第14話 幼馴染は天才魔法使い。


 しかし、願いは通じなかった。


 結局何もないまま、一本の大きな木の幹に、『結界ここまで!』と書かれた木札が巻かれているのを見つける。

 

 足跡はその木札を通り過ぎ、森の奥深くへと続いて行った。


「どうやら、逃げたみたいだね」


 ウィンはそういうが、その顔に緩みはない。

 疑っているようだが、あいにくマリーも俺も限界だ。それに、陽も傾き、ただでさえ暗い森の中に、見るも恐ろしい暗黒が生まれ始めている。


「もういいだろ。帰ろう」


「......そうだね」


 ウィンは頷くと、踵を返して歩き出す。マリーに「おんぶするか?」と聞いたが、マリーは気丈に首を振る。


 しかし、来た道を戻り始めて十分もすると、マリーはぜいぜいと荒い息を吐き始める。森を歩くのは、普通の道を歩むのに比べ何倍も体力を消費するのだ。


 空き地に出て、夕焼けに目を瞬かせる。いい加減休憩を挟むよう言おうと思ったその時、ふと、ウィンが立ち止まった。


 そのせいで、やけにデカくなったこいつの背中に顔をぶつけてしまった。


「おいっ、なんだよ!」


「囲まれたね」


「......え?」


 ウィンが、まるで聖書を朗読するように平坦な口調でそう言うので、理解が追いつかなかった。


「ひっ」

 

 マリーが悲鳴をあげ、指を差す。目をこらすと、木陰の中にギラギラと光るものがあった。


 目だ。いくつもの目が、俺たちを味見するように見ている。ぐるりと回ると、確かにいつの間にか、俺たちは囲まれていた。


「......おい、どうすんだよ」


 ウィンが冷静な手前、俺も、勤めて平静を装ったつもりが、声が震えてしまってる。ああ、くそダセェ。


「大丈夫。二人は動かないで」


 ウィンは、やはり平坦な口調でそう言うのと、三匹のオオカミが先陣を切るのは、ほぼ同時のことだった。


 飼いならされていない獣の、猛々しい声に全身が凍りつく。

 土を蹴る力強い音が腹に響いたときには、俺の眼前に血走った目をしたオオカミが、だくだくとその大きな口からだくだくとよだれを垂らしていた。


『土の壁よ、守り給え』


「うおっ!?!?」


 そのとき、ボコボコと異音がして、視界が茶色に染まった。全身が泡立ち、反射的に足が動いたが、絡まり、そのまま後ろに転ぶ。


 結果見上げる形になって、俺の目の前に現れたのが、巨大な土の壁であることがわかった。


 三匹のオオカミはと言うと、土の壁に押し飛ばされたのか、突風に巻き込まれたゴミのように、上空をくるくると回転しながら舞っていた。

 

 そして、あるオオカミはバサバサと音を立てて木の枝に引っかかり、あるオオカミは、奇怪な音を立てて俺の横に落ちた。飛び散った血が俺の頬についたとき、俺は自分を取り戻して飛んで起き上がった。


「......マジかよ」


 今のは、土属性の魔法。本来は身を守るための土の壁を出現させる防御魔法で、攻撃魔法ではないのに、この威力。しかも、呪文を省略しているはずだ。


 ぐるるる、とオオカミたちが喉を鳴らす。明らかに戸惑いが感じられた。


 しかし、枯れてはいるものの、鋭い鳴き声が一つすると、残りのオオカミたちも、せっつかれるように暗闇から飛び出してきた。先陣の三匹のオオカミよりは弱そうだが、数が多すぎる。


「多いな......二人とも、僕の近くに」


 今度は、呪文すら発しなかった。


 ウィンが杖を軽く振るうと、ぽこぽこと何もないところから、水の塊がいくつも生まれてくる。


 そして、その一つ一つが、意志を持った生物のように複雑に滑空していく。

 オオカミよりはるかに機敏なそれらは、オオカミの鼻先に直撃したかと思ったら、輪っか状になり、オオカミの首にまとわりつく。


 その水の首輪に喉を引っ張られたオオカミは、キュッとか細い鳴き声をあげた。水の首輪はビクともせずに、オオカミはその場で水の首輪から逃れようと暴れるが、全くの無駄だ。


 オオカミたちの決死の突撃は、あまりにあっさりと止められたのだ。


「オオカミは、躾ければ優秀な番犬になるんだ。上下関係を教え込めば一生逆らわないし、村を守るにはぴったりだと思うんだけど......どうかな?」


 ウィンが何やらベラベラと喋るが、悪いが内容があんまり入ってこない。


「......村の連中は、もう一生オオカミなんて見たくねぇだろうな」


「あ、それもそうだね、それじゃあ、可哀想だけど楽にしてあげよう」


 水の輪がジュポジュポと奇怪な音を立てて窄まると、オオカミの悲鳴にも満たないか細い鳴き声と、パキッと骨が折れる音が響く。


 冒険の匂いも何も、あったもんじゃない。命が、あまりに簡易作業的に奪われていった。被害者の娘であるマリーが、思わず視線をそらしてしまうくらいには、残酷な光景だ。


 その光景を生み出した本人はというと、可哀想と言っておきながら、一切の同情も見せない。こいつにとっては、なんの変哲も無い日常なんだろう。


 ......まるで、俺がベッドで妄想していた俺のようだ。


 劣等感に苛まれる自分に気がつき、首を振る。今はそんなことを言っている場合じゃない。


「......グルル」


 すると、低い唸り声をあげながら、一匹のオオカミが、木陰から現れた。


 先ほどまでのオオカミと違い、老齢だ。そして、他のオオカミと比べ一回り以上大きい。

 オオカミには珍しく体毛は真っ黒で、顔に斜めに走った傷跡だけが白く浮かび上がっている。 


 その潰れた片目が、じっと俺を見つめている気がした。


「あれが群れのリーダーだね、多分、マリーのお父さんを襲ったのもあのオオカミだ。他のオオカミたちは、人の味を覚えたリーダーに脅されて、しぶしぶ森に残ったんだと思う」


「......おい、待ってくれ」


 ウィンが変なものを見る目で俺を見る。その片手間と言った様子で、水魔法を展開し、あまりに容易にその老オオカミに首輪をつけた。


 家畜をわざとらしく食いあらし、ここにいますとばかりの遠吠え。そんなやり方じゃ、俺たちはただただ引きこもり、痩せ細りどんどん美味しくなくなっていくだけだ。


 あまり効率的なやり方じゃない。狡猾なオオカミなら、油断させるだけさして、すきまみれのところを襲うのが普通じゃないだろうか。


 しかし、こいつらの目的が、俺たちを食べることではなく、俺たちに恐怖を与えることだったら? 


 なぜ、そんなことをするのか。オオカミが狩りを楽しむ残忍な魔物だと言えばそれまでだが、そこに、何か事情があったとしたら、俺が想像できるのは一つだけ。


 俺の親父は、たった一人でオオカミを相手取り、群れを半壊させ、オオカミを追っ払った。その時、群れのリーダーに傷をつけたと、聞いた。


 あのオオカミは、その、復讐に来た......?


「待て!!!」


 気づけば、俺は叫んでいた。


 復讐? ふざけるなよ。

 

 俺の親父は、死んだんだぞ。それを、たかが片目ごときで、復讐だと? 


「そいつは、多分......いや、俺の、親父を殺したオオカミだ」


 俺がそう言うと、二人は目を見開いた。


「そっか......」


 ウィンはどうしたものかと俺と老オオカミを見比べる。


 そして、老オオカミに手をかざすと、そのまま下げる。老オオカミも、合わせて四本の脚を折り跪いた。


「アル、トドメ、刺す?」


「......ああ」


 俺は頷くと、親父の剣を引き抜いた。刃に映る俺の顔は、なんとも情けない顔をしていた。


 ......何やってるんだ、俺。無抵抗の相手をただ切るだけなんて、敵討ちにもならない。


 しかし、だからと言って、水の首輪を解いて一対一で戦わせろ、と言う勇気もステータスも、俺にはなかった。だから、俺は冒険者になるのを諦めたんだ。


 ......そうか、それでいいんだ。このオオカミを殺せば、俺は真の意味で、冒険者の呪縛から解放される。俺は復讐を果たし、冒険者としても完全に終わるんだ。


 老オオカミの眼前に立つ。老オオカミの目は森の中の暗闇と同じ色で、背筋に寒いものが走る。


 ......とっとと終わらせよう。


 俺は、俺のステータスでは重すぎる剣を、振り上げる。俺の腕力では剣を振り回せないので、剣の重さを使って、こいつを殺すんだ。


 そして、もう一度老オオカミを見た。


 老オオカミは、暗闇の目で、じっと俺を見る。そして、大きな口をぱかりと開けた。


「......ア、ル」


「......え?」


「......オオキク、ナッタ」


 ブワっと、黒い毛が逆立つ。水の首輪がぱちんと弾ける。


 ウィンでも、マリーでもない。確かに目の前のオオカミが、俺の名前を呼んだのだ。


 オオカミが、ゆっくりと立ち上がった。ただ、魔物がこちらを威嚇するため、無理して上体を起こした訳ではない。あまりに自然な、人のような立ち姿だった。


 剣を握る手の力が自然と抜ける。背後で剣が地面に深々と突き刺さる音が聞こえた。


「......人狼」


 ヒト化。オオカミは、今、魔物から魔人に成ったんだ。

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