第10話 幼女と王女と性奴隷と

 夜の帳が十分に落ちた後、山道を警護していた藤亜と蘭は皆と共に城へ戻ってきた。

 生き残った鎮西軍第八派遣隊の、ほぼ全ての人員は今この城に集結している。

 その数、負傷者と森人を含めても僅か二〇〇名ほど。

 元々この砦は大陸から本国へと、島伝いに渡ろうとする大型魔獣撃退のために作られた山城で有り、先日まで五〇〇名もの人員が集結していたが、今日一日の戦いだけで三〇〇名ほどの死者を出していた。

 満月ではあるが夜襲を警戒して、至る所で篝火かがりびが燃やされている。

 負傷者は城内の一カ所に集められ、生き残った兵たちは見張りを交代しながら思い思いの場所で雑魚寝していた。人によっては柱に寄りかかったまま寝落ちしている。

 藤亜と蘭は糧食として配られていた冷えた握り飯を受け取ると、貪るように無言で頬張った。

 魔狼のポチにも餌を食わしていると、藤亜に森人の少女たちが駆け寄って来た。


「トーア! おかえり!」


 一〇歳ほどの森人の幼女が、藤亜に勢いよく駆け寄ってきて腰に抱きついた。

 幼女は真下から好奇心に満ちた眼差しで藤亜の瞳を覗き込んだ。白磁のような肌に、絹のように艶やかな長い金の髪。幼女らしく愛らしい丸みを帯びた顔に、森人の特徴的である少し尖った耳。

 藤亜に縋り付いた幼女は全身を使って喜びを表している。

 幼女の名はフェリシアといった。


「トーア殿、よくぞ御無事で……本当に良かった……」


 幼女の少し後ろで、藤亜や蘭よりも少し年上に見える森人の少女が安堵の息を吐いていた。

 少女の名はオルフィナ。

 幼女と同じ白い肌は透き通る雪のよう。絹のような金髪は腰に届くほど長く、形良く薄い唇は健康的な桜色。切れ長の瞳には理知的な光と少女らしい活動的な光を宿し、優し気な丸みを帯びた肢体は、少女らしい幼さと若い雌の艶めかしさが同居し始めていた。

 彼女は今も藤亜に抱きついている幼女の姉であり、この城で神州国に亡命と助けを求めた北海の森の氏族の族長ソフィアの長女でもあった。


 一週間前、出会った当初は長い逃避行のためか相当見窄みすぼらしかったが、今では血色も良くなりボサボサだった髪の毛の艶も多少は戻っている。

 ただ、姉妹が身に付けている衣類はまだ替えの物を用意できていない。一応汚れを落としたとはいえ、染み付いた汚れまで簡単に落とせるものではない。その上、裾は隠せないほどにほつれ、ズボンの膝も隠しきれないほど擦り切れていた。

 無論、藤亜はそれらを指摘するような野暮なことはしていない。


「ご心配をお掛けしました。私は大丈夫です。それよりもオルフィナ様、フェリシア様、少しはお休み出来ましたでしょうか?」


 藤亜は客人に対する礼を失わないように慎重に応えた。

 偶然森人の難民たちを見つけ、この城まで案内したのが藤亜たちである。

 相手は森人の族長の娘。

 少年の感覚的には小国のお姫様に等しい。

 彼も一応は士族の血筋で、たった一人で興すことになってしまった藤亜家の主とはいえ、所詮はただの下級武士。対応が慎重過ぎても、損することは何もない。


 蘭は何も言わずに、藤亜の数歩後ろへと離れた。

 ただ無言で、術式を編み込んだ襟巻きを直して口元を隠す。

 数年前ならば、蘭も彼女たちと同じ場所に――藤亜の隣りに居られただろう。

 藤亜専属とはいえ、今や性奴隷の身分へと堕ちた彼女にそれは許されない。

 その事実が悔しくて、悲しくて、蘭は俯いて下唇を噛みしめた。


 そんな蘭の目の前で、フェリシアは天真爛漫な笑顔を藤亜へと向けていた。


「よく寝れたよ! お米も一杯食べた! すっごく美味しかった! トーア、ありがとう!」

「トーア殿、一族を代表してお礼申し上げます。貴方が私たちを見つけ、保護してくれて……しかも、この城まで案内してくれなかったら、私たちは今頃奴らに……」


 藤亜の腰に縋りつく可愛らしい幼女から向けられる純真無垢な信頼の眼差しと、その幼女の美しい姉から向けられる熱の籠もった視線。

 それを受けるのはこそばゆくもあるが、十兵衛も悪い気はしない。

 少年が無意識に左手でフェリシアの頭を撫でると、幼女は気持ちよさそうに目を細めた。

 藤亜は幼女を撫で続けながら、その姉のオルフィナに畏まって向き直った。


「勿体なきお言葉の数々。ありがとうございます。オルフィナ様。ですが、私は城主様の命と御帝様の御心に従っただけのこと。神州国と森人の古の約定は未だ朽ち果てておりません。森人と神州国の友好がこれを機に深まるのであれば、これに勝る喜びはございません」

「トーア殿、そんなに畏まらないで下さい。命の恩人にそのように……他人行儀のように語られるのは……私としては、オルフィナとしては寂しく感じます。私は古の約定に語り継がれた物語のように、人とエルフを繋ぐような親しい友人になりたいのです」


 寂しげな表情を浮かべる、儚さと清楚さを宿した森人の若き姫。

 藤亜はその姿を雪解けの野山で見る、美しい花を咲かせるつぼみのようだと思った。

 静かな生命力に満ち、今はこの苦難の時を耐えているような。

 手を伸ばし、守るべき存在。

 そんな錯覚を少年に抱かせたが、それでも彼は礼儀と立場を忘れることはなかった。


「オルフィナ様。言葉遣いを改めることは難しくはありますが、せめてソフィア様の御許可を得て、なおかつ私たちしかいなければ、もう少し親しい言葉遣いに改めたいと思います」

「約束ですよ、トーア殿」

「ええ。オルフィナ様、確かに約束いたしました」


 正直に言えば、藤亜は古の約定の細かいことは何一つ知らないし、語り継がれた物語なんて聞いたこともない。

 存在自体知らない。本当は興味もない。

 それでも彼は精一杯誠実そうな表情を作り、礼を失しないように受け答えに気を遣う。

 この場の約束とて、藤亜にとって然したる重みはない。

 まずは明日も生き残ることが最優先だ。


「蘭!」


 藤亜十兵衛は背を向けたまま性奴隷の名を呼んだ。


「お傍に。御主人様」


 即座に蘭は片膝をついて命令を待った。


「お前はポチとともに、明朝の払暁前までオルフィナ様とフェリシア様のお側にいろ。万が一、夜襲があった場合はお二人とソフィア様を港までの道中、その身に代えてもお守りしろ」

「はい」

「無論夜襲がなかった場合、明日は俺とともに動く。故に今夜は不寝番ではない。お前はお二人を賊から守れる位置取りをした後、そこで仮眠をとれ」

「御恩情、感謝いたします」


 次に、藤亜は零れ落ちそうなほどの涙を浮かべた幼女へと視線を落とした。


「トーア……一緒がいい。一緒に寝たい」


 幼女の小さな手が痛々しいほど強く、泥と血で汚れた少年の軍袴を握りしめていた。


「フェリシア様、私の代わりにポチが一緒です。蘭もいます。さすがに男子が、女子の寝室に立ち入ることはできません。隣の不寝番控所で寝ますので、何かあれば即座に参ります。ご安心下さい」

「やくそく……」

「ええ、約束します」


 藤亜はしゃがんでフェリシアと目線の高さを同じにし、幼女の頭をポンポンと撫でながら約束した。


「オルフィナ様、万が一の時は蘭の指示に従って頂きたいと思います」

「わかりました。トーア殿も、もう休まれては……」

「私はこれから加藤副将と明日の打ち合わせをせねばなりません」

「無理をなさらずに……では、お休みなさい。トーア殿」

「おやすみなさい、トーア」


 そうしてオルフィナはフェリシアの手を繋いで、森人の女子が収容されている大広間へと向かっていった。

 毛布も布団も足りず、そのほとんどの者は畳の上で雑魚寝の状態だが、それでも大分マシだ。

 森人の男や鎮西軍の雑兵などは、屋根さえないような場所で寝ていた。

 元々関所として作られ、やがて大型魔獣撃退のために整備された山城である。

 兵士以外の宿泊など考えてもいない。

 それでも城主である太田森須江之門おおたもりすえのもんは、古に結ばれた森人との約定を最大限果たすつもりであった。


「蘭、打ち合わせが終わったら予定を伝える。一刻後(2時間後)、控所に来い。もしも俺がいなければ、直ちに寝室へ戻り朝まで仮眠してもよい。ただし、ポチは絶対に御二人から離すな。いいな。城主様と加藤副将の指示以外、この件に関しては、ソフィア様の命であろうと聞くな。その際にお前が叱責されるようなときは俺の名前を出せ。不服があるならば超人、藤亜十兵衛がとな」

「……承知いたしました」


 蘭は喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込んだが、その気配までは隠せなかった。

 それに対して藤亜は何も言い足さなかった。

 彼にとって必要なのは覚悟だけだ。

 決闘で斬り捨てて、生き残れば、それが正義になる。

 数時間後、己が生きているかどうかも分らぬ戦場で、有象無象の上役など糞の役にも立たない。

 邪魔するならば斬り捨てる。

 藤亜が受ける以上、蘭の命も一緒に賭けることになる決闘。

 それでもいつも通り、肚を決めて殺し合うだけだ。

 

 蘭は少年の内心を悟り、何も言わなかった。

 藤亜の思考と性根をよく知っている。

 幼馴染として共に育ち、女のために家督簒奪を行うという前代未聞の蛮勇で救われた身だ。

 知らぬわけがない。

 本当は戒めるべきなのだろう。

 そこまで理解していながら、それでも彼女は何も言えなかった。

 彼専用の性奴隷という立場が蘭の心を抉る。

 彼女に自由な発言など許されていない。

 周囲の目がある場所では、忠言など出来るわけがなかった。

 そんな無礼を働いたら、性奴隷の躾も出来ない愚か者と少年が愚弄されてしまう。

 無論、性奴隷など彼女が望んだ立場ではない。

 だが藤亜が家督簒奪を断行したため、幼馴染の所有物になる以外、当時の少女は生き残る道がなかった。


 蘭は生まれ故郷では裏切り者として一際有名な存在だ。

 妾の身で夫と同じ家に住むほどの厚遇を与えられながら、夫の盾にもなれずに生き残った役立たずの下忍。

 さらには夫を殺した者に、血も乾かぬうちに股を開いて命乞いをした恥知らず。

 そのような者が生き残った事実だけでも、遺族がその裏切り者を処刑するに値する。

 これが神楽坂蘭という少女の故郷で、まことしやかに吹聴された噂話。


 悲しいことに、人々が信じるには真実も事実も必要なかった。

 民衆にとって面白ければ、納得できれば、それが真実となった。

 加えて家督を簒奪された一族としては、僅かでもいいから汚名を雪ぐ必要があった。

 そうしなければ、周囲の領主たちから彼ら自身が食い物にされてしまう。

 周囲に武威が衰えていないことを示す、最も手っ取り早い方法として神楽坂蘭の打ち首が計画された。

 結果的には、それがその一族が犯した最大の過ちとなった。

 愛する少女の打ち首など許せるはずがない藤亜十兵衛は再び白刃を以て応えた。

 彼らも養父を殺した藤亜ら恩知らずどもを一網打尽に討ち取らんと、一族郎党が武器を手に取って集まった。

 結果、とある一族は族滅寸前にまで至った。

 ただ、それだけの話だ。


「では、行け。お二人を頼むぞ」


 藤亜に促され、巨大な魔狼と共に二人の姫を追う蘭だったが、途中不安に駆られて振り向いた。

 一目見たかった少年は既にらず、戦い疲れた兵たちが重い足を引き摺って行く姿しか見えない。

 魔狼のポチが心配したように鼻先を蘭の頬に擦り付ける。

 幼少の頃から共に育った魔狼だが、少女が妾となった数カ月だけ傍にいなかった。

 その反動だろうか。ポチはよほど強く命令しないと蘭を置いて遠くに行こうとしない。


「大丈夫よ、ポチ。お二人の元へ急ぎましょう」


 蘭は黒狼を安心させるように喉元を優しく撫でると、森人の姫たちを追った。

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