第24話 24合目

「ふう、昨日は魔の山のベースキャンパスまで順調に来ることが出来たな。一泊したが、特に天候は問題なさそうだ」


「うむ。風も強くないし、良い感じじゃの?」


「先ほど別の登山者に聞いてみましたが、C1標高2000m地点辺りの天候も安定しているそうです。一昨日は積雪地帯全体が酷い吹雪に見舞われていたそうですが・・・」


「そうか。降ったのが一昨日なら、今日は雪もだいぶ落ち着いてるかな? ちなみに積雪地帯の天候を予想するのは難しいんだよな?」


俺の質問にシエルハちゃんはコクリと頷く。


「その通りです。今が快晴であっても明日、猛吹雪ということもありまして、全く予想できません。ただ、吹雪が一度過ぎると、その後1週間くらいは天候が安定する・・・傾向がある・・・かもしれない、と言われています」


「頼りにならん情報じゃな。まあ無いよりマシか? どちらにせよ今の状況は悪くないように思うが、最終的な判断は登山リーダーの権限じゃ。どうするのじゃ、コーイチロー?」


「出発しよう。昨日、一泊したのは天気の具合を知りたかったからだ。ちょうど良い具合に一昨日降った雪も一日経って安定しただろう」


「すみません、さっきからおっしゃっている雪の安定とは何ですか?」


首を傾げるシエルハちゃんに俺は答えた。


「降ってすぐの雪は、実はまだ地面に定着していないんだ。だからチョットしたことで崩れる。つまり雪崩が発生する可能性が高いんだ。だから、雪が降った後、すぐ山に登るのは控えた方が良い。できれば1日様子を見るべきだ」


「な、なるほど。確かに言われてみればそうですね! 今後は全ての登山者に、そのように注意喚起することにします!」


「それが良いだろう。よし、じゃあ行くぞ」


俺はザックを背負うと二人の方を見る。モルテは小さな体ながら、割と大きなザックを背負っている。重量的には15キロはあるだろう。俺は20キロくらいである。


一方のシエルハちゃんは、


「では、わたしはキツネの姿で付いて行きます!! あ、それからこの姿のままでもお喋りが出来るように特別な変化の葉を使っていますのでご安心ください!」


そう言ってドロンと金色の体毛を持つ小動物へと変身した。そしてモルテの首にスルリと巻きつく。


いつものマフラースタイルだ。なかなか暖かそうだ良いな。


さて、俺たちの服装はウール製の下着ベースレイヤーの上に中間着ミッドレイヤーを重ね、更にその上からドラゴンの毛皮で作ったという上着シェルレイヤーを着用するというスタイルだ。要は重ね着をしているだけだが、登山においてはこのレイヤリング重ね着のことが重要なのである。


「それにしてもすごい厚着ですよね。確か“レイヤリング”とおっしゃってましたっけ? 素材を含めてどの服にするか、かなり吟味して選ばれていたようですが、どうしてなんですか?」


「そりゃあ、簡単だ。人間は強い風雪に何時間も耐えられるようにはできていないからな。多分3時間も強い風雪に晒されれば、もう動けなくなる。だから、こうして衣服の重ね着によって外的環境から身体を保護するんだ?」


「外的環境ですか?」


シエルハちゃんの疑問に俺は答える。


「そうだ。例えば下着には暴れ羊モンスターから取れたウール製のものを選んでもらったが、これは汗を素早く吸ってもらうためなんだ。なぜなら、汗が残っているとそれが冷えて体温を奪う。最悪の場合凍傷になってしまう」


「そ、そうなんですか? 汗くらいで?」


「うん。空気に比べて汗・・・というか水分というのは熱を奪いやすいんだ。だから、かいた汗は一刻も早く乾かさなければいけない。だから吸湿性の高いウール製の下着を採用したんだ」


「そ、そんな重要な理由があったんですね・・・。私はてっきり、そういうご趣味かと思って可愛いデザインのものをわざわざ・・・いえ、何でもありません。えーっと、それでミッドレイヤーも同じ理由でしょうか?」


いや違う、と俺は首を振る。


「ミッドレイヤーの役割は断熱かな。もちろん、下着が吸い取った汗を更に吸い取って外に送り出す役割もある。ウールという素材は断熱性が高いんだよ。外気が冷えていても空気の層を作って中を暖かくしてくれる。積雪地帯を登山するなら外せない装備さ」


「なるほど、考え抜かれているんですね・・・。レイヤリング理論とでもいうのでしょうか?むむむ、これも協会のほうに報告しておかなくては・・・! あ、それでシェルレイヤーはどういう物なんでしょうか?」


「これは防水に防風だな。一番外側に身に着けることで、文字通り人体の殻になることが役割だ。さっきも言った通り、強烈な風や冷気、もしくは雨や雪に直接晒されれば、人間なんて2、3時間でまいってしまう。シェルレイヤーはそういった過酷な外的環境を遮断する」


俺がそう言うと、シエルハちゃんはキツネ姿のままながら、感動したようにキラキラとした目を輝かせ始めた。


「す、素晴らしいです! まさにレイヤリングとは人が山に登るために生み出された叡知の結晶なんですね! 協会のテキストへすぐに反映させましょう!」


「あ、ああ。まあ、無事に帰れたらな? 俺も協力するのはやぶさかじゃあ・・・」


「本当ですね!? 絶対ですよ!!」


「お、おう。さ、ともかく出発しよう。本日中にC1一つ目のキャンプ地にたどり着く予定なんだから」


そう言って俺たちはベースキャンパスを出発したのである。

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