第16話 聖騎士の護り

 異国の地で厳重な警戒をせねばならなくても、オルデガルド帝国軍茨十字騎士団の宿営地は広い。

 本来の人員に加え、臨時で雇い入れた現地の傭兵や奴隷なども合わせれば三百名ほどの大所帯である。

 これだけの大人数となれば、ある程度密集するのが宿営地の基本とはいえ自然と分散してしまう。

 それを利用して聖騎士エスメラルダらの個人用天幕は、敢えて宿営地の端に立てられていた。

 無論、守りを重視して背後を突かれぬよう崖などの近くを選び、警戒を怠ったりはしていない。


 エスメラルダの天幕は個人用といいながらも大きさ自体は侯爵のものと大差がない。内装は比べるべくもなく貧しいものだが、騎士としては破格のもの。

 エスメラルダ独りだけで使うものではなく、彼女専属の従者も使用する。

 その天幕はおろか、それを運ぶ馬も馬車も従者までも、彼女専用で揃えられた、彼女の為だけのものだ。

 これらは彼女が遠征するために準備された者たちと備品の数々であり、それを負担するだけの価値が、誰も疑義を挟めないほど明確に、聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダには存在していた。


 その彼女は薄い絹の寝間着だけの姿で、苛立ちにまみれた表情で流れ落ちる涙を拭うことなく、無言で、天幕内中央に打ち込んだ練習用の杭に木剣を打ち込んでいた。

 彼女の太刀筋は、貴族のお嬢様が暇潰しに嗜んだような半端な剣ではない。

 目にも留まらぬ速さで袈裟懸け斬りの連撃が杭を打つ。

 やがて、大きく息を吸い込むと、無呼吸の連続攻撃に切り替える。

 袈裟懸けに、逆袈裟懸けに、横薙ぎに、大上段に――。

 嵐と化した連撃は打ち込み用杭の表面を削り、激しい音を立て続ける。

 十数撃の連携技コンビネーションの最後――これ以上ないほどの大上段に木剣を振りかぶった彼女は。


「ぶっ殺すぞ! あの変態ども!」


 罵倒とともに木剣を全力で打ち下ろした。

 派手な音ともに木剣は真っ二つに叩き折れ、切っ先の部分はくるくると回りながら、従者にして同僚、そしてこの天幕の同居人である第一近衛騎士団の女騎士アイダ・パルマ・バルデスの足下へと落ちた。

 アイダは目を見張るような美人ではないが、気に入る者は気に入るであろう程度には整った顔立ち。

 少しきつめの目に、黒緑色の癖毛を一つに纏めた髪型。

 長身で少し細身ながらも、女性の柔らかさを失わない程度に胸も尻も出ている、少し年上の槍兵。


 エスメラルダは抗議の視線を向けてくるアイダを無視して、折れた木剣の柄の方も無造作に投げ捨てると、自分のベッドに潜り込んで毛布を頭から被って丸くなった。


 その様子を見ながらアイダは諦めたように仲間の一人、オルデガルド帝国軍専属偵察兵スカウトにして冒険者、そしてエスメラルダの従者たちを束ねる長、リリアーヌ・パストゥール・マルヴェッツィに視線で助けを求めた。

 この中では最年長の二十四歳――この時代では完全な行き遅れではあるが、彼女は伴侶捜しを優先せず、エスメラルダの従者として、この大遠征に参加することを選んだ忠誠心厚い女軍人である。

 冷たさを感じるほどに整った顔立ちに、女性らしさを損なわないように整えたミディアムボブ。

 何事にも動じそうにない瞳に、鍛えられているとすぐに判る二の腕。

 背こそ、それほど高くないが、伸ばした背筋にはいつも緊張感が漂い、丁寧に仕上げられた濃紺のメイド服が面白いほど似合わない従士。

 それがリリアーヌ・パストゥール・マルヴェッツィという女。

 彼女は主人であるエスメラルダがどうして泣いているか、何にくじけているかを正しく掌握しているが、彼女にとっては、とうの昔に乗り越えた問題である。

 気休めの言葉は見抜かれると、適任者へと目線を向けた。


 それを受けた、治癒術の使い手であり正道教会の女司祭でもあるエカチェリーナ・レスコヴァ・リトヴィネンコは、やはり自分にお鉢が回ってきたかと諦めた。

 エカチェリーナは病的に色素の薄い女だった。

 端正ではあるが、活気や色気を全く感じさせない美女。

 その美しさは人としてのものではなく、彫像の美しさと変わらない。

 真っ直ぐに伸びた白金の長髪に、白磁よりも白い肌。

 すべてが漂白されたような色彩の中、何もかも見透かすような大きな青い瞳だけ異様に目立つ。

 柔らかな笑みを絶やさないが、それはあくまでも教会で身に付けた対人技術の一つ。

 生まれ故郷ではアルビノの子として蔑まれ、物心つく前に実の親により教会へと捨てられた。

 アルビノの血は彼女から親の愛を奪ったが、秘められていた才能には良い方に作用した。

 エカチェリーナはその白さと一神教の女司祭という肩書き故に、純白というイメージを人々に抱かせ、意図も容易くも他人を信じさせる。

 さらには抜きん出た魔力量による、常人ならば不可能な長時間に及ぶ高等治癒術を行使が出来た。

 教会の勢力を拡大する上で、これほど便利な人材もあるまい。

 疫病に見舞われた僻地に仲間とともに赴き、貧しい農村を一人で一晩も掛からずに完治させれば、村ごと彼女の信者に早変わりである。

 教会は彼女のその強みを最大限に活用した。

 故にその見た目とは裏腹に、教会内で付いた渾名は侵略者インベーダー

 背信者や無神論者たちから崇められ、教会の勢力圏を静かに広げる侵略者。

 そんなエカチェリーナといえども、聖騎士エスメラルダの心を救う術はない。

 ただ慰めることしか出来ない。

 

 エカチェリーナはゆっくりとエスメラルダのベッドに近づき、ゆっくりとそのベッドに腰を下ろした。

 毛布の中でエスメラルダが身動ぎしたが、彼女は顔を出さなかった。

 エカチェリーナはゆっくりと毛布の上から、エスメラルダの頭を優しく撫でた。

 白銀の鎧を纏う聖騎士の少女は、彼ら従士たちからすれば手間の掛かる可愛い妹のような存在だった。


「……どうしたの、エスメラルダ。どんな辛いことでも、口にして誰かに話せば、少しだけ楽になれるわ」


 騎士団での階級も持って生まれた身分も、彼女たちしかいないとき、それは存在しないものになる。


「エカチェリーナだって、わかって……る、でしょ……」


 ぐずるような、小さな泣き声。間違いなく、毛布の中の少女は泣いていた。


「うん。だいたい分かる。だけどね、人って悩みや苦しみを抱えてると、色々なことに心が耐えきれなくなるの。それはね、どんな人でも耐えきれないの。声に出して言って。私たちはただ聞いてる。応えて欲しければ応える。意見を聞きたければ、正直に答えるわ。誰にも言わない。私たちだけの秘密」


 エカチェリーナは何度も毛布越しに、エスメラルダの背中を撫で続けた。

 くぐもった嗚咽以外何も響かない天幕の中で、三人の従士は辛抱強く、エスメラルダが口を開くのを待った。

 やがて、毛布の中のエスメラルダが泣き疲れてしゃがれてしまった声で、ぽつりと喋り出した。


「…………エルフの……女の子が、犯されてた」

「……そう……」


 エカチェリーナは気遣うような声で答えた。

 その間も落ち着くようにと、優しく背中を撫で続ける。

 まるで、その先を促すように。


「草の上で丸裸……で、大の字に、大人たちに四人がかりで……おか……され、て、て」


 エスメラルダが毛布の中で盛大に鼻水を啜る音が聞こえた。


「手も足も……抑えられてて、あの子……が……泣き、叫んでて、それでも犯されてて……」

「うん……」

「私……一瞬、呆然としちゃって……」

「うん………」

「……け、剣に手が……手が、伸びて……」

「……それから……」

「そしたら、アイツら……私に気付いて……」


 エカチェリーナは撫で続けているエスメラルダの背中が大きく震えたことに気付いた。

 そして次の瞬間、エスメラルダという少女の慟哭のような絶叫が響いた。


「嗤ったんだよ!! 『聖騎士様、お見苦しいものをお見せて申し訳ありません。エルフの女を犯すのは、皇帝陛下直々の勅命ゆえ御容赦下さい』って嗤いながら言ったんだ!!!」


 エスメラルダは毛布を被り、涙も鼻水も何もかも垂れ流したたまま、何度も何度も拳を振り上げては組み立て式ベッドを叩いた。

 今や国中の少年少女が憧れる才気溢れるオルデガルド帝国史上最年少の聖騎士は、その凜々しいと讃えられる美貌を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら泣き喚いていた。


「……そうね。そういう勅命だったわね」


 エカチェリーナの声は変わらない。

 女司祭はどんな時でもエスメラルダの傍にいる。

 彼女はエスメラルダが拳をベッドに叩き付けるのを自ら止めるまで、ただ静かに待ち続けた。


「私、斬れなかった……剣も……抜けなかった……」

「それが普通よ」

「――――私は普通じゃない! 私は聖騎士なんだよ! 剣が振るえて! 魔法も使えて! 治癒術も使えて! その上、超人で! 私は普通じゃ駄目なのに!」


 最後の拳が弱々しくベッドの上に落ちると、彼女は毛布を再び被り直して顔を隠した。


「勅命って、言われて、動けなくなっちゃった……」


 エスメラルダは、再び毛布の中でただただ小さな嗚咽を漏らした。

 ただそれだけで……。

 三人には、エスメラルダが口にしなかったことが分かった。


「私たちのことも……脳裏によぎったのでしょう」

「――――!!」


 そう言いながらも、エカチェリーナはエスメラルダの背中を撫でるのをやめない。


「隠さなくていいぜ。それぐらい、俺でも気付く」

「…………」


 男勝りのアイダの一言で、毛布の中の少女はさらに小さくなった。


「私たちだけではありません。侍女の四人のことも考えたのでしょう。聖騎士とはいえ、こんな敵地で騎士なかまを切り捨てて敵対したら、私たちが背後から切り捨てられないか。または私たち四人が不在中に、侍女の四人が殺されないか。目撃者さえいなければ、ここでは蛮族たちの仕業と押し切れますから……」


 リリアーヌの冷静な分析であったが、それはこの場にいる全員が感じていた。

 正確に言えば、隣の天幕に居る侍女たちもその身に危険を感じているほどだ。

 彼女たちは種族が違うとはいえ、幼いエルフの少女たちまで毎晩輪姦され続け、壊されていくのを、一年を超える旅で目にしてきた。

 だから彼女たちの天幕は、宿営地の真ん中ではなくて一番端にあるのだ。


「あの皇帝じじい、馬鹿な勅命出しやがって……エルフが少ないからって、子供まで孕まして増やせだなんて……絶対ろくな死に方しねえぞ」

「――アイダ、止めなさい。近衛騎士あなただけはそれを口にすることを許されないわ。ただでさえ、周りは敵だらけなのよ。あの騎士団長の耳に入ったら何をされるか……貴女まで居なくなったら他の従者を守れなくなる」


 吐き捨てるようなアイダの罵倒をリリアーヌが慌てて咎めた。

 アイダは茨十字騎士団ではなく、皇族を守護することを任務とする第一近衛騎士団に籍を置く女騎士。皇帝・皇族に忠誠を誓った騎士である。今ここに居るのは皇帝から下された勅命のためだ。


「立場上は……分かっちゃいるがね」


 アイダが大きな溜息を零す。

 今この天幕にいる四人を直々に人選したのは、何を隠そうオルデガルド皇帝陛下御自ら。

 ここにいるのは聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダの為だけに、編成され、機能する集団。

 それが茨十字騎士団と行動を共にする女性八人だけの部隊。

 任務は聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダの心身の守り。


 聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダは、膨大な国土と国民を有するオルデガルド帝国においても滅多に現れぬ希有な戦力。

 強大な魔獣・界獣との戦いでも、人同士の戦争でも、聖騎士の称号を得た彼女の力は傑出している。

 齢十六歳にして数度戦場に立ち、いずれの場合でも勝敗を決する大活躍。

 吟遊詩人たちはエスメラルダのことを、既に人類最強の一角と高らかに歌い上げる。

 英雄と言っても過言ではない。

 エルフを掻き集めることは世界を救う為の一大事業と位置づけられているが、その過程で貴重な聖騎士を失うわけにはいかない。

 従士たちも薬学や看護師としての知識・技能を持つ者で固められている。


 だがリリアーヌは彼らの長として、それが―――聖騎士を始めとして精鋭たちを投入してしまったことが、今回の神州国への宣戦布告に働いてしまったと思っている。

 わずか一個騎士団とはいえ、弱小国など苦も無く大損害を与えることが出来るのは歴然たる、客観的事実に過ぎない。

 明日の攻城戦さえ、今も毛布の中で泣いているエスメラルダが本気を出せば、僅か数時間で神州国てきの山城は瓦礫の山と化すだろう。

 だが騎士団が犯した悪行の数々には、数万キロにも及ぶ長く過酷な追跡の影響も無視できない。

 彼女自身もそうだが、茨十字騎士団の者たちは本国にいたときとは別人なぐらい攻撃的になった者たちが多い。

 その捌け口には弱い立場――捕らえられたエルフたちのみならず、道行く旅人にまで及ぶことがある。

 暴走した者たちが、神州国の農村を焼き払ったのもその一例だ。

 今回大事になっているのは、偶々相手国側が素早く対応できただけに過ぎない。

 これではただの黒騎士――君主を持たず、家紋さえ捨てた強盗騎士の一団と変わらない。


 今も行っているエルフ狩り。

 オルデガルド帝国宮廷魔術団、オルデガルド帝国北龍星魔道院と西方正道教会は、エルフ狩り以外の方法が――地獄門閉鎖のために必要な魔力を賄う方法がこの世に存在しないという。


 オルデガルド帝国軍の一員として、そのためにリリアーヌ・パストゥール・マルヴェッツィはここにいる。

 正道教会からはエカチェリーナ・レスコヴァ・リトヴィネンコが派遣された。

 近衛騎士団ではアイダ・パルマ・バルデスが勅命を受けた。

 皇帝陛下自らの勅命を受け、聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダが派遣された。

 明日もエルフを狩るために神州国軍と戦う。

 だが、明日の戦いに正義はない。

 あるのは微かな大義と面子、一握りの者たちの欲望だけだ。

 陰鬱な雰囲気のまま、聖騎士の嗚咽が再び天幕に響き始めた。

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