」


「ぬお!? えらく早く決めおったのう? もっと迷うかと思ったが」


「動けるうちに動いておかないとな。よくこういう時、じっとしてるべきだ、なんていう説が言われてるけど、実はアレ嘘だしな。山で動ける時間は限られている。動けなくなる前に出来るだけ動いて次の休憩ポイントに近づかないといけないんだ。でないとエネルギーと体温を失って二度と動けなくなる」


「なるほどです。ところでベースキャンプへ戻らない理由を聞いても良いですか?」


「来た道はガレ場や浮き石が多かったからな。そこに積もった新しい雪は雪崩になりやすい。あと、ルートが結構複雑だったろう? 雪が積もった状態だと正確にウェイポイントを見つけられるか自信がないんだよ」


「万年雪の積もる上を目指す方が、雪が安定しているので安全というわけですね! 確かにルートも単純ですし迷う心配もありません。ただ・・・」


「ああ、うん。分かってる」


俺はシエルハちゃんが最後まで言うのを待たずに首を縦に振った。


「50メートルの垂直氷壁バーティカルロックがあるって言うんだろう? けど、それはこの積雪がなかったとしても存在する、超えるべき壁なんだ。だから進もう」


そう格好よく啖呵を切ってみせた。


が、きっとシエルハちゃんには無謀に映るだろうなあ。


俺としては進みたい気持ちは大きい。だが、もしも山のプロであるキツネ族、シエルハちゃんが反対するようなら一旦ベースキャンプに戻るのもありだろうと考えていた。なぜならば登山をチームで行う場合には、チームメンバー全員の計画への賛同が必須なのだ。そうでないと、とてもじゃないが登山などというリスキーな冒険に取り組むことはできない。


だから俺がどれだけ前に進むつもりになっていても、シエルハちゃんが反対をするならば計画を練り直さなくてはならないのだ。


そんな風にシエルハちゃんの反対意見を予想していた俺であるが、彼女は俺の方をじっと見るばかりで何も言おうとしない。


あれ、 どうしたんだ?


「あの、シエルハちゃん、何か言いたいことがあるんじゃないのか?」


引き返すべきだとか、下山すべきだとか。


だが、その質問に逆にシエルハちゃんはキョトンとした表情をして首を傾げた。


「はい? 何をおっしゃっているのですか、コウイチローさん。さっきので私からの質問は全てですよ? コウイチローさんはリーダーとして完璧な回答をしてくださいましたし、私としてはこれ以上、言うことはありません。リーダーに従って、C1へ邁進するのみです。さあ、参りましょう!!」


そう言って、これから進む方角をビシっと指差しニコリと笑った。


こんなに明るくて天使みたいな子が俺なんかをリーダーとして信頼してくれているのだ。


柄にもなくジーンとしてしまった。よし! なら、精々その信頼を裏切らないように努力するとしよう。


俺がそんな風に決意を固めていると、袖口をクイクイと引っ張られた。モルテだ。


「どうしたんだ、モルテ?」


「う、うむ。コーイチローよ、言わんでも分かっておると思うがの、わしもじゃな、お主のことを心から信頼しておるからな? そのことを忘れるでないぞ?」


いきなりそんなことを言い出すモルテ。わざわざ、どうしたのだろうか?


ああ、なるほど。俺が頼りないから励まそうとしてくれているのか。いつも助けてくれる有難いパートナーだな。


「サンキューな、モルテ。大丈夫だ。励ましてくれたおかげで力が沸いてきたよ。よし、それじゃあテントを片付けたら進むとしよう。ここからは積雪地帯だ。アイゼンの再装着とアイスピックの装備を忘れないようにな!」


「え? うーん、そういう意味ではなかったのじゃが・・・。まあ、コーイチローが元気ならばそれで良いわい。さ、出発の準備じゃ!」


「私も了解です! キツネの姿に戻ります!」


俺たちは準備を整えると深い雪道をまっすぐに登って行った。


そうして一時間ばかり歩く。


気温は異常な速度でどんどん下がった。今は氷点下10度くらいだろうか。


深い雪に足を取られてスピードは上がらない。


だが、確実に前へと進んだ行った。


そして、とうとう俺たちの目の前に垂直に切り立つ氷壁がその威容を現したのである。


高さ50メートル。分厚い氷に覆われた急峻なる崖である。


登山者から特に恐れられている氷壁であり、人の命を多く奪って来たため通称「死の壁」とも呼ばれるスラブだ。


そして、この死の壁を超えたその上には平地が広がっており、いわゆるC1ポイントが設定されているという訳である。


それにしても凍えるほどの寒さだな。幸いながら天気は悪くないが、さっきみたいに、いつドカ雪が来るか分からない以上、先を急ぐとしよう。


「よし、じゃあ打ち合わせ通り俺がクライマー先に登る役をやる。モルテはロープをコントロールするビレイヤー下で安全確保する役を頼む」


「了解じゃ! シエルハはロープに巻き込まれんように注意するのじゃぞ?」


「はい、気を付けます!」


ロッククライミングは通常二人一組で行う。一人単独行でも出来ない事はないのだが、その場合、荷上げも含めて全て自分一人でしなくてはならないし、ビレイヤーがいないために万が一墜落した際にフォローしてくれる人間がおらず命を落とす危険性が大きい。そのため特別なこだわりがない限りはチームで取り組んだ方が良い。


俺たちはハーネスクライミングのベルトを腰に装着する。さすが凄腕のドワーフに作ってもらっただけあって、体にぴったりとフィットした。良い出来だ。


ビレイヤーであるモルテはアイスバイル氷壁登攀用ピッケルのハンマー部分でアンカーを氷壁に強く打ち込む。カン! カン! と高い音を何度かさせてから、背伸びをしてアンカーがきっちりと固定されていることを確認して頷く。


「きっちりビレイ確保できそうか? 表層の氷に刺さってるとボロボロ崩れることがあるが・・・」


「氷の奥に岩があるのじゃ。そこに打ち込んだからそう簡単には抜けんよ」


俺が納得したとばかりに頷くと、次にモルテはアンカーにつながれたカラビナ鉄の輪にロープを通す。


自分をビレイ固定すると、クライマーの俺にもロープを渡した。俺はそのロープをハーネスに結ぶ。


モルテがその様子を確認し頷く。


「これで一つになれたの?」


「何でいやらしい言い方をした」


「むむむ・・・」


軽口を叩きながらもクライミングギアのセッティングを続けて行く。


俺のハーネスにフィギュアエイト・フォロースルーしてダブルフィッシャーマンズノットで結着・・・要するにロープを強く固定されたのをモルテは確認すると、自らのハーネスにつながるビレイデバイスロープの送出機構にもロープを通した。


よし! だいたいこれで準備完了である。


「は~、やっぱりコウイチローさんのクライミングギアを付けた姿は良いですねえ」


モルテの首でマフラーになっているキツネ姿のシエルハちゃんが呟いた。


「そうか? なんか着られてる感じがするんだけどな。ロープさばきもまだまだ遅いし」


熟練の山屋(やまや)なら全ての準備をもっと迅速に行えるだろう。俺なんてまだまだだ。


「えっと、今ので遅いんですか? ああ、いえ、今はそのことは置いておいてですね、何かこう、山の男って感じがするんですよね~。普段はどちらかといえばスラっとしてる感じなのに、こうギアを装着するとキュッと引き締まった感じがするんですよねえ。何か・・・変な気分になりますね。はあはあ」


シエルハちゃんがなぜか野生動物寄りの息を吐き始めたので、嫌な予感を覚えた俺はさっさと出発することにする。


「そ、そうか。と、とにかく出発しよう。モルテ、いいよな?」


「うむ、良いぞ」

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