第8話 性奴隷 神楽坂蘭

 クソ野郎どもが……。

 こんな時に限って英傑が目の前に現れるんだ。

 しかも今この場で、神州国の超人は俺しかいない。

 目の前の二人とも、腕が立つのは戦場で確認済みだ。

 この騎士たちに二対一に持ち込まれたら、かなり厳しい。

 俺も超人とはいえ、馬には駆け足で勝てない。

 おそらく、逃げることすらままならない。


 俺が戦えば、蘭はきっと死ぬまで共に戦う。

 

 蘭をクズどもから取り戻して、まだ一年も経っていない。

 クソみたいな理由で、未だ性奴隷の身分で苦労させてるのに……。

 下忍としては飛び抜けているけど、完全武装の英傑と超人ではさすがに分が悪いだろうな。

 蘭の死体なんて見たくもないが……下手すれば逃がすことさえ出来ない。


 味方の弓兵が敵を半包囲しているが、おそらく矢避けの術で無効化される。

 今朝の戦いでこちらの弓兵を無力化したのは、目の前にいる女騎士のはずだ。

 こうなると頼りになるのは魔狼ポチしかいない。

 ポチが青年騎士を抑える間に、俺が女騎士を殺すしかない。

 出来る出来ないの問題じゃない。

 


 異世界転生して得た新しい故郷は血で血を洗う修羅の国。

 嘘偽りなく、暴力が全てを支配し、全てを解決する。

 今いる世界は世紀末そのもの。

 この世界には剣も魔法も銃もある。それどころか大砲まである。

 武将が手勢を率いて戦う戦国時代もどき軍隊から、編成で命令系統を重視する近代的な軍隊への過渡期。

 社会は、明治維新直後の何もかも混沌としていた時代に近い。

 だが、一部の例外を除いて、魔法が遺伝する所為で支配者層の体制は万全に近い。

 軍事関連技術は近代化への過渡期だが、政治は中世の封建体制が維持されたいびつな世界。

 死人が出やすい世界だから治安なんて最低だ。

 狂信者を抱えた気違い宗教団体から盗賊山賊海賊まで致せり尽くせりだ。

 子供が一人で隣町までお使いに行かせたら、親の正気を疑われる世界。

 その上、町の外に出れば魔獣と界獣が跋扈するファンタジーな生態系。

 ちょっとでも気を抜けば、裏山に行くだけで死亡フラグがすぐに立つ。


 そんな世界でも俺がやることは一つ。

 やるべきことはただ一つ。

 どんな手段を使ってでも、こいつ等殺して生き残る。

 蘭と一緒に生き残る。

 この世界で俺が見つけた、ただ一つの宝物である少女を守る。

 あと、あのふざけた神をぶん殴るまで死ぬ気はない。





「……ご主人様、いかがなさいましたか?」


 蘭が手拭いを胸元にしまいながら、先ほどの蚊の鳴くような声ではなく、しっかりと耳に届く声量で聞いてきた。

 蘭の不安げな眼差しが藤亜を見つめてくる。

 少年は、少女が自分のことを純粋に心配してくれているのをよく知っている。

 そして、少女自身の行く末も心配している。

 理由は分かっていた。


 藤亜と蘭は一蓮托生の運命にある。

 しかも藤亜が殺されて蘭だけが生き残っていたら、特別な庇護が無い限り彼女は加藤家に殺されるか、ただの性奴隷として死よりも酷い目に遭わされるだろう。

 藤亜は家督簒奪のために養父と義兄を纏めて殺して、妾にされた蘭を奪った。

 愛していない主人と共に死ななかった蘭には、自分を奪った藤亜以外に頼れる人がいなかった。

 

 他に打つ手はなかった。

 それは今でも変わらない。

 藤亜十兵衛と蘭にとって、最後に頼れるものは己とお互いの力だけだ。

 だから、少年は口角を上げて無理矢理つよがった。


「ああ、人生最高の血湧き肉躍る戦場だと思ってな。武者震いをこらえてた」

「十兵衛……」


 口の中で消えるような蘭の呟き。

 それは誰にも、目の前にいる十兵衛にさえ聞こえることはなかった。

 やがて十兵衛の左足が徐々に小さく震え出したが、それは武者震いではなく、ただ単に死への恐怖によるもの。

 そんな主を見ても、性奴隷の少女は動じなかった。

 蘭は自分の全てを捧げた幼馴染みの少年が、ただ恐怖に震えるだけの男でないことをよく知っている。


 彼女は藤亜十兵衛本人よりも、そのことについて

 養子入りしていた幼馴染は彼自身の義兄弟を悉く斬り捨て、さらには養父さえも斬り殺して家督簒奪を強行した。

 自らの手で計画、立案、実行まで仕掛け、そして妾にされていた蘭を奪い取った。

 家督簒奪の後に続いた厄介事を、全て暴力だけで解決した幼馴染の少年






 神楽坂蘭という名だった少女は、悪魔が囁いたような、あの夜を忘れることはできない。

 何があろうと忘れることなどない。

 あの夜の出来事は、今でも鮮明に思い出せる。

 透き通る秋の夜空に、突如響き渡った絶叫。

 剣士たちが殺意を込めて、猿叫の金切り声を上げる。

 途絶えることなく、木霊のように折り重なる悲鳴。

 与えられた寝室から見えた、満月が照らす静かだった庭園。

 美しい箱庭は、無念の表情がこびり付いた首が並ぶ首切り場と化した。

 この惨劇の首謀者は、表情にはまだ幼さが残っていた幼馴染み。

 返り血でずぶ濡れになった十兵衛が、側室入りと同時に軟禁された部屋のふすまを開けた。

 少し前まで、手間のかかる弟だと思っていた少年。

 ほんの数刻前、夫となった男に犯されながら、瞼の裏に思い浮かべていた幼馴染み。

 その幼馴染み――藤亜十兵衛が見たこともないほど険しい表情を浮かべて目の前にいる。

 彼が右手に血の滴る刀を握りしめたまま、血に濡れた左手を私に伸ばす。

 もう幾夜も穢されていた私を……。

 躊躇うことなく左腕だけで抱き寄せた。

 有無を言わさぬ力強い抱擁に頭が真っ白になった。

 あのとき静かに囁かれた言葉を、私は決して忘れない。


「蘭……」


 まだ整わない、荒々しい息遣いが耳たぶに掛かるたびに私の身は震えた。


「お前は、今からだ。いいな」

「……うん」


 小さな、自分でも言ったかどうか分からないような小さな返事。

 ただ抱きしめられながら、小さく頷いたことだけは確かに覚えている。






 蘭は意識を思い出から現実へと戻す。

 目の前で口を噤んだまま、敵を睨み続ける年下の主人。

 その瞳が帯びた見覚えのある光を見て、彼女の身体は恐怖で震えた。

 月明かりの中で血を纏った少年が見せた、うすら寒い暗い光を宿した双眸。

 少年は再び、刃向かう者を、敵と認めた者を、ただひたすらに屠るだけの修羅と化す。

 それだけは間違いないと、神楽坂蘭という名前だった少女は確信した。

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